カテゴリ:マーラー演奏会(2015年)
12月11日と12日、デュトワとN響のマーラー3番を聴きました。僕にとっての今年最後のマーラー演奏会です。一言で言うと、マーラーの音楽に対する特別な思い入れは感じられませんでしたが、さすがにN響の実力は高かったし、終楽章の音楽は感動的でした。この演奏に文句をつける人は少ないでしょう。しかしそれでも僕としては、複雑な思いを抱いてしまいました。そんな一偏屈マーラーファンの感想を書いておこうと思います。 マーラー 交響曲第3番 指揮:シャルル・デュトワ NHKホール 初日と二日目の感想をまとめて書きます。 しかし、わたくし的にはその叩かせ方が、いささか不満でした。雛壇上のメインのシンバリストは普通に大きく叩いたのですが、舞台左端での二人の叩かせ方が、いかにも小さくて貧弱だったのです。マーラーがわざわざ「3人以上で」と指定したのは、ここを音響的に(それからもしかしたら視覚的にも)かなり目立たせたかったからだと思います。曲の冒頭の呈示時には二人でかつ「ff」の指示なのに対して、ここでは3人以上でかつ「fff」の指示になっているのです。それなのに3人のうち二人が舞台の端の方で小さくぱしゃんと叩くのでは、とてもマーラーの意図に沿っているとは言えないです。人数をスコアの指定通りにするだけで肝心の音量が小さいというアプローチは、変だと思うのです。
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じゃくさん、こんにちは。
きらクラ!ファンの中でもマーラーを語らせたらじゃくさんの右に出る者はそう簡単に見つからないのでは!ノンポリの私には何も語る資格はないのですが、ローゼンシュトックさんの事だけ少し書こうかなと思いました。 私が1978年に受けた作曲科の管弦楽法の授業は、ホルン奏者でもあった作曲家の大栗裕先生で10数名の学生を前におひとりで一気に早口で語られるような感じでした。 よく聞いたのは「その時ローゼンシュトックが真っ赤な顔をしてガー!と怒っりよったんや!」のフレーズでした。どんだけ怖いんや、ローゼンシュトック!と思いましたが、じゃくさんは一体お幾つの時に遭遇されたのでしょう。貴重な体験をされましたね。1982年に大栗先生は亡くなられ皆で葬儀に参列しました。ローゼンシュトックは1985年に90歳で亡くなられてますね。 じゃくさんはローゼンシュトックが73歳の時に振ったN響を聴かれたのですね。 じゃくさんはいろいろと覚えておられ凄いですね。 前出の記事、パーセルの「妖精の女王」も臨場感が伝わって参りました。ぶらあぼの写真も見ましたが新聞紙が衣装や舞台のセットの一部になっているのが素敵に見えました!いろいろと工夫が施されていますね。動画でカークビーさんも見ました。美しい ですね。いろいろとご紹介下さりありがとうござい ました。 (2015.12.19 12:12:31)
今度は完璧!と思っていたら、まさかの引き算残念賞、「あわて床屋」のどいです。
1985-1972=13 90-13=77 ローゼンシュトックさんが77歳の時にじゃくさんは聴きに行かれたのですね。 「あわて床屋」の作曲者は山田耕筰で作詞者は北原白秋だそうで、内容は蟹がうさぎの耳をちょん切るような感じだったような。 毎度毎度他所さんのブログも含め書いては訂正m(__)mばかりで猛省致しております。 (2015.12.19 14:50:41)
どいゆみこさんこんばんは、コメントありがとうございます!
