2005/04/21(木)14:24
"内なる声"を聴く感性を磨こう
昨年より立禅という稽古法を、午前中に行う
自分の稽古に取り入れています。
両足を肩幅くらいに開き、軽く膝を曲げて
両手は胸の前で大木につかまっているような
形でただジーッと立っているだけなのですが、
これがなかなかにキツいものなんです。
初めはすぐに足が痛くなったり、雑念が湧いてきて
集中できなかったりで5分と持ちません。
しかし、日々継続しているうちに
姿勢は安定し、無駄な筋肉に力を入れることなく、
効率よく長時間立てるように身体が馴染んできます。
さらには身体の感性も研ぎ澄まされ、
「氣」が充実してくる感覚も感じられるようになります。
最近は半禅といって片方の足を後方に引いて
半身の姿勢で立つ方法も行っていますが、
こちらの方がより不安定な姿勢なんですね。
人間の身体は面白いもので、
不安定なものを安定させようと働きます。
この半禅の状態の時も姿勢が崩れそうになると
反射的に反対方向に態勢を立て直そうとする。
フラフラとした不安定な身体の揺れがだんだんと小さくなり、
数分もすると安定して立てるようになってきます。
人間の身体の素晴らしい自動調節機能ですね。
生理的な働きについても同じですね。
風邪のウイルスが侵入すれば、
身体は熱を出してそのウイルスを退治しようとする。
害になるものを食べれば、下痢になって排出しようとする。
熱や下痢が悪いのではなく、それらは生理を安定させるための
身体の働きであるということなんです。
心についてもそれがいえますね。
自分の思考や行動が本質からズレてしまっている時は
何かモヤモヤしたりスッキリしない、心臓がドキドキする、
胸が痛むなどして"身体"が教えてくれます。
近年はそうした感性が鈍くなっている人が多くなっています。
(自分も含めてね)
筋肉がパンパンに張り、いつも緊張しているのに
それに気づいてない人、感動のできない人、他人に無関心な人。
これは心と身体がバラバラな状態で日常を過ごしたり、
受信・発信(インプットとアウトプット)のバランスが
崩れた生活の習慣化によってもたらされているのでは
ないでしょうか。
だから症状や事象が表面化した時には
メチャメチャ崩れてしまっている、という事もあります。
身体が発する内なる声をしっかりと聴いて
常にスッキリとした生き方をするためにも、
今に徹し、集中して事に取り組むことや
受信・発信のバランスの良い生活習慣を心がけていきましょう。