3DCG&最近思ったこと
最近、3DCGのソフトを軽く触ったりしています。タブレットでサクサクと描いていくと、気持ち良く形が変わっていく感じです。弄れば弄るほど、思ったようなかたちがより容易になっていきます。こつこつとある程度期間をかけて、操作を自分に馴染ませていかないとなあ、とか…ある程度一気に操作覚えたり、作品にしたりして、短期間でブレイクスルーを経験しないとなかなか続かない傾向にあるんで、今月中になんだかの形にしていかないとなあ、なんて思ったりしています。今のソフトの新しいバージョンのダウンロード版が更新されるのを待っていたんですが、なかなか更新されず、業を煮やしてソフト買ってしまったんですが…最近2Dの描画や動画に関しては自分なりに自分なりのかなりのブレイクスルーを経験していたり、して手応え感じてきているのですが、3DCGに関しては自分の心の中の壁のようなものがあり、なかなかその壁を崩せないというか…身近に3Dで楽々に物作っている人などがいると、そういた壁って案外簡単に超えられたりもするんですが、今現在自分はそういった環境にはいないので、自分なりにかなりの工夫をしていかないといけない状態だったりします。そういうのを独学で易々と超えられていく人とかっていうのも、中には見掛けるのですが、自分の場合、ある程度実際に操作している人間などを身近に見ていないと、難しい傾向にあったりとかして…案外、基本的なことを1つ1つやっていけば、容易に超えていけるようなことなのかもしれませんが…技術が向上していく経過や、上達した状態で制作した実際の人間のイメージなどがないとなあ、とか…自分の中でそうした経過を想像上でイメージするイメージ力を強化することが出来れば、あるいは自分が上達していく経過や上達した状態をイメージすることを、常に習慣付け、そのイメージ力をよりブラッシュアップしていけるようにしたいなあ、なんて思ったりしています。次の一歩を少しでも肯定出来るように、より自信を持った状態で立ち向かっていけるように…そんな仕組みを、そんな1日1日を積み重ねていける人でありたい、そう思ったりしています。自らの心の声が、自分の自分自身に対する態度が、自分の限界とか可能性を決めていくんじゃないかあ、とか…このまんまでは、今のまんまでは、今の自分が自分と判断している自分のまんまでは、終われないなあ、とか…だれかが押し付けてきた、自分が決めてしまった自分の殻を枠を、少しずつずらしたり、広げたり、伸ばしたり、ふやけさせたり、ぼーっと眺めてみたり、つんつんしてみたり、その触感を味わってみたり…そんなことをしているうちにそれは、いつの間にか壁ではなく、自分の一部、「自分の内部」になってしまっていたりすることもあったり、なかったかり…自分の境界とか限界といった領域は、実は常に揺れ動いているものだし、常に形や色を変えているのもだなあ、とか…そんなあやふやな領域、線、ヌエみたいなものに執着しないで、もっとより現実的な事象を、或いはより抽象度の高いことに意識を集中させたいなあ、とか…実体のない中途半端な現実モデルに左右されるない、より高次の認識、経験をしていきたいなら…同じところを逡巡するような思考の仕方しか出来ないあり方みたいなものは、要するに中途半端なものでしかないってことなのではないか?どっち付かずで中途半端な状態というのが、結果を見なくて済むし、自分で責任を取らなくても済むという、精神的には一番楽している状態だったりするのではないか…心的葛藤というたまたま起こった思考停止状態こそが、ぬるま湯的な快楽である、身体に出来たかさぶたを直りきらないうちに何度も掻き毟るような、茫洋として薄汚い欲求を満たす状態なのではないか?嫌だと思いながら、どうしょうもなくなっていく負の快楽、マゾイスティックな欲望…他人のそういう状態を見ると、うわー薄汚くて気持ち悪いと思うのに、自分に関することだと、そうした心理が働きにくいということ…自己に向けるべき否定感、無力感を、身近な人間や赤の他人に仮託して吐き出す人間の薄気味悪さ…常々にそうしたものを見掛けては、気分の悪い思いをしているのに、自分にも時折起こるマイナスの感情の根源はこの薄気味の悪い人間の心の働きと同じところから発しているというのに…先に進むために、思考停止というかたちではなく、なにか少しでも進んだり、違った視点を獲得したり、心栄養や自信を獲得出来るような状態にすこしでも近づいていくこと…結果というのも大切かもしれないけど、その経過や今やっているという状態、少しでもプラスの状態に結びつくイメージをしているような状態、そういったことの方が大切なんじゃないか?他人がどうの、結果がどうの、世間的な価値観でいくとどうの、過去がどうの、未来がどうの、そんなことことよりも今の自分にとって、今の状態がよい状態なのか?今を変えていけば、当然未来は変わるし、過去の意味や位置づけも変わる、他の誰かの評価だとか、世間的な価値観だって少しずつ変わっていくかも知れない。今現在の世界のあり方など問題にしないで、今現在の自分の状態を少しでも良い状態にすること、それが自分の未来を作ることであり、自分の過去を作ることであり、自分の属するこれからの世界を作ることでもあるんだろうなあ、とか…他人、世間、社会なんてものは、移ろいゆくものだし、そんなものに関わっているほど、人生は長くないんだし…