留学生のためのスタディスキルズ推進ブログ

2007/04/09(月)23:16

遊び心のお勉強

留学-学習編(312)

もういっちょ、昔の自分の勉強法から、今のスタディスキルズのもととなってる行動を思い出してみる。 昔の自分(中学生、高校生くらい。小学校は、勉強してた覚えが全然ない。汗)といえば、お世辞にも「効率よく勉強」できるコドモではなかった。どっちかというと、気合であきらめずにがんばれば解けない問題はない、みたいな感じだったような。 だから、例えば数学とかも、「あの問題の解き方をこの問題に応用しよう」っていって解くよりは、「あの問題の解き方もこの問題の解き方も丸暗記して試験で思い出せばいい」という方法。 漢字や社会の用語暗記なんかも、うまい暗記術を会得して、なんでも一発で覚える、という芸当はできなかったので、ひたすら時間をかけて覚えたタイプなのだ。 そんな習慣がいまだに尾を引いて、速読とか記憶術とか、頭のよくなるトレーニングなんてのは基本的に信じてなくて、「そんなの覚えなくたって、時間かけりゃだれにでもできる」という態度を貫いてるかもしれない。頭では、それは明らかに間違ってるって思うんだけど。 ただ、今振り返って1つ自慢できることは、 ノート作りに凄く凝っていたこと。 …自慢になるのか?? まー、現物が残ってないのが惜しいけど、特に中学時代のノートなんて、勉強に使うのが惜しいくらいカラフルでシステマティックだった。 数学の公式とか、英語のキーセンテンス、国語の新出漢字なんか、全部色分け。 歴史にいたっては、年代、人名、場所、事件の名前とか、全部違う色で分けてましたから(極細色ペンは必須ツール)。 で、インデントとか、暗記箇所の記号とかもシステム化して。 他の人がどんなノートをとってたのか、は記憶にないけど、同じノート使ってるのに、自分だけやたらページ数食って、他がまだ一冊目の半分も使ってないうちに3冊目に突入、何てこともよくあった。 (文字を四角で囲ったり、あちこちから引用を拾って書き写したりしてたためと思われる) というわけで、ノートはきれいだった、ものすごく。 ただ1つ、悔やまれるのは。 復習にそれらをぜんぜん使わなかったこと(涙)。 まさに、「書くために書く」で、きれいに書けたらあとはほっぽらかし。テスト前は、また別の暗記ノーと作ったり、教科書に線引き直したりしていた熱心なアホ学生でした。 なので、当時芸術的センスに長けていたことは認めるけど、ノート取りのスキルとかが格別抜きん出ていた、というのは一切なく、果たしてこの行為が学力アップにほんとに貢献したか、は謎のままである。 けど、確かに、効用はあったとは思う。 まず、それだけ長時間勉強してても、苦痛じゃなかった。 勉強=ノートを作ることだったんで、色工夫したり、キーワードレタリング(鉛筆で印刷活字みたいに書く)するのは楽しんでやってた。 今も、ポッドキャストのメモ取りながら、イメージ画を書いたり、文字の大きさを変えてみたりと遊んで、退屈して寝込まないように対策とってるし(笑)。 あとは、人(教師)の話を聞きながら、瞬時にこれはこの色でメモ!とか、この部分は四角で囲うところだ、とか、耳から入った情報を視覚化する特訓にはなったかなあ、なんて思う。これも、意識してやるんじゃなくて、退屈な講義を楽しいものにかえる工夫の1つだと思うのだけど。 そういうわけで、結構集中力は持続する子供で、そのおかげで特別な暗記力とかひらめきがなくても飽きずに時間をかけて勉強した結果、量で成果を挙げることができたのかな、と思う。 で、こんな例を挙げて何を言いたいのか、というと、スタディスキルズとかなんとか、難しげな話をしても、結局のところは「勉強を楽しいことに結びつける」工夫を、自分なりにできるってことが大事、ということ。 ノート作りを工夫してもいいし、勉強内容をネタにしたブログを公開するのもいい(このブログも、まあ、そんなノリです。笑)。それでとにかく勉強を勉強と思わず続けられれば、楽しいことはいつか必ず上達するものなのです。多分。 みんなも、スタディスキルズを「覚えなくちゃならない大変なもの」として捕らえず、いろんな遊びを学習に取り入れて楽しんでくださいね~

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