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お休み處  桐風庵

お休み處  桐風庵

紋次郎 1

おてんとさま
木枯し紋次郎の物語には仏教を色濃く反映した逸話が多くあります。死生観。諦観。因縁。因果。紋次郎自身は頼れるものは己だけといった強い心の持ち主です。何かに縋ることはしません。ですが何か偉大なもの、人間の力を超越した大きいものの存在は認めているようです。それを象徴しているものが「お天道さま」なのでしょう。いつも極限を生き、そして宿命的な子供時代の境遇を体験した紋次郎ならば、人間の力ではどうすることもできない宿命というものを感じずにはおれないでしょう。お天道様つまり太陽ですね。太陽を信仰している宗教にミトラ教というのがあります。太陽は冬至の日に生まれ翌冬至に没す。それを繰り返す。古代小アジアの宗教です。イエス=キリストの誕生日はここから貰ったものかと思われます。神が万物を創造したのか、それとも人間が神というものを創造したのか。仏というものは単に人間の観念の世界のものじゃないのか。我思う故に神ありなんじゃないのか。そうかもしれないしそうでないかもしれない。私にはわかりません。太陽というものは現にそこに在ります。目で見えます。これは何と言っても動かしようのない事実です。そして全てのものに公平に恩恵を与えています。これほど確かなものはありません。その最も確かなものだからこそ紋次郎は、自分が頼ることはしないが人間を超えた偉大なものの象徴として「お天道さま」の名を使うのではないでしょうか。2009.7.20





諦め
木枯し紋次郎の物語には禅宗あるいは浄土系の諦観、無常観があふれています。「あっしにはかかわりねえことで」のセリフはもちろん自分には関係ないことには関わらないということですが、どうにもしようのないものには関わらない、関わってもどうしようもないことには関わらないということでもあります。作品全体に流れてるこの「諦め」は「明らかに究める」「あきらかにする」ということです。出来ないものは出来ないものとしてはっきりさせてその先のことは世の大きなうねりに委ねてしまう。神仏にすがるというより任せてしまうのです。「木枯しの音に消えた」で紋次郎は、一時期共に過ごした少女だった女と再会します。目の前にいる女は今、不幸の中にいる。しかし、どうすることもできない。無表情でいるしかないことを紋次郎は知っています。「童唄を雨に流せ」では、間引きしようとする母親に金を与えて救おうとするが結局はどうにもならなかった。少しばかり関わったことを後悔します。消極的になるしかありません。この対極の考え方に積極思考、プラス思考というのがあります。願いは叶う、強く願えば思いは必ず実現するというものです。何年ごとかブームが起きるマ-フィーや中村天風、数年前には脳内革命という本が大ヒットしました。この思想は初めのうちは活力となるのですが、次第に限界を感じるようになります。ナニガナンデモとプラス思考を無理に押し通そうとすると精神に支障をきたすおそれがあります。このイケイケどんどんの弱点は失敗したときのケアがないことです。どこで降りていいのかを示していません。なにしろイケイケのみですから。どうにもならなきゃ「諦め」ていいんじゃないですか。「諦め」にどっぷりと浸かりましょう。それが癒しにもなります。同じ仏教でも法華経系はイケイケどんどん的要素が強いです。続けてれば疲れることもあるでしょう。一息つきたいときは「他力」にすべてを委ねてもいいんじゃないですか?宗派にこだわることなく癒されればいいじゃないですか。同じく仏の教えなのですから。私はそう思います。2009.8.30





ひとの為、公のため
あてのない旅はつらいものです。同じく目的のない日々の暮らしは張り合いがありません。紋次郎はあてのない旅をつづけます。紋次郎のような無宿人はひとつところに居つくことが許されないからです。移動することが旅の目的ともいえますが、それって何て虚しく辛いことでしょう。そんな紋次郎に目的が出来ることがあります。紋次郎に頼み事をする相手は多くの場合、仏になる寸前の者です。仏の頼みとあっちゃ断れないと渋々引き受けますが、旅の目的が出来たことを内心よろこんでる部分もあるのではないでしょうか。「本当のところ、あっしは十太さんに礼を言いたい気持ちなんだ。今夜の内に明日のことを考える、十太さんから書状を頼まれるまでは明日という日の使い方を前もって思案したことなんかねぇあっしです」―地蔵峠の雨に消える― 人は自分の為には頑張れないものです。私なんか特にそうです。自分ひとりだったら最低限の衣食住があれば充分です。それ以上努力しようとはしないでしょう。「家族がいるから頑張れる」はよく聞く言葉です。上司の喜ぶ顔が見たい。野球チームだったら監督を胴上げしてやろう。なにかしらが頑張れる原動力になっています。日本経済の発展は実はこんな些細なことの積み重ねだったのではないのでしょうか。近年、個人の能力主義が盛んに言われてますが、これを発展させて嘗ての隆盛が望めるでしょうか。ただ単に勝ち組負け組みの区分けで終わってしまいそうな気がします。私の考え方はどちらかというと個人主義なんですが積極的に自分のステータスを上げようとかは思わないですね。欲がないというか、やる気ないというか、能力ないというか。大金持ちになったとしても使いみちが想像できませんもの。大邸宅建てて外車買ったら後どうしたらいいんでしょう。キンカクシを純金にするくらいしか思いつかないです。人は自分の為だけでは頑張れません。世のため国のためなんてのはなかなか想像しにくいですが、身近な家族や会社のことを少しでも考えられるようになると本当により良いものは何か見えてくる気がいたします。2009.9.18





