カテゴリ:歴史あれこれ
_横手市大森町の公共温泉施設「さくら荘」の直下近くに「女郎出(じょろうで)」という地がある。
女郎は一般的に遊女やおいらんの意である。 戦国時代、大森は小野寺氏の支城があって城下町として賑わったから、遊郭があっても不思議はない。 女郎出は、男どもにはべらせる遊女が多く出た地かと、漠然と思っていた。 だが、遊女は日陰者のイメージが強い。それが堂々と地名に現れるのには違和感を禁じ得ない。 ホームページやまとうた 和歌の「家持と人々 女たち(3)」には紀小鹿女郎(きのおしかのいらつめ)のことが記されており、その中で「女郎・郎女」を次のように示している。 『万葉集で使われている郎女・女郎(ともに「いらつめ」とよむ)は、男性の卿・大夫(ともに「まへつきみ」)にあたる語で、大雑把にいえば高貴の女性に対する敬称です(辞書には間違った説明がされていることが多く、注意が必要です)。家族に極めて身分の高い官人(大臣や大納言など)がいる場合に限り、「郎女」の書法を用いたようです。これは、男性官人につき、三位(さんみ)以上を「卿」、四位(しい)・五位(ごい)を「大夫」と書き分けているのと同様です。』 これでわかるように、女郎は遊女ではなく、高貴な人のお嬢さんということなのである。 写真2枚目は、万葉和歌集20巻[4](宝永6年版)を抜粋したものである。 これに大伴女郎や石川郎女の名がある。 女郎は郎女とも記される。 大伴女郎、大伴郎女、大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)は同一人物とされ、『万葉集』の代表的歌人であり、大伴安麻呂と石川内命婦(いしかわのうちみょうぶ)の娘である。 石川郎女は石川内命婦と同一人物とみられている。 秋の七草に女郎花(おみなえし)がある。 エシは圧するの意味であり、女郎も圧倒するほど高貴な花として名付けられた。 盆花の一つであるが、全国的に自生地は非常に減少しているという。 女郎蜘蛛もある。メスの体は巨大で、優にオスの5倍はある。 その姿が雅(みやび)なので、江戸時代、大奥に仕える高級女官の上臈(じょうろう)になぞらえたとの説が有力である。 女郎は決して恥ずべき語ではなく、華美で高貴な女性をその由来に持つのである。 この地から、高級官僚に召された女性が輩出し、それを誇りに思って名づけられた地名とすれば、納得がいく。 【追記】 マピオンの住所検索で調べたら、女郎の付く地名が何か所か見つかった。 その中の2か所を紹介する。 八幡女郎花(やわたおみなえし・京都府八幡市) 女郎買道(じょろうがいど・愛知県岡崎市) 両者の地名由来には乖離があるように思えてならない。 女郎にまつわる伝説に、小女郎狸伝説、橋立小女郎、女郎ぐもの話などがある。 【追記2】 女郎出近くを流れる川に大納川があり、昔は大納言川といった。 菅江真澄の雪の出羽路にそのいわれが記されている。 要約すると『いずれの御世かわからないが、御勅使とも流離の君ともいい、または保呂羽山へ奉幣使の卿ともいう大納言某の卿がこの川を渡ろうとしたとき、舟が転覆して溺れ死んだという古老の話がある。』というものだ。 女郎出にはこの大納言との関わりが隠されているとしたら面白い。
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Last updated
2017/02/10 02:18:12 PM
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