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カテゴリ:プロレス・格闘技
1960年代のプロレスには、米国メジャー団体による 4大世界タイトルが存在した。 米国最古のプロレス団体・NWAの世界王座 NWAを脱退して設立された・AWAの世界王座と 同じくNWAを脱退して創立した・WWEの世界王座、 そして先の団体と共にアメリカの一角を占め ロサンゼルスで大成功していたWWAの世界王座である。 NWA世界王座は「ゴッチの後にゴッチ無し」と謳われた フランク・ゴッチが、ライバルのトム・ジェンキンスとの アメリカン王座を巡る連続防衛や ヨーロッパ王者のジョージ・ハッケンシュミットと アメリカン王座のダブルタイトル戦に勝利し 1905年10月、NWA世界王座が、ここに誕生した。 AWAはシカゴ、オマハなどにも存在したが、 バーン・ガニアがAWAを統一し 当時、NWA世王者であったパット・オコーナーを 初代・AWA世界ヘビー級王者と認定した。 WWEはニューヨークのMSGを拠点としてプロレス、 ボクシングの興行を行っていたプロモーターの ビンス・マクマホン・シニアがドル箱レスラーの バディ・ロジャースを初代WWE王者に認定し、 その後、ブルーノ・サンマルチノ、ペドロ・モラレス、 ボブ・バックランド、ハルク・ホーガン、ブレット・ハート、 スティーブ・オースチン、ランディ・オートンなど 次々とスーパースターを生み出した。 そして第4のメジャー団体として登場したWWAは エドワード・カーペンティアやフレッド・ブラッシーをはじめ 世界チャンピオンに力道山は東洋人レスラー初、 デストロイヤーは覆面レスラー初、 ライトは黒人レスラー初の世界ヘビー級王者であるなど、 他地区とは一線を画す独自のマッチメイクを展開していた。 このWWAは日本とのパイプが強く、 グレート東郷を始め、外国人招聘ルートの主軸となり ロサンゼルスのマットに登場したレスラーは 日本マットに上がっている。 しかし、WWA消滅後の王座はアメリカス王座に降格し 代わりに第4の世界王座に選ばれたのが かつて力道山が保持していた日本の主砲、 インターナショナル王座で、 4大メジャータイトルになってからは ジャイアント馬場を筆頭に、ジン、キニスキー、 大木金太郎、ドリー・ファンク・ジュニア、 ブルーザー・ブロディ、ジャンボ鶴田、スタン・ハンセンが この王座を巡り、大攻防線となった。 WWE Winged Eagle ベルトバックル お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.04.13 20:00:05
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