十界論
仏の教えの項目で十界を紹介しましたが、これを木枯し紋次郎に当ててみましょう。紋次郎の家は明日の飯にありつけるかといった貧農です。近所からたくわんの尻尾や雑炊の残り物を貰ったりしています。いつも飢えた状態でした。貪るように食べたことでしょう。まさに餓鬼の様子です。煮売り屋であのお馴染みの一気食いシーンがあります。たぶん身の安全の為ひとつところに長居は無用を表わしているのだと思いますが、一方では貪り食ってた餓鬼の頃を表現したのではという気もします。あのシーンを中村氏がやると少しも下品に見えず、そういう作法があるのかなどと思ってしまうから不思議です。渡世人になってからは喧嘩が絶えません。降りかかる火の粉を払うためとはいえ殺戮の繰り返しです。修羅の世界を生きてるわけです。または地獄の淵を歩いてるともいえるでしょう。殺られれば地獄行きですから。物語も終盤になると殺生は極力避けるようになります。紋次郎は年に一度、姉の墓参りをします。そして時には無残に死にゆくものに手を合わせたりします。これらの行為は菩薩心でしょう。「こうした雪燈籠を見ると、子供の頃のことを振り返ってみたくなる。だが、思い出など、一つも残ってはいなかった。忘れたいことばかりだから、過去のない渡世人であるのだと紋次郎はふと自嘲した」―雪燈籠に血が燃えた―
紋次郎にとって天界にあたる天にも昇る喜びなどあったのでしょうか?「十歳になってからの自分は、少しも大切にしたいとは思わない。だが、もっと幼いときの自分は、別格であった。自分では、なかったような気がするのだった。自分でないことが、貴重であるみたいに思えるのである」―雪燈籠に血が燃えた― 十歳までの間に一度か二度は大きな喜びがあったのかもしれません。2009.9.25





生きる
「今はまだ死んじゃいねぇから生きてる。たぶんそんなところだろうさ」「すすんで死にたくもねえ。死ぬときが来たら黙って死ぬ。ただそれだけのことさ」六地蔵の影を斬るのセリフです。この台詞にシビレて木枯し紋次郎を本気で観るようになりました。当時、小学五年生だった私は、自分の周りは親兄弟含めて誰も味方がいないという思いが強かったです。そしてなにも考えたくないことばかりでした。思考能力がほとんどゼロに近かったのではないでしょうか。今思うに、この何も考えることができない状態というのは大事だったのかなと思います。物事を積極的に打開しようなんて考えがあったら「死」に奔ってたかもしれません。一種の防衛本能だったんですね。生まれてすみませんと言った太宰治は自ら死んでしまいました。生まれてすみませんの気持ちは紋次郎も同じだったでしょう。けれど紋次郎は生きようとします。特に無縁仏に明日をみたでは、自分で傷を治し生魚を食べ必死で生きようとしてます。この生命力の元は何なのか?生まれてすぐ死ぬはずだった自分。その自分を救った姉。姉に拾われた命だけは大事にしたいと思ったのでしょうか?私に考える力が少しついてきた頃は「見せしめに生きなければ」という感覚でした。誰に対してというわけではなく、恥をさらしながらでも生きてやるといった感じです。紋次郎にもそのような感覚があったのでしょうか?大平光代さんの本の中で、自分をイジメた相手に対して見せしめに割腹自殺するというのがあります。大平さんは死なずにすみましたが、その大平さんにイジメっ子たちは「死に損ない!」という言葉を浴びせます。このことからも見せしめに死ぬのは無意味であることがわかります。いじめっこ達も思考能力がほとんどゼロなのですから伝わるはずありません。いま大人になって反省してるかもしれませんが。私の「見せしめに生きる」は間違いではなかったようです。振り返ってみますと生きてみなければわからないことばかりだったという気がします。紋次郎に生きるヒントをもらったといえば言いすぎですかねぇ?イジメに対抗するには反撃するのが一番です、というかそれしかありません。「降りかかる火の粉ははらわねばならぬ」これも紋次郎に教わったものでした。「生きてしまっている以上、食っていかなければならない。そのためには男の意地も、道義的責任もへったくれもなかったのである。一ヵ月もすれば心中未遂事件など、過去のこととして無に帰する。そんなことのために食えなくなるのは割りに合わないと、笹本はケツをまくったのであった」 ―詩人の家―  2009.10.8





