門田隆正
なんともやりきれない気分になる。やりきれないというのは事件の凶悪さは勿論、一人の人生として見て可哀想で可哀想で。最後まで純粋な只の修行者だったこと、幹部である為に責任を負ったこと、本当は幹部とは名ばかりで単なる麻原のパシりだったこと、教祖が狂ってきたのに気づきながらも逃れられなかったこと、殺人には関わってないというか自ら避けてたのに死刑になってしまったこと、等々。やりきれない。他人事と思ってやしないだろうか?オウムだからこうなったんだと。オウムなんかに入ったからと。宗教団体に限らず強烈なリーダーの居る集団はこのような危険を孕んでることを自覚しなければならない。特に新興宗教は程度の違いこそあれ全てカルトだと断言する。オウムは他人事ではない。どこの団体も自分たちの教義は絶対だ間違いないと思っている。絶対の真理などないとお釈迦さま自身が仰ってるではないか。どこかの団体に所属してる人は、出来れば速やかに離れて一人で信仰することをお奨めする。我見の信仰になるのではと心配するかもしれないが邪師に付くくらいなら我見の方がましだ。それにしても再審請求の進行協議が開かれる期日が決まっていたのに死刑執行って何なんだ?法治国家って一体なんなんだろうと考えさせられる。いわゆる人権派なる馬鹿者が無闇矢鱈と再審請求するのと一緒くたに思われたのだろうか?
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