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Kabocha's Diary

Kabocha's Diary

2003年(1月~6月)

◆◆過去の日記より◆◆


◇2003年の日記(1~6月)◇


1月4日(土)

今日から日記を付けることにしました。
次男が普通のペースで発達していく子ではないと感じ始めた頃からPCを触り始めました。
最初は自閉症の障害特性とか療育のこととか調べることで精一杯でした。
それでも昨年の4月から療育施設に通い始めて、施設の先生方や他のお母さん方と話しをするようになって、子どもの障害のことだけでなく自分自身が感じたことを表に出せる場所が欲しくなったのかもしれません。
とは言っても、今まで日記も家計簿も何度始めても文字通りの三日坊主の人なので、はたしていつまで消えずに続けられるか、かなり不安だったりもします。
まあ、とりあえずボチボチ始めてみます。

プロフィールの方にも書きましたが、ここでは長男を「おにい」、次男を「ゆずき」と呼ぶことにします。
「ゆずき」は長男が読んでいたコミックのキャラクターの名をお借りしました。


1月8日(水)

今日は「園長先生のなんでも聞くタイム」というのがありました。
数人の保護者と園長先生でお話をする会なんですが、ほとんど園長先生がお嬢さんのお話しをなさって終わりでした。
園長先生のお嬢さんはすでに成人なさっているのですが、染色体異常で重度の障害があり、現在は作業所に通って箱折りの仕事をしていらっしゃるそうです。
毎日とても楽しそうに過ごしていらっしゃるそうです。
一時間近くかけて話された内容を私の単純な頭でまとめるのはかなり無理がありますが、心に残ったところだけ書きます。
二十数年お嬢さんを育てていらっしゃった園長先生が現在施設に通って来る子と親を見て思われることは、この子達がこれからどんな風に育って行くかはまだ分からないので、大人になった時にどんな場所で暮らせるかとか、そういう遠い先のことを考えるよりも、今は本人が健康で楽しく施設に通えることが一番大切ということだそうです。
身辺の自立なども、時間はかかってもその子その子のスピードで必ず伸びて行くので急がなくてもいいし、本人が無理をせず過ごせる場所で過ごさせてやるのがいいとおっしゃっていました。
ただ、園長先生もそこまで思えるようになるには随分長い時間がかかったそうですが・・・
それでもしつけに関しては、泣いても暴れても「ダメなものは絶対ダメ」と小さい時からきっちり教えないと、小学校の高学年くらいにもなれば力では抑えられなくなるし、中には欲しい物を買ってもらえないと万引きをするようになる例もあるそうです。

実際に障害児を育てて来られた大先輩のお話は心に沁みます。
障害があるということに親が甘えずに、教えるべきこと、伝えるべきことは急がず一つずつ時間をかけて丁寧に伝えてやらなければいけないのだと思いました。


2月13日(木)

今日はことばの教室と療育施設(単独登園)のかけもちでした。
初めてのパターンです。

朝家を出る時に施設に持って行くカバンを見たら、施設に行くのだと思い込んでしまって、ことばの教室に着いたところで混乱すると困るので、施設に持って行く荷物は勝手口からこっそり持ち出して車の助手席の足元に積んでおきました。
ことばの教室は無事終了。

車に戻ったところで通園用のカバンを見せて、「これから学園へ行きます。」
ゆずきは分かったのかわからないのか、「チュー!」と言って、帰りにはハイチューを買って欲しいと要求していました。
施設に向かうために途中でいつもと違う道に曲がったら一泣き、しばらく走って施設の手前でいつもの道に出たところで、もう買ってもらえないと悟ったのか、また一泣き。

施設に着くと、下駄箱に「**公園にいます」とメモが貼ってありました。
靴を履き替えて二階に上がって行くと、何かの団体の方が見学に来ておられて、知らないおばさんの群れを見たゆずきは固まってしまいました。
廊下にあるタオル掛けの側にも人がいるので怖くて掛けに行けないようで・・・
「子どもが怖がってますから退いてくださいませんか。」なんて言えるワケないし。
時間をかけてジワジワと誘って掛けさせて、部屋へ行って荷物を置き、「これからエイエイオー(お散歩)に行きます。」と言うと、なんとか素直に階段を下りてくれました。
ところが下駄箱で再びおばさんの群れと遭遇してしまって、固まる。
人がいなくなるのを待って外に出ました。

