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カテゴリ:トイプードルの ソラ
やあ!ソラです。今朝の散歩は小雨混じりなので、15分のショートコース。夜は、予報の雨が遅れていて幸い。40分の何時ものコースを歩く事が出来た。やっと運動不足の解消。
昨日は悲しいことが起った。19歳になっても病気と闘って懸命に生きていたコロちゃんが、静かに息を引き取った。昨晩は父母の孫たちが夕食に来ていて、とても賑やかだった。 コロちゃんは、この3日間で、しっかり飲み食いできたものは、水だけだった。犬用の肉缶詰やおかずの御馳走なども、固形物は喉を通らなくなっていた。お湯に混ぜてスープ状になったものを、ピチャピチャと舌で5~6回舐めると、やめてしまう。 ゲージの中で静かに息をしながら、大人しく寝ていることが多かった。一昨日は午前中、父に両目の目やにを丁寧に取り除いてもらい、目の中につけてもよい軟膏をぬって貰っていた。濡れティッシュで何度も体を拭いてもらった。 夕食後は母に、尿取りパッドを着用しているお尻を、きれいにしてもらった。とても気持ちよさそうだった。夜の12時頃に一度「ワン」と鳴いたが、私がコロちゃんの声を聞いたのはそれが最後だった。
今日は話すことが多いので、ここからは父の言葉で語ってもらうことにする。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー
昨日は水を飲んだが、誰も鳴き声を聞いていなかった。呼吸が止まった瞬間は誰も知らなかった。6時過ぎに娘が子供を送っていくときには、まだ息があったそうだ。家に戻って、食事をしている最中に来客があり、それで玄関に行った時に、初めて呼吸が止まっているのに気付いた次第。 極めて穏やかに、静かに、迷惑を掛けまいという殊勝な心で旅立っていった。胸に耳を当て心音を聞こうとするが何も聞こえない。胸や腹も呼吸で動く様子がない。だが体全体がまだ大変温かくてやわらかかった。気付く寸前に天国に昇ったに違いなかった。 三女が小学校1年生の時に、捨て犬だった子犬をいただいて育てた。体がムッチリしていてかわいいので、コロちゃんと名前がついた。柴犬似で、シェパードの様な黒い毛が尾や背中や頭にあった。 大人の犬になった時は、顔だけを見ているとハンサムだが、どうしてもオスだと勘違いしてしまうほど。メス犬であることをついつい忘れてしまう。食欲旺盛で元気。家族の言う事を良く聞き、みんなから愛されていた。 3歳ぐらいから、同じ年のヨークシャテリアのクッキー君が住み着いたので、仲良く暮らした。自分は外、クッキー君は家中で飼われても、焼きもちを焼かなかった。 お利口さんだったが、偶然綱が外れると、突然の野生犬に復帰。家の前の道路を縦横に駆け抜けた。この状況になると、鎖に繋がれない自由を満喫して、呼んでも来ない。車に轢かれないかと心配の種。 だが車が大好き。車で追いかけ、ドアを開けると、自ら乗り込んできた。夜の散歩では車道と歩道を分け隔てる縁石の上を起用に歩いた。特に橋の上は植木がないから、邪魔にならず自由に歩ける。得意そうに器用に歩いた。 3年前には、1週間の飲まず喰わずの突然の危篤状態に陥った。だがそこから奇跡の生還を果たした。 1年前から、子宮蓄膿症を患い、痛みで段々と歩行能力が衰えて行った。散歩の距離が少しずつ短くなり、家の庭の中だけから、体を抱えてもらっての歩行に移行。最後は寝たきりとなった。 ゲージの中にシーツを敷いて寝たきりになって約半年間。常に学ばさせて貰ったのは、病気にくじけず、力強く生きる姿勢だった。どんな体調が悪くても食事をしっかりとった。コロちゃんを応援する人が増えた。お守りも頂いた。 縁あって、秩父市吉田にあるペット霊園にその夜の内に安置していただいた。電話でお話し予約を取った。30分ほどの道のりを行くと、職員お二人が屋外に出て待っていてくれた。深々と礼をして迎えてくれた。電話の折といい、この初めての出会いといい、いいところにお世話になれた。 大きな慈恩観音様の石像の前に、亡骸を安置して頂いた。御花や綺麗な布が掛けられていた。焼香を済ませ、別れの言葉をコロちゃんに次げると、職員の方からもねんごろなお言葉を戴いた。心が安らいだ。 今日は、コロちゃんの好きなお菓子を買って自宅の仏壇に御供え!読経をしていたら、亡きコロちゃんへ綺麗な花篭が届いた。午後にはもう一つの花篭。コロちゃんを応援して頂いたり、可愛がって頂いたり、お世話して頂いたり、その上お花まで・・・。つくづく幸せな・・・・。 色々な思い出を辿りながら、荷物の整理や、ケージ洗いや片付けを全て済ませた。仏壇の前にはきれいな花かごが二つ並んでいて、寂しさを忘れさせてくれる。 もう成人に達している三女の人生と、ほとんど同じくらい長く触れ合ってきたコロちゃん。私達家族に多くのものを与えてくれた。多くを教えてくれた。また、家族以外の人達にも、感動をもたらした・・・・。
十数キロあった体重が、軽々と両手でゲージに出し入れできるようになっていた。まるで木が枯れたように。骨と皮とが主で無駄なものがなかった。最後の顔を昨晩カメラに収めたが、今見るといい顔をしている。見事な大往生だったと心から拍手を贈った。
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また、ここからは、同じ仲間である私の出番。 コロちゃんの姿が消えたのは、私にも分かった。玄関が片づけられ、コロちゃんの臭いも薄れた。何時も毎日見慣れていたコロちゃんが今日から居ない。何となく寂しい一日を過ごした。明日から、これが普通の生活になるんだ!私もコロちゃんの分まで元気に生きる!
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