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History、歴史。人間が作り出す時代。
今日、沖縄の集団自殺についての記事を読んだ。 歴史の教科書で強制で自決を迫ったか否かで、手榴弾を渡されて米軍につかまったらジリジリと 殺されると言われ、その恐怖からある意味強制だったと思う当時の子供である70代の男性。 こちらは教科書に強制だったと載せるべきと思う側。 反対論は元軍人でその指示をしたと思われる90代の男性。こちらは教科書から強制の 言葉を排除されて喜ばしく思っている。何故なら彼(等)は強制した覚えはないから。 ここで思うのだが以前私は【Man's Search for meaning】という第2次世界大戦中の ユダヤ人の皆さんの心理状況及び変化、またその影響などが研究された内容の本を読んだ 時にも思ったのだが、戦争中というのは誰もが自分が正義でそれ以外が自分を脅すもの だったりするようだ。全員が被害者であり、誰かにとっての加害者になり得るのかもしれない。 戦争を知らない世代の私が想像を膨らませて考えるに、どちらも正しく思えて仕方ありません。 だから私は教科書には両方の意見を書いてもいいんじゃないかと思います。 事実は、集団で自決が起った事。その背景に手榴弾を渡した事。 ここまでは事実であったと思う。それ以外はその時代を生きた人たちが どういう状況にあったか想像できない私達ができるのは、色々な考えが 人々を支配していたという事を伝えることなんじゃないかと思います。 コミュニケーションは伝える側が意図する事の半分も相手に伝わらない事が 多いとされている。聞く側もそれを踏まえてしっかり聞かないといけないけど、 戦時下で軍人から何かを言われる渡されるという状況だったら今の人よりも 想像力が発達している当時の人々は色々と考えたであろうかと思います。 軍人側もおかしな人もいたかもしれないけど、もしかしたら苦しまない様に、 と哀れみの心で渡したのかもしれない。当人達にしか分からない事だから 当時を生きた人達のこの両極端の意見は非常に興味深いと思う。 いつの時代でも人間誤解をし、時には悲劇を、時には喜劇を引き起こしますね。 日本語は特にはっきりしないグレーな会話が美徳とされる時もあるので、 誤解が起りやすい様な気がします。 どちらの側にとっても真理は彼らの人生の記憶であり、そして彼らの人生に 影響を与えた心が何よりの真実だと彼らは言うと思います。 だから、きっとどちらも正しく、そして辛く悲しい時代だったのでしょう。 自決を載せる載せないよりも、載せる載せないって全く別の意見が存在した という事を子供たちに伝える事の方が大切な気がしました。 子供たちはそれを聞いて何を感じると思いますか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Mar 30, 2007 09:42:14 PM
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