テーマ:海外旅行(7019)
カテゴリ:海外
択捉島に上陸して真っ先に訪れたのが文化会館に付属する博物館です。 さまざまな展示コーナーの中に、ビザなし交流で日本から贈られた様々な品が並べられている部屋がありました。(上の写真) 大事にしていることの証しですが、うれしいことです。 また、戦争遺品を展示しているコーナーもありました。 飯ごうや鉄兜、砲弾などのほか、ロシア兵の真新しい軍服が誇らしげに飾られていました。(下の写真) これを見て、北方領土がロシア(旧ソ連)に不法占拠されたままの状態であることを、強く意識させられました。 外務省のHP北方領土問題とは?に次のような説明があります。 (1)日本はロシアより早く、北方四島(択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島)の存在を知り、多くの日本人がこの地域に渡航するとともに、徐々にこれらの島々の統治を確立しました。それ以前も、ロシアの勢力がウルップ島より南にまで及んだことは一度もありませんでした。1855年、日本とロシアとの間で全く平和的、友好的な形で調印された日魯通好条約(下田条約)は、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の国境をそのまま確認するものでした。それ以降も、北方四島が外国の領土となったことはありません。 (2)しかし、第二次大戦末期の1945年8月9日、ソ連は、当時まだ有効であった日ソ中立条約に違反して対日参戦し、日本がポツダム宣言を受諾した後の同年8月28日から9月5日までの間に北方四島のすべてを占領しました。当時四島にはソ連人は一人もおらず、日本人は四島全体で約1万7千人が住んでいましたが、ソ連は1946年に四島を一方的に自国領に「編入」し、1948年までにすべての日本人を強制退去させました。それ以降、今日に至るまでソ連、ロシアによる不法占拠が続いています。 これに対して、ロシアや他の国々はどう考えているでしょうか。 北方領土問題-やさしい北方領土のはなしに次の記述が見つかりました。 『北方領土問題は、日本とロシアの問題なので、ほかの国の政府は、あまり口出しないようです。 世界で一番有名な百科辞典である『ブリタニカ百科事典』で調べると、英語で、次のように書いてあります。 千島には最初にロシア人が住み着いた。これは17、18世紀の探検に引き続いて行われた。しかし、1855年、日本は南千島をうばいとり、1875年には全千島列島を領有した。1945年、ヤルタ協定にもとづいて、 島々はソ連にゆずりわたされた。日本人は引きあげ、かわってソ連人が移住した。日本は、今でも、南部諸島に対する歴史的権利を主張し、 島々に対する日本の主権を回復するように、ソ連・ロシアを、くり返し説得している。 これは、ロシアの説明とだいたい同じで、日本政府の説明とは全くちがいます。このように、日本政府の説明は、世界中からあまり理解されていません。』 このような意識のもとでは、北方領土が日本に返還される積極的な意味合いがうすいといわざるを得ません。 日本政府や日本国民がもっと声を大にしてわが国の立場を説明し、世界の国々に返還を訴えていく必要があるでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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