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ニチジョウ。

ニチジョウ。

予告状

           予告状





――どうしよう。
「なんだよ」
 思わずじ、っと見つめてしまっていたらしい。私の視線に気づいたヤツが、不思議そうに眉をしかめてたずねてきた。
「な、なんでも、ない……」
 どっくん、どっくん。心臓の音が耳元まで聞こえる。きゅう、と心をひっぱられるような胸の熱さ。顔が熱い。真っ赤かもしれない。どうしよう?
「ラーメンの中に虫でも混じってたか?」
 怪訝そうにしながら、私の顔を見て言う。なんども見慣れた、おんなじような動作。
「なんでもない!」
 私はそう言うや否や椅子から立ち上がった。
「ごちそうさま。私先いくから!」
「は? おい、俺まだ食べ終わってないって!」
 ひいた椅子を戻すこともせずにテーブルの上のお盆を持って返却場所へ足を向ける。
「いいわよ食べてて。私先に教室戻ってるから」
 どんぶりの中身は七割ほど――しかもチャーシューまで残っているけれど。
 これ以上ヤツの顔を見ながらラーメンすするなんて、できっこないもの!
「待てってばおい! どうしたんだよ!」
 後ろでヤツが騒いでいるけど、振りかえらずに急ぎ足で食器類を返却し、教室へつながる廊下にむかう。「はい、ありがとう」という食堂のおばあちゃんにも返事なし。今の私にそんな余裕はない。
 ヤツが追いかけてくるかどきどきものだったけれど、要らぬ心配だったらしい。
 私は二年五組のある三階への階段を登りながら、やけに働きすぎる心臓を止めようと思って頭の中の整理にとりかかった。
 えーと。えーと。えーと……。
 どうしよう。ラーメンしか思い出せない。
 頭が混乱しているのかオーバーヒートしているのか。困ったことに、返却直前のチャーシューがのこったままのラーメンどんぶりしか思い出せない。
 ダメだこのままじゃ。順に思い出していこう。チャーシューの前は、わりばし。それから食堂の薄い肌色の長テーブル。背もたれのない椅子。目の前でカレーうどんをすするヤツの顔――
 かぁっ、と顔が熱くなった。
 ああもう、だからなんで!?
 これじゃあラチがあかない。
 私は階段を登りきり、すぐ右横の五組の教室にすべるように入った。
 ざわざわ。クラスメイトのまとまりのない声が不協和音となって、虫が飛んでいるような音の合唱が耳にこびりついてきた。仲の良い友達はみんな食堂にいるのか、教室に入っても誰も声をかけてこない。幸いだ。
 私はちょうど使われていなかった窓際、一番後ろの自席におちつくと、とりあえずほっぺたを両手で覆った。
 よーし、落ち着きなさい伊織。今何時? あと休み時間終了まで何分ある?
 黒板の上の真ん中にある時計を見上げると、十二時五十分。休み時間はあと三十分も残っている。ということは、たっぷり三十分間考えることができるわけだ。どうせヤツは誰か他の友達を見つけて、帰ってくるのは五時限目の始まるぎりぎりなはずだし。
 今日の議題。
 どうして私の顔はこんなにも熱く(しかもたぶん真っ赤)なのだろう?
 そう、確か私は――


