テーマ:★留学生活★(629)
カテゴリ:留学-生活編
ちょっと遅い話題になってしまったけど、柳沢厚労相の「女性は産む機械」発言について。
ニュースを読んで、あきれたけど、もっと気に入らなかったのは、「どんな文脈での発言だったのか」を探そうとしたら、なかなか見つからなかったこと。 どこのメディアも、上の言葉だけを取り上げて、騒いでいるだけなので、最初からニュースを追っていなかった自分にしては、背景が見えず、この部分だけで厚労相の人柄とか、能力を判断せざるを得ないような気分になった。 探してみたら、こんな背景だったよう。
うーん、これを読むと、最初の印象とちょっと違ってくるなあ。「女性差別者」というより、単にものすごく例えが下手な人、という感じだ。それで評価が変わるわけでもないけど。 少なくとも、メディアがもう少し広い背景を入れて説明してくれれば、読み手のほうも、もう少し厚労相のもっと突っ込んだ心理とか考えることができたかもしれない。 まあ、それはいいとして、本題は、やっぱりこの発言そのものである。 このニュースを読んで思い出したのがSlip of a tongueという言葉。 大学にいた1995年に、米国議会下院リーダーのDick Armey氏 が、インタビューの中で議員のBarney Frank氏を"Barney Fag"(faggotと同義。意味は調べてください。)と呼んだ事が結構大きなニュースになった。 もちろん、この言葉がどんな意味を持って取られるか、といったことについて、Armey氏は十分理解していた、にもかかわらず、「クチ(舌?)が滑った」のである。 いくら「そんなつもりはなかった」としても、「クチが滑った」ということは、潜在意識化で相手をそのような目で見ていたので、それがガードを外したとたんに表に出てしまった、彼は同性愛者差別家だ、ということになった。 今回の「機械」発言も、似てるんじゃないか?本人は「わたしの女性観と見られるのもやむを得ないが、それは違うと理解してほしい」と言っているようだけど、意識のどこかで、女性が機械的に出産と言う生産作業を行なってる、ってイメージがあって、自然とその二つを比較するような言葉がでたのではないだろうか?? (でも、上の背景を読むと、「例えるのは侮辱だ」ということは、十分心得ていたようにも思う。それでもあえて使ったのは、よっぽど結果に対して鈍感だったとしか思えない...) まあ、そう思うこと事態は、避けようと思って避けられるわけでもないし、彼一人の話じゃないだろう。心のうちで、さまざまな対象に対して偏見を持つって言うのは、ある程度避けられないことじゃないかと思う。 重要なのは、そういった偏見を自分は持っている、と言うことを意識すること(=自分の特定の考えが、偏見であるということを自覚すること)、そして、それを態度や言葉で表に出して相手を傷つけることを決してしないこと、さらに、そういった偏見をなるべくなくすよう自分なりに努力すること、だろう。それができなければ、政治家としても人間としても価値を疑われるのはやむをえない。 と言っても、さまざまなアイデンティティを持つ個人やグループが共存していく中で、自分の中の偏見を見つけるのは、時として難しい。自分では偏見と思っていないことでも、相手を傷つけることはしょっちゅうある。上の事件が起きた90年代、アメリカでPolitically correct/incorrectという言葉がはやりだしたのだけど、例えばBlack peopleがNGでAfrican AmericanがPolitically correctである、という理由付けとか、Chairmanには「女性は議長に慣れるわけがない」という意図があるのでChairpersonを使うべし、なんていうのは、言われてみなければ、特に非英語圏出身の人間にとっては、その重要さがどれくらいなのか図りかねるし、そもそも気がつかない。こんな間違いで「あの人は、潜在意識レベルで人種/性に偏見を持っている」とか言われても、困るわけだ。 今回の件に関しては、女性として腹が立つ、というより、無知と無防備さが祟って窮地に立たされた柳沢厚労相を笑うしかない、という感じだ。 まあ、「あんたが女性を機械にたとえるならこっちだって...」というネタはたくさんあるけど、Politically correctではないのでもちろん控えます(^^)。みんなも、アイデンティティや文化背景の異なる人と会話する時は、相手に敬意を払うことを第一に、人格に沿った会話をするよう心がけましょう(特に英語でね) 留学ブログランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.02.01 19:30:52
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