外に出てしばらくは歩いたのに機嫌が悪くなってしまって、抱っこで公園へ向かったけれど途中まで行ったところでみんなが帰って来たので、いっしょに施設まで帰りました。
玄関で先生が、「ゆずきくん、お母さんにバイバイしようね。」
「バイバイ、帰りはバスで帰って来てね。」と声をかけて外に出ました。
園舎の外まで大きな泣き声がはっきりと聞こえていました。

いつもと違うことばかりで、かなりとまどっていたと思います。

後から先生に聞いた話。
玄関で大泣きして、二階へ上がってからもしばらく泣いたようです。
午後、おやつの後で「かあしゃん、かあしゃん」と私を探して泣き始めたので、通園バスの写真を見せて、今日はバスで帰るのだと話して下さったのだけれど、なかなか治まらなかったそうです。
今までにも、学習会などで母子登園の日に部分的に母子分離になることがあったので、今日もお母さんが戻ってくると期待していたのだろうと言うことでした。

いつもと違うことだらけの過酷な一日でした。


2月27日(木)

給食の時間、ゆずきは隣に座っている私の体を押して、まるで「あっちへ行け。」と言っているようでした。
けれども私がゆずきから離れて座ると、それは気に入らないようです。
隣に座りなおすと今度は私の服をつかんで立たせて、「行く」と言いながら私の手を引いてロッカーの所へ行くと、自分のロッカーを指差して「ごはん。」と言いました。
そうかそうか。
「お母さんも一緒にごはん食べて。」って言いたいんだね。
先生がその様子に気付いて、ゆずきの前に座ってゆっくりと説明して下さいました。
「**ちゃんのおかあさんも、**ちゃんのおかあさんも食べてないでしょう。今日はゆずきくんたちだけ食べるの。」
それで納得したようで、おとなしく食べ始めました。

施設での給食は子どもたちが先に食べて、食べ終わった子から自由時間で、その後で親がお弁当を食べる時は母子分離です。
(どうしても離れていられない子は一緒にいても良いけれど、お弁当は食べさせてはいけないということになっています。)
けれどもこの前、先生の人数が足りなかった日に、母子分離にすると子どもを見ている先生がいなくなるので、子どもが食べる時に親も一緒にお弁当を食べたことがありました。

ゆずきはその時のことを思い出したようです。
それでも先生の説明を聞いてちゃんと納得出来たのはスゴイよ。
「ことば」としてどれだけ理解しているかはよくわからないけれど、それでも相手が何を言っているか、ちゃんと考えられるようになったんだね。


3月4日(火)

施設で親の会の総会がありました。
その後で、先日行われた「親の会に対するアンケート」への回答がありました。
その中で特に印象に残った1件について・・・

親の会で「フリートーク」というのが年間4回ありました。
1回目は各クラスごと、2回目以降は全クラス混合で数人ずつのグループに分けての座談会です。
それについて、同じ年の子を持つ親同士や、同じ障害を持つ子の親同士話す機会が欲しかったと言う意見があったそうです。
この意見への回答は、同じ年の子の親同士は可能だと思うけれども、障害については難しいと思うということでした。
未診断の子もいるし、親の思いもそれぞれだと思うので、それを振り分けることは出来ないということです。

ゆずきが通っているのは発達障害の子の通園施設なのですが、ダウン症の子やそれ以外でも運動面の遅れもあって他の療育機関や医療機関へも訓練に通っている子もいます。
ダウン症の子は外見である程度分かるし、この検査の結果がこうだからというはっきりとした根拠もあるものだと思うので、親御さんも、はっきり認識して納得していると思う。
けれども、自閉症のように「この検査の結果がこうなっていたら自閉症」とはっきり示してもらえる物のない障害の場合は、親のとらえ方にかなり差があると思う。
だからと言うわけでもないかも知れないけれど、ダウン症の子の親同士は結束が固いような気がする。
もともと人の中に入って行くのが苦手な私は、ダウン症の子の親同士が話していると、それが特に障害とか療育とかの話しでなくても、近付き難いものを感じてしまう。
(別に無理に関わる必要もないのだが・・・)
自閉症やその周辺かと思われるような子の場合でも、専門医の診断を受けている子もいれば未診断の子もいるし、障害のとらえ方も人それぞれだと思うので、話をするにもある程度言葉を選ばなければと、つい構えてしまう。
ゆずきのように健常の子と比べてはっきり差があれば、障害児ですと言われれば納得するしかないけれども、言葉が出ていてある程度コミュニケーションが取れている子だと、今は少し遅れているだけで、そのうち個人差の範囲になると思っている人もいるだろうし、現に、今少し上手に手を掛けてやれば、障害特性も個性の範囲としてやって行けるようになる子もいるのだと思う。
それだけいろいろな子がいて、親の思いもいろいろなのだろうと思うと、同じクラスの子のお母さんと話すのでさえ、考え過ぎてしまって話しの糸口がつかめない。
それぞれ傍らで遊ぶ自分の子の様子を見ながら、数人で屈託なく(少なくとも私にはそう見える)雑談しているのを横目で見つつ、私はいつもゆずきに手を引かれて市中引き回しの刑。
離れては遊んでくれないし、一箇所で遊んでくれない。
私のいる所の側で遊ぶのではなくて、自分が行きたい所へ私を連れて歩く。
ゆずきの療育のために親が付いて行っているのだし、ちゃんと親を求めてくれるようになったのは喜ぶべきことなのだけれど、何か複雑な気分・・・
通いはじめて1年が過ぎようとしている今、同じクラスの子のお母さん方も先生方も良い方たちばかりで、施設がとても居心地の良い場所であることには違いないけれど、自分と周囲との間の微妙な距離感はいったい何なんだろう。


