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じゃくの音楽日記帳

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音楽一般

2020.03.12
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カテゴリ:音楽一般
ウォン・ウィンツァンさんのピアノライブを久しぶりに聴けました。さきほど終わったところです。

普段から各地でライブをやっていらっしゃいますが、このところ新型肺炎の影響で軒並み中止。

そこでウィンツァンさんは、YouTubeで無料ライブ配信をここ数日やってくださっています。昨日3月11日も、日比谷公園での「311見未来へのつどい」を長時間配信されていました。

これまでは昼間なので聴けなかったけど、今日はそういう人のためにということで、夜9時からのライブ配信。10分過ぎに始まり、40分ほど続けて、いろいろな歌(童謡)を弾いていただけました。
シューベルトの野ばら、竹田の子守唄、ゆりかごの唄、五木の子守唄、雨降りお月さま、などなど。

他の人は帰って誰もいなくなった職場で、部屋を暗くして、パソコンの全画面で見ていました。パソコンにつなげたスピーカーの音量を大きくして聴いていました。目の前でウィンツァンさんが弾いていて、自分と同じ部屋で弾いてくれているような、親密な、最高にすばらしいひとときで、じんわり温かい感動をいただきました。

いつもみんなに癒し、エネルギー、幸せを届けてくれるウィンツァンさん、本当にありがとうございます。






Last updated  2020.03.12 22:21:30
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2018.06.27
カテゴリ:音楽一般
5月のとある日、たまたまついていたテレビから流れてきた歌が耳にとまりました。やさしく素直な、心に沁みる歌が、きれいな女声で歌われていました。いい歌だなぁ、何という歌なんだろうと思ってテレビ画面を見ていると、やがて歌が終わり、タイトルなどは示されず、「みんなのうた 終わり」という画面が出て終わりました。歌の題名はわからずじまいでした。そのあと特に調べるまでのことはせず、過ごしていました。

それから少しして、今度は5月のとある深夜、ラジオのスイッチを何気なくつけたら、素敵な歌が聴こえてきました。NHKラジオ深夜便の番組中でした。やさしく素直な、心に沁みる歌が、きれいな女声で歌われていました。「あっ、これはこの前聴いた歌だな、みんなのうたのテレビで見たと思っていたけど、ラジオ深夜便だったのか、自分の記憶もいい加減だなぁ」と思いながら、その歌にしばし耳を傾けました。やがて歌が終わり、ラジオ深夜便の5月の歌で、薬師丸ひろ子さんの歌う「こころにすむうた」だということがわかりました。

そこでラジオ深夜便のホームページを見てみると、歌のことが大きく載っていました。CDも売られていると書いてあり、CD情報が書いてありました。薬師丸ひろ子さんの20年ぶりのオリジナル・アルバム、「エトワール」というCDに収録されているそうです。そしてそのCDの6曲目がラジオ深夜便の「こころにすむうた」で、5曲目が「窓」という曲で、NHKみんなの歌で流れている曲、と書いてありました。

これで、みんなの歌、ラジオ深夜便は別々な歌で、どちらも薬師丸ひろ子さんが歌っているということがわかりました。どちらもすごくいい歌という感じがあったので、この2曲が入っているならこのCDを聴きたいな、と思って早速買い求めました。

この頃、このCDを繰り返し繰り返し聴いています。アルバムに収録されている曲はみな、本当にいいです。全11曲中、ワルツが3曲あり、特に気に入っています。アルバムタイトルになっている「エトワール」、みんなのうたの「窓」、ラジオ深夜便の「こころにすむうた」です。

 「エトワール」    詞:薬師丸ひろ子 曲:高橋啓太 編曲:兼松衆
 「窓」        詞:松井五郎   曲:松本俊明 編曲:兼松衆
 「こころにすむうた」 詞:岡田恵和   曲・編曲:兼松衆

みな、心にすっと沁みこむ歌です。







Last updated  2018.06.27 21:21:03
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2016.02.10
カテゴリ:音楽一般

