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じゃくの音楽日記帳

全7件 (7件中 1-7件目)

1

マーラー演奏会(2017年)

2017.07.02
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またまたマーラーを聴きに、京都コンサートホールにやって来ました。3月の広上&京響の神懸かり的な8番の感動が蘇って来ます。今回は、アマオケによる3番です。
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デア・フェルネ・クラング 第4回演奏会

エルンスト・フォン・ドホナーニ チェロと管弦楽のためのコンチェルトシュテュック
マーラー 交響曲第3番

指揮:角田鋼亮
チェロ:佐古健一
アルト:池田香織
女声合唱:TSC特別合唱団
児童合唱:京都市少年合唱団
管弦楽:デア・フェルネ・クラング

6月11日 京都コンサートホール
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まずこの演奏会のチケットが素敵です。大きな赤い字で、「さあ、夏がやってくる」と書いてあるのです!マーラー3番のチケットとしてこれ以上のものはないかと思います。ただ、もぎりの切り取り線がどこにもありませんでした。当日、会場時刻少し前に入り口で並んでいると、係の方が、「チケットは入場時に回収します」と呼びかけるではありませんか。これを手放すのは残念です、せめて写真にとっておこうと思って、通路の手すりにチケットをそっと載せて、苦しい体勢で急遽撮った写真がこちらです。

M3ticket 40PP.jpg

入場して、このチケットとはさよならしましたが、代わりにいただいたプログラムの表紙が、またとんでもなく素敵です。それがこちらです。

M3Program 40cut.jpg

若いころのマーラーの写真をバックに、この言葉。もう素晴らしすぎです。

ホール内に入ると、まず目に付いたのが、P席後方、オルガンの左横に鎮座していたチューブラーベルです。この充分に高い配置、これは期待できます!あと、さらにホール内を見渡すと、ホール左前のコーナーの、非常に高いところにあるボックススペースに、譜面台が1台置いてありました。これはおそらく、ポストホルンをここで吹くのでしょう。舞台裏でなくて残念です。

さて今日のプログラムは意欲的なもので、前半にドホナーニのチェロ協奏曲という、かなりマニアックな曲が演奏されました。作曲者は、指揮者のクリストフ・フォン・ドホナーニのお父さんですね。初めて聴く曲でした。チェロのソリストがかなりの美音で繊細で、聞き応えがありました。

休憩の後、マーラー3番です。
弦楽は通常配置で、下手にハープ2台でした。オケが入場してきました。先ほどのドホナーニの曲のソリストの方が、チェロのトップに座りました。そして始まった第一楽章、ホルン主題提示時のギアダウンはありませんでした。ひき続く練習番号1の静かな部分、緊張感がみなぎっていて、非常に良いです。第32小節でヴィオラがトレモロでffで入ってくるところ、すごい気合いで、しびれました。その後も気合の入った演奏が続きます。

トロンボーンのモノローグは、トロンボーンも良かったのですが、そのときに小さく合いの手を入れる低弦が、緊張感があって重く、静かな音の中に気合が詰まっていて、素晴らしかったです。この合いの手を、これほどしっかりと意識させられることはそれほど多くなく、とても好感を持ちました。

夏の行進が小さく始まって、弦の半分が演奏するところ(練習番号21~25と、63~65)は、弦の各セクションの後方のプルトが弾いていました。この後方プルト方式に僕が接するのは3回目です。最初は、2011年の大野&京響で、次が2015年のノット&東響でした。3回目となる今回は、遠くから夏がしだいに近づいて来る、という感じがほどよく出ていて、後方プルト方式もなかなかいいな、という感じを初めて持ちました。僕が3回目で慣れたせいもあるでしょうし、今回の演奏自体も良かったのだろうと思います。

その後の第一楽章も、夏の訪れの喜び、幸福感がしっかりと感じられ、素晴らしかったです。これを聴いていて、この第1楽章が終わったら拍手したいなぁ、という気持ちにもなりました。(アルマの回想によると、3番の初演の際に、第一楽章の終わったときにものすごい歓呼がわき起こったそうですので、いい演奏のときには、気持ちとしてなんとなく拍手したくなるのです。)そうしたら、第1楽章が終わったとき本当に、自然発生的に拍手がパラパラと湧きおこりました。すぐに静まる短いものではありましたが、僕もうれしくて、エアー拍手で参加しました(^_^)。

第1楽章が終わって、合唱団が入場して来ました。その配置が素晴らしく、Pブロックの前寄り2~3列が女声合唱73人で、その後ろ2~3列が児童合唱55人でした。すなわち、2010年の尾高&札響がやっていたように、大人の合唱よりも高いところに児童合唱が位置したわけです。そして児童合唱のすぐ後ろにチューブラーベルという、理想的な配置です。一方で、独唱者がいつ入場したかは、僕の席からは見えなくて、わかりませんでした。

第2楽章の演奏は、オケがちょっと消化不良気味でした。

第3楽章は、思ったとおりポストホルンがホール内の左コーナーのボックススペースで吹かれました。見た感じでは、普通の小さいポストホルンを使っていました。これはやはり舞台裏で吹いて欲しかったです。

第3楽章が終わって一息つくと、舞台下手中程、ハープのそばで、独唱者がやおら立ち上がりました。いつの間にかこちらにひっそりと入場していたようです。これは今年1月の坂入&東京ユヴェントスフィルのときにもやっていた方式です。このようにあらかじめホール内に入って座っていることで、拍手が起こることをかなり完璧に防げるので、とても良い方法だと思います。

第4、5、6楽章のアタッカあに関しては、しっかりとしたAAスタイルでした。(○○スタイルについては関西グスタフマーラー響の3番(その3)の記事をご覧ください。)詳しく言うと、合唱と児童合唱は、第4楽章の最後あたり、まだ演奏中に、指揮者の合図で静かに立ち上がりました。それで第4楽章が終わってそのままアタッカで第5楽章が始まりました。そして第5楽章が終わった時は、合唱団は立って静止したままで、束の間の静寂のあと第6楽章が始まり、少したってから合唱団が静かに着席するという、オーソドックスな方法でした。

第6楽章は、遅めのテンポで、とても充実していました。最後の方の金管コラールから曲の終わりまで、テンポを速めずに、ゆったりたっぷりと歌って、感動に浸りました。

今回の3番は、中間楽章の完成度は今一つでしたが、なんといっても第1楽章と第6楽章が、幸福感があり、本当に充実した素晴らしい演奏でした。指揮者の角田さんは2010年の第3回グスタフ・マーラー国際指揮者コンクールのファイナリストだそうで、正攻法の、マーラーの意図に沿った、良いマーラーでした。唯一注文を付けたいのは場内ポストホルンだけで、あとはスコア通りに、やるべきことをしっかりやっていただき、感動的な音楽が聴けました。

オケも良かったです。団員の多くが若い人でした。プログラムによるとこのオケは、2011~2012年の名古屋マーラーフェスティバルを機に創立され、2年に一度集まって、これまで名古屋で3回の演奏会を行い、巨人、シベリウス7番、マーラー9番、ショスタコーヴィチ10番などを演奏したそうです。今度の第4回が名古屋以外での初演奏会ということです。マーラー好きが全国から集まっているオケって、いいですね。今回さらに、ドホナーニのソロを弾いた佐古健一さんがチェロのトップを弾き、チェロセクションだけでなく、オケ全体を牽引する大活躍をされたことも大きかったと思います。低弦の音がしっかりとして、重心の低目の安定した音が鳴っていたように感じました。

今回もまた、アマオケの良さが出た温かい3番が聴けて、大きな感動をいただきました。今回、演奏のみならず、企画がすごく良かったと思います。チケットやプログラムのデザインに「さあ、夏がやってくる」という言葉を載せるというセンスが素晴らしすぎますし、そしてまさにもうすぐ夏がやって来るというこの季節に3番を演奏する、というタイミングも、おそらく計算してのことだと思います。このオケ、宣伝をあまりしてないですが、ネットでより情報を発信しつつ、今後もマーラーを演奏していっていただきたいと思います。東京のマーラー祝祭管、関西のグスタフ・マーラー響、そして名古屋(全国)のデア・フェルネ・クラング、それぞれのマーラー特化オケが、引き続きそれぞれのマーラーを奏でていくことでしょう。

