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じゃくの音楽日記帳

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マーラー演奏会(2016年)

2016.12.28
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もうすぐ2016年も終わり。書いておきたい個別の記事はたくさんあるし、きらクラの記事はもはや絶望的状況になっていますが、ともかくも毎年恒例の、今年聴いたコンサートのまとめをしておきたいと思います。最初にマーラーの演奏会です。

1番  上岡&新日フィル 3/16 すみだトリフォニー
   ティルソン・トーマス&サンフランシスコ響 11/21 サントリー
3番  岡田真&オーケストラ・アンサンブル・バウム 4/29オリンパス八王子
   田中宗利&関西グスタフ・マーラー響 6/19 ロームシアター京都
        末廣誠&都民響 7/31 東京文化会館
        ヤルヴィ&N響 10/6 サントリー
4番  (室内楽版) 紀尾井シンフォニエッタ&パリ管の合同メンバー 11/29 紀尾井
6番  山田和樹&日フィル 3/26 オーチャード
        マイスター&読響 7/31 サントリー
8番  ハーディング&新日フィル 7/4 サントリー
        ヤルヴィ&N響 9/8 NHK
9番  ヤンソンス&バイエルン放響 11/27 サントリー


1番、まずは春の上岡&新日フィル。上岡さんのマーラーを聴くのは、2010年のヴッパータール響との5番、2012年の読響との4番に次いで3度目でした。上岡さんのマーラーはいつも独特です。今回も4番の時と同様に、ポルタメントの強調がユニークでした。第一、第二楽章では大胆きわまる大きなポルタメントで度肝を抜いておいて、そしてきらりと光るように美しかったのが、第四楽章中間の弦が歌う主題のところでの、小さなわずかなポルタメント。この一瞬、すごく印象的で心憎かったです。上岡さんは2017年に、6番を振ります。どのような演奏になるのか、楽しみです。

1番、続いて秋にはMTT&SFSOの黄金コンビを4年ぶりに聴くことができました。本当は敬意を込めて独立した記事を書きたかったのですがついつい書きそびれ、今になってしまいました。MTTのマーラーを聴くのは、2009年にPMFを振った5番と、2012年にSFSOを振った5番につぐ三度目です。このSFSO との5番は、実に素晴らしい演奏でした。MTTのマーラーを聴きにサンフランシスコまで行く人がいるそうで、その気持ちが良~くわかりました。そのとき以来となる、今回の巨人でした。冒頭の弦のハーモニクスが、わざとそうしているのだと思いますが、雑音成分が多いというか、耳に刺激的な音で鳴っていたのが不思議な感じがしました。そして主部になり、音楽が進んでいきます。聴いていて、木管が実にとんがった音楽を奏でるのにびっくりしました。音色とかアーティキュレーションとか、そういうものが、かなり刺激的というか、とんがった感じなのです。すごくうまいのですけど、僕にはこのとんがりすぎみたいな性質が耳について、なかなか馴染めないままに音楽が進んで行き、今一つ入り込めなくてもどかしいです。MTTはテンポを自由に揺らして、良い感じなのですけれど・・・。やがて第三楽章の中間部、長調になって弦が静かに奏でられるところが始まったとき、ここの弦楽がすごく美しくてはっとさせられました。そして終楽章は俄然活き活きとしてきて、MTTの自在なアゴーギクもさらに気持ちよく、流石の演奏を聴かせてくれました。十分立派なマーラーでした。けれどもきっと彼らの本領は、もっともっとすごいのだと思います。MTT&SFSOには、いつか日本でも6、9番あたりを、やっていただけないかなぁ、3番とまで贅沢はいいませんから(^^;)、お願いです。マーラーファンが集結して満員になること間違いなしです。

3番、2016年はアマオケ3回、プロ1回を聴きました。いずれも詳しく記事に書いた通りです。それぞれ個性の豊かな演奏の中で、個人的に聴いていて一番幸福感を感じたのは、岡田真さん率いるアンサンブル・バウムの、温かな演奏でした。

4番は、室内楽版という珍しいものでした。4番の室内楽版は、エルヴィン・シュタインという人が1921年に室内楽用に編曲したものがあり、CDもいくつか出ています。僕が持っているのはリノス・アンサンブルによる演奏で、そのCDの表記では、Vn2, Va, Vc, Cb, Fl, Ob, Cl, Perc3, Harmonium, Piano, Sopranoの14人で演奏しています。今回の演奏会では、そのシュタイン編曲版をもとに、さらにアレクサンダー・プラットという人が1993年に改変した版だそうです。演奏者は、紀尾井シンフォニエッタ東京のメンバーとパリ管のメンバーを主とする特別編成+ソプラノ独唱の13人でした。(パリ管はこの時期ハーディングとともに来日してマーラーほかを演奏したので、それに合わせて開催したのですね。)第一Vnの千々岩英一さんは、紀尾井シンフォニエッタのコンマスであり、かつパリ管の副コンマスでもあり、まさに全体の要として皆をぐいぐい引っ張っていました。Cb は池松宏さん、きらクラ長岡公開収録に登場された方ですね。今回は発言される機会はなく、淡々と弾かれていました(^^)。あとパリ管側は、Vc, Fl, Clが参加されていました。若いチェロ奏者がめっぽう美音で素晴らしく、プログラムを見たらなるほどパリ管の首席でした。ソプラノ独唱は小林沙羅さんでした。
ところでこの夜の演奏会は、「20世紀初頭のウィーンの会員制サロンコンサートのプログラムを再現する」というコンセプトで、前半にシェーンベルク編曲による南国のバラや皇帝円舞曲その他が演奏され、こちらはとても素敵な演奏と思いました。対して後半のマーラー4番は、テンポが速くせかせかして、ちょっとぎすぎすした肌触りの演奏で、個人的にはちょっと違和感がありました。あと折角のハルモニウムの音が小さくてほとんど聞こえなかったのが残念でした。しかし千々岩さんは、さすがにパリ管の副コンマスを続けている方です、粘るようなボウイングによる熱い演奏が、見事だったです。第2楽章では千々岩さんの弦が切れるアクシデントがあったのですが、そのままきっちり弾き続けました。この演奏会にはNHKテレビが収録に入っていて、演奏が終わってから千々岩さんが、「NHKが入っていますので、第2楽章を完全な形でやりたいので、皆様お付き合いください」と言って、アンコールの代わりに、第2楽章がもう一度演奏されました。

6番は、7月のマイスター&読響が、記事に書いたとおり、明るく、明晰で、歌心も十分な、新しいマーラー演奏で素晴らしかったです。3月の山田和樹&日フィルは、マーラーチクルスの2年目でした。僕は昨年は3番、今年は6番だけ聴きました。山田さんのマーラーはやさしい歌心が魅力だと思います。今年は昨年よりもひとまわり進化した、充実した演奏でした。2017年の7,8,9番はさらに進化するのではないか、と楽しみになってきました。

8番は、ヤルヴィ&N響も良かったけれど、なんといってもハーディング&新日フィル、一つの時代の締めくくりの、モニュメンタルな演奏でした。

そして9番が、ヤンソンス&バイエルン放響。滅多に体験できない、美しく充実した名演でした。

2017年、どんなマーラーが聴けるのでしょうか。

 







Last updated  2016.12.29 01:09:12
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2016.12.04

ヤンソンス&バイエルン放響のマーラー9番を聴きました。

指揮:マリス・ヤンソンス
管弦楽:バイエルン放送交響楽団

マーラー 交響曲第9番

11月27日 サントリーホール

日本ツアー5回公演の4回目。マーラー9番は兵庫公演に次ぐ2回目です。僕にとってヤンソンスのマーラーは、コンセルトヘボウとの3番に次ぐ体験となります。

弦は通常配置で、コントラバスは舞台上手に8台で、そのすぐセンター寄りに、ホルン4人が2列で並びました。丁度その左右対称の位置に、ハーブ2台。舞台最後部センターにはティンパニー、そこから下手側に打楽器隊が並び、ハーブにつながります。ティンパニーの前にトランペットとトロンボーンとテューバが一列に並びます。

要するに、ほぼ普通の配置です。幾つか用意されていたシンバルは、たまに見られるような巨大な物はなく、普通の大きさのものでした。あと、トロンボーンなどの前の席の奏者のために、頭の後ろに小さな遮音板を良く見かけますが、今回はそれもなく、シンプルなステージです。ちょっと変わった物としては、黒い巨大な傘立てのような物が一つ置いてあり、なんだろうと思っていたら、テューバのミュートを置くためのケースでした。他に見慣れない物と言えば、指揮者の前に置かれた譜面台でした。譜面を置くための板面の少し下に、ちょっとした物を置ける板が一枚、床と平行にセットされていたのです。指揮棒を置くためかなと思いましたが、結局そこは最後まで何も置かれることはありませんでした。

ヤンソンスが現れ、おもむろに演奏が始まりました。ホルンとハーブの導入に続き弦の主題が入って来たとき、その響きの優しさ、豊かさ、ふくよかさというか、そこに含まれる愛の大きさというか、そういうものの素晴らしさに、一気に引き込まれました。特別に優れた演奏が皆そうであるように、始まった途端に、これからのしばしの音楽がとんでもないものになるぞ、という幸福な衝撃を強く感じた瞬間でした。ヤンソンスはゆっくりした足取りで、丁寧な音作りで進めて行きます。指揮棒を右手で持つことは少なく、左手で指揮棒の中程を持って、右手の手振りによる微妙なニュアンス作りによって、歌っていきます。といっても、先日のメータ&VPOのブルックナー同様、特別個性的なことはやっていないです。ただやるべきことを丁寧にやっているだけなのですが、その何もかもがツボにはまっています。これは凄い。ここまで凄いマーラーが聴けるとは思ってもいませんでした。

