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東奔並走。

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お城・お寺 etc

2021.05.15
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カテゴリ:お城・お寺 etc
​​​​​東照宮といえば、日光東照宮が有名だが、各地に分社のような形で東照宮と名のつく社はある(将軍家に関係するところでしょうかね)。今回、タイトルに日光が入っているが、その日光ではない(なんじゃそりゃ)群馬と埼玉での話。

群馬県の世良田というところに「世良田東照宮」という東照宮(重文)がある。こちらは徳川家発祥の地ということで、「日光」東照宮の古宮が移築されたものだそうだ。ルーツと言える場所だ。
しかし東照宮という割にはこじんまりとした境内にそれほど大きくはない拝殿と、本殿がある。
とはいえ、日光にあったものなので意匠は立派なものだ(彩色に色褪せ感はあったが)。

​陽明門のような立派な門ではないです​
拝殿。小さいながらも大名以上でない昇殿が許されなかった。今は祈祷をお願いすれば昇殿できる。
拝殿内部
拝殿唐破風内の彫刻
本殿はさらに小さい

この世良田から南に行くと埼玉県に入るが、こちらには「埼玉日光」と呼ばれる、東照宮にも似た妻沼聖天山(めぬましょうでんざん)という国宝建築物(歓喜院聖天堂)がある。
豪華絢爛な意匠を凝らした本殿であるが、神社ではなく仏教寺院で、幕府や藩が指導して建てたものではなく、庶民・農民の浄財によって建てられたものであるという。

本殿。ここは祈祷等で中に入れる
聖天堂。ここは外観は拝観できるが、内部は見ることはできない
様々な彫刻が施されている。東照宮のようだが、寺院です。
それぞれの彫刻にはいろいろと意味があるようだ
これ以上離れて撮影ができないので、どうしても仰ぎ見るような構図になる
右の彫刻はパンフレットに使われている

なので世良田東照宮と歓喜院聖天堂を並べてみたが、一方は正真正銘の東照宮、歓喜院聖天堂は寺院なので東照宮ではない。似て非なるもの、のようで、全く違う、のだがどうだろうか。
じゃあ、なぜ2つを並べたのか。無理があるやん。
まあ「日光」という言葉つながりで並べてみただけでした。

でも共通しているのは、どちらも素晴らしい建築物であるというは間違いない。



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Last updated  2021.05.17 12:37:24
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2021.05.09
カテゴリ:お城・お寺 etc
​​​​​​​​この報国寺は鎌倉でもやや離れたところにあるからマイナーな部類に入るのか、コロナ禍だから少ないのかわからないが、広くはない境内だがゆっくりと竹の庭を見ることができた。

訪れる人はいたが、少ないものだ
本堂は外から眺めるだけ
狭いながらも雰囲気はいい
タケノコも顔を出していた

見終わってからこの寺の裏山になるのだろうか、衣張山という120m程の山に登り、由比ヶ浜を見ながら昼食を食べて家路に着いた。

平成巡礼道と名付けられているが…
シダで覆われた道を10数分歩く
頂上は左手奥をもう少し進めばある。眺めはここがいい
120m程度の山でも三角点はありました




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Last updated  2021.05.15 14:55:49
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2021.05.08
テーマ:城跡めぐり(1115)
カテゴリ:お城・お寺 etc
​​​​​​​​​​いずれも戦国時代の城郭だが、金山城は山城、箕輪城は平山城と立地もそうだがそれ以外にも違いは数多く、見ていても飽きない名城に相応しい遺構だ。

・金山城
写真でもよく紹介されているが、大手虎口跡から石を敷き詰めた通路と両脇の曲輪の構造はこれまで見たことのないもので、圧巻だ。

大手道が石で敷き詰められ、両脇も石垣と重厚さを感じる

通常城の造りとしては、本丸を中心に広がっていくものが多いが、この城は横に伸びている。山の地形を考えればこうした造りになるのはもっともな事だが、本丸のある実城エリアと西に伸びる西城エリアとは趣が違う。実城エリアは生活も考えた空間になっているが、西城は物見台があるなど見張ったり、防御を考えた造りと言えそうだ。