演奏が終わってホールを後にするとき、曇っていた空が晴れて、青空がきれいでした。

「さあ、夏がやってくる。」 

京都コンサートホール 50.jpg

 

○おまけ:京都でのマーラー3番の、ポストホルンの位置

まず今回の3番で、ポストホルンを吹いた位置を示しましょう。この写真は、京都コンサートホールのホームページからコピペさせていただいたものです。この写真で黄色の☆印で示したボックススペースで、今回ポストホルンが吹かれました。

京都コンサートホールHPより☆.jpg

京都コンサートホールにいくつかあるこのようなボックススペースは、このホール独特の個性的な特徴ですね。バンダなどにいかにもおあつらえ向きに作ってあるので、ついつい使ってしまいたくなるのでしょうか。

僕がこのホールで最初に聴いたマーラー3番は、2007年11月のマーカル&チェコフィルで、そのときもやはりホール内、この同じ黄色の☆印のボックスで吹いていたと思います。もはや記憶があいまいで、もしかしたら青の☆印のボックスだったかもしれませんけど。(なお、マーカル&チェコフィルがそのすぐ後にサントリーで演奏した時には、普通に舞台裏で吹きました。)次に聴いたのは2011年の大野&京響で、これはボックススペースの誘惑(^_^)に負けず、しっかり舞台裏で吹かせていました。あと京都では会場がロームシアターですがもう1回聴きました。2016年の関西グスタフマーラー響(アマオケ)で、ホール内の客席の高いところで吹いていました。

すなわち僕が京都で3番を4回聴いたうち、3回がホール内で吹かれたということになります。京都でも是非、普通に舞台裏の風習が根付いて欲しいと思います(^^)。

 







Last updated  2017.07.04 10:07:13
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2017.05.24

3月末に広上&京響のマーラー8番を聴きました。遅くなりましたが、是非とも書いておきたい演奏会ですので、記事にしておきます。

京響創立60周年の記念年度の最後を飾る演奏会。もしかして広上さんの9年に及ぶ京響監督時代の最後を締めることになったかもしれない、マーラー8番です。広上さんの監督延長が決まったので、監督最後の演奏会にはなりませんでしたが、一つの大きな節目としての、モニュメンタルな演奏会になることは必至と思いました、そこで発売日は、満を持してチケット取りに臨みました。発売とほぼ同時に瞬速で完売となりましたが、幸い両日ともなんとかゲットできました。

京都市交響楽団 第610回定期演奏会
3月25日、26日 京都コンサートホール

マーラー 交響曲第8番

指揮:広上 淳一
管弦楽:京都市交響楽団
合唱:京響コーラス、京都市少年合唱団 ほか
独唱:ソプラノ1 高橋絵理*、ソプラノ2 田崎 尚美*、ソプラノ3 石橋 栄実、
   アルト1 清水 華澄、アルト2 富岡 明子、
   テノール 福井 敬*、バリトン 小森 輝彦、バス ジョン・ハオ

*ソプラノの高橋さんと田崎さん、テノールの福井さんは急遽の代役としての出演でした。特に福井さんは、本当に本番直前土壇場のピンチヒッターとしてのご登場で、びっしりのスケジュールのところピンポイントでここだけが空いていたということでした。

25日昼過ぎ、無事ホールに到着しました。

M830.jpg

大野&京響のマーラー3番のときに入った1階のお店でコーヒーを飲もうと思っていましたが、少し前に閉店されたと言う貼り紙がありました。雰囲気の良い店だったので残念です。建物の前の広場で少し時間をつぶしていると、周囲で「東北から聴きに来た」等の会話が耳に入ってきます。全国各地から多数の方が集まってきていることでしょう。開場時刻が近づいたのでホール入り口に向かいました。ここの丸いエントランスホールは独特で、幾何学模様の床の周りの、螺旋状の通路を登って行く作りです。通路の壁には歴代音楽監督をはじめ、京響を振った指揮者の方々の写真が飾られ、オケの長い歴史が伝わって来ます。

早目にホール内に入りました。今日の座席は2階サイドの最後部。座席に座って待っていると、初日のプレトークが始まりました。広上さんが、この曲はそう度々はできない、もしかしたら自分がやるのはこれが最後かもしれない、と仰っていました。

プレトークが終わり、合唱団とオケが入場してきました。児童合唱団約70名は舞台の最後部に並びました。大人の合唱団は200名強で、全員がP席に収まりました。この曲としては比較的少数精鋭部隊の合唱団で、ホールのサイズなどを考えての人数設定だったのだと思います。聴いてみると確かにベストバランスの響きでした。独唱7人は普通に指揮者の左右に横一列に並びました。あと第2部の栄光の聖母(ソプラノ3)は、大人の合唱団のすぐ後ろのセンター、パイプオルガンの前で歌いました。オケの配置は、指揮者のすぐ前の正面に、チェレスタが陣取っていたのが珍しかったです、そこにマンドリンも一緒に配置されました。ハープは舞台下手に2台のみで、ハープと左右対称の位置に、パイプオルガンの鍵盤部が鎮座していました。オケの最後部のほぼセンターに、板のような鐘がありました。あと僕の席からは良く見えなかったのですが、金管は舞台後方にほぼ横一列にズラーっと長く並んでいたそうです。バンダ7人は、ホール後壁左上の高いところにあるボックスで吹きました。

初日から、素晴らしい演奏でした。歌手陣では、テノールの福井さんが貫録の存在感がさすがだったのと、ソプラノ1の高橋さんが非常に光っていました。金管隊にも、心打たれました。金管群が、長い和音を伸ばして小さくなっていって次の楽節にうつるところが時々ありますが、そういうところが実に神々しく響きわたり、感動的でした。鐘も、すごくいい音でした。板状の鐘は、物によって音色の違いが大きくて、うまくしないと曲想とミスマッチになってしまいますが、今回の音色は重すぎず軽すぎず、かつ普通のチューブラーベルではなかなか出にくい教会風のひびきがかなり良く出ていて、素晴らしかったです。

第2部の最後近く、練習番号213(第1506小節)からのAlles  Verganglicheの最後の大合唱に入る直前に、全ての音が止み、ただ女声合唱の伸ばしている声だけが残ってホールに響きました。

ここはスコアでは、第2合唱のソプラノとアルトだけが、AllesのAを他パートよりも2小節早く、第1504小節から歌い始めて、ずっとA----と伸ばしていき、次の第1505小節も伸ばしたままで、さらに次の第1506小節に向けて、大きなスラーが書かれています。他のパートには、器楽も声楽も、次の小節に向けてのスラーは書かれてありません。

このあたりはいろいろな音響が重なり合い大きく渦巻いているところなので、普通に楽譜通り演奏すると、このスラーの有無の違いはほとんど聴き取れないで、そのまま第1506小節からの大合唱になだれ込むことになります。しかし広上さんは、ここで第2コーラスのソプラノとアルト以外の全パートが沈黙して一呼吸置く間合いを、長くとりました。それによって、女性合唱の清冽な声だけがしばらく(と言ってもほんの束の間ですが)ホールに響く特別なひとときが生まれ、そして最後の大合唱につながっていきました。マーラーがこのスラーに込めたイメージは、このようなものだったのであろうか、と想像します。

広上さんは2004年に日フィルと、2006年に岡山フィルと8番を演奏しています。僕は日フィルとの演奏を聴きました。その時も今回と同じく、このソプラノとアルトの声だけを長く伸ばしていたのが印象的でした。知人のマーレリアンの方が、合唱団の一員としてこの時の演奏に参加していて、広上さんのここのスコアの読みにいたく感心していたことが、思い出されます。

そして初日の演奏が終わりました。弱音の小ささなどにはあまりこだわらない、熱い歌に溢れた、充実した8番でした。演奏終了後、ぐすたふさんと落ち合って、ゆっくりといろいろお話できたのも楽しいひとときでした。

迎えた二日目です。開演まで時間があったので、コンサートホールに隣接する京都府立植物園に入って、ゆっくりと花を見ながら散策しました。

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植物園のあとは、これも隣接する「京都府立陶板名画の庭」に入ってみました。今日は丁度この界隈で「北山あおいフェスティバル」が開催されていて、入場無料でした。いろいろな名画が大小さまざまな陶板で、広い空間に大胆に配置されていて、なかなかに楽しめました。

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ぶらぶらとコンサートホールの方に来てみると、おりしも「葵使(あおいつかい)」という伝統行事を見ることができました。ホール前の広場で少し待っていると、上賀茂神社から歩いてきた使いの子供や大人たちが到着して、セレモニーを行いました。

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さあいよいよマーラーの開演です。今日の席は1階センターのかなり前方、かぶりつきです。昨日のようなマーラーがまた聴ければいいなぁと思っていました。しかし二日目は、そんなものではありませんでした。初日をもう遥かに超えていく、とてつもない体験になりました。

昨日と同じことが、昨日と同じように行われ、進んで行きます。けれど、昨日いいなと思ったところが、今日はことごとく、とんでもないほど素晴らしく、昨日とは全く違う次元で進んで行きます。広上さんの熱い棒のもとに、京響、合唱、独唱が、みな一つになって歌いあげているこの音楽に、ミューズの神が近づき、祝福してくれている。そう感じながら、この音に、この声に、この思いに、この世界に、震え、涙し、浸りきった体験でした。

終演直後、ロビーでぐすたふさんと顔を合わせた途端に、お互い興奮しながら、感嘆の念を発しあいました。昨日も良かったが、まさかこんな8番が聴けるとは!

