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2015.02.26
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カテゴリ:プロレス・格闘技
冬木弘道.jpg


観客がレスラーに対して非難を表すブーイング。

その代表的な伝説のレスラーが
マッチョバディ、 理不尽大王こと冬木弘道である。

冬木は国際プロレスを経て全日本プロレス入り、
天龍源一郎の付き人を務めながら
三沢光晴、川田利明、越中詩郎、ターザン後藤と
同じ若手レスラーとして前座を務める。

1984年に海外初遠征し、帰国後は天龍同盟に参加。
川田利明とのコンビ「フットルース」を結成。

しかし川田が天龍とタッグを組む機会が多くなり
冬木が次第に孤立していく様になった。

伸び悩み孤立した冬木が選んだ道は
全日本を離脱し新たなる戦地である新団体
SWSへの移籍であり、ここで天龍と共に
REVOLUTIONの一員として行動を共にする。

ここでプロレスファンは冬木に反感を持ち
「アッアッアッアー」という奇声と
技を出す前の地団駄に対してムカつきを覚え
いつしかブーイングを掛けるようになった。

SWSが崩壊すると、そのまま天龍のWARに移籍
正統派のファイトを続けていたが
ファンの「今頃、川田は日本武道館で三冠戦だぞ」という
かつてのパートナーで比較される野次を受け
ヒール扱いを受け続ける冬木は一大決心をする。

理不尽大王を自称し天龍に出来もしない事を要求、
リングネームの読みを「こうどう」に変え
リング上でコントを披露するなど
愛嬌のあるヒールとしてのイメージを定着させ大ブレイクし
邪道、外道とのトリオで活躍した。

1996年にWARを離脱し冬木軍プロモーションを設立
FMWでミスター雁之助、金村キンタローらと
チーム・ノー・リスペクトを結成し
リング内外で団体を牛耳るパフォーマンスは
新世代のヒールスタイルであった。

2001年、古巣である全日本プロレスで
川田利明と再会し、シングルで対戦するも敗北。
2002年に自ら主催する団体としてWEWを設立した。

2002年4月7日、プロレスリング・ノアで
15年ぶりに三沢光晴とシングル戦を行い
正統派のプロレスでも改めて高い技術を見せて
冬木健在を誇示した。

だが、その2日後、冬木は大腸癌を理由に引退を表明。

その一報と病状を聞いた三沢は冬木のために
ディファ有明を緊急で確保し、
冬木の引退興行を開催する事を発表。
ノアの全面協力を受けて冬木はリングで引退試合を行った。

この引退試合は新日本の永田裕志、邪道&外道、
さらには天龍までもが参加し
試合開始前の冬木弘道コール後、無数の紙テープが飛んだ。

その後、WEWではプロデューサーとして活躍したが
ガンは肝臓などにも転移しており、
2003年3月19日、がん性腹膜炎のため死去した。


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Last updated  2015.02.26 22:14:18
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