テーマ:ヨーロッパ旅行(4168)
カテゴリ:ヨーロッパ
世界遺産モン・サン・ミッシェル、聖ミカエルのレリーフです。
修道士の食堂から階段を下りると、この像があります。 像は、サン・ミッシェル修道院誕生の伝説がモチーフとなっています。 モン・サン・ミッシェルの歴史から抜粋して、その物語をお伝えしましょう。 言伝えによると、モン・サン・ミッシェルからほど近いアヴランシュの町の司教だったオベールの夢に大天使ミカエル(仏語でサン・ミッシェル)が現れ、「あの岩山に聖堂を建てよ」と命じたということでした。 一度ならず、再び大天使ミカエルはオベールの夢にやって来ましたが、オベール司教はただの夢だと思ってなかなか信じませんでした。 しかし、業を煮やしたミカエルは3度目の時にオベールの頭に指を突っ込むという強硬手段でお告げを示しました。 翌朝、オベールは自分の頭に穴が開いていることに気づいて愕然とし、ようやくお告げが本物だと確信したのです。 ミカエルが指示した岩山は古くはケルト人が「トンブ山」と呼んで崇拝していた場所でしたが、さらにオベールには「天から露が降りた場所を乾かして、そこに建てよ」と大天使からのお告げがありました。 そこで、オベール司教が指示通りの場所に小さな聖堂を建てると、それまで陸続きだったその場所は、驚くことに一夜にして海にに囲まれる孤島になったといいます。 このような経緯を経て、708年の10月16日にモン・サン・ミッシェルは献納され、それ以後、聖地としての歴史が始まったのでした。 壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLする この写真入りで印刷用のカレンダーを作成する 2Lサイズ A4サイズ モン・サン・ミッシェル、貨物昇降機です。 大車輪の中には人間が乗って回し、下から荷物を引き揚げたのです。 18世紀末のフランス革命時に修道院は廃止され、しばらくの間監獄として使用されていました。 その間、大車輪を回したのは囚人たちでした。 モン・サン・ミッシェルの観光を終えてパリに戻り、翌日、パリからまたローマに飛びました。 その空路、私の座席の隣は若い日本人女性でした。 聞くと、ローマからパリに飛んで友人に会い、今、その帰りなのだといいます。 その相手が、女性なのか男性なのかは聞いていませんので、知る由もありません。 若い女性が、国を越えて一人で行き来する時代なんですね。 私には考えられません。 その日(3月14日)の午後の便でローマから成田へ帰国の途につく予定でしたが、飛行機にトラブルが発生して飛べなくなり、その日、ローマに足止めされてしまいました。 一日遅れで秋田に帰ったのは、3月16日でした。 自宅への帰り道、休業しているガソリンスタンドが多く、営業中のスタンドにはガソリンを求めて長蛇の列が出来ていました。 東日本大震災の余波は、直接的被害の少ない秋田でも、まだ収まっていなかったのです。 壁紙をDLする カレンダー入りの壁紙をDLする この写真入りで印刷用のカレンダーを作成する 2Lサイズ A4サイズ にほんブログ村
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野の花2517さんへ。
>そういう言い伝えがあるのですね。 >いかにも聖地にふさわしい言い伝えですね。 穴の開いた頭蓋骨まで展示してありましたから、手が込んでいます。 >若くはありませんが、わたしもひとりで国外へ飛んでいます。 野の花さんも、一人で外国旅行できるなんて、すごいです。 (2011/05/31 04:58:42 AM) |
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