メタボの気まぐれ

2018/04/12(木)20:00

伝説の団体~IWA.JAPAN

プロレス・格闘技(298)

プロレスブームの真っ只中であった1994年、 W★INGが崩壊した事によりビクター・キニョネスが 新たに創設したのが、IWA・JAPANである。 設立時は荒谷望誉をエースにW★INGから移籍した 金村キンタローが対抗して、 それにキニョネスがブッキングした 外国人選手が絡むと言う図式で興行を開催。 その後、金村がFMWに荒谷がWARに移籍して 両エースが離脱する事態に直面するが 中牧昭二と小野浩志が画鋲デスマッチなどの 過激なデスマッチを展開。 それに加えてキニョネスのブッキングで テリー・ファンク、カクタス・ジャック、 ダン・スバーン等の大物選手を招聘。 加えて当時のライバル団体であったFMWを退団した ターザン後藤、ミスター雁之助、フライングキッド市原の 真FMWなども参戦。 1995年、川崎球場で興行を開催する程の隆盛を得る。 また新日本プロレスが脱退したばかりのNWAにも加盟して 団体内でNWA世界タッグ・リーグ戦を開催した他に NWA世界ヘビー級選手権試合も組まれた事があった。 しかし、1996年、代表のキニョネスが経営陣から撤退して 全日本、FMWへ手駒の外国人選手を率いて参戦。 これに中牧も呼応する形でFMWへ参戦するなど苦境が続いたが 真FMW軍との抗争をメインに興行活動を維持する事が出来た。 1997年にはWWE極東地区担当マネージャーだった 佐藤昭雄を専務取締役として招聘し、 ECWと業務提携を結んでレイヴェン、トミー・ドリーマー、 スティービー・リチャーズなどのECWの精鋭が興行に参加するなど 全盛期の勢いを取り戻すものと思われた。 しかし、プロレスリング統一機構・FFFの設立に 佐藤、真FMW軍が撤退し、存続の最大の危機を迎えた。 この時は若手選手の山田圭介が代表に就任して ザ・グレート・カブキを所属選手として三顧の礼で迎え入れて ファンの支えにより何とか持続する事が出来た。 1999年、選手兼代表の山田が退団。 それと前後して当時後援者でもあった 浅野起州が代表取締役に就任。 上記の通り何度も存続の危機に見舞われるが、 その都度危機を乗り越えてネームバリューのある 外国人選手の招聘やプロレスリング・ノアを始めとする 他団体との交流を行っている。 主なストーリーラインは謎の集団「UMA軍団」を中心とした 「新宿二丁目劇場」と銘打ったコミカルなアングル。 小規模会場をメインとしながら継続的な興行を開催していた。 だが、2014年10月13日、新宿FACE大会を最後に 代表の浅野が引退のため活動休止した。 ​最新 Bluetooth イヤホン 高音質【QCY QY8 正規販売店】メーカー1年保証 / ワイヤレスイヤホン 両耳 Bluetooth 4.1 ランニング bluetooth イヤホン 防水防汗 ワイヤレス イヤホン ブルートゥースイヤホン​

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る