無色透明

2005/10/02(日)18:08

274日目 - 主体性

屋久島は朝方の激しい雨が上がり、徐々に青空が広がってきている。 昨日、10月1日、屋久島ではJRホテルがオープンした。 どうして鉄道のない屋久島にJR九州がホテルを建てるのか? よくわからないが、多角経営の一環ということだろうか。 でも、新たに掘られた温泉は極めて質が良いらしい。 尾之間温泉よりもヌルヌルしていて、温度も尾之間温泉ほど熱くはないそうだ。 ぜひ一度入りに行きたいと思っている。 ただ、屋久島にしては料金が高い。 屋久町の人は400円。 上屋久町や島外の人は600円とのこと。 尾之間温泉は200円だし、楠川温泉や大浦温泉は300円。 平内海中温泉や湯泊の海浜温泉に至っては協力金100円。 都会から来る観光客にとっては600円は高くないが、屋久島の住民にとってはかなり高い。 屋久島の所得水準は低い。 自然は豊かだが現金収入は少ないのだ。 10月から、なんとなく気分が一新されている。 どうして? わからない。 でも、気分がまるで違う。 何かが吹っ切れた感じ。 新しい展開が始まった感じ。 先月末、水晶を買いすぎたツケが一気に来てしまった。 クレジットカードの支払いが20万円近くになっていた。 結果、貯金が底をついた。 結果、水晶を購入することが強制ストップ。 結果、新たな展開? 最後の最後に、すばらしいゴールドルチルの水晶が届いた。 かなりの期間、毎日毎日、そのショップのサイトをチェックして、アップされた直後に即、購入した。 それほどゴールドルチルの高品質のものは少ない。 高品質のものを一度販売したお店では、卸しのルートがあるので、やがてまた同程度のものがアップされる可能性がある。 それを気長に待った。 しかし、待っただけのことはあった。 これだけのものはなかなか手に入らない。 しかも、それほど高くはなかった。 これが最後の水晶? まあ、借金してでも買いたいくらいのゴールドルチルが出てくれば買うかもしれないが、その可能性は極めて低い。 とりあえずは一段落した感じがする。 後は、眺めて、よーく味わう・・・ イメージの中でエネルギーだけで楽しむこともできる。 でも、それではこの世に生まれてきた甲斐がない。 やはり、この世は物質世界。 実物に触れて、眺めて、楽しむこともできるのだ。 美味しいものを食べて満足するのも、肉体を持つこの世ならでは。 それはそれでいい。 それに囚われなければ、物質世界を楽しめばいい。 物質次元は誰もが平等。 肉体がありさえすれば、何でも見えるし、何でも楽しめる。 あの世では波動が同調しない限り、何でも見ることができるとは限らない。 光り輝く虹色の天国を見れない人もいる。 でも、この世であれば、どんな極悪人でも、チャンスさえあれば虹を見ることができる。 そういう意味では平等な社会なのだ。 もっとも、お金がないと手に入らないものもあるにはある。 でも、少なくとも自然は平等だ。 青空は誰でも見れる。 富士山は天気さえ良ければ、近くに行けば誰でも見れる。 なかなかすばらしい社会なのだ。 一昨日のコメントに、 「私の予測できない事態もある。 とても、私一人での創作世界とは思えない。 私の心のあずかり知らぬ展開もある気がする。 この横やりウィルスで、心みだれて・・・ 自分の心のコントロール不能。 不能、不能・・・」 というカキコがあった。 この世はコントロール不能? この世はままならない? そう思ってしまえば、人生はそのように展開する。 自分の信じるとおりの人生が目の前に繰り広げられる。 生まれてこの方、自分の望むとおりになったことよりも、自分の望むとおりにならなかったことの方が圧倒的に多いかもしれない。 そのため、多くの人が人生はコントロール不能と思い込んでしまっているのではないだろうか。 また、成長する過程で、「人生は苦しいことばかり」「人生はなかなか思うとおりにならない」という無意識の刷り込みが周りからなされたかもしれない。 なにしろ、人生はままならないと思っている人の方が圧倒的に多いのだから。 大多数の人が被害者をやってきた。 だからこそ、メロドラマが存在し得た。 悲劇のヒロインが存在するためには、人生はコントロール不能でなければならない。 人生がコントロール可能であれば、誰も好きこのんで悲劇のヒロインはやらない。 みんなハッピーエンドで終わってしまう。 それでは面白くもおかしくもない。 そこで、人生は思い通りにいかないことにして、被害者や加害者を創作して、ドラマが始まる。 その方が圧倒的に面白いのだ。 みんな面白い方に参加する。 ただそれだけのこと。 面白いドラマに参加して夢中になっているうちに、本気でコントロール不能と思い込んでしまったのだ。 そう思い込まないことには、自分が悲劇のヒロインにはなれなかった。 人生の数奇な運命に弄(もてあそ)ばれるヒーローやヒロイン。 それはみんなの憧れであり、望みなのだ。 そういう集合意識が、コントロール不能という世界を創り出してきた。 でも、もうその魔法は解けようとしている。 集団思い込みは終わろうとしている。 みんなが自分の思い込みに気づき始めているのだ。 本来のコントロール可能ということに目覚めつつある。 時代が転換しようとしている。 運命に翻弄される時代から、運命を切り開く時代へ。 この世はままならない。 この世はコントロール不能。 という思い込みを外せるだろうか。 この世は自分の思うとおりに展開する。 この世は自分の望むとおりに創造できる。 そのように転換できるだろうか。 この世は自分しだいというのも、それが真に実感されるまでは別の思い込みに過ぎない。 でも、コントロール不能よりも、遙かに自由度のある思い込みだ。 実際に実践して、本当に理解された時に、それは思い込みではなくて、自分にとっての真実となる。 この世はコントロール不能、この世はままならないと思い込んでいる状態と、この世は自分しだいと思い込んでいる状態。 その差は歴然としている。 前者はまるで主体性がない。 まだ主体性が本当には確立されていない。 後者は少なくとも主体的に生きようとしている。 エネルギー状態がまるで違うのだ。 前者は運命の波に翻弄される笹舟。 後者は怒濤渦巻く大海に向かって出航する梵天丸。 そう、紀伊国屋文左衛門が命懸けで嵐の海へ漕ぎ出したミカン船。 結果は歴然。 チャレンジするかしないか。 どちらでも可能。 でも、一生、いや、死んだ後々までも運命に翻弄されたいのだろうか。 訳のわからないものに支配されたいのだろうか。 もうそろそろ目覚めてもいい頃ではないだろうか。 本来の自分の力に。 本来持っている無限の可能性に。 そういう時代が刻々と近づいている。 真の主体性が確立されればされるほど、人は宇宙に近づく。 自分が宇宙とそっくりであることに気づく。 宇宙の創造が、自分の創造と何ら変わらないことに気づく。 宇宙が創造するように自分も創造していることに気づく。 何のことはない。 宇宙も自分も同じなのだ。 宇宙がすべてを包み込み、すべてを創造しているように、自分もすべてを包み込み、すべてを創造している。 自分ワールドを創造しているのだ。 それは宇宙ワールドと然(さ)したる違いはない。 これが274日目の心境です。 ☆「屋久島ナチュラルヒーリング」のHPのスライドショーの中に、「屋久島の山々」が新たにアップされました。 これまで撮りためた屋久島の山々の映像集です。 よろしかったら、のぞいてみてください。 >>こちらです

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