無色透明

2007/04/23(月)21:01

842日目 - 空の心

昨夜から激しい雨が降り、午前中一杯は雨模様だった。 時々、雨雲が去ると、山の中腹に大きな滝が現れた。 いつもの落(おとす)の滝の何倍もある。 双眼鏡で見ると、ものすごい迫力で水が流れ落ちていた。 この雨の中、昨夜からたくさんの水晶をオーダーしている。 なぜ? 既に120個以上の水晶が手元にある。 特段、これ以上ほしいとも思わないのに・・・ 魅力的な水晶がアップされると、ついオーダしてしまう。 これを水晶中毒と言わずして何と言うのだろうか。 もしかしたらテレビショッピング中毒と同じ? その先にはカード破産が待っている? 幸か不幸か、今回はカードが使えないサイトばかり。 買った後で、買いすぎた? でも、後の祭り。 買ったものは、お金を振り込むしかない。 昨日、今日で買ったもの・・・ ゴールドルチル水晶2個。 これが高かった。 5万円近くした。 ヒマラヤ水晶の14cmぐらいの大きなもの。 日本の紫水晶の小さなもの2本。 同じく日本の透明な水晶クラスターと紫水晶のクラスター各1個。 同様に日本で取れた琥珀(こはく)の未研磨のもの1個。 ヒマラヤのカンチェンジェンガのアクアマリン。 それにお取り置きになっていたゴールドルチルのポイント。 同じく、ガネーシュヒマールのクラスター。 お取り置きになっていたものを、みんなまとめて送ってもらうことに。 合計で10万円は超えるだろう。 ここのところ仕事もないのに、よく買うこと! 我ながら、どうなっているの? という感じ。 しかし、買ったものは、みな美しい。 美しいから買ったわけで・・・ 何が一番美しいだろう? 一番感動したのは・・・ ヒマラヤのアクアマリンだろうか。 購入したのは最高級品ではない。 最高クラスは何十万円という世界。 とても手が出ない。 最高級のものは、青が濃い。 もちろん透明感もある。 そして、大きい。 三拍子揃っている。 今回購入したものは、小さい。 わずか2.5cm。 それに、そんなに濃くもない。 透明感も最高級品ほどではない。 それでは、なぜ買ったのだろうか。 買える範囲の金額だったから? それもある。 しかし、それ以上のものがある。 それは高級品にない何かを感じたから。 もっと安くて大きなものもあった。 安くて透明感のあるものも見つけた。 しかし・・・ それらには感動はしなかった。 ただ美しいだけ。 今回オーダーしたものには、何かがあった。 気品とでも言うような何かが・・・ これぞアクアマリンという感じ。 見た瞬間、感動した! これは売れ残っていた。 小さい割に高かったからだろうか。 それとも、あまり人の目を惹きつけるような要素がなかったからだろうか。 地味と言えば言えなくもない。 でも、こちらは惹かれるものがあった。 高貴さを秘めたアクアマリンだった。 一般的な評価はどうでもいい。 自分が気に入ればいいだけ。 写真だけなので、実物が届くまでは何とも言えない。 でも、楽しみ。 日本の紫水晶も、すばらしかった。 淡い紫色。 とても透明感がある。 こんなに美しいものが日本でも取れたのか・・・ メキシコのベラクルスのアメジストは、美しいことで世界的に有名。 しかし、日本の紫水晶も美しい。 とても小さいけれども、その透明感がすばらしい。 もしかしたら、かなり以前に取れたものかもしれない。 ゴールドルチルも、すばらしかった。 なかなかこれだけのものは見れないと言うぐらい美しかった。 サイズは小さいが、クオリティは高かった。 ヘマタイトから黄金のルチルが放射していた。 既に30個以上のゴールドルチルがある。 もうゴールドルチルはいいと思っていた。 ところが、目の前に魅力的なものを見せられると、つい買ってしまう。 どうしてこんなにまでもコールドルチルに惹かれるのだろうか・・・ 琥珀も2個持っているけれども、磨いてないものがほしかった。 琥珀の原物を見てみたかった。 磨かれている琥珀は美しい。 でも、磨かれていなくても美しいのではないだろうか。 ヒマラヤ水晶は、以前に同じサイトから15cmぐらいのを購入したことがある。 それは驚くぐらいクオリティが高かった。 予想を遙かに超えていた。 ここは目立たない田舎のサイト。 それだけに掘り出し物が眠っている。 日本産の紫水晶もここにオーダした。 ここは日本産に力を入れている様子。 ここの主人の石友が、屋久島で正長石や錫石を拾ったらしい。 それで、このご主人も屋久島へ行きたくなったらしい。 錫石を拾ったのは、タングステン鉱山跡とか。 