終演後、高揚感にあふれかえったロビーで、広上さんと独唱の方たちのトークがありました。広上さんは最初にお話されたあと、聴衆の輪に混ざって周囲の人々と話をしたり、独唱者のお話を聞いたりしていて、気さくなお人柄を間近で感じることができました。

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見事な歌を歌ってくれた福井さん。

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素晴らしかったソプラノ1の高橋さん。「数えたらハイCが10回も出てくる曲で、これを二日続けて歌うのは大変なこと」というお話でした。

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今の広上&京響の充実ぶり、マーラー8番の素晴らしさを満喫できました。ぐすたふさんのお勧めを信じてやってきて、本当に良かったです。熱い感動の余韻にひたりながら、帰路に着きました。

 







Last updated  2017.05.24 18:22:37
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2017.05.04
 
第三楽章スケルツォ
 
この楽章も基本速めのテンポで、かつ大胆なテンポ変化がつぼを押さえていて鮮やかで、聴いていて非常に面白く、あっというまに終わってしまう感じでした。これほど魅力的な第三楽章はそう滅多に聴けないと思います。
 
第四楽章
 
エネルギッシュで、痛切な、すこぶる充実した音楽が聴けました。テンポは先行する楽章と同じで、基本速めの上で、大胆で頻繁な変化が次々に繰り出され、しかし決してせかせかしていなくて、心地よく聴けます。
 
それからもう一つ、全曲通じてですが特にこの楽章で強く感心した点が、音量の強弱の扱いです。本当に大きく出すべきところは大きく出し、そうでないところは節度をもった、ほどほどの音量で鳴らしてくれますので、うるさく感ずることがありません。先日のヤルヴィが所構わず全力を込めてがんがんと鳴らしていた(あるいは少なくとも僕にはそのように聞こえてしまった)のと対照的です。いたるところで、この節度を心得た音量コントロールが見事で、すごく説得力があり、いちいち感心・納得しながら聴いていました。
 
この音量コントロールの点で、格別に胸を打たれたのが、第四楽章で3回現れる、「拡大されたモットー」ともいうべきフレーズの、3回目でした。
 
まずはモットーと、「拡大モットー」の説明です。この曲では、打楽器のリズム(ダン、ダン、ダダンダンダン)に乗って、長調の主和音から短調のそれに変化する音型が、何回も何回も数え切れないほど鳴り響き、この交響曲のモットーと呼ばれたりしますね。この音型は、普通は2小節です。終楽章でも、2小節のモットー音型がいたるところに出てきます。そしてこれに加えて終楽章だけに出てくるのが「拡大モットー」です。終楽章冒頭の序奏の途中、第9小節目から、弦楽器のメロディにかぶさってくるかたちで、打楽器のリズムとともに、管楽器群により長い和音が4小節にわたって鳴らされます。この強烈な印象の「拡大モットー」は、この楽章にあと2回登場します。2回目は、曲の半ば過ぎの第530小節からの4小節。ここもやはり盛大に鳴り響きます。そして3回目は、曲の最後近く、第783小節からの、7小節です。この3回目の「拡大モットー」が鳴ると、後に残された音楽は、トロンボーンを主とした静かな挽歌と、短調の主和音の最後の強烈な一撃だけという、本当に最後近くの箇所です。この3回目の拡大モットーのあとには、通常の2小節のモットーも出てきませんので、この曲で鳴り響く最後のモットーということになります。(念のため、最後の一撃は短調の主和音のみですので、モットーとは違います。)
 
この3回目の拡大モットーを、僕はこれまでは特別に強く意識して聴くことはありませんでした。トロンボーンの挽歌が始まる前の、長く続いて来た強奏部分の最後、というくらいにしか思っていませんでした。今回の演奏も、特に構えることなく普通に聴いていたのですが、この箇所で、上岡さんは音量をかなり落とし、その音量変化を耳にした途端、もはや闘いは終わってしまったこと、いよいよ音楽の終結が近づいている、という意味が、「あぁそうか!」と直感的にまざまざと伝わって来て、胸に迫るものを感じました。これまで何回も聴いてきたこの曲で、そのような意味を身をもって実感というか、感得したのは、僕にとって初めてで、何とも素晴らしい体験でした。茂木健一郎さん流に言えば、強烈なクオリア体験でした。
 
後でこの部分のスコアを良く見たところ、この3回目の拡大モットーの長い和音の音量指定が、1回目2回目と、大きく違っていることを今回初めて知りました。もちろんマーラーですから楽器ごとに非常に細かく指定されていて3回が3回ともかなり異なるのですが、ざっくり言うと、1回目は、長い和音がffで入ってデクレッシェンドしていき、次の小節でppになります。2回目も、最初の2小節は先ほどと同じにffppにデクレッシェンドしていきます。ところが3回目は、ffで入るのではなく、fpで入ります。だんだん弱くなるのではなく、すぐに弱くなる。(打楽器群についてはまた違う音量指定になっています。これは長い和音についての話です。)従ってこの3回目をスコア通りに忠実に演奏したら、1回目2回目よりもかなり小さい音で響くはずです。マーラーは、3回目の拡大モットーをあえて、ある意味尻つぼみになるように書いているわけです。上岡さんはそれをスコア通りにきちんと実行した、ということです。
 
これはもちろん上岡さんだけがやっているわけではなく、程度・解釈の差はあれ、どの指揮者も皆やっていることだと思います。(他の指揮者がここをどう演奏しているかについては、この記事の最後の「おまけ」をご参照ください。)
 
しかしそれが今回初めて僕の意識に強烈なインパクトを与えたのは、曲が始まってからここに至るまでの演奏が、僕の心にビンビンと響いてくる内容の連続だったからこそですし、もちろん上岡さんが、音楽の流れの中でそういった意味をしっかり把握されていたからこそ、だと思います。つくづく凄いマーラーでした。
 
まとめ
 
全曲通じてのこの演奏の特質として、上に書いた2点、大胆かつ微細に、有機的に変化するテンポ感覚の素晴らしさと、非常に配慮された音量コントロールが光っていたことのほかに、もう一点挙げておきたい特質は、各声部の鳴らし方の方向性です。色々な声部をバランス良く鳴らして明晰に聴かせようとする方向(最近だとマイスター&読響がこの方向で素晴らしかったです)とはまったく異なり、ここはこの声部、次はこの楽器を前に出そう、というふうに次々にいろいろな声部・楽器にスポットライトを照らしていくように強調していくという、いわば劇的な方向でした。たとえばバスクラリネットが、あちこちで強調されていて、普通はあまり聞こえない第二楽章の最後近くなどでも大きな存在感を示していて、良かったです。こういうアプローチは好き嫌いが大きく分かれると思いますし、下手をすると平面的あるいはわざとらしくなってしまいますが、少なくとも僕にとってはそういう感じがせず、立体感・緊張感が保たれ、斬新で、ほれぼれしてしまいました。しかもこれらが(ちゃんと確認したわけではないですが)、おそらくスコアに則ってやっているということが素晴らしいです。
 