ヤンソンスのお人柄なのでしょうか、死の影に圧迫されるような悲痛さよりも、一種の明るさというか、前向きな志向性を前面に感ずる9番です。こういう9番、好きです。大植さんの9番も、このようなものでした。

ところで今回の僕の席はP席最前列のかぶりつきでした。同じP席でも、僕の音の好みとしてはもう少し後方の列の方が好きです。近すぎるとさすがに音のバランスが悪すぎるし、打楽器の打音などが耳に刺激的過ぎてうるさく感じやすいからです。本当はもっと後ろの席を取りたかったところですが、今回は最前列になってしまいました。そこで今回は、そういう傾向の音になるであろうことをある程度覚悟してきました。

しかし、ヤンソンス&バイエルンは凄かった。かぶりつきの超至近距離で聴いても、打楽器はじめとしてすべての音が、全くうるさくないのです。ffでもあくまで美音、それでいて充分に力強いのです。これを普通の席で聴いたらどのように聴こえたのかは興味深いところですが、ともかく驚嘆すべき絶妙の発音コントロールでした。なるほどこういう音を出せるオケなら、トロンボーン隊の前の奏者のための遮音板も要らないのだろう、と妙に納得しました。もちろん、僕の席で聴こえて来る音のバランスはそれなりに偏ったものでしたけれど、それでも充分に美しく響きます。それから9番では弱音へのこだわりも重要な要素のひとつですが、ヤンソンスは徹底的にこだわって、緊張を孕みながらも愛情に溢れたppを奏でてくれます。指揮者のここまでデリケートな要求は素晴らしいものだし、それにここまで十全に応えられるオケの実力、おそるべし。

第三楽章中間部のトランベットの夢見るような歌は、バーンスタインが意外に速いテンポをとるところですが、ヤンソンスはテンポを落としてゆったりと歌ってくれました。トランベット首席さんは必ずしも絶好調ではなかったのだろうと思いますが、柔らかく温かい音が美しかったです。

終楽章を始める前、ヤンソンスは両手を合わせ、少しの間祈っているかのように見えました。そして終楽章が始まった途端、またしても弦の優しさ、豊かさ、極上の美しさに、全身がしびれました。そこから、基本ゆっくりめではありますが、速くなるところはそこそこ速くなり、音楽がよどまずに進んで行きます。ここ終楽章も、ヤンソンスが描く音楽は、どこまでも温かく、決して希望を失わず、愛に満ち満ちています。なんと素晴らしい9番。なんと美しい9番。楽章後半、シンバルが2回鳴らされる頂点あたりの音楽は、もうめくるめく感動の渦です。

今回の演奏、第一楽章が始まってすぐから、あぁこの音楽が終わってしまうのが惜しいなぁ、と思いながら聴いてきたのですが、いよいよ終わってしまうときが来ました。最後の静かな弦の長い音のところは、ヤンソンスはゆっくりゆっくりと両手を下げていきます。ついにヤンソンスの両手がだらりと下がり切り、頭もうなだれたとき、最後の音の響きが消え、ホールは静寂に包まれました。そのあとしばらくしてから、ヤンソンスが体をちょっと動かし、そこから拍手が始まっていきました。

オケは弦楽セクションをはじめとして、ともかく美しかったですが、完璧かというとそうでもないところがまた面白いところで、ファゴットがやや不調でした。第二楽章でファゴット二人の息がちょっとずれたり、それから第四楽章の中ほどの重要なファゴットのソロで音が途切れそうになったりして、このときはヤンソンスもちょっとびっくりしているようでした(^^)。トランペット首席も、おそらく本来の調子はもっと高いのではと想像します。しかしそれ以外はほとんど完璧。特にホルンは素晴らしく、一緒に聴いていたホルン好きの友人にあとで指摘されてなるほどと思ったのですが、ベルアップなどは全くせず、ビブラートもかけず、ただただ出てくる音が純粋にすばらしい、というホルンでした。

ヤンソンスは今年73歳。広いレパートリーを持つヤンソンスですから、日本でまたマーラーを聴けるチャンスは少ないかもしれないけれど、願わくば、またこのようなマーラーを聴かせてください。







Last updated  2016.12.05 10:19:32
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2016.10.15

ヤルヴィとN響のマーラー3番を聴きました。

指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
管弦楽NHK交響楽団
メゾ・ソプラノ独唱:ミシェル・デ・ヤング
女声合唱:東京音楽大学合唱団
児童合唱:NHK東京児童合唱団

10月6日
サントリーホール

N響90周年&サントリーホール30周年特別演奏会

オケは両翼配置で、コントラバスが下手に8人、ハープは上手です。チューブラーベルはコントラバスのすぐ右側で、他の打楽器と同じように普通に雛壇の上に置いてありました。

合唱団が、オケの入場に先立って、Pブロックに入場してきました。曲の始まる前に入場するというのは、なかなか気合いの入った方法です。しかし残念ながら、児童合唱(約40人)が前方の2列、女性合唱(約60人)が後方の3列という位置関係でした。結局、チューブラーベルも児童合唱も、高い位置に置こうという意図がまったく見られない、ごく普通の配置でした。

始まった第1楽章は、かなり速めのテンポです。ホルン主題のギアチェンジはありませんでした。冒頭のシンバルは、見逃したかもしれないけれど、多分一人だったと思います。トロンボーンのモノローグは、深々とした音色で素晴らしかったです。そのあと始まった夏の行進で、弦の半分が弾くところは、各プルトのオモテが弾くやり方でした。この部分は、弱音で始まってだんだんと盛り上がって行きますね。この盛り上がりの途中から、ヤルヴィの個性的な音楽づくりが、目立ってきました。弦のボウイングが、強く鋭く、ガリッと引っ掻くようで、とてもユニークです。最初のうちはその表現が斬新で、なかなか面白いと思いながら聴いていました。しかしそれがどんどんエスカレートして荒々しい弾き方になり、何だか怒っているような、やけっぱちで弾いているような、そういう雰囲気になりました。ここは、そんなに怒ったような音楽じゃないんだけど、そんなに荒々しい音楽にはして欲しくないんだけど、という思いを抱いてしまいました。

やがてホルン主題再現の直前の小太鼓は、舞台裏で、しっかり距離感がある叩かせ方で、これは良かったです。なおホルン主題再現時のシンバルは3人でした。一番目立つメインのシンバリストが小太鼓のところで舞台裏に退場し、小太鼓終了後に急いで戻ってきて雛壇に登ってシンバルを鳴らしました。そのタイミングが結構ギリギリで、見ていてスリリングでした(^^)。

結局ヤルヴィは第1楽章を、速めのテンポで、ぐいぐいとオケを引っ張って行く演奏でした。音楽が音量的に大きく盛り上がるところでは、さらにテンポを速めて、前のめりにどんどん進んで行きます。元気があって勇ましい第1楽章。こういう方向性もあっていいとは思いますが、ひとつひとつの細部の音作りが荒くてデリカシーに乏しく、大音量時にはうるさい感じがしてしまいます。折角のサントリーホールだというのに、もう少し綺麗な音で響かせて欲しいです。

音の小さな部分では、綺麗なところもありました。上記したトロンボーンのモノローグなどがその良い例でした。だけどその小さなところと大きなところが、単純に繰り返されるだけで、なんだか僕にとっては単調な第一楽章になってしまいました。この楽章に織り込まれている多様なものを、せめてもう少しいろいろ表現してほしいと思いました。第1楽章の随所に現れるコンマスの麻呂さんのソロも、珍しく全然冴えませんでした。麻呂さん体調が良くなかったのかもしれません。

第1楽章が終わるとオケがチューニングして、それが終わる頃に、上手側から独唱のヤングさんがさりげなく現れ、そのまま2ndVnのすぐ後ろに座りました。目立たないように心得たご登場だったので、拍手は起こりませんでした。

第2楽章も、速めのテンポで進みました。コンマスのソロも相変わらず冴えなかったのですが、第二楽章末尾のソロは、ようやく美しく響き、麻呂さんがようやくここでエンジンを入れてきたようでした。

第3楽章も、同じように速めで、僕としては今ひとつ音楽に浸れませんでした。やがてポストホルンです。これは音色も美しく、素敵な歌心がありました。僕の席からはどこで吹いているのか見えなかったですが、おそらく左後方のドアを開けて、その外で吹いたのだと思います。充分な距離感があり、満足できる素晴らしいポストホルンでした。

第3楽章が終わると、独唱者が起立しました。このとき一緒に全合唱団が起立しました。来るべき第4楽章と第5楽章のアタッカに備えるための周到な用意です。果たして第4楽章と第5楽章のアタッカは完璧でした。そしてついでにここで書いておくと、第5楽章と第6楽章のアタッカも完璧なもので、合唱団は立ったままで第5楽章を歌い切り、ヤルヴィはタクトを下ろさずそのまま緊張感を保ったまま、第6楽章を始めました。第6楽章が始まってすぐにヤングさんは静かに座り、合唱団はそのあと少ししてから静かに座りました。すなわち今回のアタッカは、AAスタイル(この曲のアタッカに関する○○スタイルについてはこちらの記事をご参照ください)で、申し分ないものでした。

第4楽章に話を戻すと、独唱のヤングさんと言えば、佐渡さんとPACの3番で名唱を聴かせてくれたことが忘れられません。ヤングさんは今回も貫禄十分の歌でした。ホルンも、コンマスのソロも完璧に決めていました。しかしそれにも拘らず、この音楽から、なぜか僕には夜の深みが感じ取れず、それほどの感興が湧いてきませんでした。

