ショート・シナリオの館

2018/07/09(月)07:52

京都・嵯峨野の文学散歩

 首都圏に住んでいる高校の同級生3人が古稀を迎えたことを契機に始めた街歩き。歴史探訪 や文学散歩などのテーマを設けています。今回は住んでいる関東圏を飛び出し、1泊2日の 京都旅行。初日は嵯峨野の文学散歩です。京都駅に集合した3人が嵐山へ向かいました。 ノブ: 3人で京都に来たのは初めてだね。今日は千年の時が流れて、今に受け継がれる歴史    や文化遺産に出会えるこの京都の中で、「平安物語」「源氏物語」そして「落柿舎    (らくししゃ)記」に登場する嵯峨野を案内する。先ずはおさらいだ。 <平家物語とは> 作者は信濃前司行長(しなののぜんじゆきなが)という人物が有力な説のようだ。内容は鎌 倉時代に描かれた軍記物語。平安時代の平清盛を中心とする平家一門の栄華と衰退が描かれ ている。盲目の琵琶法師による語りで広まったとされているね。「祇園精舎の鐘の声、諸行 無常の響あり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことはり)をあらはす」の冒頭句で知られ る序章は暗記させられたね。前半部では、平家一門の興隆と栄華、それに反発する反平家勢 力の策謀などが描かれ、後半は壇ノ浦の戦いなど合戦シーンを交えて平家滅亡の過程が描写 されている。 <源氏物語> こちらは平安時代に描かれた色恋沙汰の物語。作者は紫式部。20ヶ国以上の言語に翻訳され、 世界的にも高い評価を受けている。光源氏を中心におよそ70年間におよぶ時代絵巻、全54帖 (巻数については諸説あり)、文字数は約100万(400字詰め原稿用紙で約2400枚)の大長 編。登場人物は500人ほどで、彼らの心情に即した795首の和歌が詠まれている。 <落柿舎記> 江戸時代、芭蕉がその門人の中で最も信頼を寄せていた向井去来が営んでいた庵。その名の 由来は、庵の周囲の柿が一夜にしてすべて落ちたことによる。芭蕉も3度訪れて滞在し、『嵯 峨日記』を著した場所としても知られている。去来がこの草庵について書いた『落柿舎ノ記』 がある。 ノブ:源氏物語の第10帖「賢木の巻」で、光源氏と六条御息所の別れの舞台として登場する    のがこの野宮(ののみや)神社。当時は伊勢神宮にお仕えする皇女が身を清めた黒木    鳥居と小柴垣に囲まれた神聖な場所であり、その様子が美しく描写されていることで    有名だ。「黒木の鳥居」とは樹皮が付いたままの原木を用いた日本最古の鳥居形式のこ    とで目の前にあるね。竹林を囲っているのが小柴垣。平安の風情を今もこうして世に    伝えている。後で竹林の小径を歩こう。 ヒデ:絵馬やお守りは源氏物語のデザインが使われている。ゆかりの地と言うわけだ。 ヤス:苔庭が綺麗だね。竹林の小径は天竜寺北門から常寂光寺、落柿舎あたりにも広がって    いるんだよな。他の竹林も歩こうや。 ノブ:竹林歩きはどうだった? ヤス:日本の中でも竹林歩きで観光客を引き寄せられるのはここだけだろうね。写真撮影用    の竹林も整備されていたのには感心した。小柴垣の歴史を知って歩くと趣きが違うね。 ノブ:ここが落柿舎だ。主人の在宅を示す軒先の蓑と笠が我々を迎えてくれている。庭にあ    る句碑を巡りながら、投句箱への投函に挑戦してはどうだい。裏手に去来の墓がある    けど小さいのに驚くよ。 ヤス:芭蕉の「奥の細道」の刊行も去来なくては成し得なかったらしいね。今も俳諧道場と    して活動している落柿舎は日本文学の大切な史跡なんだね。 ヒデ:去来の墓石は小さいけど、それを取り巻く歌碑の多さに驚いたよ。俳句の聖地だね。 二尊院を経て歩くこと10分。平家物語の「祇王(ぎおう)」にまつわる祇王寺を訪ねた。 ノブ:ここが平家物語「祇王の巻」に出てくる祇王寺だ。仏御前の登場により平清盛の寵愛    を失った白拍子の祇王が、涙ながらに妹の妓女と母の刀自と共に隠棲した尼寺だ。苔    庭がきれいな寺の仏間には、祇王、妓女、刀自と共に17歳で仏門に入った仏御前の木    像も安置されている。清盛の心変わりに翻弄される女性達を偲んでみよう。 ヒデ:ここは平家女人の寺と呼ばれるそうだけど、物語の内容を教えてもらうと納得できる    ね。苔むした庭が情趣を誘う。 ヤス:こんな奥嵯峨の竹林の奥にたたずむ尼寺に若い身で過ごしていたんだ。 ノブ:次は滝口寺だ。平家物語の「横笛の巻」に出てくる。滝口入道が恋人の「横笛」を避    けて隠棲した寺だ。訪ねてきた横笛は会うことができず、心の思いを書いた血染めの    歌石がある。仏間には、その後互いの出家で魂が結ばれたという二人の木像があり、    なんとなく寄り添っているように感じられるね。もう一つ、ここには歴史文学「太平    記」に出てくる鎌倉末期の武将・新田義貞のさらし首を盗み、庵を結んだという妻の    壮絶な愛の物語が伝えられている。 ヒデ:滝口入道と横笛の木像は鎌倉後期の作で眼が水晶なんだね。庭に平家供養塔や横笛の    歌石がある。確か、明治の文豪・高山樗牛が歴史小説「滝口入道」を書いているよ。 ヤス:新田義貞の首塚と奥さんの供養塔がある。この辺りを歩いていると平安貴族の遊び場    所でもあった嵯峨野の風景は八百年前の昔と変わりなく流れていると感じるね。 3人は最後の訪問地である平家物語の「小督(こごう)」にまつわる「琴きき橋」と「小督 塚」に向かった。 ノブ:平家物語の「小督の巻」に出てくる小督塚だ。高倉天皇は、清盛の娘の徳子を皇后に    していたが、宮中一の美人で琴の名手の小督を寵愛した。そのため小督は、清盛の怒    りを恐れて渡月橋付近(小督塚)に隠れ住んでいたが、笛の名手・源仲国によって、    微かに聴こえる琴の調べを便りに遂に居場所が探し当てられてしまった。今でも、渡    月橋の北詰にある石橋は、琴聴橋と呼ばれ、仲国が小督の奏でる曲を聴いたところと    伝えられている。小督塚は、松尾芭蕉も尋ねており、「嵯峨日記」に書き留めている。 ヒデ:能「小督」でもハイライトは、仲国が失踪した小督を探し、嵯峨野をさまよっている    ところに、 微かに琴の音が聞こえてくる場面で、 平家物語の中でも名文として有名    な箇所だそうだ。 ヤス:聞こえてきたのは「想夫恋」という曲で、男性を慕う女性の恋情を歌ったものだと書    かれている。名場面なんだろうね。 ノブ:ここから見える渡月橋は木造橋に見えるけど、木造なのは欄干部分だけだよ。川の名    前も渡月橋の上流を大堰川(おおいがわ)下流を桂川と言うんだ。 今回は渡月橋が解散地。今回は昼の京都駅集合、午後からのウォーキングだったので疲れは ないようです。明日は早朝から二条城や平等院鳳凰堂などの世界遺産や国宝をめぐる予定だ とか。今晩は先斗町あたりで飲み会でしょうかね。

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