ヤナーチェクの伝記映画、「白いたてがみのライオン」を見てきました。

2月2日、新国立劇場中ホール
「白いたてがみのライオン ~大作曲家ヤナーチェクの激しい生涯~」
1986年 チェコ映画  監督:ヤロミル・イレシュ

この上映会は、3月に新国立劇場で上演されるオペラ「イェヌーファ」の関連イベントとして、入場無料で行われたものでした。開場時刻の2~3分前に到着すると、すでに入場待ちの長い行列ができていて、ちょっとびっくりしました。でもスムーズに入場できて、自由席で、ほぼセンターの良席に座れました。無料なのに解説のチラシが配布され、ホワイエにはヤナーチェク関連の書籍なども展示されていて、なかなか良い雰囲気でした。

伝記映画と言っても、生涯をまんべんなく紹介するというものではなく、前半はオペラ「イェヌーファ」を軸に、40代~60歳頃までのヤナーチェクの、イェヌーファ作曲の苦労、愛娘オルガの死、プラハ初演までの苦労が中心に描かれていました。後半は、年下の人妻カミラに寄せる情熱的な愛を軸に、74歳で没するまでの10年あまりのヤナーチェクが描かれていました。

ヤナーチェクの生涯についてはほとんど予備知識なく見に行ったので、細かなところはわかりにくいことも多々ありましたが、熱しやすく激しく、自分に正直で、気まぐれで自分勝手という、ヤナーチェクという天才の人間像について、大体のイメージがつかめました。そして、しばしば挿入されるヤナーチェクのオペラ場面の音楽が本当に素晴らしく、2時間を超える長編映画でしたが、いささかも飽きることなく、とても興味深く見ました。恋多きヤナーチェクは、60歳台で出会ったカミラ(38歳年下!)に熱い思いを寄せ続け、それが晩年の10余年の創作の原動力となったということでした。弦楽四重奏曲「内緒の手紙」も、カミラへの手紙ですね。でもカミラはある意味冷静というか、ヤナーチェクと距離を置いてつきあったようです。それだけに一層、ヤナーチェクの創作のエネルギー源になったのかもしれません。

この監督は、ヤナーチェクに関する他のドキュメンタリーや、マルティヌーや、ルドルフ・フィルクスニーに関するドキュメンタリーなども作っているということで、それらも是非見てみたいと思いました。


映画をみた後で、ずっと前に古本で買って読んでいなかった、ホースブルグ著「ヤナーチェク 人と作品」(和田旦・加藤弘和 共訳、泰流社 1985年)を、この機会に読もうと思って少し読み始めました。すごく面白そうなのですが、400頁を超えるがっしりした大著で、ちょっとすぐには読めそうにありません。とりあえずこちらは後回しにして、やはり買ったまま本棚の奥に眠っていた、佐川吉男遺稿集3「チェコの音楽-作曲家とその作品」(芸術現代社 2005年)のヤナーチェクの項を拾い読みしました。以下に、ヤナーチェクの生涯の概要を、自分の頭の整理のためにまとめておきます。(年齢は、誕生日の関係などから多少の誤差を含みます。)

1854年生。 チェコのモラヴィア地方の田舎フクバルディに、14人兄弟の10番目として育つ。父は小学校の教員で、音楽にも造詣が深かった。
11歳、モラヴィアの中心都市ブルノの修道院付属の学校に送られ、そこの聖歌隊に入る。
12歳、父死去。続いて母も死去。
18歳、ブルノの師範学校を卒業し、その学校の教員になる。
22際から、ブルノ・クラブの合唱団と管弦楽団の指揮者を34歳まで務める。
23歳頃、「弦楽のための組曲」「牧歌」完成。
25歳頃から、人の話し言葉の旋律曲線の研究に打ち込み始める。
27歳、ブルノ師範学校長の娘ズデンカと結婚。ブルノ・オルガン学校の創立に参画し、そこの校長となる。
31歳頃から、モラヴィアの民謡の研究に打ち込み始める。
33歳、最初のオペラ「シャールカ」完成。
36歳、長男ウラディミールを2歳で亡くす。
40歳、3作目となるオペラ「イェヌーファ」の作曲に着手。
48歳、長女オルガが21歳でチフスで病死。その3週間後に「イェヌーファ」完成。しかし作曲者の望んだプラハ初演は、指揮者コヴァジョヴィッツに拒絶される。
49歳、オペラ「イェヌーファ」、ブルノで初演され好評を博す。敬愛するドヴォルザーク死去。
51歳、ピアノソナタ「1905年10月1日」完成。
54歳、ピアノ曲集「草陰の小径にて」第1集完成。
58歳、ピアノ曲集「霧の中で」完成。
61歳、指揮者コヴァジョヴィッツによるオーケストレーション改訂という条件つきであったが、コヴァジョヴィッツの指揮によりオペラ「イェヌーファ」がようやくプラハで初演され大成功をおさめる。ヤナーチェクの作曲家としての名声が世界に広まるきっかけとなる。
64歳頃?、カミラと出会う。
64歳、「タラス・ブーリバ」完成。連作歌曲「消えた男の日記」完成。
65歳、プラハ音楽院ブルノ分校を発足させ、71歳までマスタークラスで作曲を教える。
66歳、6作目のオペラ「カーチャ・カバノヴァー」完成。
67歳、ヴァイオリン・ソナタ完成。
69歳、7作目のオペラ「利口な女狐の物語」完成。弦楽四重奏曲第1番「クロイツェル・ソナタ」完成。
71歳、「シンフォニエッタ」完成。
72歳、「グラゴル・ミサ」完成。  
73歳、第9作(最後)のオペラ「死者の家から」完成。弦楽四重奏曲第2番「内緒の手紙」完成。
74歳、故郷のフクバルディ近くの森の中で、カミラとその息子とハイキングの途中で、はぐれたカミラの息子を探し回っているうちに風邪をひき、肺炎になり、近くの病院に入院し死去。