第6楽章、ヤルヴィは速めのテンポで、音量が盛り上がるところでは加速し、前へ前へと音楽を進め、前のめりの音楽を作っていましたが、やはり単調さを感じてしまいます。僕としては、もっとこの楽章は、前のめりでなく、ゆったりとした音楽を奏でてほしい、もっと美しい音で奏でてほしいです。そのまま、ヤルヴィと自分の方向性のずれを感じているうちに、曲が終わってしまいました。

今回の聴衆のマナーは良くて、最後の響きが消え、ヤルヴィがタクトを降ろすまで、きちんと静寂が保たれました。その後に大喝采がホールを包み込みました。僕はその大喝采の中で、取り残され感を味わっていました。

これに比べると、昨年12月のデュトワ&N響の3番が、いかに充実した、美しい演奏であったか。その格差の大きさに、僕としては正直がっかりしました。

なお終演後に登場して大きな喝采を浴びていた菊本さん(ポストホルンパートを吹いた奏者)が携えていた楽器は、フリューゲルホルンでした。菊本さんはデュトワの3番のときにも、素晴らしい、今回を上回る完璧なポストホルンパートを吹いていました。その記事に書き落としたのですが、デュトワのときに、終演後に登場されたときに携えていた楽器は、ポストホルンでした。ポストホルンと言っても、バーンスタインのDVDに映っているような小さなポストホルンとは、全然異なるものです。かなり大型で、マウスピースからの直線部分が長く、おそらく現代の技術を詰め込んだ「完全装備」みたいな凄い楽器で、なかなか見応えがありました。以前テレビで見たヤンソンス&コンセルトヘボウの3番(多分本拠地コンセルトヘボウでの演奏だったと思います)でも、こういう大きな凄いポストホルンを使っていました。

菊本さんが、今回はあの凄いポストホルンを使わなかったのは、色々な楽器でこの曲のポストホルンパートを吹くことを試しておられるのでしょうか。いずれにせよ菊本さんの今後の御活躍に、ますます期待したいと思います。

 







Last updated  2016.10.17 17:22:01
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2016.09.13

パーヴォ・ヤルヴィ&N響のマーラー8番を聴きました。

マーラー 交響曲第8番

指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
管弦楽:NHK交響楽団  (コンマス:篠崎史紀)
ソプラノ1:エリン・ウォール
ソプラノ2:アンジェラ・ミード
ソプラノ3:クラウディア・ボイル
アルト1:カタリーナ・ダライマン
アルト2:アンネリー・ペーボ
テノール:ミヒャエル・シャーデ
バリトン:ミヒャエル・ナジ
バス:アイン・アンガー
合唱:新国立劇場合唱団、栗友会合唱団
児童合唱:NHK東京児童合唱団

9月8日 NHKホール
N響90周年記念特別演奏会

この演奏会はNHK-FMで生中継されたので、聴かれた方も多いと思います。7月にハーディング&新日フィルの渾身の8番を聴いたばかりでしたが、またまた素晴らしい8番を聴けました。

配置を書いておきます。NHKホールの広い舞台をさらに前方に拡張して(普段は5列の客席として使用されるオケピット部分も舞台として)、そこに全オケと全合唱を乗せるという方式で、合唱の客席部分へのはみ出しはありませんでした。弦楽は両翼配置で、舞台上手にハープ4台、チェレスタ、ハルモニウム、ピアノを固めて置いていました。合唱団は舞台奥の雛壇に何列にもわたって並びました。合唱団の真ん中の前の方は児童合唱で、そのまわりを、大人の大合唱団が取り囲むように位置しました。このように児童合唱をセンターに据えるという配置は、視覚的にも聴覚的にも良い配置でした。

独唱者は、普通に舞台の最前列に、指揮者の左右に横一列に並びました。指揮者の左手に女声4人、右手に男声3人でした。第二部最後近くの栄光の聖母は、右手上のパイプオルガンのあるバルコニーで歌っていました。丁度指揮者の右真横の上方に位置していました。バンダの場所は開演前にはわかりませんでしたが、後述するように、2階右ブロックの客席の中ほどでした。

今回は舞台左右の両端に、字幕がつきました。この曲の歌詞の意味をほとんど理解していない僕のような聴き手には、とてもありがたいことです。8番は声楽の出番がとても 多いにもかかわらず、字幕が使用されることはそう滅多になく、僕が覚えているのは2012年夏の名古屋マーラー音楽祭の8番ぐらいですが、やはり字幕を見ながら聴くというのはとてもわかりやすく、良いものです。

音楽が始まりました。さすがにN響はうまいし、金管は余裕のある吹きっぷりです。デッドなNHKホールで、最初は音響を遠く感じましたが、次第に引き込まれていきました。第一部の最後、バンダが吹き始めたとき、思いがけず自分のすぐ後ろ、かなり至近距離と思しきところからバンダが聞こえてきました。第一部が終わってから振り向いてみると、僕の席から斜め右後ろ、2階右よりの客席の通路に、バンダ7人が横一列に並んでいました。僕の席から直線距離でほんの数メートルくらいです。この位置だとさすがにバンダが強く聞こえすぎて音量バランスは悪かったけれど、バンダのパワフルさを圧倒的に感じ取れて、これはこれで面白い体験でした。

第二部、ヤルヴィは、耽美的ではなく、割合淡々と振っていく感じでしたが、その音楽は引き締まって格調高く、ますます引き込まれていきました。とくに第二部神秘の合唱からラストまでの盛り上がりと高揚は、真に感動的でした。

みなハイレヴェルの歌手の中で、ソプラノ1のエリン・ウォールさんが、図抜けた存在感がありました。またバリトンを歌ったナジさんは、7月のハーディングの8番でも法悦の教父で深い味わいのある歌を聴かせてくれた歌手ですが、今回もほれぼれするような歌を聴かせてくれました。そして声楽陣で何といっても今回称えたいのは、児童合唱でした。まっすぐで美しく良く通る発声で、力強く高貴な、素晴らしい歌でした!センターという配置も良かったと思います。FM中継を聴いた友人も、児童合唱の美しさが半端じゃなかったと言っていました。

今回の演奏は、7月のハーディングの魔法のような美しさという面は少なかったですが、堅牢で充実した演奏で、感動しました。僕は8番はあまり聴きこんでいないので、どのように良かったのかは良くわからないのですが、ひとつにはハーディングの感動の余韻が残っていて自分の感受性が高まっていたのだと思いますし、字幕の存在も大きかったし、オケと独唱者のうまさ、児童合唱の美しさなどなど、いろいろなことが良い方に作用したと思います。個人的には、2011年のデュトワ&N響の8番より、ずっと大きな感動体験となりました。

ヤルヴィはN響と、この10月に3番を演奏します。
N響のホームページの動画ライブラリー
http://www.nhkso.or.jp/library/videolibrary/index.php

に見られるヤルヴィのインタビュー(2016年7月1日分)によると、ヤルヴィはマーラーの作品の中で3番がもっとも好きだそうです!とても楽しみになりました。








Last updated  2016.09.13 23:33:32
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2016.08.07

このところアマオケによるマーラー3番の演奏会が続いていて、うれしいことです。4月、6月に続いて今年3回目のアマオケによるマーラー3番演奏会を聴きに行きました。

都民交響楽団、第122回定期演奏会。

指揮:末廣誠
管弦楽:都民交響楽団
アルト独唱:菅有美子
女声合唱:コーロ・ヨコハマーレ、コール・ジャスミン、東京ワシントンウィメンズクラブコーラスグループ
児童合唱:TOKYO FM 少年合唱団

7月31日
東京文化会館

なんと入場無料という親切なコンセプトの演奏会です。あらかじめ往復はがきで応募すると、応募者多数の場合は抽選で、当たると返信用葉書きが返ってきます。それを当日持っていくと、入場券(指定席)と引き換えてくれる、ただし席の指定はできないという、ちとややこしい仕組みです。(オケを支援するための「友の会」の制度もあって、年会費3千円払うと、その年度の3回の演奏会を指定席で聴きに行けるということです。これはあらかじめ良席が割り当てられるのだと思われます。)

当日、さいわい比較的良席の券をいただくことができました。ホールに入って、いつものように配置をチェックです。舞台の一番後ろには何段もの雛壇が設置されていました。チューブラーベルが、雛壇の左端の高いところに置いてあったのはポイントアップ。これで児童合唱団が雛壇の高いところ(上半分)に並び、女声合唱が低いところ(下半分)に並んだら素晴らしいなと思いました。しかしそうではありませんでした。オケの入場に先立って女声合唱団が入場してきましたが、雛壇の、向かって右側の半分(上手側の半分)に横6列に着席しました。約60人の大女声合唱団です。続いてオケが入場しました。弦は左から第一Vn,第二Vn,Vc,Va,Cbの通常配置、ハープは舞台左端に2台です。

第一楽章は、力強く引き締まった演奏でした。このアマオケは、入団時だけでなく、4年に一度の更新オーディション!を行ってレベル維持に勤めているそうです。流石にオケの技術は素晴らしく、パートによってはプロに迫るという感じもしました。すばらしいです。
指揮は奇をてらうことない正攻法のものでした。いつものように細部を書いておくと、冒頭のホルン主題の「ギアダウン」はなし、ホルン主題時のシンバルは呈示時も再現時も二人、再現直前の小太鼓は舞台裏、夏の行進の弦半分部分は前半分のプルトで弾いていました。