食について
「無宿の流れ者になってからは、飢えがずっと道連れだった。三日ぐらい何も食べずにいることなど珍しくはないし、干したイモをしゃぶるだけで数日を過ごすのは当たり前になっている。食べものは、味ではないのである。野垂れ死にをしないために、必要なものということになる。だから、人並みのご馳走を食べたあとでも、草の根だろうと同じように平然と口に入れることができる」―奥州路七日の疾走― 紋次郎は一日に干しイモだけとか豆餅だけといったことはめずらしくありません。それでいて十何里も峠道を歩きます。一見無茶なようでもありますが出来ないこともないのです。それがあたりまえといった体質にしてしまえば可能です。私は朝食を摂りません。一日二食、昼と夜のみです。これは山に登るときも同じです。朝早く登山口を出発しますと大抵、午前中には頂上に着いてしまいます。その間は水以外なにも食べません。それは富士山(日本の最高峰)でもそうでしたし北岳(第二の高峰)の時もそうでした。そして下山の途中で昼食になるわけですが、ビスケットとか黒砂糖、ソーセージといった保存食の類です。以前、腹いっぱいの状態で登ったことがあるのですが体が重くてかえって調子悪かったです。以来なにも食べずに登るのがあたりまえになりました。今度、水筒と干し芋と豆餅だけ持って行こうかと思ってます。食べないと力が出ないというのは幻想です。それはマラソンランナーやボクシングの選手を見ればあきらかです。お釈迦様は断食だとかの難行苦行はする必要ないとおっしゃいました。けれど体の健康の為には断食は有効です。かつて私は五日間の断食をやりました。口に入れるものは水とカンテンだけです。一週間でも出来そうでしたが仕事に支障を来たすといけないのでやめましたが。今でも丸一日、正確に言うと40時間の断食を年2回やってます。私の誕生日と師匠の命日に。体の調子はますますいいですねえ。体が軽く感じて100mを10秒で走れるんじゃないかという気分です。健康な方は元気なうちに断食を体験することをお勧めします。体が弱ってからじゃ出来ませんからねえ。断食の最大の目的は食べ過ぎによる体内の余分な栄養を取り除き、人間が本来もっている能力を最大限に引き出すことにあります。体に飢餓状態という大きなストレスを生じさせると体はこの危険を察知して体の中のあらゆる器官を総動員して生命を守ろうと必死になってもがきます。断食が始まったら次の補給が期待できないので胃腸に入ってきた食物は100%近く消化吸収してそれを待ち構えるようになります。このように飢餓状態というストレスに対する反発力が体のしくみを大きく変動させます。この変動させる力、体質を変換させる過程がさまざまな病気や症状を治す力となって現れるのではないでしょうか。断食を体験すると「生かされてる」自分に気づくとはよく耳にします。私の実感では「生かされてる」は何か格好付け過ぎといいますか綺麗ごと過ぎといいますか、そんな感じじゃなかったですね。むしろ「生きてていいんだ」がしっくりきます。自分の頭で死にたいと思おうと思うまいと体の器官は懸命に生きようとしてます。愛おしくなります。こんな自分でも「生きてていいんだ」って気になりました。テレビでは食い物の出る番組が多いですねえ。日本人はいつからグルメとか何とか言うようになったんでしょう。「美味しんぼ」の漫画の頃からですかねえ?バブル真っ只中でしたか、あの漫画が出たのは。食い物のことでゴタゴタ言えば言うほど逆に貧乏くさいというか田舎モンくさいというか、カッコ良くないですね。食についてはもっともっと言いたいことがあってページをひとつ設けようかとも思ったんですが、私なんかより詳しく食に特化したブログが既にあるようですのでやめました。下にある安食育夫さんのブログの内容は素晴らしい。私も大筋同意見ですので紹介したいと思います。2009.10.16

食育が危ない!食事バランスガイド無視で健康家族





沈黙は金
「わたしは寂しいし、悲しいんだよ」お百がふらっと、立ち上がった。気がついて、障子をしめに行ったのである。何となく、足許が定まらなかった。お百は銚子一本の酒で、早くも酔ったようだった。「ねえ、紋次郎さん。何とか、言っておくれな」席に戻ると、お百は苛立たしげに、身をよじるようにした。紋次郎は黙って、番茶をすすっていた。―桜が隠す嘘二つ―
〔雄弁は銀、沈黙は金〕私の見方では雄弁は銅か錫、沈黙はプラチナ。それくらい価値に差があると思ってます。世間では口数の多いことが雄弁だと解されてる節があります。ここは誤解のないようにおさえておかなければなりません。口数の多いのと話の上手いのとは別物であります。無理に喋らなくてもいいんだということを紋次郎に教わった気がします。世間、特に現代では口数が少ないと何かと損をしているように思われがちですが実はそうでもないのです。出しゃばりませんから、控えめで謙虚な人物と思われ好感されます。人の悪口を言わないので敵をつくることもありません。ですがたまに「あいつは普段無口だが陰で色んな悪口を言ってる」などと吹聴する輩がおります。あらぬ中傷にしても、これって妙に信憑性がありますよね。相手が無口であることを利用した謀略なわけですが最終的には信頼回復します。結局人間性の問題ですね。いくら言葉を弄したところで人格までは誤魔化せません。沈黙が絶対に有利という場面があります。それは闘い、いわゆるケンカです。チンピラやスジモノ誰が喧嘩を売ってこようと自分に非がないという確信があるのであれば腹を据えて一言もいわずじっと相手を見据えるのです。睨む必要はありません。この無言というものに相手はいいしれぬ恐怖を感じるようです。これはどんな立派な喧嘩口上もかないません。弱い犬ほどよく吠えるともいいますね。〔口は災いのもと〕自分の身を本気で守るのなら余計なことは喋らない方がよろしい。尤も紋次郎の場合、口数が少なすぎて危険な目にあうこともありますが。自分にそのつもりがなくても言葉によって相手が傷つくことがある。その為に恨みを買うこともありうる。何かの拍子に自分の弱点を晒してしまうことだってある。お喋りで見栄っ張りの人が時々やることですが、こっちは何にも聞こうともしてないのに勝手に隠してることをボロボロしゃべって墓穴を掘ったりしてます。日頃、寡黙を通しててたまに気の利いたことを言うと周りは違和感を感じるのか険悪な空気になる。無理して似合わないことはせぬことだ。喋るんなら普段から喋れ。無口な奴だとからかってる奴。無口な奴が喋ると機嫌が悪くなる奴。気に食わないんならテメェがもっと面白ぇこと喋れ。とまぁ面と向かってはいえないことをいわせていただきました。言わぬが花という風流な言葉もあるようですのであまり余計なことは言わない方がいいようですね。〔寸鉄人を刺す(殺す)〕紋次郎は言葉は少ないですが実情を的確に言い当てる。そして含蓄がある。こうありたいものです。〔巧言令色鮮し仁〕言葉巧みにいい顔をつくろってみせたり自分を大きく見せようとしても見る人が見れば聞く人が聞けばわかるものです。私の知ってる限りですがこの人本当に話が上手いなあと思える人は、ひとの話をよく聞いていますね。自分がしゃべる前にまずは相手の言うことをよく聞く。礼儀、態度としても立派です。とどのつまり人間性なんですね。ひとが喋り終わらないうちから割り込んできたり、もっとひどいのは喋ろうとするのを遮って俺が俺がと主張する。ありがちなことです。よくよく気をつけねばなりません。口数が多い人は軽いと決め付けてしまうのも何だか逆差別みたいでいけないことですね。〔不言実行〕有言実行の長所は、言ったことはやり遂げねばならないという強い決意を育むことができます。自分を追い込む。背水の陣です。失敗すると恥ずかしいですから必要以上に頑張ります。戦陣訓の「恥を知る者は強し」ですね。ただ、このプレッシャーに打ち負けてしまう人も中にはいます。そんな人は不言実行すればいいんですよ。誰にも言わず伸び伸びとマイペースでやればいいんじゃないですか?向き不向きがあると思います。私も不言実行派ですから。要は内に秘めたる強い思いが大事なのではないでしょうか。〔言霊〕言葉には魂が宿ってる。だから魂のある言葉には胸を打たれ涙する。そしていつまでも心に残る。魂のない言葉は左の耳から右の耳へと通り抜けるだけ。いわゆる言霊信仰ですね。私もそう思います。映画や舞台で同じセリフなのに感動したりしなかったり俳優によって違ったりします。言霊のあるなしが大きく関わってるのではないでしょうか?書物でも感動します。作者は自分の魂をインクに染め流して書いてるのでしょう。俳優に限らず、親の言う言葉、学校の先生の言葉、会社の上司の言葉、言葉を発する側の魂のありようが問われます。清浄な言霊であるか?そして言葉を受ける側の魂がどうであるかも関係してきます。魂が清浄であるか?曇ってて受け付けないんじゃないか?自分が何かをやろうとする時の決意の言葉。言ったことは実現する。成功させる言霊。仏教でも「声、仏事を成す」といいます。言ったことは現実化します。幸にも不幸にも。2009.12.4





