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じゃくの音楽日記帳

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演奏会(2010年)

2011.01.04
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カテゴリ:演奏会(2010年)

2010年回顧シリーズ(^^)の最後は、自分にとってのベストコンサートを書きます。今回は大胆にも敢えて順位をつけてしまいましたが、もちろん順位にはそれほど大きな意味はありません。自分が受けた感動の大きさという視点に、演目の稀少度(自分にとっての貴重度)なども加味した、あくまでパーソナルな(自分勝手な)ランキングです。

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  1.   3月16日 すみだトリフォニー: チッコリーニほか ベートーヴェン ピアノ協奏曲第3番、第4番
  2. 10月16日 サントリー: スクロヴァ&読響 ブルックナー/交響曲第7番
  3. 11月22日 サントリー: ヤンソンス&コンセルトヘボウ マーラー/交響曲第3番
  4. 12月 3日 サントリー: ドレスデン聖十字架合唱団ほか バッハ/マタイ受難曲
  5.  5月21日 すみだトリフォニー: アルミンク&新日フィル ドビューシー/ペレアスとメリザンド
  6.  2月20日 サントリー: 大植&大フィル R.シュトラウス/アルプス交響曲
  7.  2月28日 神奈川県立音楽堂: ニケ&ル・コンセール・スピリチュエル パーセル/アーサー王
  8.  2月17日 新国立劇場: エッティンガーほか ワーグナー/ジークフリート
  9.  3月24日 新国立劇場: エッティンガーほか ワーグナー/神々の黄昏
  10. 11月 9日 紀尾井: 藤村&リーガー マーラーほかの歌曲
  11.  7月 8日 サントリー: カンプルラン&読響 マーラー/大地の歌

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第1位はなんといってもチッコリーニ。音楽の純粋な力、その途方もない大きさの一端をかいまみたような、すばらしすぎる体験でした。これは完全に別格です。永久名誉桂冠演奏会。

第2~4位は、僕の大好きなブルックナー、マーラー、バッハの定番名曲を、充実した演奏で聴けたコンサートでした。第5位のドビュッシーのオペラは、僕はこのときに初めて聴きました。音楽の美しさとともに、演出の妙がすばらしく、セミ・ステージ形式の上演ながら、見ごたえ聴きごたえがありました。第6位の大植さんは、大フィルから、ここまで出るかという極美のサウンドを引き出していました。第7位のパーセルは、まさかのまさか、アーサー王がニケの演奏で聴けた、という稀少価値が大きく、ランキング入りしました。これは是非独立した記事に書きたかったのですが、時間がたちすぎてしまいました。アーサー王についてはいずれ機会をみて書きたいと思っています。第8,9位のワーグナーは、2009年に引き続く指環上演の後半2演目でした。奇抜で音楽を尊重しない演出にはいささか興が削がれたものの、歌・音楽はすばらしく、めくるめくワーグナーの音宇宙を堪能しました。これも滅多に聴けない貴重な体験でした。第10,11位は、「2010年のマーラー演奏会を振り返って」の記事に書きました。

2010年は自分の生活としては限界までコンサートに通った(通えた)年でした。今年は諸事情からこれほどは通えないと思いますが、都合のつく範囲で聴いていきたいと思います。







Last updated  2011.01.10 15:53:44
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2011.01.03
カテゴリ:演奏会(2010年)

正月休みも今日で終わりです。昨日にひき続き、今度は2010年のブルックナーの演奏会をまとめておきます。

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  • 4番  クレー/都響              10月25日 サントリー
  • 5番 ブロムシュテット/N響    4月22日 サントリー
  • 7番 尾高/N響                    5月14日 NHK
       同上                          5月15日 NHK
       ルイジ/PMF                8月4日 サントリー
       スクロヴァチェフスキ/読響 10月16日 サントリー
  • 8番 インバル/都響             3月25日 東京文化会館
       スクロヴァチェフスキ/読響  3月26日 サントリー
       ティーレマン/ミュンヘン 3月28日 サントリー
       チョン・ミョンフン/東フィル11月19日 サントリー
       スダーン/東響          11月27日 サントリー
       尾高/読響               12月13日 サントリー
  • 9番 尾高/東フィル            2月18日 東京オペラシティ
       ハウシルト/新日フィル 3月13日 すみだトリフォニー
       メスト/ウィーンフィル  11月9日 サントリー
       スダーン/東響           7月11日 サントリー

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2010年のブルックナーは、スクロヴァチェフスキの7番にもっとも深い感銘を受けました。スクロヴァのブルックナーは皆すばらしいけれど、7番が特にすばらしいと個人的には思います。

あとほかに聴いた昨年の7番は、尾高さんは第一・第二楽章を軽めに流し、第三・第四楽章に重みをおいた演奏で、僕の好むやりかたと逆で、楽しめませんでした。ルイジは、部分的にゆっくり演奏して味わい深いところは多々あった(第一楽章第一主題や第四楽章第二主題など)けれど、全体の流れの一貫性が感じられず、やはり僕としては入り込めない演奏でした。

次に8番です。昨年はいろいろな版の8番が聴けて有意義でした。インバルが第1稿。あとはすべて第2稿で、スクロヴァがノヴァーク版ではありますが言わば「スクロヴァ版」、スダーンとチョンがノヴァーク版、 ティーレマンと尾高がハース版でした。僕が感銘をうけた演奏は、スダーンとティーレマンでした。

インバルは第一稿という点では貴重でしたが、演奏スタイルはフランクフルト放響とのCDと同じでいかにもテンポが速すぎて、この稿の魅力を生かしてないと思いました。(シモーネ・ヤングさんのような演奏こそ第一稿の魅力を伝えてくれると思っています。)いずれにせよ第一稿による演奏がもっともっと増えていってほしいものです。第一稿のすぐれた演奏が増えていったら、将来はハース版は中途半端なものとして存在意義が薄れていくかもしれないと思います。