スコアを丹念に読み込み、それを大きく逸脱することなく、かつユニークな個性をしっかりと刻み込み、独自のマーラー像を築いていた演奏でした。今回の6番は、自分にとって新たな発見が多々あり、とても充実した聴体験になりました。これからの上岡マーラー、大いに期待したいです。
 

○補足:
312日の6
 
3月11日に錦糸町でこれを聴いた翌日、埼玉の川越のホールでの6番も聴きに行きました。前日と同じく、極めて充実した演奏でした。ただ川越のホールは、すみだトリフォニーホールのオルガン通路のような、舞台上でも舞台裏でもない特別な場所がないので、舞台裏のカウベルをどこに設置するのだろうと思っていたら、なんと1階客席の中ほどの通路の左壁際に、カウベルとチューブラーベルをおいて、そこで演奏していました。やはりこれだけは普通に舞台裏で鳴らしてほしい、と思いました。
 
演奏終了後は、前日と同じに、5番のアダージェットがアンコールとして演奏されました。
 
演奏が終わってホールから出るときに、丁度1階客席通路のチューブラーベルとカウベルを片付けに来ていたオケの奏者の方に、カウベルの発音方法をお尋ねしたら、親切に良く見せてくださいました。カウベルの中に垂らした紐の途中に白く小さな固いものが付いていて、紐を振ってカウベルの中からその白いものをあてて、音を出すという方法で、初日に見て思った通りでした。


○おまけ:3回目の「拡大モットー」、各指揮者の扱い

上岡6番を2日連続で聴いた印象は強烈で、その後しばらく6番にはまってしまい、色々なCDを思いのままに引っ張り出して、全曲を聴いていきました。一つの曲をこれほど短期間に集中して聴いたのは学生時代以来かと思います。どれ聴いても面白いです。折角なので、3回目の拡大モットーがどのように演奏されているのかを、注意して聴いたので、書いておこうと思います。
 
アバド/BPOは3回目の音量をかなり落としているのがはっきりわかります。バルビローリ/NewPOやベルティーニ/ケルンRSO、それからギーレン/南西ドイツRSOも同じで、かなり音量を落としています。忠実派、ですね。おそらく今回の上岡さんもこのタイプだったのかと思います。
 
指揮者によっては、音量をやや落とす程度、の場合もあります。ティルソン=トーマス/SFSOは、少し落とす感じです。シノーポリ/POもそんな感じ。バーンスタイン/VPOも、多少音量を落としていますが、それでもついつい力が入ってしまう感じで、あまり落ちてません。それもまた良いですね(^^)。(余談ですがシノーポリは、弦のグリッサンドを随所でかなり強調していて、その点は上岡さんと似ています。上岡さんのグリッサンドはシノーポリよりもさらに目立ってました。)
 
3回目の拡大モットーに話を戻します。個性派もいます。テンシュテット/LPOは、fpを、かなり明確に意識して、アクセントのように演奏していて、なかなかの効果をあげています。セーゲルスタム/デンマークNRSOは、打楽器の最初の一音だけが強烈に打たれ、二発目からはすぐに小さな音になります。(スコアでは、打楽器はfではいって、2小節目の中ほどからデクレッシェンドしていく指定です。)
 
今も6番をポチポチ聴き続けていますが、この記事はこれで終わりにします。今月中旬にサロネン/POの6番を聴きますので、そろそろ6番のCDを聴くのを中断して、当日新鮮な気持ちで臨もうと思っています。またどんな体験になるのか、楽しみです。






Last updated  2017.05.08 19:10:13
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2017.04.16

3月11日に聴いた上岡敏之さんと新日フィルによるマーラー6番の演奏会のことは、以前アンコールについて記事に書きました。随分時間が立ってしまいましたが、あらためて6番の演奏自体についての感想を書きます。上岡さんのマーラーを聴くのは、ヴッターパール響との5番、読響との4番、新日フィルとの1番についで、今回が4回目です。

指揮:上岡敏之
管弦楽:新日フィル (コンマス:崔 文洙(チェ・ムンス)
マーラー 交響曲第6番

3月11日 すみだトリフォニーホール

弦は通常配置で、下手から第一Vn,第二Vn,Vc,Va,Cbです。ハープ2台とチェレスタは、舞台下手に固まって置かれるという普通の配置です。ハンマーは舞台最後部の丁度センター、指揮者と正面で相対する位置でした。

非常にユニークだったのは、舞台裏のカウベルとベルです。これが舞台裏でなく、舞台上でもなく、舞台のすぐ後ろの、舞台より高くなっているオルガン用の通路上、オルガンの左手に、カウベルとチューブラーベルが固まってセットされていました。しかも、カウベルは置いてあるのではなく、吊り下げられていました!大小取り混ぜた数個のカウベルが、並んで吊り下げられています。6番でカウベルを吊り下げる方式はかなり珍しいと思います。舞台裏に置かれたカウベルは見えないのでもちろんわかりませんが、舞台上のカウベルに関しては、僕の記憶の限りでは、2009年2月のハイティンク&シカゴ響と、同じく2009年6月のレック&東響だけが、この吊り下げ方式で演奏していました。特にハイティンクの吊り下げカウベルは、非常にデリケートな、極上の響きを実現していました。(これらハイティンクとレッグのカウベルについてはレック&東響のマーラー6番の記事に詳しく書きましたのでご覧いただければ幸いです。)なお今回の演奏での舞台上のカウベルは、吊り下げ方式でなく、普通に手で振って鳴らす方式でした。

第一楽章

いよいよ演奏が始まりました。第一楽章の開始、普通は最初から力の入った指揮が始まりますよね。ところが上岡さんは意表をつくように、とても力を抜いた軽い指揮ぶりで開始しました。オケは引き締まった音を発しているので、そのギャップがちょっと不思議な、肩透かしをくらったような感じがしました。その後上岡さんの指揮は次第に熱を帯び、力がはいっていきました。

基本的には速めのテンポです。そして緩急の変化が頻繁に、かつ大胆に行われます。聴く人によっては頻繁なテンポ変化を煩わしく思うかもしれません。僕も、この楽章で一番好きな演奏スタイルは、一貫してゆっくりと進んで行くやり方です。しかし、上岡さんのこの演奏は、テンポのいじり方というか動かし方が、とってもツボを押さえていて、かつ大事なところはゆっくりと演奏してくれるので、速めの割にはせせこましくなく、かなり良い感じです。

アルマの主題も、この傾向がはっきりしています。主題の始まりは速いのですが、主題の登場する直前とか、主題呈示の終わりあたりの聴かせどころをテンポを落としてじっくり歌わせてくれるので、なかなか良い味があります。

やがて中間部の舞台裏のカウベルが鳴らされるあたりになると、舞台の後ろのオルガン左の高い位置にセットされたカウベルにスポットライトが照らし出され、そばの椅子に座って待機していた奏者が立ちあがって、おもむろにカウベルを鳴らし始めました。高い位置なので遠くからでも鳴らし方がよく見えます。吊り下げられたカウベルの中から下がっている紐を持って、紐をゆすって、紐につけられた固い部分をカウベルの内側からあてて静かに鳴らしていると思われます。普通に手でカウベルを持って振って出すよりもずっとデリケートな音が出ていて、なかなか良かったです。しかし、高く良く見えるところで鳴らされるため、小さい音量とはいえ、楽器からの直接音がとても鮮明にストレートに聞こえて来てしまうのは、やはりすごく違和感があります。このカウベルは3番のポストホルンと同様に、何処から聞こえてくるのか良くわからないけれどどこか遠くから聞こえてくる音、として鳴らしてほしい音だ、という思いを改めて強く持ちました。

ちなみに先ほども少し書いた、ハイティンク・シカゴ響のときの舞台上のカウベルは、同じ吊り下げ方式でも、発音方法が違っていました。今回のように紐を揺らして中から叩くのではなく、外側からバチを使って静かにコーンと叩いていました。この音がもう繊細の限りで、カウベルの音とは思えないほどの極美の響きでした。後にも先にも、これ以上美しいカウベル音を、僕は聴いたことがありません。

上岡さんの演奏に戻ります。上岡さんの指揮はその後次第に熱を帯び、力がはいり、激しくなっていきます。フレーズによるテンポの緩急変化が大きいだけではなく、もっとミクロ的なテンポ変化、たとえばメロディの途中のちょっとした粘りや、一瞬の加速と減速がそこかしこに生じ、生き物のように有機的に、伸縮自在に続いていきます。演奏する方は大変だと思いますが、オケの方々はかなりの程度、指揮者にくらいついて、合わせていました。