西矢倉台側から見た物見台下虎口
木橋から見る堅堀と石段

本丸跡には新田神社があって、一見城郭にいるとは思えない雰囲気だが、神社裏手に回ると残存石垣があるなど、城跡がここにあったと再認識させられる。

日ノ池と呼ばれる貯水池
本丸残存石垣。下の神社裏にある
本丸跡と新田神社

それほど広いエリアではないが、見所は多く堪能できる城跡といえよう。

・箕輪城
その名は戦国期の映画やドラマで耳にする攻防のくり返された場所で、土塁と空堀が多くを占め一部石垣が残る結構広い敷地を持つ城跡だ。
搦手口にある駐車場から時計回りに巡っていく。すると復元された城門がまずお出迎え。唯一の復元建造物といえるが、なくても問題のないものだ。

郭馬出西虎口門(櫓門)

二の丸から三の丸を経て本丸跡地へと続く。石垣は三の丸などに若干残っているだけで後は空堀や土塁で、しかも草木で覆われているので城跡という雰囲気はしない。
とは言え、巡ればそこは防御の遺構だったことは感じ取れる。

三ノ丸石垣
鍛冶曲輪石垣
本丸跡には井戸跡のみがあった

2つの城は防御、攻撃の拠点であることは共通だが、かたや計画的な石造城郭、かたや自然を生かした要害とでも言えるかな。必見に値する城といえよう。






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Last updated  2021.05.14 13:38:56
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2021.05.01
カテゴリ:お城・お寺 etc
​​​​その姿を目にしなくなってから10年以上も経つのに、全く時間の流れを感じさせない姿がそこにあった。
薬師寺東塔。
僕らが生まれるはるか昔から変わらぬ姿でそこに建っている。
今回の修理で基壇や壁が新しくなり、水煙も創建当時のものは保存され、2代目が塔頂にあるが、その風格は何も変わらない。

以前と同じ塔なのに修理すると美しさが際立つ
こちらは西塔(昭和の再建)。東西ペアのようだが、意匠が違う

薬師寺は境内から見るのも勿論いいが、周りから、少し離れたところから見るのもいい。
周りには民家や田畑しかないため離れていても東西両塔はよくわかる。

定番の大池からのカットもいいが、佐保川沿いのこのカットが好きだな

佐保川沿いを自転車で走ると必ず目に入る薬師寺の両塔。
もうしばらく横浜なのでいつでも見ることはそうそうできないが、戻ったらまたいつものように目にできるだろう。
いい風景が戻ってきた。

玄奘三蔵院殿からの眺め。ホント、素晴らしい



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Last updated  2021.05.05 14:38:25
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2021.04.10
テーマ:城跡めぐり(1115)
カテゴリ:お城・お寺 etc
​​​​​​​姫路城の別名は白鷺城というのは有名で、こうした優雅な言い方を雅称というらしいが、今回訪れた甲府城にも雅称がある。
舞鶴城、というそうだ。城址公園も舞鶴城公園というので、この呼び方が推しなんだろう。

舞鶴城公園とあるが、甲府城とは書かれていない

ただ、舞鶴城っていう雅称はウィキってみると16城もあるようで、単に舞鶴城といってもイコール甲府城とまで容易に結びつかないのではないような気がする。
しかも、舞鶴を反対にした鶴舞城というのもあるようだし、鶴繋がりなら鶴ヶ城ともいう会津若松城もあるのでややこしい。
そんなことは現地に行けば考えることはなく、ただ城郭を見て廻った。

天守台。 柵は無粋だが仕方がないか…
鉄門(くろがねもん)。復元だが立派な造りだ
稲荷櫓。これも復元だが、鉄門同様木造だ。

福山城、三原城でもそうだが、都市部の鉄道の側にある城跡というのは、曲輪の旧状を留めきれず、分断されてしまうのだろうか。この甲府城も山手御門のあるエリアと本丸のエリアはJRで分断されている。
まあ、明治期〜昭和にかけての都市開発の影響が出ている例だろう。

山手御門。右に稲荷櫓が見えているが、この間に中央線が走っており、甲府駅がある。

しかし、石垣は旧状を留めているし、建造物は稲荷櫓をはじめ、鉄門、山手門などいくつかの門は復元されて城跡としての趣は悪くない。とはいえ、城跡は甲府市街地にあるので、周りにホテルや商業ビルなどが建ち、写真を撮っても映り込んでしまうのがイマイチだ。
さらにいうと、オベリスクのような謝恩碑という塔(そびえ立っている)があるのが何とも言えない景観になっていた。

