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カテゴリ:歴史コミュ 戦国時代
昨日は太郎義信について書きましたが今日は四郎勝頼について書いてみたいと思います。
と、その前に先にコメントを下さった皆様へのお礼から!! 昨日は本当に勉強になるコメントをたくさん頂きありがとうございました。 読み応えがあって面白かったです。 あえて信玄ではなく子供達を書いたのですが、戦国最強の武将信玄の人気の高さにうなづけたりしちゃって! では本題に\(^o^)/ 新羅三郎義光から始まる甲斐源氏の最後を飾ってしまったのが信玄の子供である武田四郎勝頼です。 普通に歴史を見ていけば彼は強大を誇った武田を滅ぼしたダメな武将のように思われるかもしれませんが元から武田を継ぐために嫡男として育てられたわけではないんですね。 武田家嫡男については昨日書いた太郎義信です。 彼は信玄と諏訪頼重の娘(大河ドラマでは湖衣姫とついてましたが正式には名前は定かでありません)の間に生まれました。 これも昨日書いたように正室は三条ですから彼は武田を継ぐことはなく、諏訪家を継ぐ人物として育てられました。 彼の名前には武田を継ぐ「信」は入ってなく諏訪頼重の「頼」が入っていますね。 勝頼は高遠城主となりそのまま諏訪の後継ぎとして収まる予定でしたが昨日書いたように「義信事件」が発生…三条の方には3人の男の子がいましたが次男は目に不自由がある、三男は早世してたので勝頼が武田家嫡男として迎えられることになりました。 でも普通で考えれば義信を嫡男として盛り立ててきた人が多く残る中、急に迎え入れられても家臣をうまくまとめていくのは大変ですよね。 それでも信玄がもう少し長く生きて勝頼のバックアップができて、嫡男としての地位を確立していたなら違う結末もあったかもしれませんが(でもやはり戦国の世を生き抜くには相当のカリスマ性、戦略がないと難しいですよね)信玄亡き後、長篠の合戦敗北後は彼は次々に信濃衆からの裏切りにあいます。 妹婿も、かの有名な穴山梅雪にも裏切られた彼はとうとう天目山で最期を迎える… ちゃんと十分な帝王学も家臣団も持たず、偉大な父の跡を継ぐ… 一生懸命に本人はやっても人は認めてくれない。 兄、重盛と比較され続け、本来なら兄が継ぐべく偉大な父清盛のあとを兄が早くに亡くなったため継ぐことになった普通の人、平宗盛と、この勝頼は似てる気がします。 次々あう裏切りの中で、どんな思いで死んでいったのでしょうか? --もし真田昌幸の手を求めていたら?-- 最期に勝頼が選んだ選択は真田より小山田だったんですよね。 もし、真田の元へ逃げ込んだら?? ちょっとこの想像もロマンがありますよね。 太郎義信も、四郎勝頼も信玄の血をひくゆえに哀しい最期ですね。 --信玄の娘たち-- 最後に娘たちの哀しい末路を…。 長女→大河でも彼女の悲しい死をやっていましたが今川・北条・武田の三国同盟の証として北条氏政に嫁ぎ4人の子供に恵まれますが、同盟が破綻になると送り返され若くして亡くなります。 次女→穴山梅雪に嫁いだ彼女も20代で亡くなっています。子供達に次々と先立たれ仏門に入ってる時間が長かったんですよね。 三女→この三女のダンナ様が勝頼を裏切った木曽義昌です。彼女は身を隠すように御岳山で生き長らえ100歳近くまで生きていたというのですが?????? 四女→信玄の娘達の中で唯一幸せだったと思われるのが彼女です。長島のお寺に嫁ぐ予定になっていましたが長島は信長に滅ぼされてしまい、上杉景勝と結婚します。彼女は「甲斐御前」と呼ばれ大切にされています。 五女→夭逝 六女→信長嫡男信忠と幼いときに婚約した彼女の純愛は源頼朝娘大姫と並んで有名です(松姫)。実は私のこの娘達の知識は松姫関係のドラマやマンガがきっかけです。少女マンガも侮れないですよね(^_-) ☆ここでティータイム☆ 総選挙に注目が集まる中イヤなニュースが多いですね(`_´メ) <小学校体罰>男性校長が5年生男児を逆さづり 大阪市 女児体内に画鋲 寝たきり、のみこませた疑いも 世田谷の病院 <女児虐待>穴に埋めせっかんの義父逮捕 埼玉県 普通では考えられないことですよね。 何かが狂ってきてるのでしょうか?? このままで行ったら??って怖さを感じます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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