メタボの気まぐれ

2016/09/22(木)20:53

因縁の対決!ブッチャーvsシーク

プロレス・格闘技(298)

血が血を呼んでいるルール無用の試合があった。 1979年12月「世界最強タッグ決定リーグ戦」終戦 地上最凶悪コンビ・ブッチャー&シーク組は 抗争を展開していたザ・ファンクスと激突。 地獄突き誤爆に怒ったザ・シークはブッチャーに 火炎攻撃を仕掛け仲間割れを起こした。 以降、ブッチャーはトーア・カマタとコンビを組み シークとは幾多の流血戦を繰り広げた。 元々この二人は師弟関係にあり、 プロモーターにスカウトされたブッチャーは ザ・シークの元で修業をし、カナダ各地を主戦場にした。 一方のザ・シークは巨大組織・NWAの デトロイト地区プロモーターとして活躍し アラブ人で火炎攻撃専門の狂乱系ヒールとして 一時代を築いたレスラーである。 ザ・シークはプロモーターの手腕としては非常に高く カナダ、ロサンゼルス、テキサスにパイプを持ち 更にはWWEと提携を組むまでに発展した。 このブッチャーとシークは仲間割れした5ヶ月後、 1980年5月2日、後楽園ホールにて遺恨試合が行われた。 入場と同時に二人は場外で凶器を持ちながら ケンカ状態で取っ組み合い、試合と言うよりも 殺意に満ちたケンカとなった。 レフリーのジョー樋口も仲裁に入るも 凶器攻撃でレフリーをもふっ飛ばし リングインしないまま、3分30秒 両者反則となった。 それでもケンカはまだまだ続き、 実況席の倉持隆夫アナウンサーが ザ・シークに襲撃され額を割られ 救急車送りにされるという 前代未聞のアクシデントになった。 この試合、日本テレビの判断で未放送となった。 同年暮れの世界最強タッグでシークは グレート・メフィストを連れて参戦、 ブッチャー&トーア・カマタとの最終戦で 両者リングアウトに持ち込み ブッチャー組の優勝を阻止している。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 【はじめての方限定!一冊無料クーポンもれなくプレゼント】十二因縁 縁~神様君と願いの絵馬【電子書籍】[ 友麻碧 ]

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