一期一会
「またお目にかかることもねえだろう。十太さんのおかみさん、随分とお達者で」―地蔵峠の雨に消える― 会うは別れの始め。会者定離。これも無常観のひとつですね。会った者といつかは必ず別れなければならない。別れはつらいものだけれども、それはのがれることのできない人の世のさだめであります。茶の湯の席で客をもてなす心構えは一期一会だと聞いております。人と接する時、このひととはもう会えないんじゃないか、次はないのではないかということを心の片隅にでも置いとけばそうそう雑には扱えないでしょう。そして少しでも別れの覚悟をしておけば悲しみもやわらぐというものです。別れるのが辛いので自分からすすんで人と接しようとしないという人。それはいけないことなのだいうのが今の風潮のようです。でも私はそういう人は好きです。別れることに人一倍傷つきやすい、その心根を大事にしてあげたいと思っております。人見知りしてる暇なんかないとばかりに社交性をふりまくよりは情緒があるのではないでしょうか。別れの相手は人だけではありません。「物」との別れ。使い慣れた愛着ある腕時計、好きな人から贈られた物、捨てきれない思い出の品々・・・。形あるものはいずれ滅びる。わかっちゃいるんだけどもなかなか簡単には整理整頓とわりきれないですよねえ。「二度とお目にかかることもねえでしょうが、どうか達者で暮らしておくんなさい」―女人講の闇を裂く― 2010.1.10





義理と人情
「渡世の義理で怨みもねぇ人を斬ったり、僅かな草鞋銭で追っ払われたり、そんな割のあわねぇことはもうこりごりです。親分衆のウチへ御厄介になるのはやめておりやす」―地蔵峠の雨に消える― 義理と人情を秤にかけりゃ・・・なんて歌がありますが、義理という言葉は何だかあまりいいことで使われてないようですね。仕方なくやるときとか、いやいやながらしなければならないこととかで多くつかわれているようです。義理チョコも。その点「人情」の方はいい意味でつかわれています。私は嘗て、下町人情で有名な町に住んでたことがあります。面倒見がよく本当にいい人ばかりでした。ですがある時、私は考えごとしながら歩いてたのか只ボーっとしてただけなのか、その親切な人たちのいる場所を挨拶もなく通りすぎまして、なんだあいつは挨拶なしで知らん顔で行っちまいやがったってんで追及されたことがありました。なんにも言い訳しませんでしたけどね。下町人情って面倒くせえなって思いました。私は元々、下町人情とかは似合わない人間なのですけども、それでも幾らかは憧れのようなものはありました。そのあこがれも、この一件で何処かへ吹っ飛んでしまいましたね。下町人情ってなんなんだろうって。今は中途半端な田舎の住宅地に住んでます。住みやすいですね。周りみんなが余所者ばかりで堅苦しくなくて。これが本格的な田舎だと村社会になりますから住みにくいでしょうね。下町どころじゃない掟があることでしょう。田舎や山は好きなんですけども遊びに行くだけにした方がよさそうです。2010.1.16