チョン・ミョンフンのブルックナーは、3年ほど前に東フィルとの6番、N響との7番を聴きました。東フィルとの6番は、テンポがやたらに速くてせせこましく、つまらない演奏でした。しかしその直後に演奏されたN響との7番はまったくスタイルが違って、ゆったりとしたテンポでスケールの大きい名演でした。その格差の大きさに驚いたものです。それで今回の8番は予想がつかないで臨みましたが、結果的には凡庸な演奏でした。東フィルは、ともすれば音が荒れてうるさく聴こえてしまうことが少なくなく、今回もそうなってしまいました。チョンは東フィルから現在最高の称号(桂冠名誉指揮者)を与えられている指揮者ですが、東フィルを演奏する機会が激減しつつあり、もはや東フィルと相性が良くないのでは、とまで思ってしまう演奏でした。

スダーンの8番は、昨年の記事に書いたように、早いテンポでひきしまった、すばらしい名演でした。昨年同じく東響と演奏された9番とはかなり異なるスタイルで、良い意味で予想を裏切られました。ノヴァーク版第二稿の特性をうまくいかした演奏でした。

一方ハース版の良さが出ていた演奏としては、ティーレマン。ミュンヘンフィルの実力もあって、こちらは予想通りの、堂々たる鳴りっぷりの8番の響きを、充分に堪能しました。同じくハース版を用いた尾高さんの8番は、3台のハープを使用し、尾高さんらしく誠実で丁寧な演奏ではありましたが、丁寧すぎて音楽の推進力が失われてしまった感があり、残念でした。

9番は、ウィーンフィルの来日公演が指揮者とプログラムが二転三転し、結局メストの指揮で聴きました。第二楽章の途中で入りのタイミングの目立つミスが出たりして、ウィーンフィル本来の調子ではなかったと思います。それでもウィンナホルンやワーグナーチューバの渋い音色はいぶし銀の魅力があり、この音色で9番を聴けただけでもありがたい体験でした。

昨年聴いた9番で個人的にもっとも感動したのは、尾高&東京フィルでした。会場は東京オペラシティでした。このホールではうっかりすると金管がきつくうるさく響いてしまい、特に東フィルではその傾向が強く、2階で聴いた友人はそのような感想を話していました。僕は1階平土間のかなり前のほうで聴きました。幸いにもこのあたりの席だと金管の響きがかなりマイルドに緩和されて聴けるので、うるささが気になりませんでした。そして尾高さんの指揮も、悠然としたもので、スケールある音楽が立ち現れていました。昨年は尾高さんの7番(N響)、8番(読響)、9番(東フィル)を聴きましたが、9番がずば抜けて良い演奏でした。

さて2011年は、どんなブルックナーが聴けるでしょうか。早くも2月には、大植&大フィルの9番がありますね。心して聴きたいと思います。ほかに注目は、やはりスクロヴァチェフスキ。10月にザールブリュッケンを率いて来日し、4番と9番をやります。(読響とは2012年3月の3番までお預けです。)そして読響といえば、われらが下野竜也が読響でついにブルックナーを振ります。7月に4番です。時は熟し、スクロヴァから「君、そろそろいいよ」と許可が出たのでしょうか。楽しみです。







Last updated  2011.01.04 00:37:05
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2010.12.23
カテゴリ:演奏会(2010年)
12月3日サントリーホール、ドレスデン聖十字架合唱団ほかによる、バッハのマタイ受難曲を聴きました。合唱、独唱、器楽、指揮、みなみなすばらしく、感動のひとときでした。

ドレスデン聖十字架合唱団
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:ローデリッヒ・クライレ(聖十字架教会カントール)
ソプラノ:ユッター・ベーネルト
アルト:マルグリート・ファン・ライゼン
テノール(福音史家):アンドレアス・ヴェラー
バス(イエス):クラウス・メルテンス
バス:ヘンリク・ベーム

バッハのマタイ受難曲。この音楽を初めて聴いたのは、タルコフスキーの映画「サクリファイス」の冒頭場面に流れるアリアでした。もう20年以上前、まだバッハの声楽曲にはほとんどなじみがない頃で、この音楽の意味がわからないばかりか、音楽自体にもそれほど心に響くものを感じませんでした。

僕が一番最初にバッハのマタイを生で聴いたのは、その少し後の頃だったと思います。オーチャードホールで、ロッチュ指揮、聖トーマス教会合唱団ほかによる演奏会でした。マタイ受難曲をほとんど聴いたことがないまま、ともかくご当地の演奏だから聴いてみようくらいの気持ちでした。少年合唱のコラールの響きがとても美しかったです。でもその他のことは良く覚えていません。まだ当時の自分には、マタイを受容する準備が整っていなかった、ということです。

その後、ガーディナー盤のCDを買い、少しずつマタイを聴きました。それでもなかなか僕にとってはなじみにくい音楽でした。大きな転機になったのは、90年代半ばに出版された礒山雅氏著の「マタイ受難曲」を買ったことです。とてもわかりやすく書かれたこの本を読みながら音楽を聴いていくことで、ようやくマタイの意味がわかり、音楽が少しずつ心に響いてくるようになりました。そしてマタイと言えばもう1冊、柳田邦男氏著の「犠牲 サクリファイス わが息子・脳死の11日」を丁度その頃に読んだことも、僕にとっては大きい体験でした。この本の中で重要な位置を占めるマタイ受難曲、その音楽の大きさ、深さを、マタイになじみつつあった僕は、漠然とながらも強く実感しました。この2冊の本との出会いがなかったら、マタイへの興味・共感を持つのにもっともっと時間がかかった事は間違いなく、その意味で僕にとって貴重な出会いでした。

次にマタイを生で聴いたのは、2003年4月のバッハ・コレギウム・ジャパン。彼らのアメリカ・ツアー終了直後の凱旋公演として、カザルスホールでヨハネ受難曲、東京オペラシティでマタイ受難曲、カザルスホールでマタイ受難曲と、3日続けての演奏会が行われときでした。丁度このときは、僕自身の仕事が大きく変わったときで、自分にとっての大きな節目のときでした。そのときにこの演奏会を3日続けて聴いたことで、またこれから頑張って行こうという自分の気持ちの区切りにもなりました。

