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ニチジョウ。

ニチジョウ。

先入観のいいわけ


私たちは比較によって事実を認識している。
よく『くもりなき眼で見つめよ』とかって台詞があるけれど、そんなの結構な無理だ。
ある分野について知識があって、その上である分野についての何か――文章や、絵とかを見たなら、先入観なしでなんて見れるもんか。それじゃ比較できない。
知識があるということは自分の脳にそれについての情報があるということ。脳に情報があるのに、個人の意思だけでその比較を止められるのだろうか。
私たちは外界からの刺激に対して、全く何も感じないではいられない。感じないことは、それは何も認識していないということだ。だからつまり、それは刺激に非ず。見えているけど脳が認識しないのなら、見えていないのと一緒。
刺激が脳に伝わったのなら、脳はその刺激を認識するためにそれまでの知識を総動員するはず。
たとえば、目の前に刃物を見せられた時、人はそれを刃物と認識するために今までの経験からそれを刃物だと認識する。今までの経験というものが知識だ。その知識が脳内を駆け巡ってそれを刃物だと認識することを、視力で捉えていたり肌で感じていたりしたら拒否はできない。それを見て、感じて、何も考えないでいることは無理なのだ。そこに何かがある限り、認識してしまう。
認識とは比較だ。比較なしに存在することができないのなら、くもりなき眼で見つめよ、なんて無理な話。先入観はいつだって存在するでしょう?
結局は、先入観はよくないなと思いつつも、私たちは無意識のうちに先入観を酷使している。先入観と切り離せない。だってそれは、知識がなかったら、比較ができなかったら、認識なんてできないから。


うん、自分でも何が言いたいのかいまいちわかんない。理論だててみてもぐちゃぐちゃだ。
これもきっと先入観のいいわけにしかすぎないんだろうなぁ……。




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