3月10日(月)

施設の学習会として、障害児の親の体験発表を聞く会に参加しました。
市内の療育施設に通っている子と施設を出て保育所に通っている子のお母さん方がお話をして下さいました。
ゆずきが通っている施設と、肢体不自由児の施設2ヶ所と、聴覚障害児の施設と、保育所からそれぞれ1人ずつです。
聴覚障害のお子さんは、施設と並行して幼稚園にも通っているそうです。
小さい頃には言われていることが分からなければ「分からない」という意思表示が出来ていたそうですが、大きくなると、分からないまま回りの子に合わせて動いてしまって、活動が終わる頃になってその活動の意味が分かるということが多くなったそうです。
「聞こえない」ということの意味が分かってもらえていないと感じて、手話通訳のための付き添いを申し出られたそうですが、園の方針で断られたそうです。
お話の中では聴覚障害を「目に見えない分かりにくい障害」と表現されていました。
確かに初対面の時に外見で分かることはないでしょうけれど、聞こえない人なのだと分かってしまえば、少なくとも自閉症から来る認知障害よりは想像しやすいと思うのです。
例えば耳を塞いでみるとか、ヘッドホンを付けて大きな音で音楽をかけて周囲の音の情報が入らないようにするとか、ある程度の疑似体験も出来ると思います。
いつもいっしょにいるお母さんには、その子が何が分かって何が分からなくて、どんな風に困っているのか、どう手助けして欲しいのかある程度は分かると思うのです。
それでも子どもと園との間に入って、必要な支援を受けられるように橋渡しをすることは容易ではないようです。
それなら、自閉症の子の場合はどうなるのでしょう。
わが子が何がどこまで分かって何がどう分からないのか、どんなことで困っていて、どう支援したらそれが解消されるのか、正直に言って、親にもほとんど分からないのに、これから園や学校との間で、どう橋渡しをすればいいのでしょうか。
おそらく前向きになるために企画されたのだと思われる会に参加して、
余計に落ち込んでしまったのは私だけなのでしょうか・・・


3月11日(火)

ゆずきの髪が伸び放題伸びて前髪で目が隠れてしまっていたので、床屋さんに行きました。
何故そんなになるまで放置していたかと言うと、ゆずきを床屋さんに連れて行くのには覚悟がいるのです。
1人では当然座っていないので私が抱いて座るのですが、ケープ(?)はイヤがるのでかけられないし、前よりは随分マシになったものの泣くし動くし・・・
そこの床屋さんに行き始めた1才の頃は、カットする人と頭を押さえる人とおもちゃを持ってご機嫌を取る人と3人がかりでした。
おもちゃを持って声をかけて下さっても、本人はそのおもちゃも声も無視するどころか、かえって邪魔そうなのが申し訳なくて、2歳になった頃に、障害があることを話しました。
「発達障害があるので、言葉はほとんど理解していません。大きくなってもこんな調子だと思います。それでもやってもらえますか?」と言うと、「泣いても構わなければ出来る間はやります。色々な子がいて、もっと暴れる子もありますから。そのかわり、手が足りない時は出直してもらうことがあるかもしれません。」と言って頂けました。
話をしてからの方が、上手に対応してもらえるようになりました。
そこの息子さん(と言ってもお兄さんという年ではありません)が、やたらと声をかけるのでなく、じっとしていて欲しいポイントを押さえるように、顔の前でおもちゃを動かしながら声をかけてくれて、奥さん(声をかけてくれている人のお母さん)が手早くカットします。
何度か行くうちにゆずきも少しずつ慣れて、奥さんの顔を覚えたようで、最初は不安そうにしていても、奥さんの顔を見ると少し安心した顔に変わるようになりました。
それでも泣くし動くし結構大変ですが、回を重ねるごとにゆずきも慣れて来るし、絵本が少しは見ていられるようになると、頭を押さえる人は要らなくなりました。