柵は良しとしても、この石柱はねえ。

ネガティブな内容になったが、この城址から遠くに目をやると、富士山、甲斐駒ヶ岳をはじめとする南アルプスの山並を一望できるのは個人的にはポイントが高かった。

写真ではわかりづらいが、くっきりと右から甲斐駒ヶ岳、間ノ岳、農鳥岳などが見えていた。

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Last updated  2021.04.14 21:57:59
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2020.12.27
テーマ:城跡めぐり(1115)
カテゴリ:お城・お寺 etc
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​重厚かつ天下無双の強城ともいうべき熊本城。
2016年の地震による大ダメージから大小天守の復興が進んでいる。
今回特別見学通路が公開されたこともあり、3年振りに熊本城を訪れた。

城の傍にあるホテルに宿泊すると窓から日没後のライトアップされた天守が見える。
天守の屋根にある鯱も新調されて、その堂々としたたたずまいは地震前と変わらない。
ホテルから加藤神社も近いので定番の場所から宇土櫓、天守を仰ぎ見た。宇土櫓の壁の一部はまだ剥がれ落ちたままだが、しっかりとその威容を放っていた。

日没後の残照に浮かぶ大小天守。いい姿だ
ライトの違いで色合いが違う。宇土櫓の初層の漆喰はまだ剝がれたままだ

翌朝、北十八間櫓(倒壊)、五間櫓(解体)のある石垣下に行った。前回行った際は手つかず状態で、ブルーシートが被されていたが、綺麗に石垣や櫓の部材は撤去され、整地されていた。
その先の不開門も撤去され、この辺りはすでに石の散乱状態ではなかった。

倒壊した北十八間櫓や石垣も撤去されている。下にあるのは裏込(栗石)だろうか
不開門あたり

棒庵坂を上ると戌亥櫓が見える。この櫓は飯田丸五階櫓同様隅石だけでバランスを保っていたが、今もその状態のままだった。手が付けられていないのか、この状態でもしばらくは大丈夫ということなのか、この櫓の下まで行って見学できるようになっていた。

戌亥櫓辺りはまだ手つかず状態だ
隅石の支える力はスゴイとしか言いようがない

南口券売所から設置されたスロープに沿って中に進んでいく(上がっていくというほうがいいかも)。最初に目に入る数寄屋丸は石垣の一部が崩れたままで通常なら下から仰ぎ見るのだが、このスロープのお陰で正面から状態を確認できる。

このスロープは曲輪を上から見れるので、行くなら今がチャンスですけど…
石垣のない部分はゆがんでいます(数寄屋丸)

振り返ってみると解体された飯田丸五階櫓の下から今回初めて発見された加藤清正時代の石垣が築城当時の状態でわずかに見えていた。色が違う。まさに今しか見れない石垣だ。
こういうことでもないと発見もないし、今だからこそ確認できたものが見れるというのはラッキーな気持ちもあるが何か複雑だ。

奥の白い部分が清正時代の石垣。これ以上近づけないのが残念だ

続いて「二様の石垣」越しに天守を臨む。通常もう少し後方から石垣と天守を見るのだが、この位置からだとまた違った雰囲気を味わえる。

この角度はスロープのお陰です

本丸御殿は大きな損傷を受けておらず、太い柱も折れていないとのこと。最新の技巧によって組まれているので助かったのか、土台の石垣が強かったのか、いずれにせよ、闇り通路(くらがりつうろ)は健在だった。

闇り通路(くらがりつうろ)の太い柱は損傷していないとのことだ

​この通路を出ると天守前広場に出るが、復興された天守の姿は以前にも増して堂々として圧倒的だった。​
4月には特別公開第3弾として、内部の見学ができる

宇土櫓を本丸内側から見ると、震災当時の傷跡はまだ残っていた。入口や続櫓及びその接続部分はまだまだこれからという感じだ。この櫓はとても格好が良いので、1日も早く元の姿を見たいと願わずにはいられない。

倒壊した続櫓も撤去されている
この部分はまだ痛々しい

御幸坂は下城専用になっているので、その途中改めて飯田丸五階櫓跡を見ると、今しか見れない清正時代の石垣がよりはっきり見えていた。恐らくもう見ることのない姿なのかもしれない。