大栗裕さんの授業を受けられていたのですか、大阪俗謡による幻想曲、大阪のわらべ歌による狂詩曲などなどの大栗さんですよね、それはすごい!!ローゼンシュトックさんについての熱い語り口のお話、すご~く興味深かったです。調べてみたら大栗さんは1946年から50年までN響(当時の日本交響楽団)のホルン奏者として在籍していたということですから、そのときに指揮のローゼンシュトックさんのこわい体験をしたのでしょうか、想像するだけで楽しいですね。貴重なお話ありがとうございました。 僕がローゼンシュトックさんの3番を聴いたのは、計算してみると中学3年でした。このときのことはほとんど覚えていないんですけど、第四楽章の弦楽がすごくきれいだったことと、コンサートが終わってホールを出るときに、近くにいた知らないお兄さんたちが「第四楽章きれいだったねぇ」などと話しているのを小耳にはさんで、心の中で激しく同意したことをなぜか覚えています。もっとも、長年のうちに記憶が次第に変容して、妄想になっているのかもしれません(^^)。 パーセルは、舞台を見ているときには新聞紙と気が付かなかったという間抜けなワタクシです。終わってからプログラムに載っていた演出家の文章を読み、そうか新聞紙だったのかぁ、でも言われないとわからないよなぁ、と思っていたら、写真を見ただけでわかる方にはわかるんですね(^^;)。 (2015.12.19 22:47:03)
ローゼンシュトックさんの年齢の訂正ご丁寧にありがとうございます。訂正といえば、僕の方こそ、記事に3番日本初演をプリムローズと間抜けな書き間違いをしてしまいました。プリングスハイムに訂正しておきます。なお調べたところ、3番は第五楽章だけ近衛秀麿が1931年に日本初演をしていることがわかりましたので、1935年のプリングスハイムは全曲としての日本初演です。これも合わせて、こっそり記事を訂正し、証拠隠滅しておきました!
それからN響の演奏記録を見たところ、ローゼンシュトックさんはマーラーを全部で4回振っていました。1938年が1番と3番、1956年が3番、1972年が3番でした。4回のうち3回が3番だったことを今になって知り、今更ながら驚いています。よほど3番がお好きだったのではないでしょうか。日本のマーラー演奏の黎明期に3番を繰り返し振っていただいたローゼンシュトックさんにはあらためて感謝です。 僕は中学1年のときワルターの「巨人」を聴いてマーラーの虜になり、しばらく一番好きな曲が巨人でした。そのうち中学2年くらいには復活が一番好きな曲になりました。中学3年くらいには3番が一番好きな曲になりました。その頃には、このあと自分が成長するとともに、だんだん4番5番6番と後期の作品が一番好きに変化していくのかなぁと漠然と思っていましたが、思いがけず成長がそこで止まってしまいました(^^)。以来3番を偏愛し続けて今に至っています。 マーラー3番に魅了されてやまない人は多いのではないかと思います。2014年にアマオケの3番を4回聴いたのですが、うち二人の指揮者(一人はプロ、一人はアマチュアの指揮者)が、すべての音楽の中でマーラー3番が一番好きな曲だ、というようなことをプログラムに書いていらっしゃいました。 (2015.12.20 13:36:11)
こんばんわ、たいへん興味深く読ませていただきました。私にとっては1972年愛知県の田舎から神戸の学校にやって来た年です。安いステレオを買って,クラシックを聴きはじめたことです。じゃくさんは、私なんかと比べたら早熟(いい意味です)だったんですね。マーラーは好きですが。じゃくさんの造詣の深さからみると、私なんかいい加減な聞き方をしていて恥ずかしいです。たしかにコンサート、曲が進んでいっても何かしっくりしないことがありますね。それでも、最後の音が鳴り終わったら、とっても感動している、そんなことが結構ある気がします。特にシンフォニーってそんなもんか?とも思うんです。かなり前ですが、コバケンさんの5番を聞いたとき、第2楽章があまりに素晴らしくて、マーラーの心の中の葛藤が,ダイレクトに胸に突き刺さった感じがして、涙があふれたことがありました。その時、他の人のブログでも同じことを感じた人があったようで、嬉しくなりました。もちろんその時は、曲が終わったら腰が抜けるくらい感動したことを覚えています。マーラーのライブ、そんなには通っていませんが、いい思い出がいくつかありますね。じゃくさんの刺激を受けて,”もっとマーラーを愛したいと思いました。ありがとうございました。
(2015.12.22 00:03:19)
やぱげーのさんこんにちは、コメントありがとうございます!!