ギャンブル
「あっしはこれで退かしていただきやす。若え衆で一杯やっておくんなはい」―童唄を雨に流せ―
受験シーズンですね。今年は寒さが厳しく大雪の所も多いようです。受験生のみなさん頑張ってください。大雪で交通がマヒして受験生が遅刻した場合、試験時間をずらすなどして対策すると聞いております。思うんですが、これって親切過ぎ、保護しすぎなんじゃないですかねえ。一生の内、何度かは運否天賦に振り回されることってありますよ。たしかに受験というのは人生の方向を決める大事な日ではあります。その大事な日だからこそ人生にはギャンブル的要素があることを知る必要があるのではないでしょうか。学校の勉強が得意なだけではどうにもならないこともあるという事実を知るいい機会じゃないですかね?今、世の中の変わり目で混沌としてます。けして確立してないです。ギャンブル的発想がより求められるのではないでしょうか。人が生きていくうえで最も大事な能力は危機管理能力です。この大雪の例ですと試験場の傍に宿するとか、近所のホテルが満室で入れなければ民家に頼み込んで泊めてもらうとか。それも駄目なら夜中から歩いて行くとか。本気で合格したいのならそれくらいやらねばなりません。また、それくらい努力する者を天は見捨てやしませんよ。捨てる神あれば拾う神あり。2010.1.17





ギャンブル その2
「札を動かしちゃいけやせん。お客さんは素人衆だ。作法を御存知ねえ。お揚げなすっておくんなせえ」―無縁仏に明日をみた― 競輪競馬にパチンコ麻雀・・・遊びとしてのギャンブルは色々あります。「遊び」といいましたがこれを生業としているいわゆるプロと呼ばれる人はどれくらいいるのでしょう?「博打で蔵を建てた奴はいない」ともいいます。蔵は建たないがそれなりに稼いでそれなりに生活してる人はいるでしょう。私の知ってる限りですと、他に職業を持たずそれ専門の人は居るには居ますが残念ながら平均的サラリーマンよりはるかに収入が低い人ばかりです。一時的に大勝ちすることもあるでしょうが、トータルでみますと大したことないようです。私も試しにやったことがあります。もちろん副業で。競馬や競輪より配当金が少ないけど的中率の高い競艇で試してみました。目標額は月収を日割り計算した額です。それなら生活レベルを落とさずにプロのギャンブラーになれるかなと考えたわけです。約一年。結果は・・・散々でした。ある程度いいとこまでいくんですが回数重ねるとヤラれますね。私はプロに向いてないってことですな。遊びだけにしといたほうがよさそうです。或いは目標額をずっと下げれば出来るかもしれません。紋次郎並みの食生活で数日分の食い扶ちを稼ぐだけなら。しかも宿無しで。真似できますか? 2010.1.21





有名人になる
峠花の小文太は、看板が大きすぎた・・・そのために、小文太は目立つ存在となった。敵も増える一方だった・・・「だっておめえさんは、上州新田郡三日月村の生まれの木枯し紋次郎さんじゃあねえですかい」宇市が怪訝そうに、紋次郎の三度笠の下を覗き込むようにした。「お人違いでござんしょう」二人の渡世人に背を向けて、紋次郎はさっさと舟着場へ足を運んだ。―さらば峠の紋次郎―〔功成り名遂ぐ〕ひとつの仕事にうちこんで、世間にその成果が認められ、ついでに名前と顔が知れ渡る。そういう人は成功者といっていいでしょう。自分の好きなことをしてお金貰えて食べていかれ功績が認められるのですからこんな幸せそうなことはありません。ですが有名人になってしまって本当に幸せだといえるのかどうか?有名になったことで周囲の環視に晒される、妬み嫉みの対象になる、ひょっとしたら命を狙われるかもしれない、税務署には目を付けられるし、と何一ついいことがないように思えます。これまで自由にやってたことが制限されるのではないでしょうか。好きなことに没頭する時間も減ってしまう気がします。周囲の目なんか気にせず没頭できるっていう図太い神経の人もいるでしょうけど。本物の一流は、けして表に出ないともいいます。その道の有名な人より実力は上という人もいます。いやむしろ、そういう場合の方が多いのではないでしょうか。身を立て名を揚げ。立身出世。誰でも若い頃、一度は有名になることを夢見たことがあるはずです。男の子ならスポーツ選手、女の子なら芸能人、等々。自分のやりたい一つのことに熱中して、やり続けて素晴らしい結果を出した、それでたまたま有名になったという順番ならわかります。何でもいいから有名になりたいってのはちょっと違うんじゃないですか?それだと犯罪者になるのが最も手っ取り早いです。昔、梅川某という銀行強盗がいましたが、30歳までにドデかいことやると言ってた、あれと同じことになってしまいます。なるべくイイことで有名になりたいもんですね。有名になろうとしちゃいけません。まあ、なろうとしてなれるもんじゃないですが。もっとも芸能人のような人気稼業は名が知れて顔を売らなきゃ商売になりませんけども。私は有名人じゃなくてよかった~と思ってます。あんな窮屈な生活イヤですよ。愛想ふりまいたり。のびのびと生きるのが一番の幸せです。2010.2.21





出家
仏教の元々の経典には死後の世界については詳しくあらわしておりません。日本、韓国、中国、いわゆる東アジアで行われている仏教の葬式や先祖崇拝は、仏教が中国に伝来したときに道教思想や祖霊信仰が融合したものと思われます。死後の世界で有名なのは閻魔大王です。閻魔様の像や絵画を見てみますと霊幻道士と同じ衣装であることからもわかります。そもそも出家というのは家出のことです。釈迦族の王様であるお釈迦様が出家するとき、奥方様に「どうしても家をでると言うのならこの子を踏んで行きなさい」と問い詰めたところ、お釈迦様は王子である赤ちゃんを踏んで行ったといいます。このように出家とは家を捨て家族を捨てて俗世の未練から一切離れることなのです。ですから本来の仏教、仏教原理主義とでもいいますか、全てを捨てて一人孤独に修行するものなのです。家族がなければその祖先もありようがない。葬式も先祖供養もやりようがないのです。でもそれではあまりにも厳しすぎるでしょう。それまで土着の信仰を持ってた者には受け入れられません。道教思想と混ざることでマイルドになったといえるのではないでしょうか。道教思想(タオイズム)と原始仏教の似ている点は無為自然、自由であること、そして争いを好まず平穏を尊ぶということです。家を捨て妻帯せず渡世の義理に縛られず自由であり争いを好まない。まさに紋次郎がそのものじゃないですか。2010.3.14