その後、バッハ・コレギウム・ジャパンの定期会員になった関係で、彼らの演奏によるマタイを毎年聴くようになりました。一昨年には東京オペラシティで、聖トーマス教会合唱団ほかのマタイを、約20年振りに聴きました。回を重ねるたびにマタイの理解が深まる、かどうかはわかりませんが、マタイにだんだんと慣れ親しんできているのは確かです。信仰とは縁のない自分ですが、マタイの音楽の素晴らしさが、じわじわと体にしみてきています。

そして今回聴いたドレスデン聖十字架合唱団ほかによるマタイ。飾らず、ひたむきな、素晴らしい音楽でした。自分のマタイ体験の中でも、格別に感動的なものでした。

今回、親切に字幕があって、意味が分かりやすくて、良かったです。(バッハ・コレギウム・ジャパンの演奏会では字幕がありません。プログラムあるいは解説書などの日本語訳を見ながら聴けばわかるのですけど、それだとついつい手元ばかり見てしまいがちです。折角の演奏会なので演奏者も見ながら聴きたいと思う僕にとっては、字幕はやはり直感的に理解しやすくて、とても良いです。)

アルトは、カウンターテナーでなく女声のアルトでした。カウンターテナーもいいですが、僕はこの曲のアリアは良いアルトで歌われるのが好きです。今回のアルト歌手は、少しこもった感じの独特な声質で、ちょっと神秘的で、この音楽にあっていて、とっても気に入りました。この人、マーラーの大地の歌のCDを録音しているそうで、聴いてみたいと思います。

福音史家は、美声で、切々とした情感がこもっているかと思えば、ときに非常に劇的な迫力の表現もあり、熱唱にひきこまれました。イエスは、福音史家と対照的に、劇的な表現を抑え、静かな威厳と気品が保たれていて、とてもよかったです。

そして少年合唱が、すばらしかったです。この合唱団は、なんと800年!の歴史を持ち、現在は9歳から19歳までの男子150名からなるということです。彼らだけでソプラノ、アルト、テノール、バスの全パートが歌われました。とりわけコラールの響きは、このような少年合唱で歌われると、もうなんとも言えない響きです。

指揮の聖十字架教会カントールのクライレさんは、ゆったりしたテンポで、間合いをとって、音楽をじっくりとまとめてくれていました。こういうバッハ、僕はとても共感を覚えます。

演奏終了後、残響が消え、まだ指揮者が手をあげたままのときに、拍手がぱらぱらと始まりかけました。しかしその拍手はすぐに止んで、ホールは再び静寂につつまれ、しばらくして指揮者が手を下ろしてから、拍手が始まりました。その後温かな拍手が続き、スタンディングする人も少しずつ増えていき、僕も立って、彼らに感謝の拍手を心から送りました。ありがとうございました。

バッハ・コレギウム・ジャパンによるマタイは、毎年毎年新しい試みとして版や楽器の工夫を凝らしています。鈴木雅明さんのたゆまぬ研究意欲と情熱には頭が下がりますし、演奏者の超ハイレヴェルな技術(とりわけ器楽陣)から生まれる繊細で緊張感ある音楽は実に聴き応えがあります。彼らの音楽は、どちらかといえばとんがった方向、といったら語弊があるかもしれませんが、なにかしらユニークなものを生み出そうという姿勢(もちろん良い意味で)が感じられます。それと比べると、今回のドレスデンのマタイは、素朴というか、より自然体です。親から子へ、またその子へと脈々と受け継がれてきている、信仰と生活の共同体。その基盤の上で、日々ひたむきに修練することで、はじめて生まれ出てくる音楽。生活が伝統に根付いていて、その中から形作られてくる音楽。

その音楽が、共同体を超えて、世界の人々の心に滲みていく。







Last updated  2010.12.23 19:59:32
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2010.12.15
カテゴリ:演奏会(2010年)
もう今年もあと2週間あまり。今年行ったコンサートで感想を書いておきたいものを、少しでも書いておこうと思います。古いものも出てくるかもしれませんが、ご容赦を。

11月27日、ユベール・スダーン指揮、東京交響楽団によるブルックナーの8番を聴きました。東京交響楽団第583回定期演奏会、サントリーホール。

ノヴァーク版第2稿(すなわち従来からの通常のノヴァーク版)による演奏でした。

スダーンのブルックナーは、今年7月に同じく東響を振った9番を聴いたのが初めてで、今回は2回目です。9番のときは、引き続いてテ・デウムを演奏するという趣向でした。(第三楽章の終了後に、休憩なしで声楽陣が入場してきてテ・デウムが演奏されました。)演奏には非常に気合いが入っていて、その意気込みの強さと真剣さには敬意を抱きましたが、如何せんテンポの変化が激しくて、煩わしくて落ち着かず、僕としては不満な9番でした。

今回の8番も同じようなスタイルになるだろうかと想像して、あまり期待しないで来場しました。ところが9番とはまったくスタイルが違って、早めのテンポを基本としつつ、テンポを大きく動かすことがなく、実にきっちりと引き締まった8番で、東響の音も充実していて、満足できるブルックナーが聴けました。

スダーンさんは、第一楽章出だしから、本当に集中して気合いが入っていました。僕はP席でスダーンさんの向かい合わせで聴いていたので、スダーンさんの息遣いというかつぶやきというか、ささやきが良く聴こえてきました。「ささやき」と書きましたが、ふつうのささやきとは違って、口を大きく動かし、「しょわーっ!、はわしゅわーっ!」というような、ちょっと異様なもので、結構な大音量で、ほぼひっきりなしに口ずさまれていて、結構驚きました。しかし、そんなことは問題に感じないほど、音楽には緊張感があり、充実していました。第二楽章になると、さらに音楽が引き締まって来て、隙のない音楽が続いていき、このあたりから「この演奏は凄いぞ」と思い始めました。ティンパニを控えめに打たせていたのも、音楽の内的緊張感を高めていて、いいな、と思いました。

そして第三楽章からが、さらに凄かった。相当早めのテンポで開始され、そのままゆるむところがなくぐいぐいと進みます。かといってインテンポで突き進むわけではなく、ツボを押さえた微妙なアゴーギグがあるので、せせこましい感じが全くしません。これは素晴らしい。シューリヒトを思い出す、古武士のような、潔くも美しいアダージョで、すっかり音楽に引き込まれました。