70年代、僕もクラシックにのめりこんでいった時代です。あの頃はNHK-FMはもちろん、民放のFMでも結構クラシック番組をやっていて、ひたすらエアチェックして聴いていました。ときどきカセットがラジカセに絡まってぎざぎざに折れたりして、いつかやぱげーのさんがブログに書かれていたように、カセットをあけて切り貼りして治したりしていました。 コバケンのマーラーは素晴らしいですよね!5番はなかでもコバケン節が最高にあい、ぴったりだと思います。僕もコバケンの5番にえらく感動する体験をしました。以前コバケンの書いた本を読んだとき、マーラーの音楽について、「雪道で血を吐くような」、という表現をしていて、すごい、そこまで思い入れがあるのだとびっくりしたものです。(うろ覚えですので、あとで本を見返して確認したいと思います。) 来年もマーラーを聴いて、愛していきましょう! (2015.12.22 11:37:21)
大変遅くなりました、年末で忙しいだけではなく、じゃくさんのお詳しいレポートに萎縮してしまい、来年6月京都へマーラーの3番を聴きに行く資格が無いのでは?と思ってしまったからです。
演奏会後、急に無口になるかも…。何にでも感動するタイプで、どこがどう良かったのか説明できない部類でもあります。 無口で思い出しました、昔、マーラーの7番だか9番を女友達と聴きに行き(番号があやふやな点からして既に怪しい!)、座席が離れていたので終演後再び合流してお茶を飲みに行く約束をしていたのに、彼女から感動のあまり誰とも口を利きたくないので今夜のお茶会は中止、更に一緒に帰るのも無し、1人で帰ってね~という携帯メールが来たのです。 私の無口は、沈黙は金なりの無口で、恥を晒さないための予防線?無口ですのでその辺を宜しくお願いいたします(笑) (2015.12.24 16:47:07)
今日も快調の家族さんこんばんは、お忙しいでしょうにコメントありがとうございます!
私も山積みの仕事、年賀状などなど、あわただしい中に、風邪をひいてしまい、おちおちBGMも考えられず、しんどい年末を過ごしております。 6月の京都の3番、是非気楽においでください、って自分が演奏するわけでもなく、関係者でもなんでもないのですが(^^;)。そんな、しかくがないしかたがないなんてしかくしめんなことはおっしゃらず、是非是非。 僕も、当たり前ですが、演奏を批評したり批判したりするために演奏会に行っているわけではなく、感動を得たいから行っています。言葉にならない、言葉を失うほどの感動を得るときが、無常の幸福です。 その7番だか9番だか、平均して8番の(^^)お友達(=犬八でなくてひらっぱち?)の方、とても感性の繊細な方ですね。僕なぞは、その8番の友達と正反対で、感動するとやたら饒舌になりやすいタイプかと思います。無口を保っていられず、ついつい語ってしまいます。ブログも、その言葉にならない感動を、なんとか言葉にして「こんなにも感動したんです!」という気持ちを表したい、書き留めておきたいというために始めたものです。(それから、もしも自分がすごく感動した演奏会について、ネット上などであまり芳しくない感想を見かけたりすると、「いやこの演奏に感動を受けた人もいるのだ」ということを言いたい、という気持ちもありました。それが演奏してくださった人への感謝の気持ちを表すことにもなると思ったからです。) なのでこのブログには基本、自分が感動した演奏会についての感想を書いています。一方で感動しなかった演奏会の感想は、あまり書いていません。なにか批判めいた感想を誰かが読んだとしても、そんな文章は面白くないだろうと思うし、ましてやその演奏会ですごく感動した人がもしも読んだら、気分を害するかもしれないと思うと、批判的な感想はなるべく控えておこうと思っています。 だけど未熟な私は、マーラー3番をはじめとして、自分がものすごく好きな曲に関しては、どうしても広い心になれず(^^;)、自分勝手なこだわりを偏屈的に書いてしまいます。書いておかないとそのとき自分が思ったことを忘れてしまうし、折角の体験を忘れたら勿体ないと思うからです。 でも、これも当たり前ですけど、他の人がその演奏に大きな感動を受けたとして、その感動にケチをつけるつもりは微塵もありません。デュトワの3番も、あの終楽章は本当に素晴らしかったし、大感動した人は沢山いると思います。その感動はとても幸福なことですし、人の幸福に水差すつもりはありません。コンサートの終わったあとに、いかにも感動していそうに幸せそうに沈黙している人に向かって、批判的な感想を語るほど野暮ではないつもりです。でもでもそもそも、どなたが無口ですって?(笑) (2015.12.25 00:06:50) |
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