メタボの気まぐれ

2014/09/03(水)09:00

有明省吾 -その2-

名キャラクター(116)

有明省吾は存在しなかったのか??? この有明省吾にはモデルとなった人物がいる。 1958年頃、大山道場に入門した春山一郎である。 春山一郎は群馬県桐生市出身で16歳の時に 大山道場(極真会館)の門を叩き入門。 当時の大山道場は顔面攻撃あり、金的蹴りありで 正に反則ありのケンカ空手であり 中でも春山一郎は「殺って、殺って、殺ってやる」 という殺意が込められている様な空手スタイルであった。 大山倍達は「当時の道場生で一番印象に残っているのは 何と言っても有明省吾です。 彼のように強い人はいなかったよ。 万一いたら、これは世界チャンピオンになれる」 「三瓶のカラテは、肉を斬らせて骨を断つ戦法。 松井のカラテは知的な動きをする計算で動く。 だが計算も出来るし肉を斬らせて骨を断つ戦法も出来るのが 春山一郎だったような気がする」と絶賛している。 しかし春山一郎は有明省吾の純粋な心とは違い 私生活はアウトローで18歳の時には後楽園を取り仕切る ヤクザの用心棒的な事をしており アパートにはヤンキー数人を従え 顎でヤンキーをこき使っていた。 喧嘩はかなり強く、道場破りが来ると 率先して組手を行い、相手をボコボコにし 更に池袋で絡んできた高校生30数人を KOしてしまった逸話もある。 春山一郎は20歳の頃、婚約者と思われる女性と ドライブをしていた所、ハンドル操作を誤り 女性を庇う様にして事故を起こし重症となり 大山倍達の見守る中、死亡した。 有明省吾と春山一郎は似ている様で かなり食い違っている部分があるが 実は有明省吾、大山道場生の弟子たちの 集大成キャラであり、まず大山の一番弟子の下りは 中学生時代の俳優・待田京介であり 牛と戦っている大山の元に弟子を志願している。 また留置所脱走の下りはある道場生が 無銭飲食か何かで捕まり、大山倍達が来るのを恐れて 壁を叩き割り脱走したという いろんな道場生のエピソードを交えたキャラとなっている。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 実録! 大山道場&黒崎健時~蘇る43年前の極真空手伝説~梶原一騎20回追悼記念スペシャル

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る