終楽章も同じような早めのテンポです。金管群の充実は素晴らしく、オケの音は本当に良く鳴っていて、力強いですけれど、決して力任せでないんです。程よく抑制が効いていて、力と品格を兼ね備えています。そして最後の最後に、ホルンが第二楽章の主題で入ってくるところで、ホルン隊が突如のベルアップ!このベルアップの効果は、圧倒的でした。音楽のタイミング的に最高のときでしたし、視覚的にも、ベルがしっかり上がって揃っていて、毅然としていてかっこよかったです。そして何より音響的に、もともと堂々として素晴らしかったホルン隊の音が、より一段とパワーアップして、決然と、雄渾に、格調高く響きました。この音には、しびれました!(今回の僕の席はPブロックで、上がったベルが比較的こちらの方に向いていたという場所の効果も良く作用したのは間違いありませんが、それにしても今回のベルアップはぴしゃりと決まっていて、全曲引き締まって進んできた演奏の最後を締め括るのにふさわしい、絶大な効果をあげていました。

最後の音の余韻が消えてからも、スダーンさんがタクトを降ろすまでの何秒かの間、ホールは静寂と緊張に包まれていました。古武士の潔い演奏に、聴衆も正しく礼を尽くした、貴重なひとときでありました。

ところでプログラムにはスダーンさんと音楽評論家舩木篤也氏の対談が載っているんですが、それによるとスダーンさんはノヴァーク版第1稿は一度も検討していない、というか、見たことがないようで、舩木さんの持参したノヴァーク版第1稿の楽譜を初めてみるような会話が載っていて、「第2稿の方がずっといい。ずっとリアルだ」というスダーンさんの言葉があったりして、なかなか興味深いです。

僕は、シモーネ・ヤングさんの第1稿のCDがとても気に入っていて、第1稿による演奏がもっともっと増えて欲しいと思っています。しかしそれはそれとして、今回の8番の演奏スタイルは、早めのテンポでスケールは大きくないけれど、きっちりと引き締まった硬派のブルックナーという感じでした。この演奏スタイルであればノヴァーク版第2稿が、音が切りつめられているという点で、一番最適な版だなぁと思いました。

今回の素晴らしい8番を聴いて、スダーンさんのブルックナー演奏に対する認識を新たにした次第ですし、近頃の東響の充実ぶりも、改めて実感しました。ありがとうございました。







Last updated  2010.12.16 00:39:39
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2010.10.31
カテゴリ:演奏会(2010年)
10月25日、都響定期演奏会で、ブルックナーの4番を聴きました。クレーというドイツ人指揮者です。

都響第705回定期演奏会 10月25日 サントリーホール

 指揮:ベルンハルト・クレー
 チェロ:ボリス・アンドリアノフ

 エルガー:チェロ協奏曲 ホ短調 作品85
 ブルックナー:交響曲第4番 変ホ長調「ロマンティック」

前半のエルガーは、美音のチェロでしたが、わたくし大半が深い睡眠の海に沈んでおりました。終わる1分くらい前には浮上したのですが、、、すみません。

さて後半のブルックナー4番。プログラムを見ると、予定演奏時間として、64分と書いてあります。これは相当ゆっくりした4番が聴けそう、と期待しました。

果たしてそのとおり、悠揚としたテンポのブルックナーでした。弦が対抗配置で、第一Vnと第二Vnの掛け合いが良く描き出されていて、良かったです。弱音部分はとても丁寧でじっくり歌われましたし、また強音部分でもテンポを速めることなく、実に力強く、堂々たるブルックナーでした。終演後のブラボーは本当にすさまじく、ホールがブラボーで揺れるような錯覚におそわれるほどの、怒涛のブラボーでした。

立派で、真摯なブルックナーでした。こういうブルックナーもあって良いでしょう。こういう路線を目指しても、なかなかこのように充実した演奏にはならないことが多いと思います。そういう意味では貴重なブルックナー演奏のひとつと思います。・・・しかし僕としては、僕の求めるブルックナーの方向性と違うものだったので、楽しめませんでした。

マーラーとブルックナーを長いこと愛好して聴いてきて、このごろ感ずることは、マーラーに関しては自分が受け入れられる演奏の幅が結構広がってきたように感じます。中学や高校の頃は、バーンスタインをはじめとする一部の指揮者以外のマーラー演奏は、ことごとくつまらなく感じていました。歳をとるにつれ、それぞれの良さを感じ、こういうマーラーもおもしろい、そういうマーラーもなるほどね、とある程度は受け入れられるようになってきました。しかし一方、何故かブルックナーに関しては受け入れられる範囲がほとんど広まっていきません。朝比奈、マタチッチ、うまくいったときのヨッフム、シューリヒト(9番)などで育ってきた自分ですが、他にあまり広まっていかないです。チェリビダッケ、ヴァント、スクロヴァチェフスキなどの一部の指揮者が加わってきた以外には、受け付けられないブルックナーが山のようにあって困ります(苦笑)。もしも歳をとるにつれて自分の許容範囲が広がって、いろいろなブルックナー演奏に感動できるようになれば、音楽聴生活の幸せ度が上がって良いだろうなぁとは思います。でもこればかりは仕方ないことです。

今回のクレーさんのブルックナーは、ある一点を目指す、そこに向かってすべてが凝集していく、堂々たる頂点を築く、いわばベートーヴェン的な音楽でした。フルトヴェングラーのブルックナー演奏と(テンポ設定などは随分違いますが)、そういう意味では共通のブルックナーでした。最近だと、東響を振っているスダーンさんなども同じ方向性のブルックナー演奏です。こういった方向性のブルックナーが好きな方にとっては、今夜のクレーさんの演奏はものすごくすばらしいものだったに違いありません。そして多くの聴衆がそれに感動したことが、あのものすごいブラボーに現れていました。

だけどこういった方向のブルックナー演奏は、残念ながら僕はだめなんです。抽象的ないいかたですが、僕が好きなブルックナー演奏の方向性は、一点に凝集していかない、拡散していく音楽なんです。強い音の頂点では、力の限りを出すのでなく、むしろ力は抜けて、広い宇宙にふわーっとエネルギーが開放され拡散していくような、そういうブルックナーが好きなんです。

