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テーマ:令和(72)
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というわけで令和な世の中になりました。昨晩は平成から令和に変わる瞬間を感じ取ろうと、昭和から平成に変わった時と同様にNHKを見ていたのですが、爆笑問題が司会を務めるバラエティ形式の番組で、正午になった瞬間に別に君が代と国旗が映し出されるわけでもなく、年の変わりよりも軽い感じで切り替わりました。うーん、これなら嫁に倣ってさっさと寝れば良かった・・・(ーー;)
まあ確かに今回は祝賀ムードの改元で、NHK以外の各局も特段平常通りの番組編成でしたから、あんまりこだわらなくて良かったのかも知れません。ただ明らかに昔に比べてテレビでの一体感というものは無くなり、皆で同様の体験を共有し合うという機会は無くなりましたね。 今BSで再放送している「おしん」なんて視聴率50%超だったそうですから、それぞれの受け取り方、感じ方は異なれども、昔は国民が同じシーンを見て体験を共有できました。まあツールやデバイスが限られていたので、そうなるのはある種必然ですが。 今やそれが細分化されSNSに移り変わり、マスコミのフェイクニュースや偏向報道も見抜かれるご時世になりました。もっとも、発信源の不明な不特定多数のネットのコメントの方が信頼できるわけでは決してなく、なんだかんだでマスコミの報じる内容を一定量信じている状況には変わりませんが。 話がズレていきますが、先日テレビを観ていてついにここまで来たか、と思ったのは、CGやAI、音声合成を使って人物の口元を「あたかもその発言をしている」かのように加工することまで可能になったこと。もう「言った、言って無い」すら第三者に操られ、証拠がねつ造され、その人の評判や人格を陥れることが可能になったようです。 これは相当に恐ろしいことですね。力を持つ者が敵対者を陥れることが簡単にできるのですから。冤罪をふっかけられたら、どうやって自分の無実を証明すれば良いのやら。そして人は一体何を信じれば良いのやら。自分の身近な人であれば、普段の付き合い方や行いでその人をある程度信じることはできます。ただ逆に「裏切られた」という気持ちが深まる場合もあるかも知れません。 以前から思うのはテクノロジーの進歩が加速度的過ぎて、人類がついて行けていない(上手く使いこなせていない)ということ。それが例えばSNS疲れとか、そういった不幸の一因になっているのでしょうね。そう考えると、本日から始まった令和の時代、どういう世の中になっていくのかは相変わらず未知数です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019年05月01日 14時09分13秒
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