カテゴリ:留学-生活編
アファーメーション、って言葉を、最近日本語でも聞くようになってきた。
実際どういうことに使っているのかは詳しくないのだけど、自分なりの解釈だと、 「自分にポジティブなイメージを与えるように自己暗示する」 という事では。 困難にぶち当たっても、「自分はできる」「自分には能力がある」と思い込んで、それで困難を乗り越えていく。 で、1人で言ってるだけじゃなくて、周りの人にも宣言すると、なんとなくプレッシャーもあってホントに言っているとおりのポジティブな自分になっていく。 特に「アファーメーション」という名前ではやっているわけではないと思うけど、ブログっていうツールが出回って、「ポジティブな自分」宣言を不特定多数にしている人が多くなったのでは?? 私も、そんなブログを数個知っているけど、パワーのおすそ分けをもらっているようで、読んでいる側にもいい影響を与えるよね。アファーメーションができる人は、他人をポジティブな方向に向かわせる力も持っているのだと思う。 (その一方で、ひたすら自分の不幸や愚痴を暴露する、というタイプのブログもあるけど。あれはあれで自分の癒しになるし、実際に暴露できない人が読んで共感できるのでそれなりにいいのでは、と思ってる) でも、中には、「不愉快なアファーメーション」もあって。 「自分には能力がある、と宣言することで、自己暗示による自信をつける」 というのは同じなんだけど、「自分には能力がある」ってことを、「他の人は能力がない」って言う事を強調することで表現するタイプの人である。 「他のヤツはこんなに愚かだ。オレは、あいつらの仲間じゃなくて良かったなあ」 的な考え方をする人ですな。 このタイプの人が、留学してた頃知り合った人、つまり、10代後半から20代前半のアメリカ人(偏見じゃないけど、男性に多い)にすごく多かった。何かにつけて人をけなす、それで、「他人をけなせる自分」に酔っているのだ。 こういう人たちの態度っていうのは、かなり気分悪かったのだけど、なんか、こういう風潮まで、最近「アメリカの文化」として、日本に無条件で受け入れられているような気がしてならない。 (アメリカみたいな、他民族、他文化国家だと、us vs. them っていう図式がはっきりしてて、何かにつけて他のグループを非難するんだけど、日本ではこういうアイデンティティの概念がないから、定着しにくいはずと思いきや、かえって異常なまでに他人を軽蔑する人が多い) 確かに、文化の違いに関わらず、自分と他人を比較して、自分が優れている事を確認したい、と思うのは、人類共通の傾向だと思うけど。(←母親になって、しみじみ感じます。汗)。 それを、周りに宣言して自己陶酔に浸る人、というと、どうかと… 他人の長所が見つけられない人に、自分のいいところが発見できるのかなあ。 「自分は優れている」「自分は成功者だ」と自己暗示をかける、っていうのは、あくまでそうすることによって自分のいいところを伸ばして、より優れた人間になるよう努力するためのモチベーションを植えつけるためのもので、巷でいうように言うだけで自動的にホントに優秀な人間になったり、成功したりするわけじゃないはずだけど。 「あいつらは愚かだ」と言い聞かせることで、モチベーションは上がるんだろうか?「あいつらは愚かだ」と言ったところで、本当に他人は自分より愚かになるんだろうか?っていうか、本当にそうなったところで、自分の益って、なんだろう?? 自分としては、やっぱり、他人のいいとこを発見することで、「良い人間になる」ための図式のようなものが見えてくるので、他人はどんどん誉めて、「こんなに他人を誉められる自分は、きっといいヤツなんだろうなあ」と自己陶酔するほうがいいですね。(←あ、でも、これって、「他人を誉める事をできないやつらは愚かだ!」って言ってる。笑) そういう意味で、最近はやってる「勝ち組」「負け組」が、どうしても好きになれないjunquitoでした。 (勝ち組に入るには、負け組、という、「比較できるグループ」が存在しないといけない、というあたりが。成功って、相対的なものじゃないと思うんですが) で、タイトルの言葉になるわけですが。ウチの母がかつてよく言ってた言葉です。 我が子にも頻繁に使ってますな。
話題ずれてますが。皆さん、どう考えますか??(←負け犬の遠吠えとか、言わないように。(^^; ) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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