指揮者のしっかりきっちりした音楽づくりと、オケの高い技術とが相まって、かなり立派で充実した、好感が持てる第一楽章でした。

第一楽章は、力強く男性的な性質が前面に出ていて、良い結果になっていました。しかし続く第二楽章も、同じような調子の音楽に終始して、やや単調というか、愛らしい魅力にはやや乏しい感がありました。

児童合唱の入場は、すでに良く覚えていませんが、第一楽章が終わったあとか、あるいは第二楽章が終わったあとかの、どちらかでした。児童合唱は、舞台後方雛壇の下手側に、約30人が4列に並びました。すなわち雛壇の向かって右側が女性合唱、左側が児童合唱、一番左端にチューブラーベルという配置になります。あと児童合唱が入場するときに独唱者も入場したらしく、独唱者はいつのまにかオケの中に座っていました。独唱者は、良くあるように指揮者のすぐ左に座るのではなく、第二Vnの中の椅子に座っていました。3番の場合、独唱者の出番が少なくて座っている時間が長いので、こういう風にオケの中に座るというのはなかなか気が利いていると思います。

そして第三楽章。6月の関西グスタフマーラー響に続いて今回も、ポストホルンがホール内でした。しかも今回は客席でなく、舞台上でした。雛壇の最上段のセンター、女声合唱と児童合唱の間で、吹いていました。結果、当然ながら距離感ゼロのポストホルンとなっていたのが、僕としては極めて残念でした。あとでプログラムに載っている指揮者自身による楽曲解説を見てみたら、“「遠くから鳴り響くように」と指示されているため大抵は舞台裏で演奏されますが、本日はオーケストラから少し離れて、合唱の最上段に配置します。”と書いてありました。でも、舞台裏でやらずにあえて舞台上でやる、その理由は何も書いてありませんでした。今後、場内のポストホルンが流行らなければいいなと願うものです。

第三楽章が終わると、ポストホルン奏者は雛壇からそのまままっすぐ下に降りてきました。もとの自席に座ったのだと思います。また独唱者はオケの中の席から立ち、前に出てきて、指揮者のすぐ左側に立ちました。それとともに指揮者は、あらかじめ全合唱団を起立させました。これはシャイーと同じ方法で、第四・第五楽章間のアタッカのための、用意周到な方法です。

第四楽章のホルンは弱音で高い音が多くとても難しいのですが、きっちり吹いていて、素晴らしかったです。

第四楽章が終わるとそのままアタッカで、第五楽章へ。ここは完璧な良いアタッカでした。児童合唱のFM TOKYO合唱団は全員少年の貴重な合唱団です。マーラー3番でときどき歌ってくれますが、いつも充実した歌を聴かせてくれます。今回も、人数が女声合唱の約半分にも拘らず、しっかりと歌ってくれていいました。アルト独唱は、第五楽章の途中で自分の出番が終わると、すぐにオケの中の席に引っ込み、着席しました。

第五・第六楽章間は、合唱団が立ちっぱなしで、完全なアタッカでした。そして合唱団は終楽章が始まってしばらく立ったままで、ホルンのモチィーフで盛り上がるところあたりで着席しました。従来からあるオーソドックスな方法です。

結局今回のふたつのアタッカは、AA方式でした。(AA方式については関西グスタフマーラー響の3番を聴く(その3)の記事を参照ください。)指揮者は明確なアタッカ遂行意識を持ち、そのために合唱団の起立タイミングなどに細かな配慮をした、行き届いたアタッカでした。BとかCよりも全然良かったです。やはりこのようにやってほしいです。

それでも、その場にいて、僕がそのときに感じたかすかな物足りなさを、書いておきます。それは、間合いです。第五楽章の音が静かに消えていってから、第六楽章が始まるまでの間合いが、今回の演奏、僕にはちょっと短すぎました。「アタッカでやれと言っておきながら短すぎるとは何を言うのか」、とお叱りを受けるかもしれません。例によって贅沢すぎるというか、わがままな偏屈ファンの一言です、すみません。(^^;)。

このアタッカの間合い、すなわち楽章と楽章の間の静寂の時間は、長すぎてもダメですが、短すぎても、ダメです。これが丁度よい長さだと、さぁいよいよこれから終楽章が始まる、という心理的緊張感というか期待感というかが程よく高まっていきます。そして終楽章を聴く心の構えが整ったところで、第六楽章が始まると、最高なのです。といってもそれは、物理的な時間にしたら本当に短い、おそらく2~3秒程度の時間だと思います。シャイーや三河&小田原フィルの演奏は、その間合いがともかく絶妙・最高でした。今回は、間合いの静寂時間が短すぎて、その心の準備が整う前に始まってしまったような感じが、個人的にはしました。単に乗り遅れリスナーのつぶやきかもしれません(爆)。

終楽章の音楽は、感動的なものでした。アマオケでここまでの終楽章を演奏するというのは、本当に立派な、素晴らしいことです。指揮者の音楽は、自由なロマン的な美というよりも、構成の整ったきちんとした美に親和性が高いと思いました。その方向での魅力を、いろいろと感ずることができました。今回は何と言っても舞台上のポストホルンだけが、非常に残念な点でしたが、それを除けば細部にいろいろな工夫がなされた、真摯な演奏による3番を聴けました。

皆様ありがとうございました!

 







Last updated  2016.08.07 11:23:27
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2016.07.31

ハーディング&新日フィルのマーラー8番を聴きました。

指揮:ダニエル・ハーディング
管弦楽:新日本フィル
コンサートマスター:豊嶋泰嗣

合唱:栗友会合唱団、東京少年少女合唱隊
独唱:エミリー・マギー(Sop1)、ユリアーネ・バンゼ(Sop2)、加納悦子(Alt1)、中島郁子(Alt2)(ゲルヒルト・ロンベルガーの代役)、サイモン・オニール(T)、ミヒャエル・ナジ(Bar 法悦の教父)、シェンヤン(Bass 瞑想の教父)、市原愛(Sop 栄光の聖母)

7月4日 サントリーホール

アルミンクが新日フィルの音楽監督としての最後の演奏会にマーラー3番を演奏したのが2013年でした。あれから早3年が経ち、今度はハーディングがマーラー8番で、新日フィルのミュージックパートナーとしての最後の演奏会を行うことになり、これは必ず聴きたいと思っていました。僕の聴きに行った7月4日は、3回公演の3日目で、いよいよ本当に最後の演奏会です。

舞台上にびっしりと並んだオーケストラ。7人の独唱者は舞台の最後部の雛壇の上に横一列に並びました。そして合唱団は、Pブロックに全員がぎゅうぎゅうにおさまりました。特に右部分の児童合唱団は、席と席の間の通路にもびっしりと入り、立ったり座ったりするのも難儀なのではないかと思うほどの詰め込まれ状態でした。また成人の合唱団は、Pブロックの中央と左部分で、前の方に女声合唱、後方に男声合唱という配置でした。

金管のバンダは、普通は舞台から遠く離れた客席後方などで吹かれます。しかし今回は、Pブロック左後方の壁際で吹きました。Pブロックには最後部まで合唱団がぎゅうぎゅうに詰まっていたので、合唱団が起立すると人垣のようになり、バンダが途中から出て来ても、殆ど合唱団の一部のようにしか見えません。人垣の間からわずかに楽器が見え隠れするので、あれがバンダなんだと認識できるという感じでした。この結果、バンダを含む全オケと全合唱団と7人の独唱者が、舞台とPブロックだけという狭い空間にびっしり収まったわけです。また、第二部最後近くの栄光の聖母の独唱は、2階客席LAブロックの壁際に登場して歌いました。丁度指揮者から左に真横に伸びた直線上辺りで、マリアとしては比較的指揮者に近い位置でした。結局今回の8番は、演奏者全員をホール内に散らばさず、ハーディングのそばに固めたというコンパクトな配置でした。

そして始まった演奏は、オケの気合いがすこぶるはいっていて、息をのむほどです。ともかくオケの皆様の持つハーディングに対する信頼感の大きさ、ハーディングの音楽を実現しようとする意志の強さが、ビンビンと伝わって来ます。コンマスの豊嶋泰嗣さんは、一音一音に魂がこもった気魄がものすごく、随所で弾かれるソロが何とも感銘深いです。ハーディングの棒は冴えに冴え、魔法のようにマーラーの書いた音楽の魅力を伝えてくれます。合唱団も実に充実していましたし、赤いソプラノ1、緑のソプラノ2、(カップ麺ではなくて服の色です)、青いアルト1、白いアルト2、男声3人の独唱者7人が皆、本当に素晴らしい歌唱を聴かせてくれました。ハーディングが満を持して結集させた歌手陣なのでしょう。

ともすればフォルテの繰り返しが単調になりやすい第一部が、力に任すのではなく、美しく心地良く、あっという間に終わってしまう感じでしたし、続く第二部も、美しい響きがそこかしこから聴こえて来ました。ハーディングはあまり粘らず、しかし細部への気配りが非常に行き届いた、音の意味を顕にしてくれるような音楽を奏でてくれました。たとえば舞台上手の端の客席寄りに固まって配置されていた、ピアノとチェレスタとハルモニウムとハープ、これらの音が程よくまとまって、美しく意味を持って響き、「そうかこういうことだったのか」と、これほど納得させられたのは、僕の8番体験で初めてのことでした。神秘の合唱の入りは、思ったほどテンポは落とさず、しかし非常に精緻な響きが出ていました。こういうところを得意とするハーディングならではの音楽がきけました。

