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カテゴリ:スピリチュアル
今日の屋久島は、曇。
時々、小雨が降っている。 昨夜、「ターミナル」というDVDを見た。 ニューヨークの空港でアメリカへの入国を拒否され、一ヶ月近く空港に足止めされた人の物語。 母国でクーデターが起き、国がなくなったために出国も入国もできない法の空白地帯に陥ってしまう。 ところが、人生は捨てたものではない。 空港という狭い世界にも、いろんなドラマが渦巻いており、けっこう楽しく暮らせてしまう。 最後の方では、みんなの人気者になる。 ほとんどあり得ないような世界だけれども、英語があまり喋れなくても、案外なんとかなるかな?という気にさせてくれる映画だった。 昨年のレンタルベストテンで洋画部門4位。 確かに面白かった。 既成概念を吹き飛ばす痛快さがあった。 いろんな人生があるなぁーという感じ。 人はどこでも、それなりに生きていけるものだ。 それではホームワークを見ていくことにしよう。 テーマは次のようなものだった。 「自信とは何でしょう? 自分にとっての自信とは何でしょうか。」 では、最初は、えっちゃんから。 「『自信とは何でしょう?』 自信とは、自分自身を信じられる考え、能力。 『自分にとっての自信とは何でしょうか』 自分にとっての自信となると、本当は自信なんて微塵もない。 何にもない。 一瞬そうなんだ!!と抱く自信らしきものは、吹けば飛ぶ有り様。 私はコンプレックスの塊です。 長く生きている間にアレコレした事すべて、身に付いていない。 趣味ですら、楽しんだけれど、この世界は私にお任せなんていうのもない。 長年やってきた料理すらオットドッコイで、今、職業にしていても日々プレッシャーに押しつぶされそう。 考えにしても、誰もが悲しい思いをしないでいられたらいいなあ・・・と良い心を持っているのでは? と思っても、所詮、悲しんでる人を見たくないだけ・・・となると、自分の考えも何ほどでもない事になる。 自信がなくても、のびのびと生きたい。 一挙手一投足をチェックされない生き方をしたい。 どんな状況でも自信のなさにうろたえない生き方なんてあるのだろうか?」 自信とは、自分自身を信じること? でも、えっちゃんは、自信なんて微塵もない? 謙虚だね。 コンプレックスの塊? それは劣等感ということ? 自信の反対は、劣等感? 自信はないけど、劣等感はある? それは自信を持って断言できる? 自信も劣等感も過去ベース。 自分の過去の経験から結論を出しているだけ。 でも、その自信も、失敗すれば脆(もろ)くも崩れしまう。 劣等感も、少しうまくいくと、ほんのちょっとは薄れる? 人生、一度も失敗したことのない人はいないだろう。 あの自信満々だったホリエモンでさえ、今は塀の中。 それでも自信がある? それは他の人に比べれば秀でているというだけ。 しかし、もっと優秀な人が現れれば、その自信は危うくなる。 自信とは、相対的なもの。 絶対的な自信は、まず存在しない。 なぜなら、人生で一度も失敗しない人はいないから。 自信がなくてものびのびと生きたい? それにはコンプレックスを外すことかな。 どんな状況でも自信のなさにうろたえない生き方なんてあるのだろうか? ある! それは自信がないという思い込みを外すこと。 何もないニュートラルに戻すこと。 自信がある・ない以前のゼロポイントに戻ること。 次は、藍&aiさんですね。 「自信ありげな人って大抵は、自分の様々な限界とも言えることを自力で乗り越えていった人だと思う。 それがスポーツだったり仕事だったり生活だったり。。そして、そこで得たことを唯一の自分の信条としていて、それを自分でも揺ぎ無いものと確信している。 あたしには、それがない。 苦労はしているのかもしれないが、いつの間にか乗り越えるというよりも時に任せて過ぎていったという感じだ。 子どもの頃からの訳も無い自信のようなものは16の時に打ち砕かれた。 辛い思いも人一倍してきたと思うが、じっと耐え忍んでいるうちに過ぎていった。 そこで自分が勝ち取ったものなどなにひとつない。 ますます自分に自信を無くした事実だけが残った。 自信が、まるでない自分は、将来に対しても周りの家族に対しても不安ばかりが募る。 