生涯のほとんどをモラヴィアですごし、モラヴィアの話し言葉や民謡に基づく独自の音楽語法と、独自の音楽形式による個性的な作品を書いたヤナーチェク。その独自の作風が、オペラ「イェヌーファ」で確立したということです。「イェヌーファ」を観るのは初めてですので、来月の上演、とても楽しみです。







Last updated  2016.02.11 00:11:01
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2015.12.27
カテゴリ:音楽一般

一つ前の記事「デュトワ&N響のマーラー3番を聴く」で、やぱげーのさんからいただいたコメントへのお返事の中で触れた、コバケンの書いた本と言葉について、改めて書いておこうと思います。本のタイトルは「指揮者のひとりごと」です。

この本の 第六章 楽聖への想い には、二人の作曲家、べートーヴェンとマーラーが取り上げられています。そのうちマーラーに関する文章は、「魂との語らいーマーラー」と題するものです。その一部分を抜粋・引用します。

(ここから引用)
”苦悩を超えて歓喜に至れ”それはベートーヴェンの生き様であった。・・・(中略)・・・
 ・・・歴史は調性に別れを告げる悲しい時ーカオスーへと進んで行く。その不安の時代に、ベートーヴェンと比肩できる巨人を歴史が用意してくれたことに、われわれは感謝しなければなるまい。
  グスタフ・マーラー
”苦悩から歓喜”とは逆に、苦悩そのものが作品の中核を成している。それはまるで、雪国の(雪の)白さに真っ赤に吐血された嘆きのように・・・・。
(引用終わり 小林研一郎著「指揮者のひとりごと」初版1993年12月、騎虎書房 154ページより)

この本を今回久しぶりに引っ張り出してみたら、コバケンのサインをいただいていました。1994年3月とありました。サインをいただいたことを忘れていて、見てびっくりしました(^^;)。雪の中で血を吐くという表現が強烈だったので、それだけは僕の記憶に残っていたようです。このマーラーに関する文章、短いけれど、コバケンのマーラーに対する熱い想いがあふれていて、素晴らしいんです。

 







Last updated  2015.12.27 17:01:02
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2014.09.04
カテゴリ:音楽一般

今回入院するにあたって、この機会にじっくりと聴こうと思ってiPodに入れてきたCDがあります。BISのBOX SETで、シュニトケの交響曲全集、0番から9番までの全10曲です。

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シュニトケは、非常に好きな作曲家です。ただ、交響曲は単発でそれなりに聴いたことはあっても、全曲をまとめて聴くということはこれまでなかったので、この機会に是非全曲を順番に聴きたいと思って準備しておいたものです。

しかしさすがにシュニトケの曲ですから、いざ聴こうという気持ちになったのは、手術後だいぶ日がたってリハビリも順調になって元気が出てきてからでした。約1週間かけて、0番から順番に、聴いてきました。ひととおり聴いたあと、また戻って何曲か聴き直しました。充実した聴体験でした。

