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カテゴリ:人情話
新田次郎氏作「武田信玄」第二巻の川中島の合戦に音読は進んだ。上杉軍の殲滅を図る信玄は武田軍2万の兵を二手に分け、一手は八幡原に陣を構え謙信を迎え撃つ兵1万の本隊、もう一手は妻女山を伺いながら機を見計らって後方から挟み撃ちにしようとする1万の兵。 1年に1度しか出ないという深い深い霧(幕霧)によって、合戦の場は視野を失っていしまうが、双方が相手の動きを推察しつつ夜が明けるのを待つ。 ところが、謙信は武田軍の予測の裏をかき、深夜に動き出し、千曲川を渡って八幡原に越軍1万2千の兵が襲来した。武田軍は身を固めてただ襲撃をよけるのみ。防御一辺倒で妻女山側からの援軍が来るまでの防戦となった。 しかし、頼みの援軍は、信濃衆や越軍の兵2千によって行く手を阻まれ、動くに動けぬ状態に陥った。そこで防御線の中央突破を計る兵と、妻女山を登って迂回して八幡原を目指す兵との二手に分かれ、近くて遠くなってしまった八幡原へと急いだ。 夜明けとともに始まった衝突は、午前中は越軍の猛攻のみで、武田軍は山本勘助や信玄の弟の信繁が落命した。信玄の危機を救うための盾となるべく決然として死の道を選んだのである。 新田氏の筆は、誠に臨場感豊かであり、合戦の様子や軍兵の動きが脳裏に浮かぶようである。この様な大きな犠牲の下に武田軍の逆転が可能であったのか? 四代目天中軒雲月の「武田信玄」では川中島の合戦の場面は、非常に少ないが、今後口演する時には、この様な情景をも心に浮かべながら取り組んでみようと思う。
さて、あと二日後に迫ったうららさんでの秋祭り。阿武松緑之助の口演。23日夜の練習では22分30秒で「どうしたものかよかろうと~」という文言がチョット出て来なかった。 24日の夜練習では24分13秒。快調に出来た。25日夜練習はipod miniで本物を聴きながら行った。自ら覚えているものに間違いはないかの確認である。先日担当者の方からの連絡で、1時間前に到着して、現地の仮設の舞台等を確認するという次第となった。あとは体調を保つのみ。良い日になることを願う・・・
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