 四時間目授業終了のチャイムが鳴り、起立礼をした後、教科書やらを片付けている私のもとにあいつがやってきたのだ。
「見ろ!」
 そう言って自信満々に、ヤツはテストの回答用紙を私に見せつけた。その点数、なんと五十八点。
 今日は期末テストの返却日だ。当の本人によって、天国か地獄に別れる時間。そしてヤツの点数は――私からすると明らかに地獄だ。
「すごいだろ」
 ふふん、と、自慢をするちっちゃな子どもみたいな顔で笑う。
 私はこみあげる笑いを我慢せずに大笑いしてやった。
「あっははははは! なに、なんなのその点数! なんでそれでえばっちゃってんの!?」
「うっわてめぇ! じゃあおまえは何点だったんだよ!」
「私? あはは! あんたなんかと比べ物になんないわよ」
 そう言って、しまいかけたファイルから回答用紙をとりだしてヤツの顔に貼り付けるように見せてやった。
「………………」
ヤツはいつも思ったとおりの反応で返してくれるから楽しいと思う。
「カンニングだろ、これ」
 やっとでてきた言葉も負け惜しみの言葉しかない。負け犬の遠吠えってやつ。いい気味!
「は? ばか言わないでよ。私はあんたとはち・が・う・の!」
「じゃあなんで毎日一緒に遊んでたくせにこんな点数とってんだよ! ありえねえだろ!?」
「なに言ってるわけ? あのね、私とあんたじゃ」とんとん、とこめかみあたりを人差し指でたたいて「ここのできが違うの」
 っていうか、遊んだ後でも勉強なんてできるのよ。
「意味わかんねぇ!」
「わかんなくて結構!」
 私はヤツから回答用紙を奪い返してファイルにしまい直した。
「なぁ、なにしたんだよ、なぁ」
 人が片付けをしている横でうるさく聞いてくる。
 ここで、某通信ゼミの漫画なら「ふっふっふ」とでも言いながらゼミの紹介をするんだろうけど、あいにく私は自分でひたすら暗記しただけ。
 私はそろえた教材をかばんの中につめて、代わりに財布を取り出す。
「うるさいわね、食堂行くよ! 行くでしょ?」
「行くよ。だって俺弁当ねぇもん」
「私も今日はお弁当ないの。なに食べる?」
 かばんを机の横にかけてドアへと歩きだした。
「めっずらしぃーっ。寝坊?」
 なんだかヤツは無駄に勝ち誇ったような表情でニヤついている。意味不明。自分なんかいっつも遅刻ギリギリのくせに。
「うるさいな。で、なに食べるのよ」
 ムカツいたのでわざと話題を逸らしてやった。
「オレ? あー、なんにしよう……カレーとか?」
 ドアを抜けてすぐ階段へ。
「うわっ! この暑いのにそんな濃いもん食べるの!?」
 とん、とんとリズミカルに階段を降りていく。
「うるせえ! てめぇはなに食べるんだよ!」
「私はチャーシュー麺って決まってるの」
「そっちだってくそ暑いだろーが!」
「ラーメンはオッケーじゃない?」
 さっぱりしてて余裕でセーフだと思う。
「ぜんっっっぜん! つか見てて暑いからやめてくれ」
「あんた人のこと言えないでしょ!」
 そんな風にぎゃあぎゃ言い合いながら、食堂に来たんだ。それであいつの忠告無視してチャーシュー麺の食券買って、チャーシュー麺もらって、あいつもカツカレー受け取って、空いてる席に座ったんだ。
 それまではいつも通り。昨日と全然変わらない行動。そう、問題はこの後だ。
 ガターン!
 急に後ろから椅子の倒れる派手な音がした。驚いて振り返ったら、壁際で髪の長い女の子が倒れていた。その子の前にえらそうに突っ立てる女の子――っていうか、女って言った方がいいかもしれない。茶髪に短すぎるスカートは女の子らしいなんてとんでもない。
 とっさにふたりの上履きの色を見た。白のベースに、赤い線が二本。ということはふたりは一年生。
「てめぇなにしてんだよ! さっさと立てよ!」
 茶髪の方が女の子の髪の毛をひっぱった。すっごい痛そう!
 どうやら喧嘩らしい。女の喧嘩ってどうしてこうグロいんだろう。食堂にいる人全員がふたりにくぎ付けになっている。
「こわ……」
 私は一応先輩だけど、そのすさまじい雰囲気はかなり恐い。髪の毛をひっぱられた女の子は泣くだけで反撃しようとしていない。これじゃいじめじゃない。
 生々しく茶髪は女の子をなじる。そしてついに茶髪の手があがって、すばやく女の子の頬をたたいた。乾いた音が響く。
「いいっった……」
 思わず自分でほっぺたを抑えてしまった。見てて痛い。
「あー……我慢できねぇ」
 今度は後ろからじゃなく前から声が聞こえた。聞こえたと思ったら、ヤツはすでに席を立っている。
「え、ちょっと!?」
 テーブルの上にカレーを残したまま歩き出してしまう。食堂から出て行ってしまうのか。
「ちょ、待ってよ!」
 どこ行くのよ?
 と聞こうとしたら――ヤツの向かう先は、ぎゃあぎゃあわめいてる茶髪と女の子のもとだ。何をする気なの?
 女の手が高く上がる。そのまま平手打ち直行のポーズ。ああ痛い!
「てめぇいい加減にしろっつーの! うぜーんだよ!」
「うざいのはおめぇだろ」
 ヤツの手が、高々と上がった女の手首を掴んでいた。
 掴まれた女の方は突然のことに一瞬目を白くしたけど、すぐにヤツに怒りを向ける。
「ちょっと! 離してよキモいなぁ!」
「いや、離したらあんたこの子殴るだろ」
「その前にあんた殴るっての!」
 女の方はヤツに掴まれた腕を暴れて必至でとろうとしている。
 ヤツは暴れだそうとする女のもう片方の手もとり、片手で自由を奪った。
「ちょっと何すんのよ! 離してよこの痴漢! きゃ」
 うるさく喚く女をぐい、っと引っ張り、自分を盾にするように移動して女の子から離した。
「大丈夫?」
 そう言って、空いた方の手を女の子に差し出した。女の子はおそるおそるだけど、ヤツの手を握り返して立ち上がる。女の子、美人だ。可愛い。どうしよう。
 ……どうしよう?
 どうしようって、何がどうしようなの?
 別に女の子が可愛いからってそんな――
 誰かが呼んだのか、生活指導の先生がやってきてその場を収めた。だけど私は、ヤツから目を離すことができなかった。見ているだけで緊張してしまうくせに、どこまでも見続けていたくなってしまう。一挙一動、すべて見ていたくて。
 ヤツが教師から開放されて私の前に戻ってきたときには、もう取り返しのつかないくらい、あいつのことを――
 そう。そうだ。そうなんだ、やっぱり。
 回想を終了させて、今度は私は現実の受け止めに挑む。だって、絶対ありえないことなんだもの。認めたくない。認めたくないけど、でもこれって、現実なのよね。現に今の私、顔すっごい熱くて、絶対真っ赤だもの。
 認めるしかない、んだよね。
 ああもう! そもそもあいつがいきなりあんなかっこいいことするからいけないのよ!
 神様って絶対不公平。私、どうかしているのかな。だってこれって不公平じゃない?
 あいつにとって私は、友達以外のなんでもないっていうのに。
 あいつに恋するのは私だけだなんて。
 ずるいよ。