0番は、1934年生まれのシュニトケが20歳台前半に書いた作品で、ショスタコ風な、習作的なものでした。

1番は、30歳台半ばに書かれ、これはシュニトケの個性がパワフルにあらわれた作品で、まさに1番にふさわしい曲でした。エレキギター、サックス、ジャズヴァイオリン、オルガンの大音響を含むオーケストラの野放図な叫び、ほんとうに何でもあり。終演後の熱狂的な拍手もすごいです。シュニトケの多様式主義(要するに何でもありの主義)の大いなる宣言といったところでしょうか。聴いていて確かに面白いですけど、のちの作品に比べると、やりすぎというか、冗長な感じがしました。この曲の斬新な作風は、ソ連当局から目をつけられ、ソ連作曲家同盟から糾弾されたということです。ショスタコーヴィチの時代よりは良かったとはいえ、シュニトケはかなり窮屈な思いをしたことでしょう。

2番「聖フローアン」(1979年)は、ブルックナーゆかりのあの聖フローリアンをシュニトケが訪れたときの印象をもとに書いた作品ということです。これも、多様式主義全開で、レクイエムのラテン語典礼文のグレゴリオ聖歌を静かに歌う合唱に、オルガン、エレキギターなどがはいった大規模なオーケストラがじわじわと割り込み、やがて豪快に鳴るということを繰り返す、すごい曲です。

なお、この2番を書いた翌年の1980年に、シュニトケはソ連作曲家同盟を棄権し、そしてソ連からの一切の出国が禁止されたということです。

その後もシュニトケは我が道を歩みます。3番(1981年)も、シュニトケの多様式主義全開で、オルガンを含む大規模なオーケストラが、大胆に鳴り響き、自由な音の奔流がほとばしり、最後は闇に消えていきます。傑作と思います。

僕がシュニトケの音楽の強烈な個性と思うことの一つに、調性音楽(あるいはグレゴリオ聖歌など、古い時代の音楽も含む)と無調音楽の同時並列があります。古き良き時代の明るい素朴な音楽が鳴っていると、間もなくその背後から無調音楽の不気味な響きが重なり始め、次第に勢いを増してきます。やがて古き素朴な音楽は、その黒々とした巨大な闇に飲み込まれてしまいます。あるいは、古き素朴な音楽の整ったフォルムが、にじみ寄る無調音楽にじわじわと侵蝕され、歪み、崩れていきます。まさにこのような瞬間に、シュニトケの音楽は、現代の不条理に抗おうとする人間の絶望、むなしさ、孤独を、強烈に突き付けてきます。

この一切の救いのなさを、私かねてからシュニトケの音楽の中でも特に惹かれる魅力に感じていて、個人的に「地獄に仏」ならぬ、「地獄にシュニトケ」と呼んでいました。だいぶ以前に体験したことですが、FMラジオのスイッチをつけたときに、たまたま古典的なきれいな曲をやっていて、それを途中から何気なく聴いていたところ、次第に無調音楽に変容・崩壊していき、背筋が寒くなるような大変な衝撃を受けました。それがシュニトケの作品だったのでした。

1番から3番までは、この「地獄にシュニトケ」の特徴が際立って聞こえます。オルガンを含む巨大編成のオケが、あるときは阿鼻叫喚し、あるときは不気味な静かさを持って、何でもありのルールで圧倒してきます。オケの鳴りっぷりも、何物にも縛られない豪快なパワーがあります。

しかしその後、4番(1984年)から、少し作風が変わりはじめます。オケは小編成になり、音が少なく、薄くなり、室内楽的な響きの方向に変わり始めます。オケが大音響で鳴るところでも、3番までのように気持ちよく十分に鳴らし切ってすっきりとすることがなく、何か奥歯に物がはさまったような、抑制がかかるようになります。5番(1988年)ではその傾向がさらに明確になります。そして何よりも3番までと4番以降とで決定的に異なるのは、上記した古き素朴な音楽と無調音楽の同時並列が、なくなっていることです。僕としては、シュニトケらしさを一番感ずるこの特徴が、早くも4番から失われていることを今回認識して、いささか驚きました。そもそも改めて聴いてみると、4番以降では、同時並列がないどころか、古き良き音楽自体が、単独としてもほとんど出てこなくなるのでした。

