2010/11/18(木)00:28
余韻考(2)
コンサートでの余韻の話の続きです。(前回はこちらです。)
前回は、余韻の第一段階を物理的な残響、第二段階を心理的な余韻(音楽モードから通常モードへの移行)とすると、このごろ、第一段階の余韻は割合大事にされる事が増えてきた、ということを書きました。それから、第二段階の余韻は主観的なものなので、人によってその長さが異なる、ということも書きました。
さて音楽が終わって、ある聴衆が、第二段階の余韻が自分はもう終わった、もう音楽を聴くモードでは完全になくなった、というときに、もしすかさず拍手をはじめたら、ブラボーを叫んだら、その人にとっては、別に問題ないでしょう。でも、そのときにまだ、もし第二段階の余韻が終わっていない人がいたら、その人にとってはどうでしょうか。まだ音楽の心的余韻をかみしめている、そのときに拍手・ブラボーがわき起こったら、その心的余韻を味わう重要なひとときは、断ち切られてしまいます。
「じゃあどうすればいいのか。まわりの人が、第二段階の余韻が終わったかどうかなんて、わからないではないか、いつまでたっても拍手できないではないか、」という反論が来そうです。
聴衆としての答えは明らかですね。「演奏者にあわせる。」ということです。僕たち聴衆は、演奏家の奏でる音楽を聴きにきているんですから、音楽の終わりも演奏者にあわせようではありませんか。
音楽がはじまるとき、というのは、物理的な音が鳴りはじめたときではもちろんありません。演奏者が楽器を構えたとき、すなわち演奏者が心理・身体的に音楽モードに入ったときです。このときにすでに演奏者にとっては音楽は始まっています。このときに物音をたてる聴衆は、普通いませんよね。たまにいるけど(T-T)。音楽の始まりは、聴衆はきちんと演奏者にあわせてるんですよね。
音楽の終わりも、それと同じにしたいものです。演奏者にとって音楽が終わるのは、物理的な音が消えたときではなく、演奏者が心理・身体的に音楽モードから脱したとき、演奏者の第二段階の余韻が終わったときです。
演奏家の音楽を聴きに来ている(聴かせていただいている)我々聴衆としては、演奏者にとっての音楽が終わるまで、拍手・ブラボーを差し控えるのが、演奏者に対する基本的な礼儀だと思うんです。たとえ自分の第二段階の余韻が終わっても、演奏者がまだ見るからに音楽モードから抜けきっていないときは、それが終わるまで、拍手を控える、ということ。これが演奏者に対するマナーでもあるし、そのまま他の聴衆に対するマナーでもある、と僕は思います。
きょうはこのあたりまでとして、この続きはまた後日にします。