第二楽章アンダンテ

楽章順が気になる6番ですが、第一楽章が終わり、長い間合いをとった後に始まったのは、アンダンテ楽章でした。これも基本テンポは速めです。僕は個人的には、アンダンテ楽章も一貫して遅い方が断然好きです。しかしこの演奏は速いけれども、第一楽章と同様に、要所要所はテンポを落としてやってくれるので、満足度高いです。

ところで、上岡さんのマーラーで、もっともユニークな特徴と言えば、弦楽器のポルタメントというかグリッサンドの扱いです。僕のこれまで聴いた4番、1番ともに、良し悪しはともかくとして、その個性が強烈に光っていました。今回も、上岡さん独特のグリッサンドが、個性全開でした。すでに第一楽章から何カ所かで聞こえていましたか、特に威力を発揮したのが、この第二楽章アンダンテでした。

僕は恥ずかしながらそもそもグリッサンドとポルタメントの違いが良く分かってなかったので、あらためて調べてみました。
http://楽典.com/gakuten/soshokuon.html#mokuji5
を引用させていただくと、
“ある音から次の音へと、2つの音をつなげて、滑らせて演奏することを「グリッサンド」といいます。”
“グリッサンドと似たものに、「ポルタメント」があります。両者の違いは厳密ではなく、また人によっても違いますが、おおむね「ポルタメント」は、前の音から次の音へ移る直前まで待って、短くグリッサンドすることをいいます。”
ということです。なるほど、なんとなくわかりました。
また、それらの記譜法についても同じサイトを見てみると、グリッサンドやポルタメントは、該当の音符と音符の間に、斜線あるいは波線を引いて現すこと、場合によってはその線に沿ってgliss.とかport.とか書くこともある、ということです。

さてマーラー6番のスコアを見てみると、例えばハープのパートには、該当の音符間に斜線が引かれているだけのこともあれば、斜線に加えてさらにgliss.と書かれていることもあります。どのみちハープではポルタメントっていうのは多分ないと思いますので、glissと書いてなくてもグリッサンドだなとわかります。ではこれが弦楽器ではどうなっているかを見てみると、弦楽器のパートに関しては、パラパラっと見ただけですが、該当の音符間に斜線が引かれているだけで、gliss.ともport.とも書かれていません。

さあそうすると、楽譜を額面通りに読めば、これをポルタメント的に弾いても、グリッサンド的に弾いても、どちらでも良いことになると思います。僕は門外漢なので全くわかりませんが、もしかしたら暗黙のお約束で、弦楽器の場合は何も書いてなくてもポルタメントとして弾くというのが、少なくてもこの時代までの音楽においては、当たり前の不文律なのかもしれません。実際、通常のマーラー演奏においては、弦楽器は、斜線で結ばれた音符をポルタメント的に、すなわち最初の音の高さをある程度長く保ってからその後に比較的速く音高が変化するように演奏されるのがほとんど当たり前ですよね。これが伝統的というか正統的な演奏法なのだろうと思います。

しかし上岡さんは、これをかなり徹底してグリッサンド的に演奏します。それだけ音高の変化がゆっくりと行われていくことになります。上岡方式のこのグリッサンドは、とりわけゆっくりしたテンポの箇所において、音高変化が極めてゆっくりと行われるため、非常に目立って、異次元から聞こえてくる音のような独特な効果を上げます。

今回の演奏も、第一、第三、第四楽章ともに、この弦楽器のグリッサンドはところどころで聞こえてきましたが、何と言っても際立った効果を発揮していたのが、このアンダンテ楽章でした。まずは第二楽章が始まって間もなく、第16小節の、第一Vnと、2拍遅れての第二Vn。それから練習番号56からのMisteriosoのところで、第121小節のチェロ、その少し後の練習番号58の第137小節の第一Vn。この4箇所が、いずれもゆっくりと上昇していくグリッサンドにより、独特な味わいが出ていました。特にMisteriosoの部分は、この楽章の中でも僕の非常に好きな部分の一つで、このあと盛り上がっていく前の、静謐で神秘的な美しい箇所です。ここのチェロの長大なグリッサンドは、異次元から聞こえてくる音のように、文字通り神秘的に響き、斬新でありながら音楽内容とよく合っていて、とても印象に残りました。

なお念のため、この箇所に限らず他の楽章でも、弦楽器のグリッサンド奏法が目立ったところが今回いくつかありましたので、後でスコアで見てみると、すべての箇所で、音符間の斜線が確かに書いてありました。上岡さんは、楽譜に書いていない箇所で勝手にグリッサンドをつけているのではない、ということを確認しました。その意味で、楽譜に書いていないことはやっていないんですね、一見エキセントリックに見えますが、楽譜に忠実なんですね。

この後の第二楽章最後の盛り上がりも、前の楽章と同じように、速めではありますが大事なところは少しテンポを落とし、少しも急がずに歌ってくれました。素晴らしかったです。

今回はひとまずここまでとし、続きは別記事に書きます。







Last updated  2017.05.05 10:55:30
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2017.03.11
上岡敏之さんと新日フィルによるマーラーを聴きました。心に残る演奏会となりました。

指揮:上岡敏之
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団 (コンマス:崔 文洙)

マーラー 交響曲第6番
3月11日 すみだトリフォニーホール

今日3月11日土曜日と、明後日13日月曜日の二日、錦糸町のすみだトリフォニーホールに、マーラーが響きます。今日が上岡さんと新日フィルによる6番で、明後日月曜日がインバルとベルリン・コンツェルトハウス管による5番です。ふたつがペアになり、

すみだトリフォニーホール開館20周年記念 すみだ平和祈念コンサート2017 《すみだXベルリン》

と銘打たれています。この記念演奏会にマーラー6番を選んだ上岡さんは、「魂を慰めるのではなく、今を生き、明日への希望を見出す人へのメッセージにしたい」と語っておられるそうです。

今日のマーラーは、美しく、苦しく、胸をかきむしられるような、素晴らしい音楽でした。これぞマーラー!

演奏の詳しいことは、後日書こうと思います。今日どうしても書いておきたいことは、6番演奏終了後のことです。しばらく拍手が続いたあと、突然に、アンコールが演奏され始めたのです。6番のあとの異例のアンコールです。

曲は、マーラー5番のアダージェットでした。ある意味今日の6番は前座で、本日のメインは、このアンコールだったといったら言い過ぎでしょうか。今日この場だけの、異例で、特別で、必然のアンコール。

2011年3月11日、この同じホールで、新日フィルがハーディングとともに奏でた、あの5番から、もう6年が経ちました。5番は今もなお、団員の皆様にとって特別な曲であるということ、そのことがまざまざと伝わってくるアダージェットでした。その想いの強さというか切実さに、胸が押され、涙が止まらない状態で聴いていました。きっと聴衆の多くが、同じだったと思います。

震災の深い傷から、被災地は少しずつ復興しつつあるとは言え、依然大勢の方々が避難生活を送っています。特に福島からの避難者は多く、心ないいじめがあるという報道には胸がいたむし、次々に生活支援を打ち切っていく国には憤りを感ずるばかりです。いろいろなことを考えながら、やや重い気持で帰宅しました。

けれど、上岡さんと新日フィルの皆様の、「今を生き、明日への希望を見出す人へのメッセージにしたい」というあついお気持ちは、今日の聴衆の皆の心に、きっと響き、届いたと思います。
素晴らしい音楽と素晴らしいメッセージを、ありがとうございました。






Last updated  2017.03.12 21:37:39
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2017.03.02
ヤルヴィとN響のマーラー6番ほかを聴きました。

武満徹 弦楽のためのレクィエム
マーラー 交響曲か第6番
N響横浜スペシャル
2月22日 みなとみらいホール

2日連続の特別公演の初日です。N響は2月28日から3月8日までヨーロッパ公演に行きます。全7公演中、武満は1回、マーラーは3回やります。海外公演直前の仕上げ練習という意味合いの公演ですね。

会場は大入り満員かと思いきや、割合に空席がめだちます。

最初は武満徹の弦楽のためのレクィエム。この曲が聴けるのは貴重な機会です。冒頭の最弱音から、さすがにN響の弦は繊細な美しい響きをだしていて、武満の音世界を堪能しました。