それでもまだ4番、5番では、オケが大きな音で強烈に響くことはそれなりにあるし、3番までの作品との連続性を感じました。続く6、7番では、作風がさらに変化することになります。

なおシュニトケは、4番を書いた翌年の1985年、脳卒中で倒れ、以後は病気と闘いながらの作曲生活になります。この1985年には傑作のヴィオラ協奏曲、85年~87年にはこれまた傑作のバレー音楽「ペールギュント」を書いています。

シュニトケは1990年、ロシアを出て、ドイツのハンブルグに定住します。
6番(1992年)、7番(1993年)は、4,5番で見られ始めた作風の変化がより明瞭になります。さらに音がうすく、少なくなり、室内楽的な響きになります。もはや多様式主義では全然なくなっています。ぶっきらぼうな音の羅列が延々と続き、オケの炸裂もなく、正直難解な曲です。7番の最終楽章には、古き良き音楽が久しぶりに明確に出てくるのですが、かつてのシュニトケのような、無調音楽との同時並列はまったくなく、単独で出てくるだけです。この時期シュニトケは、ロシアを離れ、新しい作風を模索していたのではないでしょうか。

こうした模索のあと、1994年に書かれた8番は、傑作です。作り方自体は6,7番と似た方向にあり、ゆっくりとした動きの旋律がユニゾンを主体として延々と流れ、そこに時々薄い和音がかぶるだけというシンプルな作りなのですが、そこには抒情性があり、美しいです。ついにシュニトケ、新しい境地に到達した感があります。

しかし病気は悪化し、シュニトケは病苦の中で9番の作曲に取り組みますが、未完成でついに没します。後年、他者の補筆で完成版ができます。この9番も、8番の延長線上にあり、美しく、かつ最終楽章になると躍動的にもなり、ある種の突き抜けた明るささえ感ずる音楽になっているのは凄いです。曲はそのようにして躍動的に終わるかと思いきや、最後に突然、謎めいた和音が何回か長く鳴らされ、そのまま終わります。シュニトケの魂はどこに帰っていったのでしょうか。

今回全曲を順番に聴くことで、シュニトケに対する理解が深まった気がします。特に3、8、9番は印象に残り、今後も折に触れて聴きたいと思いました。







Last updated  2014.09.05 08:12:44
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2013.05.22
カテゴリ:音楽一般
明日5月23日は、「コンポージアム2013」で、東京オペラシティで「ハリソン・バートウィスルの音楽」のオーケストラコンサートがあります。毎年恒例の、ひとりの現代音楽作曲家の審査による武満徹作曲賞。その今年の審査員がバートウィスルなのです。1934年生まれということですから今年79歳になるイギリスの作曲家です。

現代音楽はあまり聴いていませんが、以前たまたまFMで聴いたバートウィスルのオーケストラ曲「ピアノとオーケストラのためアンティフォニー」に鮮烈な感動を受けました。それで、彼の音楽のCDを何枚か買い集めて聴いたものでした。明日は、そのバートウィスル作品が生で聴ける貴重な機会ですので、この何日かはそれらのCDを聴いて雰囲気を高めていました。

Birtwistle_Antiphonies.jpg

僕が最初に買ったバートウィスルのCDです。1曲目が、ギーレン指揮による「ピアノとオーケストラのためのアンティフォニー」です。聴いていて本当に歯切れよく気持ち良いサウンドです。ジャケット写真はこの曲でピアノを弾いているピアニストということです。このCDの3曲目に入っている「An Imaginary Landscape」が、明日のコンサートの1曲目です。






Last updated  2014.08.26 15:50:11
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2013.05.12
カテゴリ:音楽一般
5月11日、尾高さんとN響のウォルトンの交響曲第一番を聴いてきました。その感想を書く前に、同曲のディスクの話の残りを書いておこうと思います。

自分の保有する9種のディスクのうち、残りの2枚は、ウォルトン以外の指揮者によるライブ録音のディスクです。

ホーレンシュタイン、ロイヤルフィル 1971年(ライブ) 16分2秒、7分41秒、10分41秒、14分18秒(実測14分04秒)
ボールト、BBC響 1975年12月3日(ライブ) 13分27秒、6分17秒、7分12秒、11分53秒