手持ちの望遠では限界ですが、シートの上が清正時代の石垣

震災時に復興を願って寄付をしたのだが、その際は「復興城主」といったものがなかった(復旧支援金という名で今でもある)。今回再度寄付をしてめでたく復興城主になった。1年間は無料で入城できるのだが、交通費の方が高いので、そう何回も行くことはできそうにない。

熊本城を後にして、八代城址に行った。遺構は本丸石垣と堀ぐらいだが、大小天守のあった石垣や枡形の頬当御門跡はしっかりと残っており、当時の面影を偲べる。

八代城大天守石垣
大天守穴蔵(右に行くと小天守)
頬当御門
枡形のL字がよくわかる

続いて、宇土城(近世)。熊本城の宇土櫓がこの城の天守との伝承もあったようだが、今では否定されている。いずれにせよ、この城はかなり破却されていて、遺構としての石垣がわずかにあるだけで、空堀も幅が狭いので当時のものかどうなのかわからない。本丸跡地は公園になっており、城主だった小西行長の銅像が静かに建っていた。

宇土城本丸石垣
堀というには狭い気がする
石垣であると示す看板もあったが、その石垣もわずかしかない




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Last updated  2021.01.06 17:32:23
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2020.12.25
テーマ:城跡めぐり(1115)
カテゴリ:お城・お寺 etc
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​NHKの「日本最強の城」で、「金田城(かねだじょう)」という、古代の山城が紹介されているのを見て対馬に行こうと思ったのだが、城はこの他にも対馬藩にゆかりのある「金石城」や豊臣秀吉の文禄慶長の役の際に築城された「清水山城」などがある。

金石城には、復元された櫓門があるが、周りが工事中で、門にも傷防止用?の柵などが付けられており、見た目が良くなかった。

工事が終われば保護柵もなくなるが、もう一度来るのは大変です

しかも城内は体育館があり、道路も通っているなど城跡としても雰囲気はない。
少し進めば、名勝に指定された旧金石城庭園があるが、大名庭園のダイナミックさは伺えるが池の水も枯れ気味で、あっという間に見終わってしまう(これが有料なのはコスパに合わないような…)。

池泉回遊式の庭園なんでしょう
もう少し水を張ってもいいと思うのですけど
庭園の裏に搦手門跡の石垣

庭園出口にある金石城搦手門側に「万松院」という歴代対馬藩主の菩提寺がある。霊廟に続く132段の百雁木(ひゃくがんぎ)と言われる石段や杉の大木、山門などこちらの方が見ごたえがあった。

右手の石橋は下の写真の百雁木に続いている
132段の石段、百雁木
藩主の菩提エリア。巨大な杉が墓守のようにずっと立っている
本堂にある朝鮮伝来の三具足

金石城の裏山になるのか、民俗資料館裏の坂を登っていくと清水山城に着く(200m少々の小高い山を登るが)。石垣は崩れているものの、枡形虎口など戦国山城の雰囲気を残す遺構があり、十分見ごたえがあった。ただ、清水山という割には山頂標識がないのが残念だった(もっとも山城にはそういった標識のないのがほとんどだけど)。

二の丸にある枡形虎口。写真ではわかりづらいが、形は残っている
一の丸の石垣。状態がいい遺構だ。中にはもう一か所門跡の石垣がある

さて、メインの金田城。「続日本百名城」というくらいだし、テレビでも最強というのだから、さぞかし凄いのかという期待感が先行していた。とはいえ、古代の山城だから、戦国山城のようにはいかないはずだという思いが交錯しながら「登城」する。5台程度駐車できる入口(登山口)からしばらく進むと黒瀬湾が見渡せる場所に出る。

穏やかで、それでいて綺麗な内海だ

そこから間もなく「東南角石塁」が現れる。登り石垣とでも言ったらいいのか、沖縄のグスクにある石垣のように低い位置から上がってくる石塁だ。これはいい。この後も期待できそうだと勝手な思い込みを持ちつつ、三ノ城戸方面とは逆に先に頂上を目指した(右回り)。