そういう意味で、今回のクレーさんの演奏会は、その立派さ、真摯さはわかりましたが、自分にとっては楽しめないものでした。






Last updated  2010.11.01 00:15:02
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2010.10.27
カテゴリ:演奏会(2010年)
ところで10月16日のスクロヴァチェフスキ/読響の定期演奏会(ブルックナー7番)のとき、ちょっとびっくりする場内アナウンスがありました。これについて詳しく書いておこうと思います。

開演少し前に、いつものように場内アナウンスが流れ始めました。「携帯電話の電源をお切りください云々」という、いつもの放送でしたが、アナウンスの最後に、「拍手は、指揮者が手を下ろすまでお控えくださるようお願いいたします。」と放送が僕の耳に飛び込んできて、びっくりしました。

近頃はこういうアナウンス、時々あるのでしょうか?僕は初めて気が付きました。このアナウンスを聞いて、5年前のスクロヴァ&読響の7番の演奏会での、とある事件の記憶がまざまざと甦ってきました。「スクロヴァ7番大フライングブラボー事件」です。

話は5年前にさかのぼります。2005年のスクロヴァ&読響のブルックナー7番は、今回と同じ二日連続の公演で、4月17日日曜日が特別演奏会、翌18日月曜日が定期演奏会。両日ともサントリーホールでした。僕は二日目を聴きに行ったのですが、ホールに行ってみると、「残響が消えるまで拍手はお控え下さい」という内容の張り紙が張り出されていて、とても驚きました。異例の張り紙です。

何でこんな張り紙が出たのか、あとで誰となく伝え聞いたことなので確証はありませんが、どうも前日の演奏のとき、相当ひどいフライング・ブラボーがあったらしいんです。そのための張り紙処置だったようです。もともと読響の定期会員の方々は見識のある方が多く、指揮者が手を下ろすまで拍手をしない習慣がかなり守られていました。僕は読響の定期会員になったことはありませんが、当時読響の定期演奏会に行くと、終わりのマナーが非常に良くて、指揮者の手が下ろされるまできちんと充分な静寂が得られることが多くて、感心していたものです。そのような状況下で、ひどいフライング・ブラボーがあったのだとすれば、絶大な破壊的効果を発揮したことは必至で、他の聴衆から相当なクレームが上がったでしょうし、もしかしたらスクロヴァ自身も不快感を抱いたのかもしれません(注1)。そのための二日目の異例の張り紙処置だったのか、と想像しました。

5年前、僕の聴いたこの二日目のときは、この張り紙の効果で、幸いにもひどいフライング・ブラボーはありませんでした。しかしやはり、まだ残響が消えるか消えないかのうちに、少なからずの人のフライング拍手が始まりかけてしまいました。このときは、張り紙の効果でか、始まりかけた拍手が、その直後(1~2秒か)に一度、ほぼ鎮まりました。そこまでスクロヴァはずっと指揮棒を上にかざしたまま静止していましたが、拍手が鎮まりかけたそのあとすぐに手をおろし、そこからあらためて拍手が始まりました。結果として、出鼻をくじかれたような、中途半端な拍手の始まりかたになってしまいました。もちろんひどいフライング・ブラボーよりは格段にましでしたが、これがもし、普段の読響での演奏会のように、指揮者が手を下ろすまで静寂が保たれていたら、この日の極めて充実した演奏を締めくくって讃えるにふさわしい、はるかにすばらしい「場」が成立していたことでしょう。

このような5年前の事件を踏まえ、今回の演奏会、おそらくスクロヴァ自身、5年前のような事態になるのを避けたかったのではないでしょうか。ましてや今回は録音するわけですから、CDとして売り出すのにも邪魔なフライングは困る、という楽団側の事情もあったのかもしれません。それでこういったアナウンスを流したのでしょうか。無粋といえば無粋ですが、フライング・ブラボーでぶちこわしになる恐れを回避するためには、やむを得ない処置でしょう。

さて今回、最初に演奏されたシューベルトの未完成では、演奏終了後、一応残響は消えるまで拍手はおこりませんでしたが、スクロヴァが手をおろしはじめるまえからぱらぱらと拍手がはじまってしまいました。

休憩後、後半のブルックナーの開演前に、もう一度だめ押しのアナウンスが流れました。「拍手は、指揮者が手を下ろすまでお控えくださるようお願いいたします。」

いよいよブルックナーが終わったとき、誰一人拍手を始めず、スクロヴァはしばし指揮棒を上にかざし、残響も完全に消え、完全な静寂のひとときが、ホールに訪れました。ほんの何秒かだったと思います。そしてスクロヴァが指揮棒をおろし、それから嵐のような拍手とブラボーが始まりました。アナウンスの効果は絶大でした。

こういったアナウンスによる静寂のアピールは、「強制された静寂」として嫌う向きもあろうかと思います。僕も正直そのあたりは、複雑な心境です。本来なら、こんなアナウンスなどなくとも、聴衆が自主的なマナーとして実行すべきことです。現に、何年か前の読響定期では、それが実現していたのですから。

でも一部の心ない、というか、悪気はないのでしょうけれど、配慮のないフライングの拍手・ブラボーは、わずかひとりいただけでも、終演後の貴重な静寂の瞬間、かけがえのないひととき、それをもってこそ音楽の受容が完結する、その重要な静寂が失われてしまうわけだし、実際に5年前にはそういう事件が起こったのですから、現状ではやむをえない、必要な処置かと思います。

もうこの際開き直って、野暮だろうが無粋だろうが、一時期こういうアナウンスを徹底して流したらどうでしょうか(爆)。この習慣がマナーとして定着するかもしれません。そしたらすごく良いことだと思います。これは主義とか考え方による個人の好みで決めて良い事柄ではなく、基本的なマナーだと思うんです。