ボールト盤は、ボールトらしい、そっけないというか、武骨な演奏です。特徴的なのは第三楽章の演奏時間で、わずか7分ちょっとです。表記のミスかと思いましたが、実際にこの時間でした。確かにかなり速いテンポではありますが、それだけでこれほどの短い時間になるのかどうか、もしかしたらどこかカットしているのかもしれません。(確かめてないのでよくわかりません。)

すごいのがホーレンシュタイン盤です。第一楽章の演奏時間が、16分台です!普通は13~14分台ですから、破格です。第一楽章の開始はそれほど遅くはないのですが、どんどんと遅くなり、特に終結のあたりのスローテンポによるカタストロフはすさまじい迫力があり、初めて聴いたときは全身鳥肌がたちました。それから第四楽章も14分台で、通常の12~13分台に対して相当な遅さです。終楽章の開始もそれほど極端に遅いわけではないですが、いつのまにか遅くなっていて(^^)、コーダの開始を告げる金管ファンファーレのスローテンポなど、聴いていてふーっと吸い込まれて意識を失いそうな感じで、そこから最後まで、独自の世界に巻き込まれ、圧倒されます。

これイタリアの海賊盤なので、いずれ正規盤としてのリリースを切に希望します。ともかくユニークな存在価値のある演奏です。CDの表記には1971年としかありませんが、ネットには1970年7月18日、Nottingham での演奏という情報をあげている人もいます。

ホーレンシュタイン盤です。
Horenstein_Walton1S1a.png

Horenstein_WaltonS1b.png






Last updated  2014.08.26 15:50:41
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2013.05.09
カテゴリ:音楽一般
ウォルトンの交響曲第一番の話、その2です。
ウォルトン自身の指揮以外のディスクは、僕はセッション録音4種、ライブ録音2種を保有しています。

まずセッション録音の4種について書きます。録音年順に列挙すると、

プレヴィン、ロンドン交響楽団  1966年 13分50秒、5分54秒、11分21秒、12分12秒
マッケラス、ロンドンフィル 1989年 1月 14分19秒、5分58秒、12分10秒、13分06秒
トムソン、ロンドンフィル  1990年 2月  14分01秒、6分18秒、11分08秒、13分15秒
ラトル、バーミンガム市響 1990年10月 14分28秒、6分09秒、11分15秒、12分28秒

このうちプレヴィン盤とトムソン盤が好きです。

プレヴィンは僕としてはあまり好みの指揮者ではないのですが、この演奏は好きです。第一楽章の切込みの鋭さ、第三楽章の彫りの深さが見事です。そして躍動的できびきびしたフーガから、弛緩なく最後まで一気に駆け抜けるような第四楽章、気持ち良いです。

あとトムソン盤が素晴らしいです。1991年に惜しくも68歳で亡くなられたトムソンは、ヴォーン=ウィリアムスやバックスの交響曲で名演を聴かせてくれています。この曲でも、豪快だがあくまで抜けのよい金管の鳴らせぶりが天才的で、トムソンらしい、きっぷの良さが全開です。テンポの揺れ幅も大きくて味わい深く、実にツボを押さえている感じです。この人、マーラーとか振っていたとしたら、それも良かっただろうなぁ、と空想します。本当に惜しい人を亡くしたと思います。

トムソン盤です。
Tomson_Walton_ S1.jpg






Last updated  2014.08.26 15:51:06
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2013.05.08
カテゴリ:音楽一般
今度の週末にN響が定期演奏会で、尾高さんの指揮で、ウォルトンの交響曲第一番を演奏します。なかなかコンサートでは聴けない曲なので貴重な機会です。

この曲、迫りくる戦争への不安・緊張が張り詰めた第一楽章がすさまじく、第三楽章も陰鬱な曲調が支配的ですが、第四楽章で突然輝かしい喜びになりますね。僕はこの突然の変化がなかなか馴染めなかったものです。この曲の作曲中に大失恋したウォルトンは、しばらく作曲ができず、しばしの中断を経て完成したということですから、それを考えると、この唐突なまでの曲調の変化も了解できるとはいえ、自分としては第四楽章がなかなかしっくりときませんでした。

