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私たち凡人は悟りを開いていませんので、私とあなたとを区別して捉えます。
これを仮に自他分離感と呼ぶことにしましょう。 悟りを開いた人は自他一体感を抱いています。 では、自他分離感が悪いのかというとそうではありません。 自他分離感があるからこそ、自他一体感を知る喜びがあるのでしょう。 この世の不幸を生み出すものは同時に幸せにいたる道標という役割も担っているのかもしれません。 トラウマも私たちの不幸の原因になっているように思えてしまいますが、ほんとうの自分に出会うための水先案内人という役割があるのかもしれません。 愛いっぱいのほんとうの自分を知れば、人はどのようになるでしょうか。 おそらく歓喜に満ち溢れた状態になるのでしょうね。 ありがたくて、ありがたくて、感謝以外何も感じることはありません。 あまりにもありがたいので、世のため人のために貢献しようと考えるでしょう。 貢献するために必要なら、地位も得られるでしょうし、必要なお金も入ってくるでしょうね。 偉業を成し遂げるかもしれませんが、人が偉業と評価するかどうかはわかりません。 でも、評価を与えることのないほんとうの自分を知っていますので、評価される、されないにかかわらず、幸せいっぱいで感謝に満ち溢れた状態になります。 感謝している心の状態は感謝するしかないことを呼び寄せます。 でも、それは世間で言う「不運なできごと」という形をとっているかもしれません。 世のため人のために行なっていることでも、人から批判されることもあるでしょう。 でも、批判する人を嫌うこともなければ説得しようとも思いません。 感謝の心は起こっている現象に条件をつけません。 どのようなことが起ころうが、ありがたいと思えるのが感謝の心です。 ただ「ありがとうございます」という言葉しか、思い浮かびません。 ここまで意識が高まれば、自分が消えます。 自分がなくなります。 過去の体験から、自分の身を守るために選んでいた行動から自由になります。 自分の身を守る必要を感じるのは怖れがあるからです。 怖れから解放されたとき、人はほんとうの幸せを感じることができます。 感謝と怖れとは同時に感じることはできません。 感謝している人は怖れとは無縁になります。 (続きます) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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