そして曲が終わると休憩なしでマーラーです。大勢の管楽器打楽器奏者が入場してきました。

オケの配置を書いておきます。両翼配置で、ハープは下手側で、第1Vnの後ろに、2台でなく3台。チェレスタはそれと相対するように上手側に1台。ハープとチェレスタの「両翼配置」は比較的珍しいと思います。あとは普通の配列で、ホルンは下手側、トランペットは中央にアシストもいれて7人が並び、トロンボーンとテューバが上手側でした。最後列の打楽器隊は、下手側からハンマー、タムタムや鉄琴や木琴、小太鼓、大太鼓、そしてティンパニ2セットでした。大太鼓がほぼセンターでしたから、上手側は割合に広い空間が空いていました。カウベルは多分4箇所に置いてありました。なおハンマーを打ちつけるのは、木製の箱でした。

演奏が始まりました。ビシッと引き締まった音楽で凄みがあり、時々ぞわぞわっと鳥肌が立ちます。やがて中間の舞台裏カウベルは、上手側のドアが開けられ、その裏で鳴らされました。その鳴らせ方が、ちょっと尖ったというか、刺激的な音だったのが独特でした。しかしこのカウベル、マーラーの意図したであろう、現実世界から離れた、彼方の世界からの響きというニュアンスは、個人的にはまったく感じられませんでした。

そのようにして第一楽章が終わり、続いて第二楽章はスケルツォでした。今は少数派となりつつある楽章順ですが、僕としてはこの順が好きです。

そして第三楽章アンダンテ。N響ですから上手いし、きちっと演奏していて、美しいところ、素敵だなと感じるところがあちこちにあります。しかしそれが長続きせず、すぐに分断されてしまうような感じです。何かが足りない、そんな思いがずっと付きまとって離れません。

第三楽章最後の盛り上がりを導く舞台上のカウベル(練習番号60の直前)は、多分4人がカウベルを持って鳴らしていました。その後の盛り上がったあとは、速めのテンポで演奏されて行きました。

第三楽章から第四楽章へは、アタッカで演奏されました。このようにアンダンテ楽章からフィナーレへと、アタッカでやってくれるのは、すごく良いことです。

第四楽章の序奏途中のカウベルと鐘は、第一楽章と同じく、舞台上手側のドアが開けられ、その裏で鳴らされました。ここでもカウベルが、第一楽章と同じように、やや尖った刺激的の音で叩かれていました。

この第四楽章、迫力には不足はありません。ホルンもトランペットもうまいし、ハンマーもずしりと決まっています。いよいよ最高潮の、複数が指定されているシンバル(練習番号161の直前)、ここはインバルがかつて5人で鳴らしたという伝説を聞いたことがありますが、今回のヤルヴィは、視認できた限りでも4人はいて、盛大に叩かせていました。こういうところはヤルヴィはきちんとやってくれます。ともかくこの終楽章、ガシッとした輪郭の音が強烈に鳴らされ、勇ましいです。この破壊的な音響というか音塊の凄さを楽しみ、満喫した方は多かったのかもしれません。

最後の一撃も、すこぶる強烈でした。残響が消えた後も、ヤルヴィがタクトを下ろしきるまで充分な静寂が保たれました。そのあとブラボーはそれなりにあがりました。

けれどこの6番を聴いて、僕の求めるマーラーと、ヤルヴィの目指すマーラーが相当に異なるということをまざまざと認識しました。2016年10月のマーラー3番と、あとマーラーではないですが同年12月に聴いたシューマンの3番で感じたことが、今回の演奏を聴いてさらに明白に感じられました。

まず素朴に言って、強奏時の音の響きが、きつくて耳に刺激的で、どうにも美しくありません。マーラー3番のとき、サントリーホールなのになぜこんなにうるさい響きになるのだろうと訝しく思いました。次に東京オペラシティで聴いたシューマンも、エッジの尖った激しい音作りで、僕はついていけませんでした。そしてここみなとみらい。ここは響きがとても美しいホールです。それなのに、このやたらに耳を刺激する、きつくて潤いのない音には、驚くばかりです。敢えてこういう音作りをしているのでしょうけれど、こういう音は僕はあまり聴きたくないです。

そしてもうひとつのこと。
この曲、村井翔氏がアドルノの見方に寄りそって分かりやすく書いておられるとおり、第一楽章と第四楽章の舞台裏のカウベルと、アンダンテ楽章全部が、現実世界と離れたところからの音楽です。どんなに憧れても、そこに行く、あるいはそこに安住することがかなわない世界の音楽です。

そして第四楽章では、憧れの世界を志向し、そこにたどり着こうとする懸命な営みが、くるおしく試みられます。激闘の果てに、ひとときそれを勝ちとったかのように思うのも束の間で、それはすぐに失われてしまいます。

ただ、このように言葉にすると、自分でも違和感があります。僕がこの曲を聴くとき、そのような、世界の二重性の狭間で揺さぶられる魂のドラマ、みたいに意識して聴いてなんか決してないです。何も考えず、ただ音楽の流れに浸っているだけです。それでも、突き詰めて考えると、きっと自分は、そういうアドルノ=村井的なところに心打たれているのだと思います。

対してヤルヴィはおそらく、そのような精神的な面には興味がないのでしょう。そのような表現が、ほとんど皆無の6番でしたから。もしかしたらヤルヴィは、マーラーの音楽の中にある、それとはまったく違う面、僕が想像もつかないような面に感ずるものがあり、それを表現しているのかもしれません。

マーラーの音楽には、途方もなく多様なものが内在していると思います。今回のようなアプローチのマーラーを支持する方々もいらっしゃるかと思います。でも僕には、このマーラー、だめです。

上記したような精神的な面に心揺さぶられる僕にとっては、今回のヤルヴィの第四楽章は、ただただ殺伐とした、無機的で破壊的な音が連続していくように聴こえてしまいました。






Last updated  2017.03.06 13:58:50
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2017.01.13

今年最初に聴いた演奏会は、アマオケによるマーラー3番でした。信じがたいほどすばらしい3番で、超弩級の感動をいただきました!まだ興奮冷めやりません。

指揮:坂入健司郎
管弦楽:東京ユヴェントス・フィルハーモニー
(コンサートミストレス:毛利文香)
アルト独唱:谷地畝晶子☆
ソプラノ独唱:首藤玲奈*
女声合唱:オルフ祝祭合唱団
児童合唱:中央区・プリエールジュニアコーラス☆

ブラームス 「アヴェ・マリア」 作品12  女声合唱と管弦楽のための
ヴォルフ 「妖精の歌」 女声合唱と管弦楽のための *
マーラー 交響曲第3番 ☆

東京ユヴェントス・フィルハーモニー 第14回定期演奏会
1月8日 ミューザ川崎シンフォニーホール

友人から教えてもらって知ったコンサートでした。初めて聴くオケ、初めて聴く指揮者です。オケのツイッターを事前に見たところ、ポストホルンほか、いろいろなところに相当なこだわりがあるようで、一体どんな3番が聴けるのだろうかと楽しみにして来ました。

演奏会は2部構成で、前半はブラームスとヴォルフの声楽作品が演奏されました。このオケ、柔らかく美しい音を出すことに驚きました。1曲目は女性合唱とオケだけの曲で、2曲目はこれにソプラノ独唱が加わる編成でした。ソプラノ独唱者は1曲目の始まる前から舞台の左端に目立たずに座っていて、1曲目が終わると指揮者の横にすっと歩んできて、そのまま間をおかずに2曲目が始まりました。普通だとドアがあいて独唱者が入場して、そのときについ拍手が起こり、音楽モードが一度途切れてしまいがちですから、音楽の流れを分断しないためのこの工夫が、光っていました。(2011年6月のハーディングとマーラー室内管とソプラノのモイツァ・エルトマンによるマーラーの交響曲第4番ほかのオール・マーラー・プログラムの演奏会のときも、同じような工夫がなされていました。)そして始まったソプラノの声は柔らかく、素敵な歌でした。