すべてマイナス志向になりがちな自分を日々のささやかな日常に幸せを見つけて、そこで自分を納得させ満足させようとしている。 なるべく本質をみないようにしているのがいまの現状。。 だから自信にあふれている人をみると羨望のまなざしで見てしまう。 でも、自信ってなんなんでしょうね。。? 余程地に付いた根の張ったものでなければ、誰でも打ち砕くのは容易なものなのかもしれません。」 自力で乗り越えてきた結果が自信? 自分で勝ち取ってきたものが自信? でも、藍&aiさんの自信は16歳の時に打ち砕かれてしまった? 今は不安ばかりのマイナス思考? ささやかな日常に幸せを見つけ、自分を納得させ満足させようとしている? 確かに、自信は打ち砕かれるものだよね。 でも、打ち砕かれると、自信が消えるだけではなくて、不安やマイナス思考が残ってしまう。 その後は、自信のない暗い人生になってしまう。 それもまた過去ベースの人生。 過去の失敗をベースに生きているだけ・・・ 不安や心配を紛らわすために、ささやかな幸せで自分を満足させようとする。 でも、その満足は表面だけのもの。 本質的な不安や心配は消えてはいない。 せっかく苦労して、人一倍辛い思いもしてきたのに・・・ 残ったのは不安だけ? それは・・・ でもね、陰極まれば陽。 その証拠に、なるべく本質を見ないようにしていると言いながらも、この日記を読んでいる。 この日記を読めば、いやでも人生の本質に直面することになる。 それはどん詰まりの現状から脱皮しようとしているのかもしれない。 夜明けは、そう遠くないかもよ。 次は、ぴあのさんですね。 「私にとって自信とは、 得意なことをやる時には自信がみなぎって楽しいし、不得意なことをやる時には当然自信もなく、そうすると楽しくない。 例えば舞台に上がるとき、人前で演奏するとき、または、おえらい先生方の並ぶ前で演奏しなければならない実技試験のとき、自信があるのとないのとでは心臓の鼓動の回数が全く違う。 自信があるときは、リラックスして細部にまで注意の行き届いた丁寧な演奏ができるし、舞台 という特殊な空間と 普段の数倍、数十倍の研ぎ澄まされた意識とによって日頃の練習では出てくることのないインスピレーションが突然湧いて出て動いている指が まるで自分のものではないようにさえ感じられることがあります。 (・・・ま、めったにありませんが・・・(ーー;)) でも、これは自信があるとき限定です。 自信がないときは 全くこれの逆。 あそこのパッセージでつまったらどうしよう、あそこの暗譜が自信がないのよね・・・ そして、考えることは最悪なことが起こるパターンに行こう行こうと・・・ それを、『大丈夫、弾けるわよ。弾ける 弾ける』なんて必死で暗示をかける。(~_~;) 体は固くなり、普段の練習どおりも弾けないこと多々。 私にとって自信とは、リラックス。 ・・・と、『自信』 という言葉を考えるにあたって 自分の人生の中で この言葉で一番ウエイトをしめている事柄で考えてみました。」 ぴあのさんにとっての自信は、得意なことと同義語? そして、リラックスとも? でも、不得意なことは、自信喪失? 不安や心配の悪循環? 自信があると、余裕があるのかな。 余裕があるとインスピレーションがやって来たりして、普段よりもすばらしくできたりする。 でも、得意なことはいいけど、不得意なことは困ってしまうね。 得意なことだけやる? 不得意なことは避ける? でも、それだとレパートリーが狭くなる? 得意なことを広げる? 自信がないと思っていると、どんどん疑心暗鬼が募る。 自信がないという思い込みが技術的な未熟さに拍車をかける。 でも、自信があるという思い込みは役に立つ。 思いがけない好循環となる。 なんとか自信があるという思い込みだけを持ち続けることはできないものだろうか。 残念ながら、それは不可能。 自信というのは相対比較の世界だから、不安定。 いつ自信が自信喪失に変わるかもしれない。 自信があること自体が、自信喪失のスタンバイ状態。 一歩先は自信喪失。 「415日目 - 自信 [2]」へ続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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