今夜の演奏、これまで僕が聴いて来たハーディング(といくつかのオケ)によるマーラー演奏(2,4,5,6,7,8番)の中でも、 マーラーの魅力をもっともよくあらわしていたと思いました。新日フィルとしても、5年間の集大成としてのベストパフォーマンスだったと思います。

細かなことをちょっと書きます。独唱者の配置に、ハーディングの工夫が光る場面がありました。前述のように独唱者たちは基本、舞台最後方の雛壇で歌っていました。しかし第二部前半のバリトン(法悦の教父)とバス(瞑想する教父)の独唱だけは、舞台の最前部、指揮者のすぐ右で歌わせたのでした。しかもこの二人が移動する際、舞台の上はオケでいっぱいで、歩いて前に来る余地がないので、ハーディングはバリトンとバスの二人をいつの間にか舞台から一度退場させておいて、その後オケの演奏中に客席用のホール右前部のドアからホール内に入って来させて、客席側から舞台に上がらせる、という手の込んだ移動ルートを用いていました。そしてバリトンとバスは、指揮者のすぐ右で立って歌いました。歌い終わると二人の独唱者は、入って来たルートを逆に辿ってホール外に退場して行きました。この後この二人はしばらくしてから、また舞台最後方の雛壇に戻り、そこで歌いました。ハーディングはこのような面倒な方法をとることを厭わず、この二つの歌だけを、あえて舞台最前部で歌わせたわけです。8番でこのように独唱者の位置を途中で変える方法は初めて見ましたが、この効果は非常に大きなものでした。この二つの歌は合唱との掛け合いが少なくソロとしての聴かせどころが目立つ歌ですので、前に出して歌わせることで、歌が生き、非常に魅力的でした。そして合唱団と一緒に歌うことが多い他の歌では、合唱団のすぐ前の位置で歌わせて合唱との一体感を持たせたわけです。

この素晴らしい演奏に注文をつけるのはとても図々しいことを承知の上で、一つだけ贅沢を言わせてもらうとすれば、「バンダの配置に難あり」でした。金管のバンダは、普通はホール後方の、舞台から離れた客席あたりに陣取って吹き、オケ本体の音と呼応するように響くことで、ホール全体が豊かで立体的なひびきに包まれて、まさに宇宙が響くような絶大な効果を発揮します。しかし今回は上記したように、バンダはPブロック左後方の壁際で吹きました。Pブロックの合唱団に埋もれて視覚的に目立たないのは良いとしても、バンダの音がオケや合唱団とほぼ同じところ、同じ方向から聞こえて来たために、バンダによるステレオ効果が全くないどころか、音響的にも全然目立たず、そもそも鳴っているのかどうか聴き取りにくいほどでした。このバンダの配置だけは残念でした。

しかしともかくもこのマーラー8番、ハーディングと新日フィルの締めくくりの演奏会に相応しい、画竜点睛、記念碑的な名演でした。この場に臨むことができ、幸せでした。

終演後に盛大な拍手が続いたあと、ハーディングに花束贈呈があり、その後にハーディングのスピーチがありました。2011年3月11日の震災当日のマーラー5番が、ハーディングの新日フィルミュージックパートナーとしての最初の演奏会だったそうです。NHKでもドキュメンタリーが放送された、あのマーラー5番です。以前の記事にも書いたように、僕はこの演奏会のチケットを買っていて行けませんでした。後日改めて演奏されたチャリティコンサートのマーラー5番や、その後の演奏会で何度となく目にした、募金箱を自ら持ってロビーで募金活動するハーディングの姿は、忘れられません。あれから5年、混迷する日本の中で、両者がともに歩んだ日々は、両者にとって特別な5年間だったことと思います。アルミンクが去り、ハーディングが去った新日フィルは、これから大変と思いますが、新しいシェフ上岡さんとともにまた新たな歴史を作っていくことでしょう。

さてハーディングは、スピーチの最後に、「皆様に一つお願いがあります」「写真を撮らせて下さい」、と言って、指揮台の上でスマホ?を取り出し、四方八方に体の向きを変え、なんと自撮り!をし始めました。オケのメンバーや、喝采する満場の聴衆を背景にした自撮りです。さぞや爽快な自撮りだったと思います(^^)。

オケのメンバーが舞台から去ったあとは、満場総立ちでハーディングの呼び戻し。やがて出て来たハーディングに、僕は日本語で「ありがとう」と叫びました。

ハーディング、本当にありがとう。

 







Last updated  2016.08.01 20:29:31
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2016.07.21

ドイツの若い指揮者マイスター&読響のマーラー6番を聴きました。

指揮:コルネリウス・マイスター
管弦楽:読売日本交響楽団

ハイドン 交響曲第6番
マーラー 交響曲第6番 

7月14日 サントリー

マイスターさんはドイツの指揮者、今年36歳で、来年度からの読響首席客演指揮者に就任が決まっているということです。

ハイドンとマーラーの6番同士を合わせるという、変わったプログラムです。

オケの配置は、ヴァイオリンが両翼配置です。読響のコンサートにそれほど頻繁に来ているわけではないので良くわかりませんが、読響のヴァイオリン両翼配置は、かなり珍しいのではないでしょうか。読響と言えば、舞台上手の客席側に陣取ったヴィオラ隊が、渋く美しく、大きな存在感をいつも感じさせてくれるオケです。しかし今日は、舞台下手から順に、第一Vn, Va, Vc, 第二Vn, Cbという配置です。Cbまで動かすと大改造になって大変でしょうから、第二VnとVaだけを入れ替えてヴァイオリン両翼配置としたのでしょう。

ハイドンの交響曲第6番はまったく聴いたことありません。この日は疲れていたので、「マーラーに備えて(^^;)眠ってしまうかも、それもやむを得ないな」と事前に勝手に納得していました。しかし始まった途端に、すがすがしくさわやかで、きびきびとして目が覚めるような音楽に、たちまち引き込まれて、そのまま最後まで聴いてしまいました。いいものを聴けました。続くマーラーが楽しみになりました。

休憩後のマーラーも、弦は同じ両翼配置です。そして舞台下手の客席寄りに、ハープ2台、チェレスタがあります。舞台後方には横一列に打楽器が並び、そのセンターにハンマーがあります。ハンマーはわりと小ぶりの木製とおぼしきもので、叩く台は普通の木の箱でそれほど大きくない、地味なものです。カウベルは事前に視認できませんでしたが、吊り下げているものは見当たりませんでした。普通に手で持って鳴らすのだと思われます。

演奏が始まりました。第一楽章、やや遅めのテンポで始まりました。そして弦の刻みに乗って、第6小節から入ってくる第一主題の最初の音(二分音符)が、アタックはそれほど強烈でなく、そのあとぐぁ~んとクレッシェンドというか膨らましてきました。これにはびっくりしました。あとでスコアを確認したら、そういうクレッシェンドの指示はありません。弦パートの二分音符には何も記号がなく、管パートの二分音符にはデクレッシェンドの記号がついています。それにも拘らず、ここをぐぁ~んと膨らまして演奏したのです。続く第7小節の二分音符も同じように膨らまして歌わせます。これが良いです!機械的でなく、歌心があり、これはちょっとすごいです。続くフレーズにも、細かなところひとつひとつに、歌心があり、味わいがあります。

第一楽章途中のカウベルは、普通に舞台下手側の裏手で、鳴らしていました。

第一楽章が終わって、指揮者は右手に持ったタクトを静かに降ろして行きます。しかし左手は、曲げて、胸にあてたままです。やがて右手のタクトを完全に降ろし切ったあとも、左手は胸にあてたままで、まっすぐと立っていて、身じろぎもしません。時間的な合間をとってこそいるものの、彼の中では集中が連続しているのです。格好良すぎです。普通なら楽章間で多く起こる咳払いその他のノイズも、指揮者の姿をみて遠慮がちになり、ほとんど静かなままです。

そしてしばしの間合いをおいて始まった第二楽章は、アンダンテでした。個人的には第三楽章にアンダンテをもってくる旧来の楽章順の方が好きです。しかしこの演奏は、すばらしいものでした。第一楽章と同じように、楽器のバランスにとても気を配って、そして十分な歌心があり、その充実ぶりにうっとりとさせられます。

第二楽章の舞台上のカウベルは、見たところ奏者は二人だけで、それも普通に手でもって、がらがらと鳴らすやり方でした。特別に音色が繊細とか、響かせ方にユニークな工夫はありませんでした。音量的にも、マーラーの指示通りに鳴らしていくという、オーソドックスなものでした。

アンダンテ楽章全体の設計もきちんとしていました。楽章最後の方、練習番号59~61のテンポ設定に、それが良く現れていました。この箇所は楽章最後の盛り上がりのところで、ここのテンポ設定は、楽章全体の構成上とても重要です。スコアを見ると、この59~61には、マーラーがEtwas Drängend(少しせきたてられるように)とかNicht schleppen(引きずらずに)などの指示を数多く書いています。そこで、多くの指揮者は、マーラーの指示通りということで、このあたりをやや速度を速めて割合一気に演奏していきます。

ここをマイスターさんがどうやったかというと、59と60をやや速めに演奏したあと、61をテンポを少し落とし、ここをじっくりと歌わせ、情感豊かに表現していました。そのテンポ変化はそれほど大きなものではないですが、自然で、効果は十分なもので、こういう大きな流れの設計がうまいなぁと感心しました。

かくて第二楽章が終わりました。僕がこれまで体験した6番のうち、第二楽章アンダンテという楽章順をとった演奏で言えば、この演奏がアンダンテ楽章の美しさをもっとも現していたと思います。楽章順も大事ですが、より本質的なのは、音楽の中身であり、中身が本当に良ければ順番はどちらでもいいんだ、ということをまざまざと実感しました。

