トマト関連年表 その1
西暦 | 国名 | 事項 |
1492 | スペイン | コロンブス、アメリカ大陸発見 |
1519 | スペイン | コルテスがメキシコに上陸。
コルテスに同行したカスティリョは「我々を殺して食べるために、トマトの入った深鍋が準備されていた」と記述 |
1521 | メキシコ | アステカ王国の終焉 |
1533 | イタリア | カトリーヌ・ド・メディチ、フランスのオルレアン公アンリに嫁ぐ |
1537 | イタリア | コジモ一世メディチ家の当主になる |
1543 | 日本 | 種子島にポルトガル船が漂着 |
1543 | イタリア | ピサに植物園ができる |
1544 | イタリア | マッティオーリの「植物誌」初版本に初めての記述。
「マンドラゴラの異種、熟すと黄金色になる。油でフリットして食べる」 |
1545 | イタリア | パドヴァ大学とフィレンチェに植物園ができる |
1547 | スペイン | サアグン『新スペイン概史』を記述する |
1553 | ドイツ | エリンガー『植物図鑑』の中で黄色種と赤色種を区別した絵を描く |
1553 | スイス | ゲスナーが小さな赤い実のトマトの水彩画を描く |
1553 | ベルギー | ドドネウスが『ポマ・アモリス』などトマトの名称を4ヶ国語で紹介 |
1554 | ベルギー | ドドネウス『本草書』出版 |
1554 | イタリア | マッティオーリ『ポモドーロ』の記述。初めて赤色種に言及 |
1550代中 | イタリア | ミケーリがパドヴァ大学植物園でトマトの絵を描く |
1557 | ベルギー | ドドネウス『本草書』のフランス語版。『トマトは胡椒、塩、油で調理され、少数の人には食べられている。
栄養は取るに足らず、体に良くない』と記述 |
1561 | イタリア | アングィルラーラがガレノスのリコペルシコがトマトであると述べる。これが学名の発端となる。 |
1564 | フランス | カトリーヌ・ド・メディチ、フランス国中を回るたびに出る(~66) |
1566 | イタリア | フェリーチェが友人にあてた手紙。「食いしん坊たちは(トマト)のフリットを好んでいる。
私の好みから言えば、美味しいというよりもきれい、という感じだ』 |
1570 | スペイン | エルナンデス、フェリペ2世により新スペインに派遣される。トマトの食べ方や薬効を報告(~77) |
1581 | ベルギー | ロベルが「恐るべき悪臭は吐き気を催させ、このリンゴが健康を害することを十二分に物語っている」と記述 |
1584 | 日本 | スペイン船初めて日本に来航 |
1585 | イタリア | デュランテの記述。「冷たい食べ物であるが、マンドラゴラほどではない。栄養学的には取るに足らない」 |
1588 | ドイツ | カメラリウスの記述。「この果実は特有のにおいを持つ料理となり、疥癬に著しい効き目がある」 |
1589 | スペイン | アコスタ、メキシコでの記述。「さわやかで体のためにいい」 |
1592 | スペイン | リオスがフェリペ2世の宮廷植物園の農業の本を著す。「ポマテス」名の記述 |
1593 | フランス | モンペリエに植物園ができる |
1597 | イギリス | ジェラードの記述。「植物全体がいやな匂いがする」「実には毒がないが、あまり栄養もないし体を冷やす植物である」 |
1599 | ドイツ | アイヒシュテット庭園建設始まる |
1600 | フランス | セールの記述。「ポム・ダムールはすばらしい黄金色をしている」「普通は離れやあずまやを覆う役目をしている」 |
1608 | スペイン | アンダルシアの病院の食品購入リストの中にトマトの記載 |
1613 | ドイツ | べスラー、アインヒシュテット庭園の植物の絵を描く。赤色種、黄色種のトマト |
1620 | イギリス | メイフラワー号アメリカへ |
1628 | 中国 | 『群芳譜』に「蕃柿」の記述(~44) |
1629 | イギリス | パーキンソンが赤い大型種と小型種、黄色い果実の大型種を紹介。
「この果実の美しさが無かったら、私はこの本に紹介していなかったろう」 |
1635 | ベルギー | ニーゼンベルギウスはトマトを薬効のある植物とみなし料理の風味を引き立て食欲を増進させる食べ物であると強調 |
1651 | イタリア | バウヒン「トマト果汁には緑内障を予防したり、丹毒を直したりする成分が含まれている」と記述 |
1653 | フランス | ダレシャンがマンドラゴラに似ているのでトマトを食べないように注意を呼びかけた |
1658 | ジャワ | エルナンデスがジャワのポルトガル人の間では「トマタス」と呼ばれていると報告 |
1668 | 日本 | 狩野探幽『草花写生図巻』に「唐なすび」の絵を描く |
1678 | フランス | ヴェルサイユに王立菜園ができる |
1692 | イタリア | ラティーニの最も古いトマト料理のレシピ |
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出典:「トマトが野菜になった日~毒草から世界一の野菜へ~」橘みのり 著