「オレは音楽が終わってから間髪をいれずに拍手したい」という人もいるでしょう。だけど、「音楽が終わってから静寂がほしい、拍手はそのあとから」と思う人が(おそらくかなりの多数)いるんです。その(おそらくかなりの多数の)人たちのために、ほんの何秒か拍手を差し控えていただくのは、「強制」ではなく、マナーだと、思うんです。

拍手は指揮者が手を下ろし終わってからする、これが演奏会の基本的マナーとして定着することを強く期待します。

折角コンサートに行くんです。
音楽が、静寂からたちのぼり、静寂に帰っていく。
それを一緒に見届け、いや聞き届けようではありませんか。

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(注1)スクロヴァは、このあたりについて、かなりこだわりがあると思います。2007年9月、スクロヴァがやはり読響でブルックナーの3番を振ったときのことでした。第二楽章の見事な演奏が終わったときのことです。曲が静かに豊かな余韻をたたえて終わり、残響が消え去った瞬間に間髪をいれずに、客席から咳払いが起こりました。良くある普通の咳払いの程度の音量でしたし、残響が鳴っているときではなく、一応消え去ったとほぼ同時くらいの咳払いでした。ですので、それほどめくじら立てるようなノイズではありませんでした、ただ、できることならもう少し時間をあけてから咳払いして欲しいなとは思うような、咳払いでした。そしたら、なんとスクロヴァは、左手を上に突き上げ、不快感を表したのでした!さすがに客席の方を振り向きはしませんでしたが、それは明らかに、早すぎる咳払いへの不満のアピールでした。舞台上でこういう怒りの表明を指揮者がするのを見たのは初めてで、驚きました。スクロヴァが、いかに音楽の終わったときの心的余韻を大事にしているかがわかりました。






Last updated  2010.10.29 00:21:35
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カテゴリ:演奏会(2010年)
スクロヴァチェフスキ&読響のブルックナー7番を聴きました。本当にすばらしい7番でした。

10月16日 読響第497回定期演奏会。サントリーホール。
 シューベルト 交響曲第7番「未完成」
 ブルックナー 交響曲第7番

前日には同じ曲目が東京芸術劇場で特別演奏会として演奏されていたので、二日連続公演の二日目にあたります。

僕は、ブルックナー大好きです。ブルックナーの中で一番好きなのが、7番です。(ブルックナーファンで7番が一番好きというのは、多分変わり者なのでしょう。)そして今回の演奏を聴いて、日頃なんとなく思っていた思いが、確信に変わりました。僕にとってスクロヴァこそ、現存指揮者で最高の7番を聴かせてくれる指揮者だと。

僕がスクロヴァチェフスキの7番を最初に聞いたのは、NHKのFM放送でした。N響を振った演奏会を生中継で放送している番組でした。多分、現在AltusからCD化されている1999年の演奏会だと思います。

そのころの僕は今ほどコンサートに足繁く通う習慣がなく、朝比奈御大以外のブルックナーのコンサートには滅多に行くことはありませんでした。このスクロヴァのときも、行くつもりはなく、当日の夜家で、あっそういえば今日ブルックナー7番をやってるんだっけ、N響のコンサートだから生放送しているかもしれない、と軽い気持ちでFMのスイッチをつけたら、第一楽章の途中が流れてきました。それがあまりにも美しく、自然な流れで、すっかり聴き惚れてしまい、感動するとともに、「あぁ聴きに行くべきだった!」という悔しさを強く感じたことを、良く覚えています。

スクロヴァのブルックナーを初めて生で聴いたのは、2002年4月にN響を振った9番(NHKホール)でした。この演奏会、僕にとっては朝比奈とヴァントが相次いで没した衝撃から立ち直った、というと大袈裟な言い方ですが、「またブルックナーを聴いていこう」というひとつの気持ちの区切りがついた、特別なものになりました。

その後、スクロヴァのブルックナーはできるだけ聴くようにしてきました。うち7番については、これまで3回聴いています。

 2003年11月 ザールブリュッケン放響(東京オペラシティ)
 2005年 4月 読響(サントリー)
 2006年 5月 N響(オーチャード)

これらのうち、なんといっても圧倒的な感銘の記憶が残っているのは、2005年の読響との演奏会でした。本当に素晴らしく、朝比奈以来の感動を受けたものでした。

このときの7番を端緒として、今年春の読響の音楽監督退任までの5年間に、スクロヴァが読響と演奏したブルックナーを0番から9番までひととおり聴けたのは、タイミング的にとてもラッキーで幸せなことでした。そして今回再びスクロヴァの7番がきける、これを非常に非常に楽しみにしていました。

さて、当日会場に来てみると、ホワイエでは発売されて間もない、今年3月に演奏されたばかりのスクロヴァ&読響のブルックナー8番のCDが売られています。そしてホールに入ってステージを見ると、マイクが沢山たっています。8番と同様に録音してCD化されるのでしょう。

本日の公演は早々と完売していたということで、客席は満員です。

まず最初にシューベルトの未完成。この日の僕の体調は寝不足でかなり疲れていたので、「シューベルトはもし眠ってしまっても、次のブルックナーのためにはやむなしかなぁ、ごめんなさいです」などと不埒なことを考えていました。しかしシューベルトが始まると、あまりの素晴らしさに疲れも眠気も吹き飛んで、聴き入ってしまいました。テンポはやや速めで、さりげないスタイルですが、中身の濃いことこのうえないです。読響は精妙でデリカシーある、美しい音を出してくれます。演奏終了後、ブラボーも結構沢山飛んでいて、会場の盛り上がりはすでに相当なものです。

そしてブルックナー7番。もう、いうことありませんでした。スクロヴァのブルックナーは、みな良いですけど、とりわけ僕は7番が一番あっていると思います。自然でゆったりとしたうねりがあります。このうねりがどこから来るのか。フレーズのひとつひとつが丁寧で味わい深いのはもちろんですが、フレーズ間のあるべき関係性がしっかり存在していることが大きいのかなと思います。突出しすぎるところが全くないし、ないがしろにされるところも全くない。すなわち曲のすみずみまで、全体を見通すパースペクティブが充分に浸透している感じです。これがたとえばスクロヴァの5番や8番だと、僕にとってはところどころ作為的でやや不自然に感じられるところがあり、それによって全体の大きな流れが妨げられてしまう感がぬぐえないのですが、7番にはそれが微塵もなく、うねりに浸れるんです。