第二楽章が終わると、マイスターさんは同じように、右手のタクトをゆっくりと降ろしていき、やがて完全に降ろし切りましたが、やはり左手は胸の前にあてたままで、直立不動を崩しません。集中し続ける指揮者を、聴衆も固唾を飲んで見守る感じです。

第三楽章スケルツォも、良く考えられた楽器バランスが絶妙で、ワクワクするような新鮮な響きが満ち満ちて、聴いていて実に気持ち良いです。

第三楽章が終わっても、マイスターさんは同じく、「タクト降ろして左手降ろさず」です。さすがに客席からは、来るべき終楽章に備えての咳払いなどの仕切り直しの雰囲気がありましたが、指揮者は直立不動のまま、それが終わるのを身じろぎもせずじっと待っています。

終楽章も、とても充実していました。マイスターさんのマーラーは、楽器バランスを良く考え、常にコントロールして、いろいろな楽器の音色が聞こえて来るのが、美点です。たとえば何楽章かは忘れましたが、ホルンのメロディーにファゴットが重なって吹いていることが良くわかり、美しく響いていました。いろいろな楽器の音が良く聴こえてくると言うと、たとえばインバルのマーラーを思い浮かべられるかもしれませんが、インバルとは全然違います。僕にとっては、インバルは、分析的に聞こえすぎるのですが、マイスターのは、あくまで美しい響きとして、音楽的に響いてくるので、すばらしいのです。

しかしマイスターさんのマーラーには、圧倒的なパワーというか、どろどろした情念のようなものは、ありません。特に終楽章は、この点が、贅沢をいえば、食い足りない点でもありました。それから、カウベルなどの特殊楽器の響かせ方や音色などにはあまりこだわりがないようでした。そんなマーラー面白いの?と思われるかもしれませんが、これはこれで十分に面白いし、立派な存在価値があるマーラーだと思います。

なお、最後の音が消えた後、しばしマイスターさんは右手のタクトを上においたままで、その後ゆっくりとタクトをおろしていきました。そしてタクトを完全に降ろしきりましたが、やはり左手は曲げて胸にあてたままで、「タクトおろして左手降ろさず」のスタイルで直立不動です。今夜の聴衆はすばらしく、タクトが下がりきってもなお、誰も拍手もブラボーも発しません。そのようにしてしばらく完全な静寂が続き、マイスターさんが力を抜いてちょっと体を動かしたのを契機に、拍手が少しずつはじまり、その後にブラボーが始まっていきました。

今夜のマイスターさんのこれまでの楽章間の様子を見ていれば、たとえタクトが降りきっても、まだ「音楽モード」にはいったままだ、すなわち、マイスターさんにとって、まだ音楽の「余韻」が続いているんだ、ということを、誰もが明確に理解したと思います。そして聴衆全員が、マイスターさんの「余韻」に合わせて、拍手・ブラボーを見合わせて、やがてマイスターさんが「通常モード」に戻ってから拍手が始まったというわけでした。理想的な拍手の始まり方ですね。やはりこうでなくっちゃ。


明るい、明晰な、歌心にあふれた悲劇的。こう考えてくると、ハイドンに通ずる傾向と言ってもよいですね!だからこそプログラムにハイドンを持ってきたのか、と今になって合点しました。

マイスターの、新しく、重くないマーラーは、若い新しい感覚ならではの良さですね。ある意味、インキネンのマーラーに似ていると思います。奇しくも、マイスターもインキネンも、同じ1980年生まれです!彼らのような新しい世代によって次々に出てくるマーラー音楽の新しさ、マーラーの音楽の現代性は、まだまだいろいろな未知の魅力を秘めているのではないでしょうか。

マイスター&読響のマーラー、今後が非常に楽しみです。来年度から首席客演指揮者ですから、いろいろと聴く機会があるかと思います。もうカンプルランさんはマーラーをやらなくてよいですから(^^;)、マーラーは是非マイスターさんに任せていただいて、どんどん演奏していただければ、うれしいです。







Last updated  2016.07.22 00:19:28
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2016.07.16

(この記事は、関西グスタフ・マーラー響の3番を聴く その2 謎のポストホルン の続きです。)

1 第四、第五、第六楽章について

第三楽章が終わって、少しの間合いを挟んで、独唱者が舞台上手後方の席から立ち上がり、第四楽章が始まりました。良い歌唱でしたし、オケも静かにきれいに鳴っていて、難しいホルンもきっちり吹かれていました。

さて第五楽章が始まりました。2階の左右両サイドの客席に、児童合唱と並んで、ハンドベルを持った女子高生と思しき何人かがいて、ベルを手で持って鳴らしているようでした。いよいよ両翼配置のハンドベルです。

しかし、しかし。
ベルの音が貧弱で、殆ど聴こえてきません。通常のチューブのベルを叩いて出てくるスコーンという明るく抜けた音がしないのは当然としても、そもそもベルの音自体がほとんど聴こえてこないのでした。所々で、じゃわ〜んとした音がかすかに聞こえてきて、これがハンドベルの音なのだろうと想像する、という感じでした。これは残念の限りでした。。。もしもハンドベルの音色にこだわるならば、人手を大幅に増やして、一つの音高のベルを数人程度で鳴らす必要があると思いました。ベルの音高は6種ですから、相当な大人数が必要となるでしょうけれど。

終楽章は、素晴らしい演奏でした。第一楽章と同じように、シャープな輪郭を保ちながら、テンポの落とし方がゆったりとして、大きな音楽の流れができていました。オケも一つになって、良い音を出していました。

終楽章最後近くの金管コラールは、曲の最初から舞台上でずっと一番トランペットを吹いていた方が、この難所もきっちりと美しく吹かれていました。なお、ポストホルンを吹いた奏者は、その後の楽章間にポストホルンを持って舞台上に戻り、4番トランペットを吹いていました。この一番トランペット奏者と、ポストホルン&4番トランペット奏者、お二方とも見事でした。それから特筆すべきは一番ホルンで、この方もすばらしく、アマチュアでここまでとはあっぱれでした。またトロンボーン隊は、1番奏者が女性でした。2,3,4番の男性陣がパワーがあり、1番をがっちりサポートしている感じでした。


2 第四、第五、第六楽章のアタッカに関連したこと

ここから先は、第四・第五・第六楽章のアタッカ関連の感想と、それに関連しての合唱や独唱の起立・着席のタイミングなどを書いておきます。かなり細かな話でつまらないと思いますので、皆様読み飛ばしちゃってください(^^)。

この曲のスコアには、第四・第五・第六楽章の三つの楽章(=二つの楽章間)がいずれもアタッカで演奏されるように指定されています。その演奏スタイルは、指揮者によって大きく三つに分けられます。便宜的にAスタイル、Bスタイル、Cスタイルと呼んでおきましょう。Aスタイルは、楽章間には合唱団や独唱者の起立や着席など一切行わない、厳格なアタッカで演奏しようとする方式です。そのために、起立や着席のタイミングなどに指揮者がいろいろな工夫をこらし、うまく成功すると、音楽的に素晴らしい効果があります。Bスタイルは、それほど厳密なアタッカにはこだわらずに、しかし一応タクトは下げないままで、楽章間に起立・着席をさせる方式です。ある程度の時間的な間合いと精神的緊張のゆるみが生じてしまいます。Cスタイルは、アタッカを完全に無視して、タクトを完全に下げて、合唱団の起立・着席などをさせる、というスタイルです。さすがにこのCスタイルはプロではかなり珍しく、アマオケでも少数派です。

楽章間が、第四・第五および、第五・第六の二つありますから、たとえば二つともAスタイルなら「AAスタイル」、最初がCで次がBなら「CBスタイル」、と呼ぶことにします。
AAスタイルで行うのがもっとも厳格な方法です。しかしそれを実現するには指揮者の様々な工夫はもちろん、合唱団にも緊張の持続が必要で、小さい児童もいる合唱団に、どこまでを求めるか、音楽的な理想と現実的な条件となかでどのあたりで折り合いをつけるかは、アマチュアによる演奏の場合は悩ましいところだと想像します。

プロでは、シャイー&コンセルトヘボウの来日公演のAAスタイルが、完璧な、究極の方式でした。個人的に「シャイー方式」と呼んでいます。「シャイー方式」については、この記事の最後の「付録」に書いておきました。
それから、アマオケでも完璧なAAスタイルの演奏が、稀にあります。2009年の三河正典&小田原フィルがそうでした。シャイー方式とはやや異なる点がありましたが、これはこれでやはり妥協のない、完璧なAAスタイルで、感動的でした。
このふたつが、これまで体験した3番演奏会の中で、個人的に、最善の、理想的と思うアタッカです。

前置きが長くなりました。今回の方式は、CBスタイルでした。
すなわち、第四楽章が終わると、指揮者はおもむろに向きを変えて客席の方、正面を向いて立ち、両腕を斜め上に高く広げてかざし、にこやかな顔で、2階客席両サイドの児童合唱に起立を促しました。それで子供たちが起立して歌う準備が整ってから、指揮者はオケの方に向き直り、そして第五楽章が始まりました。すなわち、この楽章間ではかなりの長い間合いがありました。一応タクトは上げたままでしたのでBスタイルと言ってもよいかもしれませんが、間合いがかなり長かったので、Cスタイルとしておきます。