お店の入り口に着くと、息子さんが中からドアを開けて出迎えてくれました。
入り口でゆずきが抵抗しましたが、少し離れたところで穏やかな顔で待っていてくれるので、無理をせず、ゆっくりと誘い込みました。
今日は初めていつもと違う席でしたが、思ったより落ち着いていました。
ケープも動物の柄を見せながらゆっくりとかけてくれましたが、やっぱりイヤがるのでこれはナシ。
無理強いせずにアッサリ引っ込めてくれます。
今日は初めて息子さん1人でカットしてもらいました。
髪を濡らすための霧吹きもハサミもゆずきに見せて触らせてから初めてくれました。
頭を触られるのは苦手なのでイヤがって動きますが、何をするのか納得しているからか、時々絵本を見たりしながら、今までとは比べ物にならないくらいお利巧さんにしていられました。

ものすごく覚悟して出かけて行った私は何だったんだろうと思うほど、今日は順調に終わりました。
「障害のある子にかかわったことがあるんですか?」と聞いてみると、「お客さんで時々ありますから。」とおっしゃいました。

いくら接する機会があっても、相手の状況に合わせて上手に対応できる人ばかりでもないと思う。
そこは感性の問題というか・・・

近くにいい床屋さんがあって良かった。


3月19日(水)

もすぐ3月も終わりです。
ゆずきの通っている施設でも、施設を離れる子が大勢います。
養護学校や地域の小学校へ入学する子。幼稚園や保育所に移る子。
ゆずきと同じクラスからも1人、同じ年の子が幼稚園に移ります。
その子のお母さんが、「幼稚園には多くを望まないことにした。」とおっしゃった。
それはおそらく、あれもこれも配慮して下さいと一度に言わないで、どうしても必要な事柄だけをその都度伝えて行くということだと思う。
その子は言葉でのやり取りも随分出来るようだし、とってもしっかりしている。
当然ゆずきとは比べ物にならない。
あれだけしっかりしていれば、園に多くを望まなくてもそれなりにやって行けるでしょう。
けれどもゆずきの場合、あと1年でどれだけ変わるんだろう。
どれだけ伸びたとしてもきっと、個別に支援してもらわなければ集団の流れから取り残されてしまうでしょう。
「園に多くを望まない」で健常児の集団に入れるのなら、活動の妨げになったり、他の子に害が及ばないかぎり、放って置かれても構わないくらいの覚悟でないといけないような気がする。
実際の話、市立の保育所ならそうなってもし方がないかもしれない。
障害児3人に1人しか加配の保育士さんが付かないのだから。
幼稚園で、もしも専属に1人付けて受け入れてくれたらどうなのだろう。
その先生に少しずつ伝えて行けばゆずきのことを理解してもらえるのだろうか。
他の健常の子のお母さんの気持ちはどうなるのだろう。
「色々な子と接することで学ぶこともあるから。」と好意的に受け入れてくれる人も中にはいるかも知れない。
でも、本音は?
頭から拒絶反応の人だっているかも知れない。
それでもその人の気持ちも否定出来ない。
自分の子が大切で、少しでも良い環境で過ごさせたいと思うのは誰でも同じだから。
それぞれが思う良い環境の形も、きっとそれぞれ違って当たり前だし。
この1年のゆずきを見ていると、健常の子の中で過ごさせてやれれば、周りの子たちのすることを見て、真似して、そこから色々吸収して、あの子なりに伸びるような気はする。
小さい間だけでもそういう環境で過ごさせてやりたいと思う。
大きくなればきっと通常級では付いて行けなくなるだろうから、なんとかやって行ける間だけでも・・・
でも、それは健常の子の親から見たらどうなのだろう。
療育施設や特殊学級という場があるのに、そこに行かずに、その上個別の配慮をお願いしてまで仲間に入れて下さいと言うのは、やっぱり、ある意味ワガママと思われても仕方がないのではと・・・・
皆が皆そんな風に思う人ばかりではないだろうけれど、そう感じると言われてしまえば、こちらは「すみません。ごめんなさい。」としか言えない。
障害について理解してもらう以前に、周囲の人たちとの関係をどう築いて行けば良いのか・・・

