懐かしのインディー~格闘探偵団バトラーツ
ジャイアント馬場の弟子・大仁田厚が大企業・全日本を脱退し、独立後FMWを旗揚げ。町場の会社とも言えるインディー団体を設立。この結果、メジャー団体の全日本、新日本は志のある会社=団体。インディー団体は心意気の会社=団体の定義を築き上げた。そんな中で1995年11月19日、プロフェッショナルレスリング藤原組でスポンサーから所属選手の大幅なリストラを提示されて反発した藤原喜明を除く所属選手が退団。石川雄規を中心に設立したのが格闘探偵団バトラーツである。あくまでスポンサーに対して反発したのみで藤原との確執は無くプレ旗揚げ戦の際に藤原が来場して1996年、小田原市川東タウンセンターマロニエホールで「わが息子達を宜しくお願いします」とリングで挨拶しバトラーツは旗揚げ戦を開催した。UWF、PRAIDEが目指した総合格闘技にプロレスの醍醐味をミックスしたテイストで“バチバチファイト”と唱えた独自のプロレスを作り上げる。スター不在と言われながらも選手の個性が最大限に発揮されアントニオ猪木イズムを継承した石川雄規と馬場==王道イズムを学んだ池田大輔の姿勢が支持を得ていき、アレクサンダー大塚のPRIDEでの活躍もあって知名度も高まり、1998年には格闘技の殿堂:両国国技館で開催するまでに成長した。しかし、2001年9月、橋本真也のZERO-ONEで開催される「火祭り」に協賛して所属選手を送りリーグ戦の一部をバトラーツの興行で実施する事を発表したが石川雄規が尊敬するアントニオ猪木の助言でキャンセル。PRIDEと関係していた猪木とPRIDE参戦選手と無断で交渉を行ったZERO-ONE代表の橋本真也の対立が背景にあるとされている。バトラーツ公式サイトで発表時は「ビッグマッチに向けて猪木軍入りして異種格闘技戦の開催を計画している。猪木と橋本間のトラブルであり両者間の和解が無い場合どちらかを選択する必要があり今回は猪木軍を選んだ」・・・と理由を述べた。しかし猪木からの利益を最優先する為、発表済みカードを消滅させた点などからファンの批判や所属選手の離反を招く事になる。また「バトラーツのリングは火祭りのリーグ戦開催以前から火祭りだったと自負している」と無意味な開き直りも公式サイトに記載した為、批判はより強まった。猪木は「迷惑な話だ」と自身は関わっていない姿勢を見せた。この猪木の発言に対し、ノアの三沢光晴は「筋が通ってない」、「自分の尻も拭けないのか」等とバトラーツの会社的責任と社会的姿勢を批判。その追い風が強すぎてバトラーツは10月26日に活動停止。2002年6月9日、活動再開して一部の元所属選手が集結して桂スタジオを中心に興行を開催。2010年12月26日、桂スタジオの閉鎖などもあり2011年11月5日、新宿FACE大会を最後に解散した。【メール便選択で送料無料】楽天Edyリーダー(USB型)電子マネー楽天Edyの残高確認、クレジットカードチャージ、ネットショッピング等ができる!