なお、第五楽章が始まったときにはまだ舞台後方の女声合唱は着席したままで、第4小節でオケが入ってきたところでただちに女声合唱が起立し、そして第7小節からの歌を歌い始めました。この、児童合唱と女声合唱の起立の時間差方式は、AAスタイルの中で適切に使えば、効果を発揮する方法のひとつです。しかし、Cスタイルでは、あまり意味がありません。だって、楽章間で間合いをとって児童合唱を起立させているのですから、そのときに一緒に立てばすむことです。女声合唱だけわざわざ第五楽章が始まってから起立させる意味というか目的が、わかりません。

ついでに、第五楽章半ばで、自分の歌の出番の終わった独唱者は、着席せず、そのままスタスタと歩いて舞台裏に引っ込んで行ってしまいました。このような「独唱者早期退場方式」は、稀にみかけますが、個人的には、なんだかなぁという感じが否めません。

それから、第五楽章の終わり際の、女声合唱の着席方法は独特でした。この曲の合唱は、児童も女性も、第五楽章の最後近く(練習番号10の冒頭)に3小節弱の休止があります。今回、女声合唱の右から約2/3の人たちは、この休止のところで座り、そのあと最後の10小節を座ったまま歌いました。残りの左側の1/3の人たちは、第五楽章の最後まで立って歌い、楽章が終わってから着席しました。(おそらく、三声部からなる女声合唱の中声部と低声部の人たちが先に座り、高声部の人が最後まで立って歌ったのだと思います。)

このように女声合唱を分割して着席の時間差をつける方式は、初めて見ました。座るタイミングを間違えたにしては整然としていたので、おそらく指揮者の意図だと思います。しかしその狙いというか効果は、見ていて特に感じられませんでした。

そして第五楽章が終わってから、続く第六楽章との間に関しては、Bスタイルでした。
もはや記憶がややあいまいなところもありますが、第五楽章の音が完全に消えてから、指揮者はタクトをあげたままで、児童合唱に着席の指示をしました。それで児童合唱と女声合唱の残りの1/3が着席し、そして第六楽章が始まったと記憶しています。(独唱者は、上記したようにすでに退場していて、舞台上にいませんでした。)

ここでも、さきほどと似たような感想を持ちました。つまり、もしもここをAスタイルでやるのであれば、あらかじめ第五楽章の最後近くで女声合唱を座らせることの意味があります。しかしここをBスタイルで、児童合唱を座らせるのであれば、そのときに女声合唱も一緒に座らせればすむことです。わざわざ女声合唱の一部を、第五楽章の途中で座らせる意味が、不明です。

3 まとめ

終演後に、プログラムの解説を読んだところ、興味深いことが書かれていました。指揮者の田中宗利さんは、俳優・劇作家・演出家としても活躍されているということでした。なるほど、そう言われると、いろいろと合点がいきます。オケの演奏会では異例のPA使用(確証はありませんが)の発想は、演劇界の人としては自然な発想なのかもしれないです。それからたとえば、第五楽章の開始前に客席を向いて両腕を高く上げて児童合唱を立たせる堂々とした仕草は、ある意味芝居がかっている感じ(悪い意味ではないですが)がしました。ハンドベル使用というのも、従来の発想にとらわれないユニークな試みでした。

正直PAの使用(?)は、僕としてはいただけませんでしたし、両翼配置ハンドベルは、残念ながらアイデア倒れだったと思います。また、女声合唱の起立や着席には独特な手法を取り入れながらも、肝心なアタッカにはそれほどこだわらないという点も、僕としてはやや疑問を持ちました。

以上、いろいろ細かなことを書いてしまって、自分こそ変なこだわりがある古い偏屈人間だ、と恐縮します。ともかくも、若い斬新な感覚によるユニークな試みが、いろいろと仕掛けられていた個性的な3番演奏でした。そしてオケの技術は本当に立派で、すばらしかったです。

今回少しでしたがぐすたふさんとお会いできて、またブロ友さんたちと短いながら歓談のひと時をすごせて、貴重な機会となりました。皆様ありがとうございました!


○付録「シャイー方式」について:児童合唱と女声合唱の起立と着席のタイミングに関しては、かつてシャイー&コンセルトヘボウの日本公演が、究極的にすばらしいもので、僕は勝手に「シャイー方式」と呼んでいます。シャイーは、全合唱団を、第四楽章!の始まる前に起立させました。第四楽章は合唱の出番が全くないのに、あらかじめ起立させたのです。こうすることで、第四楽章と第五楽章を、緊張感を保った完璧な静寂の中でのアタッカで演奏することが可能となりました。それから第五楽章の最後近くの練習番号10の休止のときに、全合唱団をすばやく座らせて、その後の約10小節を座ったまま歌わせました。こうすることで、第五楽章の終わりからそのまま完璧な緊張感と静寂のうちにアタッカで第六楽章を開始することができたのです。(良く見られるのは、第五楽章が終わった時に合唱団は立たせたままで着席させず、アタッカで第六楽章を始め、第六楽章が少し進んだあたりで合唱団を着席させる方法です。これでも良いのですけど、第六楽章途中で着席することにより音楽の緊張がわずかに緩むかもしれない可能性をもシャイーは排そうとして、第五楽章のうちにすでに全合唱団を座らせたわけです。まさに究極のAAスタイルでした。)

 







Last updated  2016.07.17 10:23:06
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2016.07.13

(この記事は、関西グスタフ・マーラー響の3番を聴く その1 の続きです。)

さて少しの間合いが終わって、指揮者が入って来ました。このときは拍手は起こらず、第二楽章が始まりました。この第二楽章は、野の花が話すようなチャーミングさがほしいところですが、今回の演奏は硬さが目立ち、やや消化不良の感がありました。もっとも、この楽章はプロオケでもこのようになることが少なからずありますので、やむを得ないところでしょう。

第二楽章が終わると、ここで舞台上手から独唱者がさりげなく入場し、舞台後方右端の、合唱団の前の席に座りました。目立たないようなうまい入場でしたので、拍手は起こらずにすみました。すでに記憶が定かでなくて、もしかしたら独唱者の入場は第三楽章が終わったときだったかもしれません。いずれにせよ拍手がなかったことは良くおぼえています。

そして第三楽章が始まりました。早過ぎない、丁度良いテンポで、軽やかに進んでいき、聴きほれるような第三楽章の出だしでした。そしてポストホルンの出番が近づいて来たあたりで、テンポがぐっと落とされてじっくりとした音楽になったのも素敵でした。お膳立て十分の中で、いよいよポストホルンが始まりました。

今回のポストホルン、僕は奏者を視認できなかったのですか、終演後の友人による目撃情報によると、4階客席左サイドブロックの舞台寄り、譜面台が置いてある位置で吹いていたそうです。そして使用した楽器は、ポストホルンだったそうです。普通のトランペットよりかなり難しいと思いますが、十分に健闘した、いい演奏でした。奏者のかたを讃えたいと思います。

しかし。
しかしこのポストホルン、聴いていて非常に大きな違和感がありました。
僕の席は1階センター前寄りでした。その席で聴くと、右の上の方、どこか良くわからないところから、ポストホルンが聞こえてきました。「どこか良くわからないところから聴こえてくる」という点は良いのですが、その音量に違和感がありました。音量が、異様に大きいのです。力一杯吹いたのなら、大きな音も出るでしょう。しかしそうではなく、柔らかく、さほど強くない吹き方で吹いているのにも拘らず、音量がやたらに、不自然なまでに大きいのです。舞台上で平行して演奏しているオケの音が、半ばかき消されるほど、不釣り合いに大きいです。

違和感は音量ばかりではなく、もう一つ他にもありました。あたかも、至近距離で聴いているようなプレゼンスだったことです。ラッパを至近距離で聴く場合、音のアタック時に、タンギングなどに由来するかすかな雑音が、ときとして聴こえてきます。これはどんなにうまい奏者でもあります。このかすかな雑音は、ある程度の距離があると、殆ど聴こえて来なくなります。今回のポストホルンは、その手のかすかな雑音が、あたかもすぐ自分の目の前で吹いているような感じで聴こえてきて、とても不自然です。

そのとき僕は突然に、開演前に会場に流れたアナウンスを思い出しました。前回(その1)の記事にかいたように、そのアナウンスの途中に、「本日の公演はPAを使います」という言葉が聞こえてきたのでした。聴き間違いだと思ってスルーしていましたが、そうか、あれは僕の聞き間違いではなかったのだ、あのアナウンスは、ポストホルンのことだったのか!と、合点がいきました。

確証はありませんが、おそらく4階左サイドの客席で吹いたポストホルンの音を、すぐそばに置いたマイクで拾い、それをホール内の高い所にあるスピーカーから流したのではないか、と推測しています。

このポストホルンに、マーラーは weiter Ferne と指示しています。かなり遠く、はるか遠く、という感じでしょうか。通常このポストホルンは、舞台の裏手で吹かれます。稀に、ホール内の客席で吹かせる指揮者がいます。コバケンがそうです。それから2007年のマーカル&チェコフィルの京都公演がそうでした。このときは、京都コンサートホールの舞台後方の壁、パイプオルガンの向かって左側のすごく高いところにある窪みのようなスペースに奏者が陣取って、吹いていました。(高所恐怖症の奏者だったらちょっと怖かったと思います(^^;)。ただし、彼らがこの直後にサントリーで3番を演奏したときは、普通に舞台裏で吹かせていました。もしかしたら、京都で試してみたがホール内で吹かせるのは良くないと判断してやめたのかもしれません。