考えれば考えるほど急勾配の下り坂に向かって行ってしまう。
このところ、何を見ても何を聞いてもマイナス思考で・・・・・
際限がないのでもうやめます。


3月30日(日)

数日前に愛知県で、重度の知的障害のある青年が、通りすがりの見知らぬ幼児に大怪我をさせるという事件があった。

被害に遭ったお子さんやそのご家族は、当然大変辛い思いをしておられることでしょう。
けれども私がこの事件を知った時、私の思いは何故か一方的に加害者となった青年の方に向いてしまった。

何かをきっかけにして危険な行動をしてしまうことが予測されるような状態であったならば、なぜ誰かがいっしょにいてあげられなかったのだろう。
いつもはひとりで外出しても大丈夫なほど落ち着いていたのなら、突然のその行動には彼なりの理由があったのでは?
それはもしかしたら、世間の常識で言えば間違っていたかもしれないし、たとえどんな理由があったにせよ、彼のしたことは許されることではないけれど。
その時の状況はきちんと確かめてもらえたのだろうか。
彼の気持ちはちゃんと聞いてもらえたのだろうか。
彼が自分のしたことの意味を理解出来ていなかったのなら、誰か彼に分かるように伝えてくれる人と会う機会は与えてもらえるのだろうか。

けれどもここで少し見方を変えて、もしもゆずきが今同様の被害に遭ったとしたら、私はそれでも加害者の立場まで考えられるかといえば、それはきっと無理だと思う。
そんな危険な状態の人をひとりで外出させた家族が悪いと一方的に責めるに違いない。

加害者となってしまった彼は、もしも健常者として生まれて人並みの判断力があったら、他人を傷つけることはなかったかといえばそれは誰にも分からない。
けれど少なくとも、彼が好んで障害を持って生まれて来たわけでないことは
間違いないと思う。

私自身、今通っている施設以外の場所で知的障害児と会ったことがない。
当然大人の知的障害者の人とも会ったことがない。
だから、知的障害者はこわいとかあぶないとか思うのは間違っていると頭では分かっていても、実際向き合った時に自分と同じひとりの人間として受け入れられるかと考えると、まったく自信がない。
どう接したら良いか分からず立ちすくんでいる自分が見えるような気がする。

これからずっと、分かって下さい、受け入れて下さいとお願いし続けなければならない自分と、逆の立場になってみれば理解して受け入れられるほど大きな心は持ち合わせていない自分と・・・

自分自身の中に大きな矛盾がある

なんか、支離滅裂・・・
何が言いたかったのか、わけが分からなくなってきた・・・


4月2日(水)

ゆずきの通園1年目は、何だかわけの分からないうちに終わった。
通園2年目が始まる。

施設に通い始めた頃は本当にどうなることかと思った。
体操(遊戯室)、朝の会(クラスの部屋)と活動場所が変わる度にパニックで大泣き。
朝の会も座ってなんかいられなくて、ずーっと泣いてる。
「***ゆずきくん。」って呼ばれても自分のことだなんて分からない。
最初から上手にお返事出来る子もいるのに。
設定遊びで見慣れない道具が出て来ると部屋から脱走。
トイレはあの場所に入ることも出来ず、トレーニング以前の問題。
散歩に出れば、道端に座り込んで側溝蓋の穴に石を落とし始めたら動かない。
なんとか歩き始めても、曲がり角では必ずパニック。
給食は食パンと牛乳以外はほとんど拒否。

なんでゆずきだけ何にも出来ないの?
私はいったい何しに行ってるの?

4月、来るはずのものが来なかった。

1年経った今、ゆずきはいろんなことが出来るようになった。
1日の活動の流れが分かるようになったから、場所の移動もスムーズに出来るようになった。
お返事も上手に出来る。
最近では分かってるのにふざけて返事をしないなんて余裕も見せてくれる。
トイレも施設では私を「バイバイ」って追っ払っておいて1人でオシッコをする。
苦手な活動もお散歩も、「みんながやってるからボクも」っていう気持ちが強くなって、お友だちに遅れないようにとがんばる姿が見られる。
給食も、食べたことのない物でもたまには自分から味見してみたり・・・
1年前には、今のゆずきの姿は想像出来なかった。

来週から今年度の活動が始まる。
部屋もお友だちも先生も変わって、親も子も慣れるのにある程度時間がかかると思うけど、入った時からいっしょの仲間もいるし、とにかくがんばろう。


4月12日(土)

たまたま見たテレビの福祉関係の番組で、知的障害のある御夫婦の子育ての様子を紹介していた。
グループホームでスタッフの支援を受けながら、それぞれ工場と作業所で働きながらの子育て。
障害があるからってあきらめてしまわずに頑張ってるってすごいねって・・・
素直に思えないのは私の根性が曲がってるから?