貸し借り 約束
「借りはつくっちゃならねえ、つくった借りは返さなくちゃいけねえ、渡世の掟と決めておりやす。でもあのひとには今だに借りが返せねえ。いや、つまらねえ話しやした」―背を陽に向けた房州路― 律儀な紋次郎は受けた恩義は必ず返します。ウチの婆さんが「ひとに受けた恩は忘れるな、自分が施した恩は忘れろ」と言ってたのを思い出します。私自身どこまで実行できてるか?お金の貸し借りは友情を壊すとよくいわれてます。遊びのための貸し借りはいいと思うんです。いずれ回収できますから。これが生活苦での貸借ってことになると返せとは言いづらいですし回収は困難になります。友達関係を続けたければお金をあげてしまいましょう。縁を切りたいのであれば簡単です。返さず追加を申し出されたら断ればいいんです。家族を持ってる者は病気や子供の入学金など突然と思える事でも想定内として出来れば備えていた方がよろしいかと思います。現代は便利になりましてカード一枚でお金が借りられます。金融会社の者とも顔をあわせる必要もありません。お気軽になったぶん管理をしっかりとしなくてはいけません。利息を払わねばなりませんが知人や友人に借りた場合の方がむしろ高くつくのではないでしょうか。最近は借金の踏み倒しが横行しているようですね。いくら法定外の利息とはいえ始めに約束したわけですから。後から文句を言っちゃいけません。借りなきゃいいんですよ。収入が少なければまず生活レベルを落とすことを考えた方がいいでしょう。こうしてみますと借りた者が貸した者より立場が上って気がします。これも時代ですか。貸主の横暴なんてのが昔のように思えます。こういう風潮は良くもあり悪くもありってとこですか。約束で一番大事なのは時間を守ることではないでしょうか。時間は貴重なものです。どんな用事であれ相手の時間を拘束するのですから遅れるわけにはいきません。旧日本海軍では10分前ルールというのがあったそうです。集合等、約束の時間の10分前には現場で待機していたということです。当時の兵隊さん士官さんはもう高齢になっておられるんですが今でも体にしみついてて生活の一部となっているそうです。立派ですねぇ昔の兵隊さんは。尤も海軍の指揮官は駄目ダメでしたが。2010.3.23





六根清浄
楊枝が吹き矢のように飛んだ。二間先にある黄金の観音像の鼻に、楊枝は命中した。楊枝は突き刺さったまま動かない。金仏であれば、楊枝は刺さらずに弾き返される。薄く塗られた金粉の下が木仏なので、楊枝が突き刺さる。「目を覚ましておくんなさいよ」紋次郎は、東作に背を向けた。―観世音菩薩を射る― 六根とは眼・耳・鼻・舌・身・意(識)の感覚です。六根清浄は、これら六感の器官を清浄することです。最もよい方法は、これらの器官を世間に蔓延る悪知識から遮断し善智識だけを取り入れるよう心がけることです。そうしますと自然と清浄されることでしょう。とはいっても山奥に閉じこもって修行でもしない限り実社会に生きる我々としては現実的ではありません。日常生活の中で修行しようとすれば見たくないものも見、聞きたくないものも聞かねばなりません。そこで、なにものにもとらわれることのないしっかりとした「自分」というものを築きあげる必要があります。その上でなるべく多く善智識を取り入れるようにすればよいのではないでしょうか。泥土の中から綺麗な花を咲かす蓮の華のように。六根清浄しますと悪縁に染まることなく、また自我のみにとらわれることなく、あらゆる現象に対して的確なものの見方ができ真実の声を聞くことが出来てきます。食事をするにしても好き嫌いという自己中心のとらわれを捨て無心に食するなら何を食べてもおいしいことでしょう。六根と六つに分かれているようですが全て一つの体の感覚といった方がいいでしょう。そして心と体も分離して考えるものでなく一体のものです。お香の世界では匂いを嗅ぐのではなく聞くと表現するそうです。これもその表れでしょう。2010.5.5





