カテゴリ:演奏会(2010年)
ところで10月16日のスクロヴァチェフスキ/読響の定期演奏会(ブルックナー7番)のとき、ちょっとびっくりする場内アナウンスがありました。これについて詳しく書いておこうと思います。
開演少し前に、いつものように場内アナウンスが流れ始めました。「携帯電話の電源をお切りください云々」という、いつもの放送でしたが、アナウンスの最後に、「拍手は、指揮者が手を下ろすまでお控えくださるようお願いいたします。」と放送が僕の耳に飛び込んできて、びっくりしました。 近頃はこういうアナウンス、時々あるのでしょうか?僕は初めて気が付きました。このアナウンスを聞いて、5年前のスクロヴァ&読響の7番の演奏会での、とある事件の記憶がまざまざと甦ってきました。「スクロヴァ7番大フライングブラボー事件」です。 話は5年前にさかのぼります。2005年のスクロヴァ&読響のブルックナー7番は、今回と同じ二日連続の公演で、4月17日日曜日が特別演奏会、翌18日月曜日が定期演奏会。両日ともサントリーホールでした。僕は二日目を聴きに行ったのですが、ホールに行ってみると、「残響が消えるまで拍手はお控え下さい」という内容の張り紙が張り出されていて、とても驚きました。異例の張り紙です。 何でこんな張り紙が出たのか、あとで誰となく伝え聞いたことなので確証はありませんが、どうも前日の演奏のとき、相当ひどいフライング・ブラボーがあったらしいんです。そのための張り紙処置だったようです。もともと読響の定期会員の方々は見識のある方が多く、指揮者が手を下ろすまで拍手をしない習慣がかなり守られていました。僕は読響の定期会員になったことはありませんが、当時読響の定期演奏会に行くと、終わりのマナーが非常に良くて、指揮者の手が下ろされるまできちんと充分な静寂が得られることが多くて、感心していたものです。そのような状況下で、ひどいフライング・ブラボーがあったのだとすれば、絶大な破壊的効果を発揮したことは必至で、他の聴衆から相当なクレームが上がったでしょうし、もしかしたらスクロヴァ自身も不快感を抱いたのかもしれません(注1)。そのための二日目の異例の張り紙処置だったのか、と想像しました。 5年前、僕の聴いたこの二日目のときは、この張り紙の効果で、幸いにもひどいフライング・ブラボーはありませんでした。しかしやはり、まだ残響が消えるか消えないかのうちに、少なからずの人のフライング拍手が始まりかけてしまいました。このときは、張り紙の効果でか、始まりかけた拍手が、その直後(1~2秒か)に一度、ほぼ鎮まりました。そこまでスクロヴァはずっと指揮棒を上にかざしたまま静止していましたが、拍手が鎮まりかけたそのあとすぐに手をおろし、そこからあらためて拍手が始まりました。結果として、出鼻をくじかれたような、中途半端な拍手の始まりかたになってしまいました。もちろんひどいフライング・ブラボーよりは格段にましでしたが、これがもし、普段の読響での演奏会のように、指揮者が手を下ろすまで静寂が保たれていたら、この日の極めて充実した演奏を締めくくって讃えるにふさわしい、はるかにすばらしい「場」が成立していたことでしょう。 このような5年前の事件を踏まえ、今回の演奏会、おそらくスクロヴァ自身、5年前のような事態になるのを避けたかったのではないでしょうか。ましてや今回は録音するわけですから、CDとして売り出すのにも邪魔なフライングは困る、という楽団側の事情もあったのかもしれません。それでこういったアナウンスを流したのでしょうか。無粋といえば無粋ですが、フライング・ブラボーでぶちこわしになる恐れを回避するためには、やむを得ない処置でしょう。 さて今回、最初に演奏されたシューベルトの未完成では、演奏終了後、一応残響は消えるまで拍手はおこりませんでしたが、スクロヴァが手をおろしはじめるまえからぱらぱらと拍手がはじまってしまいました。 休憩後、後半のブルックナーの開演前に、もう一度だめ押しのアナウンスが流れました。「拍手は、指揮者が手を下ろすまでお控えくださるようお願いいたします。」 いよいよブルックナーが終わったとき、誰一人拍手を始めず、スクロヴァはしばし指揮棒を上にかざし、残響も完全に消え、完全な静寂のひとときが、ホールに訪れました。ほんの何秒かだったと思います。そしてスクロヴァが指揮棒をおろし、それから嵐のような拍手とブラボーが始まりました。アナウンスの効果は絶大でした。 こういったアナウンスによる静寂のアピールは、「強制された静寂」として嫌う向きもあろうかと思います。僕も正直そのあたりは、複雑な心境です。本来なら、こんなアナウンスなどなくとも、聴衆が自主的なマナーとして実行すべきことです。