東南角石塁。左手は石垣の方かいが激しいが、下の方は状態はいい。山を1周するとここに戻って来る

この先に「南西部石塁」を見られる場所があるが、東南角石塁のように開けていない(樹木も多いので、上から見下ろす程度)。頂上直下には金石城の石碑はあるが、明治時代の砲台跡や駐屯所の遺構しか見当たらず、城の遺構はないようだ。頂上も「城山(じょうやま)」の看板があるだけ(景色は素晴らしい)で展望所となっている。

南西部石塁。これも下の方まで続いているが、下りていくのは石の上を歩かないと行けないので、止めておいたほうがいい感じだった。
城山(じょうやま)頂上から見る浅茅湾(あそうわん)
真ん中飛び出ているのは、白嶽

ん~、何かが違う。
とはいえ、山肌(斜面)には石垣らしきものは確かにある(明治期のものか?)。その上も歩いているのだが、それを正面から(側面も)確認することができない。足場が悪いのと樹木が邪魔をしているので折角の石垣と思しき遺構も覗き込んでわずかに確認できる程度だった(案内地図等にも記載されていないことからやはり明治期の石組みだったのかも)。

頂上から一ノ城戸へ至る道は木段が長く続き、しかも木の枝や落ち葉で結構荒れている。あまりこのルートは人が通らないのかもしれない(テレビで紹介されたから整地もされているかと思ったが意外とそのまま)。
一ノ城戸は城の石垣のような堅固な造りで高さもある。櫓門の石垣を感じられる遺構だ。

櫓でもあったかのような石垣だ

そこから少し行くと二ノ城戸に至る。この城門は左右から攻撃を仕掛けられるような造りだ。

階段を下りて左手に進んでも行き止まり

最後の三ノ城戸は水が流れて、水門としての役割が伺える。

結構崩壊しているが、門跡という雰囲気は残っている

三ノ城戸からしばらく進むと再び東南隅石塁に出る。石塁下から見上げるとまさに、グスクの石垣を思い起こさせる。

東南角石塁を下から見上げる。こちらからの方が石垣としても見ごたえはある。

これで城山をぐるっと周ったが、もう少し木を伐採してもらえると、よりクリアに城跡がわかるのに、やや残念な感が残る(そのままのあれた状態もいいが、やりすぎない程度に伐採してほしい)。
momoはテレビの印象が強かったのか、これだけ?という感じで結構失望していた。

オマケ
お船江跡という、対馬藩時代の船着き場がある。まあ、船着き場やね。

今でも使えそうな船着き場、お船江





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Last updated  2021.01.03 15:59:04
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2020.09.21
テーマ:城跡めぐり(1115)
カテゴリ:お城・お寺 etc
​​​​​​​​​​​静岡の城シリーズ最後は浜松にある3城を巡った。
<浜松城>
徳川家康について語られることの多い城だが、駿府城のような江戸期の城郭ではなく戦国期の面影を残す城跡だ。ただ、城跡といっても本丸付近に石垣、復興天守、天守門がある程度で広い公園には遺構が多くあるわけではない。

この角度はいいのだが、木で天守が見えないのが残念だけど復興だしね

天守も実際に存在していたものが復元されていればいいのだが、復興天守という過去に存在していたものをイメージして造ったものであるため、かなり興醒めだ。当時の野面積みの石垣が残っているだけに、なくてもいいやん、て思える。しかも天守台のサイズよりも小さめに造られているので「変」としかいいようがない。
天守門も復元されているものの、まだ調査結果をもとに造られているのでマシだが・・・。

片方に寄りすぎ
何で小さく造ったのだろう。やっぱり変だ

天守内に入らなければ駐車場も広く、無料なのでまだいいが、長く滞在するほどでもない。

<二俣城>
家康の長男、信康が切腹した場所で有名だが、遺構としては天守台、土塁、石垣が残っている。
建築物は無いが、十分戦国期の城郭を堪能できる。浜松城と違ってメジャーでは無いため訪れる人も皆無に等しいほどいなかった。
本丸へ至る門跡だろうか

本丸跡に天守台があるが、その佇まいが良い。

まさに天守台だな。辺りの芝生もきれいに整備されている

<鳥羽山城>
二俣城のすぐ横にある。この2つの城で1つの史跡となっている。
二俣城の付城(出城)とのことで天守台のような石造物は無いが、大手門跡のほか門跡が2箇所、土塁などが残っている。
ここも訪れる人はほぼいないため静かな場所だった。