個人的には、このポストホルンをホール内で吹かせる方法は、良くないと思います。これまでに繰り返し書いているように(2010年のヤンソンス&コンセルトヘボウの3番の感想記事をご参照ください)、このポストホルンは、自分達と同じ場所にいて同じ空気を共有していてはだめなのだと、僕は思います。それはあたかも、遠くからチャルメラのラッパが聴こえて来るとき、何処からかは良く分からないけれど、何処か遠くのほうから聴こえて来るなぁ、という、そのような距離感を持って響いて来ること、まさにマーラーが指示したように、はるか遠くから聴こえてくること、それが大事なのだと思っています。ポストホルンをホール内で吹いてしまうと、奏者と我々聴衆とが、同じ空気で直接つながった空間にいるということが、あらわになってしまい、「はるか遠く」という感じがまったく出ません。単に奏者との直線距離が、舞台上よりも少し遠ければいい、とは到底思えないのです。

今回の演奏は、たとえ4階(最上階)であっても、そもそもホール内で吹いたということだけで距離感が出ないのに、それを(確証はありませんが)マイクで拾って流したことによって、遠いどころか、とても「近い音」になってしまいました。しかもそれが、異様に大きな音量で、他の楽器の音を圧してホール内に鳴り響いたのです。折角のポストホルンが台無しです。。。僕は、聴いていて居心地がどうにも悪くて、耳を覆いたくなるような心境になりました。

指揮者のお考えによるのでしょうが、正直PAを使う意味が、僕にはさっぱりわかりません。実際にPAを使ったのかどうかは不明ですので、もし使っていないのでしたら申し訳ありません。でも、いずれにせよ、この大き過ぎる音量と、至近距離からのような聴こえ方は、聴いていてかなりの違和感を感じました。

もしも、もしも百歩譲ってPAを使うとしたら、このような音響にならないように、ポストホルン奏者と十分な距離を持ったマイクを設置し、そのマイクで拾った音を、ホール内のスピーカーで静かに流す、というのならわかります。(もっとも、そんなことするんだったら、ポストホルン奏者を舞台裏の遠くにおいて、そこで普通に吹いてもらえば、すむことです。それに折角の生音のコンサートにPAは。。。。)

(続きはまた次の記事に書きます。)

 







Last updated  2016.07.14 01:01:05
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2016.07.11

6月19日、関西グスタフ・マーラー交響楽団によるマーラー3番を聴きに、京都にやって来ました。マーラーの全交響曲を10年かけて全部演奏しようという壮大なプロジェクトとして始まった、マーラーに特化したアマオケです。2012年のびわ湖ホールでの5番を皮切りに、13年京都6番、14年兵庫7番、15年京都1番、大阪2番と着々とプロジェクトが進行中です。最初の3年でいきなり難しい5,6,7番をやってしまうというところからして、並々ならぬパワーを感じます。

これまではなかなか都合がつかず聴きに来られませんでしたが、このオケがいよいよ3番を演奏するというので、はるばる京都までやってまいりました。

指揮:田中宗利
アルト独唱:八木寿子
女性合唱:女声合唱団「花野」
児童合唱:京都市少年合唱団
京都聖母学院ハンドベルクワイア
管弦楽:関西グスタフ・マーラー交響楽団

マーラー 交響曲第3番

6月19日 14時開演
ロームシアター京都 メインホール

京都は、あいにくの雨でした。時々結構強く降って来る雨の中、平安神宮のそばにあるロームシアター京都に無事到着したのが、13時15分頃でした。京都会館がリニューアルとなったロームシアターには、今回初めて訪れました。ホールが沢山あり、日曜日午後で複数のコンサートが行われていて、多くの人々で賑わっていました。マーラー3番の演奏会が行われるメインホールに行ってみると、すでにホールは開場していて、ホール内には早くもびっくりするほど沢山の人が着席しています。1階センターの前の方に空席を見つけたのでそこを押さえました。

ホールの奥行きはかなり短くて、客席はセンター、サイドとも4階まであり、どの席も舞台にかなり近めの作りです。また1階席は列ごとの段差がかなり大きくとられているので、前の席の人が邪魔にならず舞台が良く見えます。これほど段差がとられているのはコンサートホールとしては珍しいです。舞台が近くて見やすいので、演劇などにすごく向いていそうです。舞台上を見ると、弦は両翼配置で、ハープは上手に2台。後方の雛壇を見ると、ベルが見あたりません。ですので、ベルは客席のどこかにあるのだろうと、あちこちを見上げても、それらしいものは見えません。そこで、開演まで時間もあることですので、2階客席を偵察に行くことにしました。

すると!
2階の左サイドブロックの客席が全部、お客さんが入れないように封鎖されていました。なるほどここで合唱団が歌うのだな、と思って、さらにそのブロックを良く見ると、奥の方に、何やら小さな鐘が数個置いてあります!通常のチューブラーベルではなく、ハンドベルに見えます。ぶら下げる器具のような物はありません。

そうか、ここで児童合唱と鐘を鳴らすのだな、なかなか良い配置だ、しかしあのベルはどうやって鳴らすのだろう、手で持って鳴らすのだとすると人手がいるな、などと考えました。(プログラムには明確にハンドベルと書いてあったのですが、それを見たのは終演後だったので、このときはまだ、これが本当にハンドベルなのかどうか、確証が持てませんでした。)

折角ここまで来たついでに、一応反対の右サイドも見に行きました。

するとすると!
なんと、2階右サイドの客席も、全く同じように封鎖されています。しかも、奥の方には、やはり小さな鐘が数個置いてあります!これは驚きました!左右両サイドにベルがある、両翼配置(^^)なわけです。これまでのマーラー3番の演奏会で、合唱の高所客席配置は時々体験していますし、合唱の客席両翼配置も、稀に経験しています。(井上道義とオーケストラアンサンブル金沢&新日フィルの2009年の富山公演がそうでした。)しかし、3番の鐘の両翼配置は、僕はこれまで見たことありません。これは一体どんな響きになるのだろうかと、俄然面白くなって来ました。2階に来たついでに、さらに上の階にも行ってみました。

するとするとすると!
4階左サイドのブロックも封鎖されてお客さんがはいれないようにしていました。

いやぁこれは謎です。この4階左サイドは何に使うのだろう?さっぱりわからなくなりながら、そろそろ開演時刻が近づいてきたので、1階の自分の座席に戻ることにしました。1階の座席に戻り、そこから4階の左ブロックを見上げると・・・。ステージに近い端に、譜面台が一つ、謎掛けのように置いてあります。それでは、まさか独唱がここで歌うのだろうか?と謎が深まりました。

そうこうするうちに開演時刻が近づいてきました。1階のお客さんはもう満員の入りです。携帯の電源などに注意を促すいつもの場内アナウンスが流れていました。その中で途中1回、「・・・本日の公演はPAを使いますので・・・」というアナウンスの言葉が聴こえたように思い、おやっ?と思いました。通常クラシックのオーケストラのコンサートでPAが使われることはないからです。僕は聞き間違いだろうと思って、そのままスルーしました。

やがて定時になり、オケと指揮者が入場し、演奏が始まりました。冒頭のホルン斉奏、力強く立派です。「ギアダウン」(主題呈示の途中で急にテンポを落とす、大植、アルミンク、ノットなどが近年用いる解釈)はなく、主題提示の終わった11小節からじっくりとテンポを落とす、通常の落ち着いたスタイルです。

この楽章の途中で、夏の行進が小さく始まってしばらく続いていくところで、弦楽が半分の人数で弾くところ(練習番号21~25と、63~65)がありますね。ここは通常は、指揮者に近い方のプルトで弾かれます。まれに、各プルトのおもて奏者が弾くこともあります。今回はそれらと異なり、指揮者から遠いプルトの奏者が弾いていました。このやり方は、2011年の大野和士&京響で1回見たことがあるだけの極めて稀な方法です。夏が遠くから来てやがてここに来るというイメージなのでしょうか。大野さんのときに感じた少なからぬ違和感は、今回は特に感じませんでした。

それから今回、ホルン主題再現の直前の小太鼓は、ちゃんと舞台裏でやってくれました。しかもこのとき良かったのは、舞台裏とステージとの間のドアを閉めて叩かせたことでした。ここはしばしば、舞台裏とは言ってもドアを開けたままドアのすぐ裏で叩かせて、その結果客席にも盛大に鳴り響き、距離感がまるでない小太鼓になりがちです。ドアを閉めることで距離感を保とうという配慮には感心しました。

なおホルン主題時のシンバルは、提示部は一人、再現部は二人で、スコアの指示よりどちらも少ない人数ではありましたが、両者の差をつけているという点は、マーラーの意図を汲み取ったやり方でした。

オケの技術はアマオケとしてかなり高いものでしたし、指揮者の作る音楽は、輪郭がシャープでありながらも、テンポを落とすところは腰を割ってじっくりと落として、ゆったりした落ち着きも合わせ持ち、なかなか良い感じです。上記したようなマーラーの意図に添った気配りが、あちこちで感じられて、かなり好感を持った第一楽章の演奏でした。

第一楽章が終わると、驚いたことに、すぐ指揮者が退場してしまいました。そして合唱団が入場して来ました。女性合唱団は舞台後方に普通に並び、児童合唱団は、2階客席の両サイドブロックに、入場して来ました。女性合唱団も児童合唱団も、どちらもなかなかの大人数です。この入場のひとときに合わせて、オケの奏者の一部も三々五々と舞台から退場し、一呼吸置いていました。先日のアマオケの3番では第一楽章が終わった後に客席を含む完全な休憩が取られましたが、今回は演奏者のみの休憩だったわけです。

(ひとまずここまでとし、この続きは次の記事に書きます。)







Last updated  2016.07.14 00:37:40
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