現に、何年か前の読響定期では、それが実現していたのですから。 でも一部の心ない、というか、悪気はないのでしょうけれど、配慮のないフライングの拍手・ブラボーは、わずかひとりいただけでも、終演後の貴重な静寂の瞬間、かけがえのないひととき、それをもってこそ音楽の受容が完結する、その重要な静寂が失われてしまうわけだし、実際に5年前にはそういう事件が起こったのですから、現状ではやむをえない、必要な処置かと思います。 もうこの際開き直って、野暮だろうが無粋だろうが、一時期こういうアナウンスを徹底して流したらどうでしょうか(爆)。この習慣がマナーとして定着するかもしれません。そしたらすごく良いことだと思います。これは主義とか考え方による個人の好みで決めて良い事柄ではなく、基本的なマナーだと思うんです。 「オレは音楽が終わってから間髪をいれずに拍手したい」という人もいるでしょう。だけど、「音楽が終わってから静寂がほしい、拍手はそのあとから」と思う人が(おそらくかなりの多数)いるんです。その(おそらくかなりの多数の)人たちのために、ほんの何秒か拍手を差し控えていただくのは、「強制」ではなく、マナーだと、思うんです。 拍手は指揮者が手を下ろし終わってからする、これが演奏会の基本的マナーとして定着することを強く期待します。 折角コンサートに行くんです。 音楽が、静寂からたちのぼり、静寂に帰っていく。 それを一緒に見届け、いや聞き届けようではありませんか。 ----------------------------------------------------------------- (注1)スクロヴァは、このあたりについて、かなりこだわりがあると思います。2007年9月、スクロヴァがやはり読響でブルックナーの3番を振ったときのことでした。第二楽章の見事な演奏が終わったときのことです。曲が静かに豊かな余韻をたたえて終わり、残響が消え去った瞬間に間髪をいれずに、客席から咳払いが起こりました。良くある普通の咳払いの程度の音量でしたし、残響が鳴っているときではなく、一応消え去ったとほぼ同時くらいの咳払いでした。ですので、それほどめくじら立てるようなノイズではありませんでした、ただ、できることならもう少し時間をあけてから咳払いして欲しいなとは思うような、咳払いでした。そしたら、なんとスクロヴァは、左手を上に突き上げ、不快感を表したのでした!さすがに客席の方を振り向きはしませんでしたが、それは明らかに、早すぎる咳払いへの不満のアピールでした。舞台上でこういう怒りの表明を指揮者がするのを見たのは初めてで、驚きました。スクロヴァが、いかに音楽の終わったときの心的余韻を大事にしているかがわかりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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本当にその通り。余韻を味わうことは曲全体の印象を完結させるために不可欠です。場内アナウンスはとても効果的だと思うので、ぜひすべてのコンサートで実施してほしいものです。
(2010.11.02 10:25:30)
Tomatoさん初めまして、コメントありがとうございます!音楽のあとの静寂を大事に思う気持ちを共有できて、うれしく思います。演奏終了後の静寂を尊重することが、マナーとして演奏会に定着すれば、本当にすばらしいことですよね。そのための手段を、どうすればよいかということになります。
アナウンスという手段は、確かに絶大な効果を発揮します。記事では勢いで「もうこの際開き直って、野暮だろうが無粋だろうが、一時期こういうアナウンスを徹底して流したらどうでしょうか(爆)」と書きました。でも、もしも本当に、立て続けにこの種のアナウンスが繰り返されるとしたら、「本当にこれでいいの?」という懸念を抱きそうな気もします。場内アナウンスは、強力であるだけに、「毒をもって毒を制す」みたいな感じがしないでもありません。対フライングブラボー最終兵器。理想的には、これは使用せずに、この習慣がマナーとして定着してくれれば一番いいですよね。でもそれがなかなかうまくいかないからこそ、こういうアナウンスが現実に出てきているのだとすれば。。。 実は、この読響の演奏会のあと、都響の定期演奏会(クレー指揮のブルックナー4番)でも同じ場内アナウンスが流れたので、余計にびっくりしているところです。この問題についてはまた項をあらためて書いてみたいと思っています。 (2010.11.03 01:32:45)