大手門跡。この先本丸跡があるが芝生の広場になっている
本丸に至る門跡だが、橋がかけられているのは無粋だ

<久能山東照宮>
家康が死後日光に移葬される前の葬られたところ。
参拝するには最初の鳥居から1159段の石段を登らないといけない。
登り切れば、国宝の社殿をはじめ、重要文化財指定の建造物が多く立ち並ぶ境内に到着する。

ここから1159段登る。上に一ノ門が見える
所々に段数を示すプレートがある
日光ほど大きくはないが風格のある社殿だ

葵紋があちらこちらに散りばめられ、徳川家の聖域として崇拝されていたのがよくわかる場所だ。​​​​​​​​
軒丸瓦に三葉葵

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Last updated  2020.09.27 17:05:03
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2020.09.20
テーマ:城跡めぐり(1115)
カテゴリ:お城・お寺 etc
​​​​一般的に知られた城でもないが、城好きなら知っている田中城(藤枝市)、横須賀城(掛川市)に行った。ともに江戸期の藩庁として明治まで続いた城である。
ちなみに横須賀城といっても、神奈川の横須賀ではなく、静岡県掛川市に存する(何か紛らわしいが)。

<田中城>
本丸跡には西益津小学校があるが、そこを中心に同心円状に堀が巡らされていた。その形は地図で見てもよくわかる。道が弧を描くようになっている。
建築物の遺構としては本丸櫓が下屋敷跡にある。あとは一部堀や土塁が残る程度。
この櫓も明治の払い下げで民家として使われていたそうだ。形としては2階建ての家、という感じだ。

本丸櫓が下屋敷跡に移築されている
石垣風の台座に2階建ての家が建っているという感じ。各階1部屋しかないけど

<横須賀城>
石垣が天竜川の玉石を用いている点で珍しい。一見どこにでも見られるような石垣の構造といってもおかしくはない。
郭は幅広、というか旧城郭地図で見ると長方形のような形だ。県道に沿って外堀跡や二の丸など草木に覆われているが遺構として残っている(標識がある程度だが)。
本丸付近は芝で覆われ整備が行き届いていた。

玉石とは珍しいが、石垣っぽくないのも確かだ
天守台といっても一段高いだけで、天守閣がそこにあったとイメージさせる石垣はない

<ひとこと>
両城とも無料の駐車場、トイレもあるので気軽に行ける。
綺麗に整備されているが、前日の山中城ほど興奮度はないな(個人的にはね)。



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Last updated  2020.09.26 16:59:20
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テーマ:城跡めぐり(1115)
カテゴリ:お城・お寺 etc
​​​​日本百名城、といっても現存12天守のある城から、吉野ケ里のような古代の城跡まで様々だが、山同様「百」を知る者は少ないのではないだろうか。
かくいう僕もすべてを知らない。
今回訪れた山中城(静岡県三島市)も百名城の一つだが、城好きでない限りは知られていない城の一つだろう。しかし、行って見れば名城と呼ぶにふさわしい構造をしているのがわかる。

芝生で覆われた城だが、手入れは行き届いている

戦国末期の山城で、豊臣軍に滅ぼされ、廃城になったが、発掘、整備により障子堀や畝堀が見事に保存されている。風化を防ぐために辺り一面(土塁も含め)芝で覆われている。しかもきれいに刈り取られてゴルフ場のような芝生だ。無料なのに手入れが行き届いているのに感心した。

見事な障子堀だ

堀と土塁で出来ているため石垣はない。しかし、石垣がないことで土塁の形状、堀の形がよくわかる。
敵の侵入を防ぐための堀の構造でも、圧倒的な数の豊臣軍の前には役に立たなかったと思うと悲しい歴史を思い起こさせる遺構だ。

堀に工夫をしても数には太刀打ちできない

<ひとこと>
堀を見るだけ(それだけしかないが)でも価値のある城跡だ。天気が良ければ富士山も見渡せる(当日は見えなかったが)。
駐車場、入城も無料、傍に旧箱根街道の石畳もあるなど訪れる価値のある場所といえる。

旧箱根街道の趣ある石畳


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Last updated  2020.09.25 18:24:54
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