 昼休みが終わってぎりぎりで帰ってきたヤツは、私には声こそかけなかったけど、目で文句を言ってきた。目が合うだけで嬉しくて、心臓が激しく高鳴っているくせに、思わず顔がにやけてしまった自分がやるせない。だってなんか、向こうは普通にしてるのに、私だけ馬鹿みたい。
 その日の午後の授業は、授業中にやった単語ひとつ覚えていない。ただ上の空で、居眠りをしているあいつの寝顔を横目で眺めているだけだった。


 放課後が来て、あいつに声をかけられたけど逃げるように教室を飛び出して、そのままの勢いで掃除もサボって帰ってきてしまった。メールボックスには友達からの心配のメール。
 ――どうしたの? なんか今日様子おかしかったよ。あいつとなんかあった?
 この友人は、なんて勘がするどいのだろう。いや、結構色々な人にバレていたかもしれない。だって、私今日ずっとあいつのこと見てた。
――うん……実はね……――
赤くなる自分を自覚しながら、今日のことを洗いざらいメールで打っていった。この状態で電話で話せ、なんてきたら、まともに喋られる自信ないわ。
携帯を折りたたむと、ぱたん、と軽快な音がして閉じた。
しばらく携帯とにらみ合って、あいつからも心配のメールが来ないかな、なんてありもしないこと考えて、現実問題ため息をつく。だって本当にありもしないこと。
あーあ。全く。ため息なんか吐いちゃってさ。らしくない自分がいたりして。私こんなに女々しくないはずなんだけど。
携帯を握り締めて目をつむると、簡単にヤツの顔が思い浮かぶ。あいつの笑顔。馬鹿みたいな点数で自慢してきたあいつ。それを、馬鹿にして返答した私。
馬鹿なのは、私だ。あんなに可愛くない返答をする人間を、誰が好きになんてなるのよ。
今までずっと、そんな馬鹿にしあうような関係で、さ。
なんで好きになる人を選べないんだろう。
あいつが私のこと好きなはずないし、かと言って意識してもらうために私から告白するなんて冗談じゃない。あいつのことをどうしようもないくらい好きになっちゃったけど、私から告白するなんて負けたみたいだもん。負けるのだけは絶対に嫌。
ああ、どうしよう。もうひとつ泣きそうなくらい大きいため息を吐いたところで、友人からの返信。
――告っちゃえ告っちゃえ!! 面と向かって言うのが恥ずかしいなら手紙とか。
 手紙って、要するにラヴレター?
 そんなの冗談じゃ……
 そこで、急にひらめいた。
 手、紙?
 手紙。紙に想いを書いて渡す、間接的な手段。
「あはは……そう、そうだよ。手紙!」
 私は急いで机に向かって、いつか誕生日に近所のおばさんからもらったレターセットを引き出しから取り出し、ペンを握る。
 でもこれは、ラヴレターなんて生ぬるいものじゃないわ。私はこれから勝ちにいくの。そのための、準備のようなもの。
 だから――


翌日。がんばって早起きして、心臓がばくばくいうのを必至でこらえて、あいつの下駄箱の前に立つ。まだこの時間帯じゃ運動部の朝練に来ている人ぐらいしか、生徒はいない。
周囲に誰もいないのを確認してから、ずっと握り締めていた紙をあいつの下駄箱の中にいれておく。
これは仕返しなの。今までとことん馬鹿にされたんだもの。これぐらいやって当然。
絶対無比な正確さで目当ての物を奪い去る、大泥棒の予告状。
読んだときのあんたの顔が思い浮かぶわ。


「今夜、あなたの心貰い受けます」





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