2014/10/04(土)15:39
JAZZ耳養成マガジン第14号
昨日、JAZZ耳養マガジン14号を藤村書店で買った。 9月29日に所沢パルコに出かけた折に、3階の書店に顔を出したら、まだ売っていなかった。 音楽関係のコーナーにもなく、店員さんに聞いても分からなかった。 家に戻って確めたら、9月30日発売であった。 それにしても、13号の姿が全然見えなかった。 秩父ではどこの書店でも、前号が必ず残っているが、人口の多い市では、JAZZ人気が高いのだと、感じた・・・・。 今回のテーマは、 「♪ザ・サイドワインダー」 「ジャズ史5 ファンキーとジャズ・ロック」 ~~「マンネリ打開が生んだ『ブラックネス』への回帰と『ポピュラリティー』の追求~~ 今までの号のジャズ史のおさらいを簡単に想い出すと、 ◎ニューオルリンズで生まれた黒人音楽が、ジャズと云う音楽ジャンルに昇華。ルイ・アームストロングが触媒 ◎シカゴからニューヨークと転ずるにしたがって、スイングブーム到来で白人にも広まる ◎黒人色の強く、優れた奏者の即興演奏が中心のビー・バップへ回帰 ◎西洋音楽の理論と演奏グループの統一性を重んじたハード・バップでモダン・ジャズ黄金時代 ざっとこのような記憶。多少の思い違いはあるかもしれないが、およその流れはOKだろう。 こんな前置きで、早速「ジャズ史5」を読んでみた。(以下は後雅洋氏の解説概略) ハード・バップジャズが完成されたスタイルなので、ジャズマンの誰それに関わらずみんな同じ味になったため、そのマンネリを打破するための演奏や曲が作られた。 打開策の一つが「黒人性」であり、それが「ファンキー・ジャズ」と呼ばれた。「ファンキー」とは、土臭い感覚や、汗の飛び散るような感覚意味する。 打開策のもう一つが「大衆性」であり、それが「ジャズ・ロック」と呼ばれ、ジャズのポップス化が進行した。 両者はよく似ている。何故ならば、「ブラックネス」と「ポピュッリティ」をキーワードとしたジャズ・スタイルとしては同質。 こんなジャズ史を耳に入れながら、曲を聴いてみると、ハード・バップの曲想との違いは、分かる感じがする。 だが、ファンキー・ジャズとジャズ・ロックの違いは殆ど分からなかった。 1961年に、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズが初来日して、日本でも爆発的ジャズブームが起こったそうだが、このことは私もテレビを通してその演奏の様子を小耳にはさんだことを、今でも覚えている。 この二つのジャズ・スタイルはこの頃に生まれたそうだ。感慨深いのは、その中に「リー・モーガン」がメンバーの一員として演奏していた事。 このマガジンで紹介された、「アイ・リメンバー・クリフォード」の演奏を聴いて、素晴らしい奏者と感銘を受けたが、その彼が、ジャズ・ロックの先駆けとなっていた・・・。 当初は、20歳代前半で急逝したと誤解していた。 実際は、初来日からおよそ10年後の34歳頃に、ニューヨークでのライブ出演中に、愛人によって撃たれて・・・・。 神童と謳われ、クリフォード・ブラウンの再来と称された人物。真に惜しい。 わたしは、今号で紹介された「ザ・サイドワインダー」よりも、「アイ・リメンバー・クリフォード」の方が好きだ。 あたかも、彼自身を追悼しているような、悲しい響きを感じてしまう・・・。 最後に、曲のラインナップと謳い文句を紹介 1 ナット・アダレイのコルネットによる、「ワーク・ソング」 ~「黒い」雰囲気に溢れた、”ファンキー”の代表曲~ 2 ドナルド・バードのトランペットによる、「エイメン」 ~コール・アンド・レスポンスのアーシーな雰囲気 3 ホレス・シルヴァーのピアノによる、「フィルシー・マクナスティー」 ~これぞ100%ファンキー。メンバー一丸で黒い演奏を展開~ 4 ハービー・ハンコックのピアノによる、「ウォーターメロン・マン」 ~”ファンキー”気分満載の、”ジャズ・ロック”先駆け~ 5 リー・モーガンのトランペットによる、「ザ・サイドワインダー」 ~キャッチャーな曲想とリズムの典型的”ジャズ・ロック”~ 6 キャノンボール・アダレイのアルト・サックスによる、「マーシー、マーシー、マーシー」 ~白人サヴィヌルが手掛けた、”黒人以上に黒い”ファンキー~