休憩のあと、マーラー3番です。

いつものように配置から書きます。今回ホールに入ってまず目を引いたのが、チューブラーベルの位置でした。Pブロックの最上部の右端に大きく鎮座しています。とても高い位置なので、期待が非常に高まります。
オケは両翼配置で、下手側から1stVn, Vc, Va, 2ndVnで、Cbは舞台正面の最後部に2列に11本が並びました。トランペット隊とトロンボーン&チューバ隊は舞台の右側に2列に並び、ホルン隊は舞台左側に2列に並びました。全体的に左右の対称性を意識した、きれいな配置です。ティンパニとシンバルも、舞台最後部の右端と左端に、左右対称に配置されていました。ほかの打楽器隊も左右に別れ、右側には大太鼓、小太鼓が、左側にはタムタム、鉄琴、トライアングル、タンバリンなどが位置しました。ハープ2台は舞台右端の最前部でした。それから指揮台のすぐ後ろ(指揮者にとってはすぐ前)に誰も座っていない椅子がひとつありました。普通に独唱者が座るのかなと思っていましたが、指揮者のすぐ前だったのがちょっと謎でした。あとになってこの椅子の用途がわかりました。

いよいよ演奏が始まりました。冒頭のホルン主題は「ギアダウン」しない、オーソドックスなテンポ設定です。(ギアダウンとは、例によって僕の勝手な命名ですが、大植さん、アルミンクさん、ノットさんなどが近年実行している方法で、ホルン主題の途中、上行音型のところで突然大きくテンポを落とす方法です。詳しくは2015年大植&大フィルの3番ほかの過去記事をご参照ください。)そしてそのあとすぐに、この演奏の驚くべき非凡さが、早くも現れました。ホルン主題の呈示が終わった直後の、第11小節からのトロンボーンの和音群と、それに交代して第14小節から始まるホルンの和音群です。これらの響きが、はっとするほど新鮮で絶妙なバランスで鳴らされ、またトロンボーンからホルンに受け渡されるその「うつろひ」が、これほどの意味というか感興を持って奏されることを、初めて体験したのです。この、単なる移行句と僕が思っていたところが、こんなに魅力的な音楽に響くとは、とんでもなくすごい、ただならないことです。これを皮切りに、比較的遅めのテンポで歌われていく第一楽章のそこかしこに、はっとするような美しい瞬間が、次から次へと繰り広げられていきます。もう心が奪われっぱなしになりました。

いつも書いているように、この楽章には途方もなく多様なものが含まれています。そのうち僕にとってとても大事なものの一つが、夏の訪れを、命の息吹を喜ぶような、温かな、幸福的な感じです。この感じを十分に歌ってくれる演奏はそう多くはありません。近年では2005年シンフォニーホールでの大植英次&大フィルの演奏がダントツでしたが、今夜は、それ以来の演奏ではないかと思います。この明るく、幸福で、豊かにあふれる歌心は、なんということでしょうか。この指揮者、とんでもなくすごいです!

そしてこのオケ、実にうまいです!特に弦楽セクションの響きの美しいことは信じられないほどで、これまでにこの曲を聴いたいくつかのプロオケの弦を、明らかに上回ります。コンサートミストレスは、プログラムによると世界的コンクールに優勝・入賞している方ですので、今後プロの演奏家として活躍されていくべく、当然のようにすばらしかったですが、他の方々もかなりのもので、ひたすら美しい響きを奏でてくれます。それからトランペット首席さんも、柔らかな美しい音で素敵です。

指揮者の細部のこだわりも多々ありました。たとえばトロンボーンのモノローグが終わって、夏の行進が小さく始まってしばらく続いていくところ(練習番号21~25と、63~65)は、弦の各パートがそれぞれ半分の奏者で弾くように指示されています。普通に見かけるのは前方の半分のプルトの奏者が弾く方法です。今回もそうだったのですが、良く見ると、1stVnが前方の4プルト(8人)で弾いているのに対して、2ndVnは前方の5プルト(10人)で弾いていました。きっと練習の結果、音のバランスを考慮してこの人数にしたのでしょう、実にきめ細かい配慮です。

それからホルン主題再現の直前の舞台裏の小太鼓(練習番号54)は、もちろん舞台裏(舞台右側の裏手)でやってくれましたし、単にドアのすぐ裏で距離感がないやり方ではなく、適度な距離感を持つように響かせていました。しかもそれだけでなく、小太鼓奏者の出入りにも、細かな工夫がほどこされていました。今回の小太鼓は、基本の位置は舞台右手の奥の方でした。小太鼓奏者が舞台裏に移動するとき、そこからだと長い距離になって時間的に余裕がありません。そこで舞台右手のドアのそばに中継地点として、もうひとつの小太鼓を用意しておいたのです。そろそろ練習番号54が近づいてきたという時に、小太鼓奏者がまず基本位置から中継地点に移動して、そこで小太鼓を少し叩き、54のところですかさず舞台裏に引っ込み、舞台裏の小太鼓を叩き、それが終わると舞台上に出てきて、すぐまた中継地点の小太鼓を叩き、ひと段落してからゆっくりと基本位置に移動する、という用意周到さでした。この小太鼓奏者さんは、舞台左側にあるタムタムや鉄琴なども担当されていて、そのためときどき舞台の最後部を通って左側と右側を行ったり来たりしていたのですが、その移動の仕方も、音楽がppで静まるところでは移動の途中でもその場に静止して音楽を妨げないようにして、また音楽がppでなくなると移動を再開するという、なんとも細心の注意を払っていました。

ホルン主題の頂点で鳴らされるシンバルの数だけが、マーラーの指定(呈示部2人、再現部はさらに多く)とは異なり、どちらも二人でした。これがたとえば、再現部は左右二人ずつで4つのシンバルを鳴らしたら、完璧だったと思います(^^)。でも二人ではありましたが、舞台奥の両端に分かれての左右対称の位置で堂々と派手に鳴らされたので、視覚的効果はかなりのものでした。

ともかくこの演奏は、そこで生じている音楽そのものがあまりに豊かなので、もはや一つ一つのちょっとした細かなことはまったく気にならず、すべてよし、と満足させてくれます。本当に充実した第一楽章です。

第一楽章が終わると、指揮者は自分のすぐ前に置いてあった椅子にオケの方を向いて座って、一休みを取り始めました。これはなかなか個性的なスタイルですね。このタイミングで一時的に舞台から退場する指揮者も稀にありますが、それよりは舞台上に残った方が、なんとなく心理的な連続性が保たれて、ずっと良いと思いました。それで適度にくつろいでいる様子が伝わってくるので、こちらとしてもちょっと気持ち的に一休みの感じになりました。そして合唱団がP席に入場してきました。この児童合唱は、あとでプログラムを見たところ、小学校1年生~高校生まで約100人が在籍し、これまでプロムジカ合唱団やカンテムス合唱団の歓迎演奏にも出演しているそうです。この演奏には50人強が出演していて、かなり小さい子が多数参加していることに好感を持ちました。

合唱団の配置と人数は、5列からなるP席の前方3列に児童合唱(50人強)、その後方2列に女声合唱(50人弱)でした。3 番公演では女声合唱よりも児童合唱の方が少人数のことがほとんどで、いつも「もっと児童合唱の人数を増やすか、女声合唱を減らしたらいいだろうな」と思うことの多い僕にとっては、人数バランスは理想的です。あとは上下の配置を逆にして児童を上にしたら、最高だったです。もしかして児童合唱に小さい子が大勢いるので、女声合唱の後ろに配置すると指揮者が見えにくいということから、この上下関係にしたのかもしれません。でも2010年の尾高&札響のキタラでの3番では、下に女声合唱、その上を一列あけて、その上に児童合唱という考えられた配置をとっていましたから、それに似た何らかの工夫をすれば、児童合唱を上にしてベルと同じ高いところに置くことが可能と思いました。

さて、その次に始まった第二楽章が、やさしく愛らしく、絶品の第二楽章でした。いつも書いているように、3番の演奏で大きな差が出るのは第二楽章です。オケのツィッターを事前に見たところ、「来日中のウィーンフィルのVn奏者に急遽指導してもらったところ、とても難しかった第二楽章が、途端にウィーンの音がして驚いた」と書いてありました。確かにそのとおり、たおやかで美しく、実にチャーミングな第二楽章でした!このような第二楽章も、そうたびたびは聴けません。