旅から旅
「どの道がいいこの道がいいと選り好みできるような結構な身分じゃねえんでござんすよ」―怨念坂を螢が越えた― 私は仕事で或いはプライベートで旅をすることが多いです。そして旅が終われば帰る家があります。フーテンの寅さんでさえ帰る場所がありました。紋次郎にはそのような拠点がありません。いつ果てるともない旅をし続けねばなりません。それってどういう気持ちなんでしょう?なにしろ区切りがないわけですから。なんんとなく暮らしてる家ですが改めて考えてみますと毎日帰る家があるというのは幸せなことなんですね。「街道はいずこも、変わりござんせん。いささか業腹だろうと、来たばかりの道を引き返すことに致しやす」―追われる七人― 私は目的地に行く道と、そこから帰る道とは違った道を通ります。そして同じ場所に再び行くにしても違うルートで行きます。たとえ遠回りになってもです。なぜなんでしょう?自分でもよくわからないのですが。同じ道だともったいないみたいな感じなんでしょうか?好奇心でいろんな所に行ってみたいからでしょうか?旅をすれば初めての景色、初めての人に出会ったりします。あっちこっちといろんな所に行こうと思えば身軽でなければなりません。どこに行っても私以外の旅人は荷物いっぱい持って歩いてますね。皆さん何がそんなに必要なんでしょう?私なんか一泊の旅でも一ヶ月の旅でも国内だろうと外国だろうと同じバッグひとつですよ。機内に持ち込める大きさです。飛行機では預けたことがありません。最低限いる物しか入ってないんです。旅というのは非日常なものだと思ってますから日常を引きずるような普段使ってる物は極力持って行かないようにしています。このページを見てくださってる数少ない方々に荷物を減らすコツをお教えいたしましょう。それは持っていこうかどうしようか迷ってる物は持って行かないことです。大抵使いませんから。快適な旅をする極意はいかに荷物を減らすかです。どうしても必要になれば現地調達が基本です。そして旅先で出会う人々の世話になればいいじゃないですか。そういうことも旅の楽しみであります。二人の男が、最後の峠越えをした。だが、生まれ故郷などに無縁な者となると、そうはいかない。今後いくらでも峠を越えることになるだろうと思いながら、木枯し紋次郎は飛ぶように峠路を下っていった。―最後の峠越え― 2010.6.13





健康であること 恩 感謝
「ひと月前のお礼を申し上げてえと思いやして」「ひと月前の礼?」「へい、あっしが道端で熱に苦しんでる時、通りがかった親分さんに薬を恵んでもらいやした」「フフフそんなことがあったっけなあハハハ」「おかげで助かりやした。通りがかりと言っちゃあ何ですが一言礼を申し上げてえと・・・」―木っ端が燃えた上州路― わたくし今、足を痛めてまして何かと不自由しておりまして。仕事にも支障をきたしてます。それでも周りの人たちの協力により何とか勤めを果たしております。こんなときは思いますねえ。健康が一番であると。日頃、仕事のことで不平不満を言ってるんですが、そんなもん、この痛さ、そしてなにもできない不自由さに比べればナンボのもんかと思います。取るに足らないことで愚痴ってたんですねえ。前にも同じことがあり同じことを思ってました。喉元過ぎれば熱さ忘れるですか。罰あたりですねぇ。人間は色んなものを身につけたがります。富とか名誉とか意地だとか。つまんないもんばかりですねぇ。いらないイラナイ。健康であれば他になんにも要りません。そして独りで生きてるんだとイキがってはみても周りの助けなしには生きられないってこともよくわかりました。感謝。カムサハムニダ。謝謝。 2010.8.1





故郷
「それを余所者のあっしに頼みなさるんで」「よそもんだと?ここで生まれた男が何でよそもんだ!」「そいつはもう三十年も前ぇのこって。今のあっしはただの通りすがりのもんでござんすよ」―上州新田郡三日月村― これから、ふるさとへの帰省ラッシュですね。夏休みの多い人だと今日あたりから休みに入るのでしょうか?車で帰省される方、お疲れ様です。ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの 室生犀星の有名なこの詩は犀星が病で都落ちしてたときに詠んだもののようです。立身出世や故郷に錦を飾るといったことに対しての自分の不甲斐なさ、情けなさといった思いが感じられます。犀星の生い立ちというのも複雑だったようでありますが、紋次郎の故郷への思いとはまた違うものだったのでしょう。私の場合はといいますと、家出同然に都会に出てきて食う為だけに働きづめで五年、なんとなく疲れたなという思いから何も考えずに生まれた土地に戻ってしまいました。元々そこが嫌で家出したわけですから戻ってきたところでいいことなどあるはずもなく、よりいっそう疎外感が増しただけでした。数少ない仲のよかった幼なじみも離れていた分、彼らは彼らなりの時間を過ごしていたわけで、その私の知らない時間の分だけ互いの心が離れておりました。しょうがないことです。そんな疎外感喪失感の二年間を経て自分には故郷というものはないんだなと気づいたもんです。あの期間がなかったら、「ふるさとは遠きにありておもふもの」などとダラダラ思っていたかもしれません。数年前、仕事の都合でその土地を通りました。ボロ長屋は分譲住宅地になっており、まるで変わってました。今では親も兄弟もそこにはおらず本当の本当に故郷はなくなってしまいました。ですから、その土地に行くのも北海道に行くのも沖縄に行くのもニューヨークパリに行くのも気持ちは何にも変わりないんです。な~んて恰好つけてしまいましたが実際はそこまでドライにはなりきれず、いくつかの楽しかった思い出にふけってる有様です。「あてのねえ旅でも心に引っかかるところが一つや二つはあるもんでござんすよ」―上州新田郡三日月村― 2010.8.7





