コンプリート。
ひとつの出来事が人生を変えることがある。そして、生まれ変わった後の人生をも変えてしまうことがある。人のバイオリンを聴いていると、「この人の前世にはなにがあったんだろう…」と思ってしまうことがある。ひとつの出来事がコンプリート。思ったことは、自分の心にしたがい、やってみて良かったということ。アタマではいくらでも考えられるけれど、自分のアタマの中で生きていられるほど、人生は狭くない。意見をはっきりさせない人というのは、「はっきりさせたくない」というのが答えであって、そんな人びとに「はっきりしてくれ」と言ってもムリなのである。彼らは、人生のある場面において、どこかから逃げてしまい、「はっきりさせない」というスタンスを取っているのである。そんな人びとに出会ったのならば、価値観が違うのであると思うほか、ない。彼のことばは、瞬間、瞬間に変わっていった。私が受け取った彼のことばを、その人に返しても、私のことばはポトンと落ちてしまった。うその多い人であった。その人にとって、それはうそではなかったのかもしれない。しかし、相手から投げかけられた問いや提案について、私がきちんと考えて、相手に返しても、相手が逃げてしまえば、人間関係が成立しなくなるのである。その人は、私と出会った当初、自分は話す人が少ないと言った。しかし、いまとなっては、「そうやって人との交わりから逃げているから付き合う人も少ないのよ」と、私は意地悪なコトをいいたくなってしまう。そして、ちやほやしてくれる人とだけしか付き合って来なかったんだろうし、その先の彼の人生も、ちやほやしてくれる人のみとの付き合いになるのだと思う。人生というのは相手があって、自分がいるもんだ。自分勝手な人間関係ならば、遅かれ早かれ終わっちゃうよね。マザー・テレサいわく、愛情のはんたいことばは憎悪ではないらしい。無関心、なのであるのだそうな。まあ、無関心になる前に、すこし記録に残しておこうと思う。あたしゃ、もう知らん。勝手にしやがれ。