もうちょっと具体的に、僕の好きなこの曲の演奏スタイルなどについて書いてみます。

この曲は、第一楽章と第二楽章に内容の中心があり、そこに重点を置いた演奏でないと、おかしいことになってしまいます。第三楽章と第四楽章は、音響的には重要でも、意味内容としては、付け足し、というと語弊があるかもしれませんが、もはや語るべき一番大事なことは語り終わっている上での音楽だと思います。たまにある、第一楽章と第二楽章をやや軽めに流し、後半のふたつの楽章をやたら力をいれるという演奏(最近だと尾高忠明氏とN響の演奏が典型的でした)は、まったくこの曲の意味をはき違えている、と僕は思います。もちろん、だからと言って後半の楽章を軽く流してはだめで、前半の楽章の重みを受けとめられるバランスとしての重さが必要です。

あと部分的に特に僕がこだわりたいのは、第二楽章の第二主題部の扱いです。ここ、短調で重厚な第一主題と対比的に明るく軽やかに演奏されてしまうと、興ざめしてしまいます。ゆっくりと、そして対位法の深みをじっくりと掘り下げてくれる演奏だと、この曲全体の深みがぐんと増します。それから第三楽章のトリオも同様に、急いで通りすぎてしまっては台無しで、しかるべき重みをもって演奏されると、非常に美しい音楽が響いてきます。とくに、トリオから主部に戻る直前は僕にとってきわめて重要です。とりわけ、短い部分ですけど、フルートがソロを吹く部分の直前の、弦楽5部による経過句(117~124小節)。この弦楽合奏がじっくりと丁寧に奏でられると、静かな感銘とともに、第三楽章の存在意義が格段に心に沁みてきます。

他にも僕のこだわりっているところは多々ありますが、スクロヴァはそういうところがいずれも文句なく素晴らしかったです。読響も、実に見事なアンサンブルを聴かせてくれました。極上の7番体験でした。

(1箇所、僕が気に入っているホルンの音が聞こえてこない部分があり、あれ?と思いました。今回のホルンは全曲にわたって大健闘でしたし、ここも多分ホルンのミスではないと思います。これについては項を改めて書きます。)







Last updated  2010.10.27 22:24:39
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2010.09.13
カテゴリ:演奏会(2010年)
暑さといそがしさでふーふーばたばたしていた8月も終わり、賑やかだったセミの鳴き声もめっきり減り、夜ともなれば虫の声が盛んです。木々の緑にもわずかな黄色っぽさを感じるようになりました。

コンサート通いもほぼ一月ご無沙汰しているうちに、ブログは1ヶ月未更新!
秋のシーズンのはじまりとともに、またぼちぼちと書いていこうと思います。

僕の秋のシーズンの聴き初めは、東京室内歌劇場によるオペラ「火の鳥」ヤマト編でした。あの手塚治虫の火の鳥です。これがオペラになっているとは、まったく知りませんでした。青島広志氏の作曲で、25年前に同じ東京室内歌劇場で初演されているそうです。これが作曲者の指揮で再演されるわけです。

東京室内歌劇場 第127回定期公演
オペラ「火の鳥」ヤマト編
原作:手塚治虫
台本:加藤直
作曲&指揮:青島広志
演出:恵川智美

9月11日、東京芸術劇場中ホール。(ダブルキャスト公演の第1日。)

ところでオペラをみに行くとき、怠惰なワタクシは、いつもはほとんど予習せず、直前にウイキペディアなどであらすじをちょろっと見るくらいです。しかし今回は気合をいれ、真面目にしっかりと予習しました。(つまり、原作の漫画を読みました。)

手塚治虫の火の鳥は、10数年ほどまえに、朝日ソノラマからB5判の大きな本で復刻されたときにシリーズ全巻を買って、読みました。時空をまたぐ壮大なスケールの物語を夢中で読みました。今回ヤマト編を読み直してみると、主人公が笛の調べを火の鳥に毎夜毎夜聴かせる場面や、王の墓に殉死として生き埋めにされた民衆による地底からの合唱の場面など、音楽が重要そうな場面が多々あり、どんなオペラになっているのか楽しみでした。

オケ編成は、一管編成というのでしょうか、Fl,Ob,Cl,Fg,Hrn,Trp,Trbがひとりずつ、銅鑼・木琴そのほかのいろいろな打楽器、ピアノ、あと弦5部(5-4-3-3-2)の総勢26人が、オケピットにはいっています。指揮者青島氏が、黒い奇妙なTシャツ姿で登場し、独特の笑顔であいさつをし、きりっとベレー帽をかぶって演奏を始めました。ベレー帽は手塚治虫へのオマージュでしょうか?しかし暑さのせいか、いつのまにかベレー帽をさっさと脱いで指揮していた青島氏でした。

曲は2幕構成で、第1幕は主人公ヤマト・オグナがクマソに侵入し火の鳥と出会うまで、約80分。冒頭のけらい二人と民衆の歌の場面は音楽的な緊張感があり聴き応えがありました。それ以後は、ストーリーの展開は原作の漫画にかなり忠実で、漫画にあるギャグネタも登場し、さらに台本でのギャグネタも加わって、面白いことは面白いです。けれど、音楽がなくて台詞だけの部分が長くて冗長で、オペラをみているのか演劇をみているのかわからなくなる感がありました。また肝心の音楽も、冒頭の合唱以外にはあまり印象に残るものがなく、ちょっと退屈に感じてしまいました。

しかし第2幕約65分は、オグナと火の鳥の場面をはじめとして、音楽が美しく、とても充実してきました。そして物語の最後に、第一幕冒頭と同じ、けらいふたりと民衆の歌がもう一度出てくるという仕掛けは見事でした!この歌とともに、愛し合うオグナとカジカが息絶えていく場面はかなり印象的でした。

歌手陣が、総じて今ひとつの歌唱だったのが残念でした。特に火の鳥は、人智を超えた圧倒的な存在感が欲しい役だけに、落差が大きく感じました。そんな中でカジカ役のソプラノは頑張っていて、特に第2幕での熱唱を称えたいです。

