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お休み處  桐風庵

お休み處  桐風庵

宗教概論

人間は、よりよく生きるために何か心の拠りどころになるものを持つものです。その対象が唯一絶対神(エホバ、アラー)であったり仏様であったりします。自分自身だという強気な人もいるかもしれません。とにかく人は何かを心の支えにして生きているものです。それが宗教です。無宗教だ無神論だと言っている人もそれだけの強い信念があるのであれば、それが宗教です。無神教とでもいいましょうか。宗教の目的は様々です。心の平穏を求めるため何かに縋る、或いは世の中を良くする為という壮大な目的の人もあるでしょう。色々です。まずは自分がどうであるかが大事なのではないでしょうか。自分の心が荒みきってるのに人類の幸福を願っても空しいだけです。家庭が不和で生活が乱れてる家の人が世界平和を唱えてるのはお笑いにしかなりません。まずは自分自身の境涯、心をみつめるといった作業から始めるのが本当の宗教なのではないでしょうか。2009.7.20





信仰をする上で最もだいじなことは信じる心ではないでしょうか。まあ、信じてないものを真剣に拝む人はいないでしょうが。宗教学を研究するだけなら特に信仰心はいらないでしょう。むしろ偏った思い入れがないほうがよいかもしれません。
学問というものは真実を追究するのが目的であるため、常に疑問を持ちながらやるものです。ですから、学問は疑うことから始まる、宗教は信じることから始まる、といえます。どうせやるなら生きていくうえで役に立つほうがいいです。宗教学や哲学を学ぶだけなら知識が増えはしますが魂の研鑽にはなりません。どんなに立派な哲学も使えなきゃ意味ないです。かつて、世界中のありとあらゆる宗教を研究する学者がおりました。どの宗教が優れているか、どれが自分に適しているかを調べるのがきっかけだったようですが、結局は何も信仰することなく生涯を終えたようです。「知識は智恵の入り口」といわれてます。そうだとすると、この学者は宗教の知識が豊富にあっても、仏の智恵や神の恩恵に深く触れることなく、ただ入り口に立ったにすぎないってことになります。信じる心がなければ始まりません。2009.7.24





おひかえなすって。そちらさんこそおひかえなすって。それでは仁義になりません、おひかえなすって。早速のおひかえ恐縮にござんす。だいぶん遅れての辞儀、失礼さんに存じやすが切らせていただきます。手前、屋号を桐風庵と申しやす。深い意味はござんせん。上州を連想させる文字を並べただけにござんす。生業は武道家でござんす。宗教家ではござんせん。戦いには心の問題が付きものと日夜仏道修行に励んでおりやす。武道も仏道も親分なし子分なしの駆け出しモンにござんす。向後お見知りおかれまして万端お引き立ての程お願い奉りやす。2009.9.18





過去の記事と現在のとで内容が違っているかもしれません。思想の変遷、或いは成長とご理解ください。年月日を付けることでその過程を記してます。どこかの団体のように都合の悪い過去を消したり改竄したりはしません。2023.1.5


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