カテゴリ:歴史あれこれ
東北鈴木姓発祥の地といわれる鈴木家(秋田県羽後町) ・名字から誕生した「鈴木」地名 日本の名字の9割は地名に由来するというが、その逆で名字から地名が生まれた「鈴木」がある。 名字では、鈴木は佐藤に次いで全国第2位の数を誇るという。しかし、地名となると非常に少ない。 まぴおん-「鈴木」で検索したら、12件が見つかった。 秋田県潟上市昭和豊川船橋鈴木(すずき) 宮城県栗原市一迫狐崎鈴木(すずき) 宮城県亘理郡亘理町逢隈田沢鈴木堀(すずきぼり) 宮城県栗原市一迫狐崎鈴木前(すずきまえ) 福島県二本松市上長折鈴木内(すずきうち) 福島県会津若松市町北町大字上荒久田鈴木(すずき) 愛知県豊田市白倉町鈴木(すずき) 愛知県知多郡南知多町山海鈴木(すずき) 愛知県豊田市坂上町鈴木ケ根(すずきがね) 茨城県稲敷郡阿見町鈴木(すずき) 東京都小平市鈴木町(すずきちょう) 神奈川県川崎市川崎区鈴木町(すずきちょう) ・「鈴木町」の由来 神奈川県川崎市の「鈴木町(すずきちょう)」は、味の素の創業者である鈴木三郎助に由来する地名である。 明治40年に発見されたグルタミン酸をもとに、鈴木三郎助が事業化した。そして大正3年に川崎工場を設立、以後発展を遂げて現在の味の素グループとなった。 鈴木町一帯は味の素の川崎工場を主体とし、その関連施設が多い。 京急大師線の鈴木駅は、昭和19年まで味の素前駅という名称だった。 (参考・鈴木町という町 | 日本実業出版社) 神奈川県川崎市にもう一つ「鈴木新田(すずきしんでん)」があった。 天明年間に羽田猟師町の名主だった鈴木弥五右衛門が開発した新田だったため、そう呼ばれた。現在の川崎区殿町三丁目にあたる地である。 (参考・wikipedia-鈴木新田 (川崎市) 東京都小平市にある「鈴木町」も昭和37年までは「鈴木新田」と呼ばれていた。この「鈴木町」は、江戸時代初期にこの付近を開拓した名主の鈴木利左衛門に由来している。 また、茨城県阿見町の「鈴木」は、明治12年に山形県の士族・鈴木安武が開拓したことに由来する。 (参考・日本人なら知っておきたい名字のいわれ・成り立ち[大野敏明著]) ・「鈴木」と「穂積(ほづみ)」の密接な関わり 名字としての「鈴木」は何に由来するだろうか。 これについて[特集] 発祥の地、和歌山サイトには次のようにある。 『「鈴木」は熊野地方において神官を受け継ぐ家系であり、神武東征の折、天皇より賜った「穂積(ほづみ)」家の後裔だと伝わる。 穂積とは稲の穂を積む「稲むら」のことを示し、その中心に立てる一本の棒を熊野では「聖木(すすき)」と呼び、転じて「鈴木」となったといわれている。』 これによれば、「鈴木」は、もともと「穂積」だったということになる。 そこで、「鈴木」同様、地名としての「穂積」をまぴおん-「穂積」で検索したら、多くの地名が見つかった。次はその一部である。 山形県山形市穂積(ほづみ) 山形県酒田市穂積(ほづみ) 大阪府豊中市穂積(ほづみ) 兵庫県加東市穂積(ほづみ) 岐阜県瑞穂市穂積(ほづみ) 愛知県豊田市穂積町(ほづみちょう) 山口県山口市穂積町(ほづみちょう) 福島県いわき市平北白土穂積(ほづみ) 青森県つがる市稲垣町穂積(ほづみ) 栃木県さくら市穂積(ほづみ) ・「穂積(ほづみ)」地名の由来 岐阜県瑞穂市穂積(ほづみ)は、古代、穂積の姓を名乗る人々がこの地に移り住んだことから地名になった。 穂積氏は大和国山辺郡の穂積を本拠地とした氏族で、大和朝廷の身分の高い役人であった。 古代から中世にかけては本巣郡穂積郷、江戸時代には穂積村、昭和23年には穂積町となり、 昭和29年の合併でさらに大きな穂積町となった。 平成15年(2003年)に巣南町と合併して瑞穂市になり、現在に至っている。 (参考・市町村・地名の由来【岐阜市周辺】 - 岐阜県雑学) 大阪府豊中市穂積(ほづみ)については、豊中市史に『穂積の地名が穂積臣とその部民たる穂積部の居住に発端していることを明らかにしている。』とある。(参考・旧穂積村を歩く - 十三のいま昔を歩こう) ・「鈴木」は古事記にも登場する名字 名字としての「鈴木」は古事記や日本書紀などにも登場するほどで、来歴は非常に古い。 熊野三千六百峰の大山塊から発した熊野大権現の社家・鈴木氏はのちに紀州の藤白の地に移り、日本諸国に散在する「鈴木」の総本家となった。 熊野信仰は平安時代から広まり「蟻の熊野詣」と称されるほどの賑わいを見せた。 熊野鈴木氏は、源平時代以降、三河において著しく発展する。そのきっかけは、源義経が奥州に落ち延びるとき、鈴木党の惣領であった三郎重家が、義経の身を案じて、はるばる熊野から平泉まで駆けつけて殉じたことによる。 その供をした重家の叔父・七郎重善は途中の三河で足を患い、賀茂郡高橋庄にとどまった。これが三河鈴木党の始まりで、後の徳川氏との縁から、鈴木諸家は幕府の旗本や御家人として大挙、江戸に移住した。 江戸の地に広まった鈴木氏は、上総・下総・陸前から出羽へも広がっていった。 一方、熊野に残った鈴木宗家は次郎重治が継ぎ、代々熊野に居住した。 戦国時代に雑賀鉄砲衆をひきいて紀州に勢力をもった、雑賀孫市も鈴木氏の一族である。 (参考・姓氏と家紋_鈴木氏) ・東北鈴木姓発祥の地 ところで、秋田県雄勝郡羽後町飯沢に古くから居を構える鈴木家がある。 鈴木家住宅は、江戸時代中期に建てられたの農家住宅で、歴史的建造物として国の重要文化財に指定されている。 同家に由来書によれば、鈴木家は源義経の重臣・鈴木三郎重家が文治5年(1189年)に奥州平泉から落ちのびて土着し、帰農したことにはじまるという。 前記には、鈴木三郎重家は平泉で殉じたとあり、由来書とは食い違いがあるが、真相はどうだろうか。 東北地方に「鈴木」が広まったのは、先祖「鈴木三郎重家」が来たためといわれ、同家は「東北鈴木姓発祥の地」とされている。 (参考・国指定重要文化財 鈴木家住宅) これが縁で、平成10年(1998年)5月、「第1回 全国鈴木サミット」が秋田県羽後町の鈴木家で開催された。 2016年7月14日放送「世界!ニッポン行きたい人応援団」(テレビ東京)の「“古民家”愛してやまない17歳女子ご招待」が鈴木家で収録された。 YouTubeの世界!ニッポン行きたい人応援団 7月14日で視聴できる。 ・名字の「穂積(ほづみ)」 一方、名字としての「穂積(ほづみ)」は、「鈴木」ほど多くはない。 福島県、それも白河市周辺に特に多くみられる名字である。 穂積から派生した名字には、「熊野」「土居」「木原」「梅本」「羽鳥」「八月朔日(ほづみ)」などがある。 (参考・「穂積」の名字の由来) 以前、仕事の関係で名刺交換をしたとき、「八月朔日」という名字の名刺を差し出されてびっくりしたことがある。 その時、「ほづみ」と読むと教えられた。 旧暦8月1日に稲の穂を摘み贈る風習が名字の由来とされる。(参考・wikipedia-八月一日) ・鈴木の異形「寿松木(すずき)」 「寿松木」と書いて「すずき」と読む人たちが秋田県横手市にいる。 仁左衛門は田村の鈴木与治右衛門の二男として生まれ、後に独立した。 実家の鈴木と、妻の実家松下から1字ずつ取り、それに寿を付けて「寿松木(すずき)」とした。 慶応3年(1867年)、秋田藩に金150両を献納して永苗字を許されている。(参考・大雄村史) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017/03/17 07:05:02 PM
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