第三楽章も、急がず落ち着いた、絶妙のテンポで、ふくよかに歌われていき、これも何とも素晴らしいです。そしてポストホルンの出番がやってきました。オケのFace Bookを事前に見たところ、12月14日の投稿で、チェコ製のポストホルンを使い、ホールを貸し切りにして、吹く位置を事前にじっくり検討したということです。その甲斐あって、ポストホルンは充分に遠くから、美しい音色でホールに豊かに響きました。

終演後に舞台に出てきた奏者の持つ楽器を視認したところ、Face Bookの写真の通りの、小さなポストホルンでした。最近のプロオケでは、完全装備のような大型のポストホルンをまれに見かけることがありますが、そうではなく、普通の小さな楽器でした。この楽器をアマチュアが演奏するのは相当に難しいでしょう、音程など不安定なところもそれなりにありましたが、それもかえって郷愁をそそるような、なんともいえない良い味がでていました。距離感、響き、音色、心意気、すばらしいポストホルンでした。

ポストホルンを吹いた位置は、演奏中には僕の席からは確認できませんでしたが、あとで友人に尋ねたところ、彼の席からは丁度良く見えたということでした。ホール最上階の4階席のドアを開けて(ホールの座席表を見ていただくとるとわかりやすいです、この座席表の4-R1か4-R2の扉と思います)、その外で客席の方に体の正面を向けて吹いていて、丸い楽器が良く見えたということでした。

第三楽章が終わると、舞台右端にいつの間にか座っていたアルト独唱者が、すっと席を立って歩いてきて、指揮者の左横に立ち、歌う態勢をとりました。もちろん拍手は起こりませんでした。(僕は気が付きませんでしたが、友人によると、第一楽章が終わって合唱団が入ってきたときに独唱者も入って、座っていたということです。プログラム前半のソプラノ独唱者と同じように、音楽の連続性を大事にするための、良い工夫ですね。)

そして始まった第四楽章も、極めて味わい深かったです。アルトの谷地畝さんの声が深々として、じわっと胸に沁みてきます。この楽章、メゾ・ソプラノで歌われることも多いですが、このような歌を聴くと、やはりアルトのために書かれた曲だなぁということをしみじみ実感します。今夜のアルト谷地畝さんの声の質は、アルトの坂本朱さんの声質に似ていました。あぁここでも思い出すのは、やはり2005年の大植&大フィルとアルトの坂本朱さんが歌った第四楽章です。忘れもしないあのとき、坂本さんの歌が胸にすとんと落ちてきて、ただただ涙が止まらなくなりました。僕が第四楽章の深い魅力に初めて目覚めたときでした。

それから第四楽章では弦楽もとても重要ですが、ここもとても魅力的でした。聞かせどころの練習番号5、第一第二のVnがオクターブのユニゾンで旋律を奏でるところで、両者のバランスが絶妙に調和していて、極上の響きが実現していました。

第四、第五、第六楽章のアタッカは、この指揮者なら当然でしょうけれど、AA方式でした。(アタッカの○○方式に関しては、「関西グスタフ・マーラー響の3番を聴く その3」をご参照ください。)今回合唱や独唱の起立着席を実際にどうやったかというと、第四楽章の終わる少し前の演奏中に、合唱団を静かに立たせるという方法でした。そして第五楽章では、アルト独唱が自分の出番が終わると、そのまま演奏中に舞台上の右端の元の席に戻っていき着席するという、かなりユニークな方法をとっていて、ちょっとびっくりしました。演奏中に移動するという方法には、個人的にはやや抵抗感がありますが、これによって、続く終楽章の間ずっと、独唱者が何もせずに指揮者のすぐ横の目立つところでただ座っているだけ、という事態は避けられるわけですね。(結局、指揮台のすぐそばに置かれていた椅子は、指揮者が第一・第二楽章間に座って休むためだけに使われ、アルト独唱が座ることはありませんでした。)合唱団は起立したまま歌い切り、そのまま立ったままで終楽章が開始されました。

この第五・第六楽章間は、長すぎず短すぎず絶妙の間合いで、高い緊張感が張り詰めた、素晴らしいアタッカでした。そして合唱団は、終楽章が始まって少ししてから静かに座りました。立つときもそうでしたが、一斉に整然と立ったり座ったりするのでなく、適度にばらけているのですが、これは温かみが感じられて好ましかったです。ともかくこの指揮者坂入さんのやることは、すべてに温かい人間味を感じて、とても好ましく感じられます。同じことを他の人がやったとしたら、きっと違う印象になるのではないかと思います。坂入さんの天性の包容力の大きさというか、天真爛漫さというか、そういう人間的な大きな魅力を、とても感じます。

終楽章も、全体に十分にゆっくりしたテンポ設定で、実に素晴らしいです。ホルンを中心に大きく盛り上がるところだけは多少加速して(2015年のノット&東響はここも徹底して遅くやっていたのが独特でした。あれもすごかった。)、それ以外は悠然とした歩みをいささかも崩さず、安心して音楽に身を任せられました。練習番号26の金管コラールもトランペットが踏ん張ってきっちり決めてくれました。そして練習番号29からの主題を最後に高らかに歌いあげるところや、練習番号32からのティンパニーの大いなる歩みも、テンポを少しも速めず、ゆったりとスケール大きく歌ってくれて、大満足です。(アルミンクなどのように、これらを少し速める指揮者も少なくなく、それはそれの魅力もありますが、個人的にここは、ゆっくりとしたまま悠然と歌いあげてもらいたいところなのです。)

そして最後の長い主和音にも驚きがありました。この和音がかなり長く伸び、指揮者は正面を向いて両腕をだんだんと上げていき、このまま終わりになるのかと思っていたそのときです、突然指揮者が第一Vnの方を向き腕や体を大きく動かし、弦にもうひと粘りをさせたのです!ここでこういう振り方は、見たことがありません。結果、弦の音が管より少し長く残り、音量的にもややディミヌエンドして、なんとも新鮮で美しい余韻をもって終わったのでした!これに似た体験としては、かつて2006年7月にサントリーホールで準・メルクルが国立音大オケを振った3番で、最後の主和音で一瞬弦の音を管よりほんのわずか長く伸ばして終わったのを聴きました。その時の余韻が、とても新鮮で美しいと思いましたが、今回はそれを上回る、実に美しく繊細な余韻が、ホールに残って、そして消えていきました。

残響が消えても、誰も拍手せず、完璧な静寂が保たれました。3番でこういう静寂がきちんと保たれるのは、最近のプロオケではときどきありますが、アマオケではかなり稀なことです。これもこの演奏の力です。やがてしばらくして、指揮者のタクトが降りきってから、ゆっくりと拍手が始まり、大きく広がっていきました。

拍手と歓声を受けながらの、指揮者とオケの方々とのやり取りの雰囲気を見ているだけでも、指揮者のお人柄が天衣無縫というか、素直で純粋で温かく包容力があるのだろうと想像できましたし、またオケの方々とのあつい信頼関係が強く伝わってきました。

全体通して、傷や音落ちは、多少ありました。しかしそんなことはまったく些細なことです。この演奏の呼び起こした大きな感動と幸福感は、いささかも揺るぎのない確かなものでした。

第一楽章から第六楽章まで、全部素晴らしい3番でした。
細部のこだわりが素晴らしいし、曲全体としても素晴らしい3番でした。
素直で、やさしくあたたかく、生命肯定的で、大きな大きな、3番でした。
マーラーの意図を尊重し、まばゆい個性が輝き、聴く者の心を幸せにしてくれる3番でした。

感動体験は上書きされていくのかもしれませんが、僕の数多く聴いてきた3番、プロアマを全部合わせた中でも、屈指の名演と思います。

坂入さんは現在28歳。真の天才ですね。もしもマーラーの生まれ変わりがいるとしたら、それはきっとバーンスタインでしょう。そしてもしもバーンスタインの生まれ変わりがいるとしたら、それはもしかしたら坂入さんかもしれません。この3番を聴くと、そんなふうに思ってしまいます。(←冷静に考えると、実際には坂入さんが生まれた2年後にバーンスタインが亡くなっていますので、生まれ変わりではないです。)
しかも噂によると、この坂入さんはブルックナーもすごいらしいのです。これはブルックナーも聴いてみたいです。

坂入さん、オケの皆様、歌の皆様、素晴らしい3番を、ありがとうございました!!

 







Last updated  2017.01.14 21:26:25
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