でも第一楽章のテンションの高さには本当に圧倒されましたので、結構はまって、一時期CDをいろいろ集めました。今度のコンサートに向けて、雰囲気を高めておこうと、それらのCDをとっかえひっかえ聴いているこのごろですので、それらを書いておこうと思います。

まずウォルトン自身の指揮による録音です。何種類あるのかは知りませんが、僕は3種類保有しています。
 1)1951年10月、フィルハーモニア、セッション録音(モノラル)EMI
 2)1959年 8月、ロイアルフィル、エジンバラ音楽祭でのライブ録音(モノラル)BBC Legends
 3)1964年 2月、ニュージーランド響、ニュージーランドでのライブ録音(ステレオ)Bridge

それぞれの演奏時間を、楽章ごとに記しておきます。
 1) 13分51秒、6分10秒、10分20秒、12分05秒(実測は11分58秒)
 2) 13分03秒、6分08秒、 9分53秒、12分13秒(実測は11分57秒)
 3) 13分42秒、6分35秒、 9分59秒、12分58秒(実測は12分41秒)

時間はCD表記のものですが、2)と3)はライブ録音で曲の最後の拍手が含まれていますので、終楽章だけは実測値も併記しました。

これらのうち僕が一番好きなのは、3)のニュージーランド響との演奏です。ライブの乗りが非常に感じられ、すごく良いです。オケの鳴りっぷりもよく、録音も良いです。終楽章の演奏時間も、3者のうちで図抜けて遅く、それだけ表現の幅が大きいということが現れています。

これが、そのCDです。
Walton_New_Zealand.jpg






Last updated  2014.08.26 15:51:32
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2011.03.20
カテゴリ:音楽一般

3月11日発生した地震、津波、原発事故。
被災された方々の苦境が少しでも早く改善しますように、支援物質が早く届きますように。
救援・事故対応に携わる方々の懸命なご努力に、深く敬意を表します。

今日あたりは、ようやく原発の状況が、少し改善の兆しを見せ始めたようですが。。。

被害がなかった自分は、ともかく自分の仕事をしっかりやろうと。震災翌日までは普段どおり車で通勤しましたが、その後ガソリンが不足し、電車で通うのも計画停電で不確実な状況になったため、職場近くに泊まったりしていました。

地震発生以後、東京でコンサートの中止が相次いでいます。こういう状況では、とても音楽を聴くという気持ちになれないし、加えて節電という意味からも、中止、あるいは延期する意味は大きいと思います。

地震の発生した11日。この夜はハーディング指揮、新日フィルによるマーラーの交響曲第五番を聴きに、錦糸町に行く予定でした。いつもは仕事量をあらかじめ調整し、やや早めに終えて、電車で都心のコンサートホールに急行するという行動パターンです。しかし激しい地震発生で職場は混乱し、自分も少なからず動揺し、コンサートどころではなくなりました。(もちろん電車も止まったので、行こうと思っても不可能です。)

あとで知りましたが新日フィルの対応は速かった。地震のあとかなり早期に、インターネットでコンサートは予定通り開催すること、来られなかった人には後日払い戻しをする、というアナウンスを載せたということです。そして予定された演奏会は行われ、またこれも伝聞ですが、ハーディングのツィッターによると、このコンサートを聴きに約50人の聴衆が集まったらしいです。

ところで昨夜帰宅してみると、新日フィルのチケットオフィスから払い戻しの案内の封書が届いていました。それを見て思ったことがあります。こういう場合、払い戻し対象者の意思を確認して、同意が得られる方には、普通に払い戻す代わりに、オーケストラから被災者への義援金として役立てるのはどうだろう、と。

もちろん、払い戻されたお金を個人として義援金に使っても、同じことかもしれません。

でも、せっかく、その演奏会に集おうと思った、同じ気持ちを持つ人たちが大勢いるわけですから、何かの縁だと思うんです。それらの人々の気持ちをオケとしてとりまとめて義援金とすれば、額としてもある程度大きいまとまったものになるし、聴衆としても、またオケにとっても、単に中止になって残念というだけでなく、中止はしたけれど少しでも役に立ったかもしれない、という前向きな気持ちになれると思うんです。

今後も中止のコンサートは数多いと思います。オーケストラ、あるいは演奏会主催者の方、御一考してくださいませんか。

 







Last updated  2011.03.20 15:52:38
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