おはようございます、以前ペレメリの記事にコメントを頂きました「オペラの夜」です。
一昨年のパリ・オペラ座来日公演で、デュカスの「アリアーヌと青髭」の日本初演があり この際の一幕の幕切れでオケの後奏に被せ、盛大な拍手の起こって、幕間に早速 音楽の終わるまで拍手すんなゴラァ、と云うアナウンスがありました。恐らくは 同行していた当時のモルティエ総裁が、クレームを付けたのだろうと推測しています。 噂に拠ると、あの時の上演には主催の某テレビ局が招待券をバラ撒いて、あの繊細な 音楽に対し、「カルメン」か「椿姫」みたいなノリでいた客の多かったとも思います。 余韻に拘る指揮者で僕の思い出すのは、かの巨匠・山田一雄氏で、京都市響定期で マーラーの三番をやった際、曲の終わって拍手の起こると、ヤマカズは指揮棒を構えたまま 左手で客席に向けてシッシッシッとやって、とても和んだ記憶があります。 (2010.11.03 10:00:56)
じゃく3さんこんばんは
この問題、非常に考えさせられます。僕の記憶では場内アナウンスは聞いたことがありません。大阪のオケでプレトークの話の流れの中で、「余韻を大事にしたいので、拍手は手を下ろしてからでお願いしますね」というのは、時々出くわしました。 フライング拍手の中には誰よりも先に自己顕示したいような意図的・悪質なものが多いと思います。 実は、90年代後半、朝比奈御大&大フィルの演奏会で、もう何十人・何百人規模のフライング拍手やブラボーを何度も耳にして、「もう大フィルには行かんとこ」と思ったことがありました(今では後悔しています・・・)。うちの親ももこの異常な雰囲気が苦手で、晩年の朝比奈御大の演奏に行っておりません。オケと善良なファンがこういう悲しい関係にならないようにするためには、読売日響の毅然たる態度もやむをえないかな、と思ったりします。 (2010.11.03 17:51:09)
「オペラの夜」さんこんばんは、コメントありがとうございます。
オペラではこういうアナウンスはないのだろうなと思っていましたが、時と場合と音楽の内容によっては、アナウンスが出るんですか!その総裁も、余程腹に据えかねたのでしょうね。 オペラの幕間の場合、こうやってアナウンスでアピールすれば、次の幕の終わりのときに効果がすぐ出るのが良いですね。コンサートでメインの曲の場合だと、1回勝負で、フライングが出てしまったらもう終わりですから、余計に怖いですね。。。 ヤマカズの3番を聴かれたんですか!80年代くらいでしょうか?それにしてもシッシッシッとは、さすがに超越してます、驚きました!!ここまでやっちゃうヤマカズだったら、指揮を始める前に自分から直接聴衆に、拍手はこの棒が降りてからだぜい、と注文つけちゃったとしてもおかしくないな、なんて空想しちゃいました。貴重なお話、ありがとうございました。 (2010.11.04 03:08:52)
ヒロノミンVさんこんばんは、コメントありがとうございます。なるほどプレトークで話しをするというのも、スマートでいい方法ですね。
朝比奈&大フィルの晩年の大阪は、そういうひどい状態だったんですか。東京ではどうだったのか、良く覚えていません。。そういえば、朝比奈と大フィルの演奏によるマーラー3番のCDには、曲の終わりにひどいフライングブラボーがそのまま収録されてます。ひとりで、雄叫びのような声を長くあげているんです。これCDで聴いていても相当ひどいので、もし会場で聴いていたら大ショックだったと思います。ここまで悪質なのは僕は幸い体験してませんけど。。。(話はそれますが、ここまで悪質なフライングブラボーは、CDとして売り出すのであれば、編集で取り除くべきだと思います。) こういう意図的な、悪質なフライングに対しては、場内アナウンスのようなきっぱりした方法が、必要かつ有効だと思います。 あと、フライングしている本人が悪いと自覚していない場合も、フライングが繰り返されるので、困りますよね。そういう常習の(悪意なき)フライングマンに、なんらかの形で注意を喚起することも必要ですね。これもまぁ場内アナウンスが手っ取り早いといえば手っ取り早いですが。。引き続き考えていきたいと思います。ありがとうございました。 (2010.11.04 03:26:10)
なんということ、なんという無神経さ!!!
jupiterさんの心中お察しします。 自主的なマナー意識の育ちを待っているだけでは、やはりだめなのでしょうか。 シンフォニーホールにも場内アナウンスが流れる日が、近いかも、ですね。 (2010.11.06 01:41:27) |
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