自尊心
「ヤクザってのはなぁ、いわば世間の半端もんだ。道を歩くのにも堅気の邪魔にならねぇように片側によけて通るよう心がけてるんだ。少々名前が知られるようになったからって人様は羨みもしなきゃ喜んでもくれやしねぇ。考え違いをするんじゃねぇぜ」―童歌を雨に流せ― 紋次郎が人との関わりを避けて一人旅をつづけたり或いは煮売り屋を早々に立ち去るのは自尊心の低さからでしょうか?随分と昔のことになりますが交通事故がありました。相手は自転車に乗った子供です。事故といっても私の完全に止まっている車に自転車がぶつかってきたんですが、何だか私が悪いってことになってしまいました。口で言い訳をすればどうにでもなったんでしょうが、その時の私は疲れていて全てが面倒くさくなっていました。そして相手が子供だってんで痛い目にあって可哀想だなどと仏心になってました。示談ってことになれば相手はその子の親です。まず私は謝ってしまいました。何に対して謝ったか。平和に暮らしているカタギさんの家庭に迷惑をかけたから。対等な人間同士でそんな思わなくてもいいことを思ってしまいました。図に乗った親は慰謝料なんぞをふっかけてきました。保険金で支払ったのですが後で金額を知って驚きました。かすり傷程度が結構な値段になってましたんで。仏心が通用する世間ではなかったようです。人はなぜ威張りたがるのか?それは相手が卑屈にしているから。卑屈にしている者を標的にしているわけですね。尊大な者に威張ったりはしません。謙虚も度が過ぎると卑屈ってことで争いの原因になります。自信が行き過ぎると天狗になります。その加減が難しいところですね。この件以来、私は生きる方法として「腰が低い人にはより低く、偉そうな奴にはもっと偉そうに」を貫いております。相手の身分地位に関係なく誰にでもです。このやり方は正解でした。人が生きてりゃ人間関係での悩みもあります。疎外感、離反、裏切り等々いろいろです。そんな時「あぁ今までこんなつまらない俺に付き合ってくれてありがとう」と感謝してみてはいかがでしょう。そして、自分は元々一人なんだと思ってみます。かえって楽になるのではないでしょうか。生き方、処世術のひとつとして頭の隅に置いといて損はないはずです。自尊心なんてのは最低限、人としての尊厳があればいいでしょう。誉められもせず苦にもされない程度の。これもひとつの考え方です。「失礼さんには、ござんすが、親分さん方に三下呼ばわりされる覚えはありやせん」―桜が隠す嘘二つ― 2010.10.29





自己主張
前の「自尊心」に関連してです。元極道でイレズミもんの牧師がやってる教会があるそうですね。私はその人たちの説法を聴いたことがないので詳しいことは知りませんが、もし人の道なんぞを説いてるんだとしたらとんだお門違いです。確かに、昔悪事を働いて後に反省して更正した者は偉いです。しかし、もっと偉いのは悪いことは悪いもんだと始めから知っているカタギさんなのです。元極道がやっていいのは自分の犯した過ちをただ淡々と語ること。恥を晒すことだけです。元ヤンキー教師なんてのもいました。国会議員さんになっちまいましたね。元ヤンキーだから悩めるやんちゃな子の気持ちがわかるってことだったようですが、教師や議員さんになった時点でやんちゃな子供とは遠いモンになってやしないかって気もしますが。その点、清○健○郎や田○ま○しは偉いですね。ナサケナイみっともない生身をさらすことによって薬物の恐さを世に訴えてる。清○健○郎は覚醒剤撲滅の講演なんかをやっていたようですが、そんなもんよりよっぽど効果ありますよ。生き恥晒した方が。どんな立派な言葉よりも説得力があります。どうか御二方とも立派に更正して生きて帰ってきて下さい。世の中、俺が俺が私が私が一番目立たなきゃ中心になんなきゃイヤだみたいな風潮のようです。悪いことではない。自己主張することは大事なことです。ただ、やりすぎちゃいけない。皆がみな自己主張してたらやかましくてしょうがない。ほどほどにしてほしいもんです。「あっしが黙ってここを立ち去るのは、あっしもまたお天道さんに背を向けた男だからでござんすよ」―背を陽に向けた房州路― 2010.10.30





貫禄
三十をすぎたばかりだろうが、大した貫禄であった。紋次郎にも同じ一面はあるが、普通に振る舞っていようと威圧感が漂い、人間としての深みを感じさせる。それに、常に冷静でいる。そうしたことが、貫禄というものの土台となる。渡世人になってからの経験と修行が、貫禄の土台を作り上げる。それをはるかに超えた貫禄を、紋次郎は巨漢の渡世人から感じ取ったのだ。 ―やってくんねえ― 広辞苑によりますと貫禄とは、「身にそなわる威厳、おもみ」となっております。貫禄があるとかないとか、最近あまり聞きません。そういったものに重きをおかれなくなったのでしょうか?昔の人の写真を見ると皆さんイイ顔してますね。政治家にしても「覚悟」というもんが伝わってきます。そして老けてますね。今の人の実年齢に比べると二十や三十は「おとな」に見えます。少なくとも昭和二十年以前はそういう人が多かったように思います。現代は医療の発達で平均寿命ものびてます。そして社会福祉の充実によりまして甘えられるのですね。世の中が便利になった反面、貫禄を鍛えるという機会は少なくなっております。平和日本は有り難いことではありますが。私を含めて現代っ子は苦労が足りません。選択の余地が多いもんだから、あっちふらふらこっちふらふら、どうしても易きに流れてしまいがちです。壁は自分でつくって乗り越えるといった気概を持ちたいものです。ひとつの道一筋に生きてる人は風格がありますね。これが出来るあれも出来るといった人は、それはそれで凄いことではありますが、なんだか薄っぺらい気がします。器用貧乏であるとともに威厳ということでも損してるのではないでしょうか。お若いですねと言われて気を悪くする人はいないでしょう。男も女も。ですが男の場合は喜んでばかりもいられません。男の顔は履歴書ともいいます。若く見られたら恥じるくらいでないと。チョイワルおやじなんてイイ気になってちゃいけません。どうせなら極ワルおやじになりな。浮かれてちゃいけませんぜオジサン!オトーサン! ごろつきと渡世人では、差がありすぎた。いざとなれば貫禄負けで、ごろつきは手も足も出ない。―悪党のいない道― 2010.11.21





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