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カテゴリ:人情話
今朝は、午前3時に帰宅。入浴床に就いたのが4時。8時半に起床した。恒例の朝の散歩は消え、妻が愛犬を連れだしてくれた。人情話の朝修業は必然的に取りやめとなった。非日常の一瞬。体には相当のだるさが残っている。 さて出番の予定の無い今は、人情話の充電について。「巌流島」は284日まで進んだ。 さらに、新田次郎氏の「武田信玄」第二巻と第三巻を再びお祭り前に図書館から借用して、音読を始めた。ざっと50ページ余。第二巻の巻末まで読み進めた。粗略は以下の通り。 永禄11年、今川に侵攻した信玄は、弟河窪兵庫助信実に、安倍金山奪取の為に出兵を命じた。攻め落とすことよりも金山の職人をも含めて丸ごと手に入れるよう調略させた。金山奉行の安部天真は一同に諮り、今川から武田に服属する決めた。 甲州の黒川金山が枯渇する状況にあって、今川侵攻の最大の狙いはこの金山獲得。金によって戦での敵の調略に功を奏していた信玄は大変喜んだ。詳しく調べると、埋蔵量は三十万両、長崎から戻った大蔵藤十郎(後の大久保長安)が宣教師からイスパニアの錬金法を身に着けて帰って来たので、更に埋蔵量の換算が倍以上となった。 北条と徳川の密約がなり、北条が攻め込んだため窮地に陥った武田軍はいったん撤兵をしたため、遠江を徳川、それより以東を北条が支配する事になった。だが武田は6月になって再び駿河に攻め入り、富士兵部将輔信忠の守る大宮城を攻め、一計を図って和議・降伏させ所領と富士山の大宮をつかさどる神官としての権限を従来のままとした。これにより甲斐から駿河に出る右左口路を押さえ、甲斐と駿河を直結させた。 物語は、中々前には進んでいかない。信長の上洛と躍進を目にして焦りを感じ、又徳川のしたたかさに気付く信玄。その眼の先には、自身の京都上洛と全国制覇の夢が依然として広がっていた。 「武田信玄」口演の際には、信玄の自信や人間としての凄味なども頭に入れながら、終末を語るようにして行こう。
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Last updated
2012.12.04 16:21:26
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