もしかしたら自宅の裏? そんな石は見たことがないが・・・ 水晶祭りが中断しているので、自宅には水晶が山積み? と言うほどでもないが、かなりあるのは確か。 とても全部を見きれないので、早くお譲りします水晶に出したい。 のだが、雨ばかり。 水晶の写真が撮れない。 次は5月の満月か、それとも6月の満月か・・・ 次回は、ヒマラヤ水晶の特集の予定。 その次は、南米産の特集を組むつもり。 貧乏暇あり。 ついでに、水晶もあり。 という暮らし。 ほとんど自転車操業。 それでも不思議なことに生きている。 今日も買いすぎて、これから生活できる? と思っていたら、お金が入った。 先月ガイドの下請けをした分を、今日持ってきてくれた。 それも5万円。 予想より多かった。 やったね! 買った水晶の半分近くは稼いだぞ! なーんて暮らしをしているから、自転車操業が続く。 まあ、いいか、屋久島らしくて。 (どこが屋久島らしい?) (他の人が聞いたら怒るかも) 難しいことを書くことがなくて、ありのままの日常生活日記。 ハイ、これが日記を書き始めて何日目かの心境です。 何日目? 日記を見ないとわからない。 元々、日にちなどというものはない。 時間もなければ、年月もない。 その証拠に、カレンダーや時計がなければ何もわからない。 ただ太陽が上がって沈んでいくだけ。 それを時間と呼んで、区切りをつけているだけ。 元々は区切りも何もない。 始まりも終わりもない。 幼児は、毎日、そんな世界に住んでいる。 学校で時間の観念を習うまでは、みんな時間の外で生きている。 それが自然。 ありのまま。 時間は比較。 時間は思考による比較の世界。 思考がなければ、時間もない。 ただ今があるだけ。 今という認識すらない。 ただ目の前の存在があるだけ。 記憶をベースに思考で比較しなければ、時間はない。 ただ永遠の今があるだけ。 但し、それではものの哀れは生まれない。 時間の中に、人間の悲喜交々が存在する。 時間を外すと、人の喜怒哀楽も消えてしまう。 それらは、すべて比較をベースにしている。 比較がなければ、一喜一憂もない。 もちろん、肉体本能ベースの感情はある。 食欲や性欲をベースにした感情は存在する。 しかし、現代のような複雑な感情はあり得ない。 それは思考ベースから生まれている。 思考を外せば、かなり単純な感情になってしまう。 思考を超えれば、思考から生まれる感情も消える。 思考的な感情が消え、もっと別のものになる。 喜怒哀楽ではないものに変わる。 人は単純な感情から複雑な感情になり、やがてまたシンプルな感情に戻る。 肉体的な感情から思考的な感情へ。 思考的な感情から、それを超えたものへ。 人は変わっていく。 今の社会は思考ベース。 人の意識も思考ベース。 時間をベースにした思考ベースの生き方。 それを理解し、超えていくことだろうか。 色の世界は、比較によってしか成り立たない。 しかし、それでは心の安らぎは生まれない。 比較や時間を超えたものを理解することだろうか。 深い理解が安心立命につながる。 非時間と共に時間を生きることだろうか。 空と共に色を生きることだろうか。 それのみが唯一、色の世界から自由になることだろうか。 色を超えることのみが・・・ 色の世界だけに埋没すれば、色の中に溺れてしまう。 色に呑み込まれ、色に翻弄される人生となる。 苦しみと悲しみの人生となる。 色と共に、空を生きることだろうか。  色を楽しむためには、色を超える必要がある。 自分が色に染まっては、色は楽しめない。 空でないと、本当の色は味わえない。 色を超えることが、真に色を楽しむこと・・・ 『思考から 時間が生まれ 時間から 悲喜交々の 思い生まれる』 『今と過去 比べることから 感情が 生じて心 揺れ動くもの』 『比べると いうことなければ ただ事実 自分の前に 生起するだけ』 『比べれば 衰えもする 枯れもする 比べなければ 今があるだけ』 『色の世は 時間の世界 何事も 比べることで すべて成り立つ』 『比べれば 時間の世界 比べずに ただ見守れば 時間を超える』 『色のまま 生きれば色に 呑み込まれ 四季折々に 苦悩生まれる』 『真実に 色を楽しみ たいのなら 空の世界に 生きるしかない』 『淡々と 囚われないで 生きる時 四季(色)の花々 美しいだけ』 『現世(うつしよ)の 空の心と いうものは 囚われなしに 楽しむ心』 これが日記を書き始めて842日目の心境です。

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