演出・照明は地味でおとなしい路線でした。もうちょっと派手な路線でも良いかと思いました。演出が一番派手目になった場面は、クマソの長老が火の鳥の記憶を語る場面で、なぜか金色の紙吹雪が降り注ぎ、盛り上がりを見せていました。こういう感じの場面を他にもいくつか散りばめれば、さらにおもしろく見れるのでは、と思いました。

青島氏は、「火の鳥」の黎明編もオペラにしているそうです。
火の鳥全11編、いずれもオペラにしがいがある題材ですから、他の作曲家の方々も、オペラ化を目指してほしいものです。吉松さんあたりが、未来的な音楽をどかんと書いてくれないかな。







Last updated  2010.09.14 01:39:50
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2010.07.26
カテゴリ:演奏会(2010年)
梅雨があけて、蝉が鳴き始めました。
僕、何故かセミの声が好きです。うちのまわりからセミの鳴き声がじーじーと聞こえてくると、何故かうれしいです。音楽きくよりもぼーっとセミの声を聴いていたいと思うことも多く、音楽を聴く時間がかなり減っています。コンサートに行くこともめっきりすくないこの頃です。

そんな中で、ルイサダのリサイタルは、素敵でした。

7月17日 紀尾井ホール

フォーレ 前奏曲第11番、第2番、第6番。
ショパン バラード第1番、2番、3番。
ー 休憩 ー
シューマン 蝶々
ショパン アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ

当初の予定ではバラード全曲ということでしたが、行ってみるとルイサダの希望で第4番は演奏中止ということでした。この秋にバラード全曲の新録音(日本で録音)が発売される予定というチラシがはいっていましたので、4番は今どう弾くか、まだ納得のいく結論が出ていないのでしょうか。

ルイサダ、初めて聴きました。ヤマハのピアノを用いていました。

僕はこのあたりの曲は皆、ちょろっと聴いたことがあるくらいですので、雰囲気的なことしかわかりませんが、素晴らしかったです。

何しろ音がきれい。中音域の音が充実していて、新鮮な果実から絞り出したばかりの果汁がぷつぷつと粒立っているような、明るくて立体的な音です。
そして音楽が良いです、自由で豊かな詩情があります。フォーレも、シューマンも良かったし、特にショパンは本当に良かった。

アンコールは、ショパンの4つのマズルカ(作品24)、ノクターン第2番を弾いてくれたあと、鳴りやまぬ拍手に答えて、最後に意表をつくバッハ、フランス組曲第5番からサラバンド。これが非常にゆっくりしたロマン的なバッハで、リサイタルの最後をこれで締めるとは、心憎いばかりの選曲です。バッハのひそやかな抒情にホール満場が聴きいった、濃密なひとときでした。

ルイサダのピアノ、いろいろ聴いてみたくなりました。







Last updated  2010.07.27 01:30:49
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2010.07.05
カテゴリ:演奏会(2010年)
大植英次/大阪フィルによるブラームスの演奏会を聴きました。
来年2月まで4回にわたって行われる、交響曲4曲と協奏曲4曲のブラームスチクルス、その第1回。

ブラームス:ピアノ協奏曲第1番  (ピアノ:ジャン=フレデリック・ヌーブルジェ)
ブラームス:交響曲第1番

7月2日 ザ・シンフォニーホール

折しも7月1日から3日まで出張で名古屋に来ていたので、ならば大阪の19時開演はぎりぎり射程距離、すきあらば大阪へ、と考えていました。なんとか強引に足を伸ばして聴きにきた次第です。大植さんとピアニストの歌心でブラームスをじっくり味わえた貴重なひとときでした。

ピアノ協奏曲は、第二楽章アダージョの詩情が絶品でした。そして第三楽章の躍動感も立派なもので、充分に聴き応えのあるブラームスでした。

アンコールももちろんブラームス、六つの小品(作品118)の第二曲の間奏曲。じつに暖かみのある演奏で、思わず涙がにじんできてしまいました。この若いピアニストの歌心に脱帽しました。

休憩のあと、第一交響曲。第二楽章と、ゆっくりめに演奏された第三楽章、このふたつの中間楽章が、暖かく豊かな歌で歌われ、うっとりと魅了されました。大植さんの魅力全開!大阪フィルの木管は本当にすばらしいです。さらに特筆すべきは、第二楽章最後近くのコンマス長原さんのソロの凛とした圧倒的な美しさ。本当に心打たれました。

一方両端楽章は、なんとなく重厚で粘る演奏を予想(期待?)していたのですが、それに反して、第一楽章の序奏は軽めにあっさりと始まるし、また第四楽章の第一主題をゆっくり歌わせて、もしかしてこのまま遅いテンポで突き進むのかと思うと急にギアチェンジしてテンポを速めたり、終結部のトロンボーン隊を筆頭とするコラールもややパワーセーブ気味(?)で、全体として重厚さあるいは突き抜けたパワーを目指すのとはまったく違った路線でした。

特にその傾向が如実に現れたのが、曲の終結でした。一番最後の最後の長い主和音を、アタックのあとすぐにかなり音量をさげて(!)、短めにあっさり切り上げて終わりました。ちょっと肩透かしをくらった感じでした。うーんこの曲の最後は重厚に鳴らしきって締めてほしかった、と思う僕が古い人間なのでしょうか(苦笑)。

曲が終わって、カーテンコールがすすみ、さて大植さんが団員をひとりずつ立たせようというとき、真っ先に立たせようとしたのがコンマスの長原さんでした。大植さんもあの第二楽章のソロにきっと深く感動し、それで最初に立たせようとしたのでしょうか。長原さんは遠慮して、他の人を先に立たせるべきだとかなり一生懸命粘って断っていましたが、最後にはやむなく(^^)立ち上がりました。

きょうはちょっとハードスケジュールでしたが、心にじわっとしみてくるブラームスをたっぷり聴けて、聴きにきた甲斐がありました。大植さんと大阪フィル、それにヌーブルジェさんに、感謝感謝です。






Last updated  2010.07.06 02:19:50
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