カテゴリ:歴史あれこれ
![]() 中田町の名桜・紅枝垂れ地蔵桜 中田町に古くから伝わる「おしどり伝説」 福島県郡山市中田町赤沼に「おしどりの碑」がある。 傍らに、おしどり物語に関する説明板も立てられている。 説明版には、"小泉八雲の怪談「おしどり」のルーツは郡山の民話"と題した新聞記事と思われる資料が掲げられている。 記事によると、小泉八雲が代表作「怪談」に書いた「おしどり」のルーツとなった物語は、郡山市中田町に伝わる民話「赤沼のおしどり」だった、と記している。国学院大学の大島広志氏が、郡山市の勉強会で「八雲の『おしどり』は『赤沼のおしどり』がもとになっている。」と話し、太鼓判を押したというのである。 また、八雲の「おしどり」では、話の舞台を「むつ(陸奥)の国」としていることから、青森、岩手が舞台とする解釈があるものの、県内(福島県)の小高町、長沼町、小野町、隣県の宇都宮市などにも似た伝説があると、中田町ルーツ説を強調している。 ![]() 中田町赤沼のおしどり物語(おしどりの碑の説明版から) 田村氏がみちのくの田村郡を支配 「陸奥国」は、当初は「道奥」(みちのおく)と呼ばれ、平安時代まで「陸奥」(みちのく)、その後は「陸奥」(むつ)と呼ばれた。 「陸奥」は時代によって範囲が多少異なるが、福島県から青森県までの沿岸部の地域を指す。 現在は「みちのく」といえば、ほぼ東北地方全体を指すようになった。 陸奥国の田村郡を支配していた戦国大名に田村氏がいる。 wikipedia-田村氏によると、 『田村郡(たむらぐん)は福島県(陸奥国・磐城国)の郡。 平安時代、桓武天皇より征夷大将軍に任命されて蝦夷討伐で活躍した坂上田村麻呂を祖とし、その子孫が代々田村郡を領してきたとされる。 鎌倉期以降、田村荘の領主は藤原仲能系と考えられている田村庄司家であった。』 古今著聞集のおしどり物語では、「田村の郷」を「ここは前形部太輔仲能朝臣の領土」と記している。 秋田県横手市大雄田村も「みちのくの田村の郷」で、「赤沼のおしどり物語」が伝わるが、古今著聞集の記述や歴史的背景から見て、郡山市中田町起源説に軍配が上がりそうである。 ![]() 中田町のおしどり碑と説明板 猟師が殿様まで格上げ 中田町のおしどりの碑には次の碑文が刻まれている。 『1314年(正和三年)民話「赤沼のおしどり」 右馬允(うまのじょう)という武士が、赤沼のほとりでつがいのオシドリの雄を矢で射止めて帰ると、夢に美しい女が現れ、「日くるればさそいしものを赤沼の まこもがくれの一人寝ぞ憂き」と詠んで去った。 翌日、雄を射た場所を訪れてみると雌が自分のくちばしで腹を突き刺して死んでいた。武士は発狂したとも、出家したともいわれている。』 正和3年は鎌倉時代だが、古今著聞集編纂時の建長6年(1254年)から60年後である。出典に記された年と考えられるが、古今著聞集は成立後に増補がなされているので、その増補版かもしれない。 古今著聞集は猟師の馬ノ允だが、碑文は武士の右馬允で、説明版のイラストでは右馬允が殿様になっている。脚色された過程が面白い。 中田町は隣接の三春町とともに、枝垂れ桜の名桜がひしめく地である。 紅枝垂れ地蔵桜は郡山市の天然記念物に指定されている。(写真1枚目) 樹齢約400年を越し、三春の滝桜の娘といわれている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017/02/25 05:00:05 AM
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