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うちは神道ですので、大晦日には大祓いという行事を行ないます。
塩と米、酒、干物、野菜、果物を供え、玉串奉奠を行い、祝詞を揚げ、大麻(おおぬさ)で家中を祓います。 明日の朝は元旦祭を行ないます。 準備もたいへんですし、行事そのものも面倒といえば面倒なのですが、最近になって「型を踏襲する」すばらしさに気づくようになってから億劫さがなくなりました。 作法は非常に細かく、神前に向かって歩き出す第一歩目が右足か左足かまで定められています。 それが坐る位置によって、違うのです。 若いころは「何の意味があるの?」と抵抗を感じたこともありましたが、今は意味なんてどうでもいいと思っています。 ただ、定められた作法のとおり行なおうと思っています。 やり続けないと真髄の分からないことがあります。 でも、それを人に伝えようとして、言葉に変換した時点で「もとのそのもの」とちょっと違ったものになってしまいます。 「もとのそのもの」を体感している人同士では言葉でも通じ合いますが、そうでない人には言葉という道具は適切でない場合があります。 およそ日本で「道」のつくものは「ただ、やり続ける」という期間が必要なのではないでしょうか。 一年の締めくくりの大晦日という日に大祓いを行なう家庭という稀有な境遇に縁のあった自分の幸せを感じながら身を清め、気を静め、行なおうと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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