これがもしも身体障害の人なら、
聴覚障害であれば補聴器を使い、四肢障害の人なら車椅子や義肢を使うなど、不自由な部分を道具で補って暮らすのだろう。
もちろん道具だけで全ての不自由が解消するわけではないけれど。
だけど、知的障害の人の不自由な部分は道具では補えないから、
代わりに他人の手や知恵を借りるのだろうけれど・・・

それを同列には考えられない私って・・・


5月12日(月)

朝、おにいを送り出し、お父さんを送り出し・・・
ゆずきのおしっこ完了、着替え完了、持ち物準備OK。
今日はことばの教室が終わってから施設(単独登園)へ行くので、施設に持って行く通園かばんと着替えのかばんは先にこっそり持ち出して、車の助手席の足元に積んでおいた。
ゆずきにことばの教室の連絡ノートを見せながら、「今日はことばの教室に行きます。」と言うと、「でんしゃ!!」と言って大急ぎで玄関へ行って自分でくつを履き始めた。
駐車場から園舎までも、いつもはスンナリとは歩いてくれないのに、今日はちゃんと手をつないでとっても機嫌良く歩いた。

教室が終わると、施設に付けて行く名札を見せて、「お名前付けます。これから学園に行きます。」
するとゆずきは、「バス!」
「今はお母さんと学園まで行くの。バスはお帰りの時だけ。」
名札を見てこれから施設に行くということは分かったようだけど、そこから先はたぶん分かってない。
前回掛け持ちした時には、通園かばんを見せて説明したのに分かってなくて、教室の帰りにはコンビニに寄るものと思ってるものだから、道が違うと気付いたところで大泣きしていた。
だけど今日はこれから施設に行くと納得していたようで、大人しく乗っていた。

今からどこに何をしに行くのか分からないまま連れて行かれるのと、「これからどこそこへ行きます。」ときちんと伝えてもらって納得して付いていくのとでは、気持ちが随分違うらしい。
考えてみれば当たり前のことなんだけど・・・

言葉でコミュニケーションが取れる子なら、いっしょに外出する時に行き先も目的も伝えないということはしないと思う。
「ほらほら、今日は***に行くんだから早く着替えようね。」とかなんとか・・・
「伝えなきゃ」と思ってわざわざ伝えるわけでもなく、ごく自然なこととして。
でもゆずきにはそういう伝わり方はしないので、私が意図的に伝えることをしてやっていない今は、彼にとっては、どこに行くのかもわからないまま、問答無用で連れ去られているようなものかもしれない。
「ねぇ、どこに行くの? 何しに行くの?」って聞けないから、私が持っている物や車の窓から見える景色を手がかりにして、どこに行くのか一生懸命考えるんだと思う。
これから何が起こるのか分からなければ不安なのは、健常の子も同じと言えば同じなんだろうけれど、その不安の感じ方も、もしかしたら私たちが想像するのとはどこか違ったりするのかもしれない。
「行き先なんて分からないままでも、行けば分かるんだからいいじゃない。」というのはあまりに乱暴な発想なので、やっぱり「意図的に伝える」ことを考えないといけないかなと思う。


5月22日(木)

朝起きて来たゆずきにお父さんが、「ゆずき、今日はバスに乗って行くんだって。」と言ってる。
ちょっとちょっと、中途半端な言葉かけはしないで欲しいな。
家にいる間に施設に行ってからのことを予告したことはないんだから、バスって言ったら単独登園のことだと思うかもしれないでしょう。
母子登園と単独登園とは、たぶん着替えのかばんの有無と私のリュックで見分けてるんだから、家を出る時に混乱したらどうしてくれるの・・・
と言うわけでお父さんが出かけてから私たちが家を出るまでの間に、必死で説明。
「お母さんと学園へ行って朝のお仕事をして、『おはよう』してからバスに乗ってお出かけします。」
この説明をどこまで理解したかは良く分からないけれど、とにかくゆずきはやる気満々になった。
いつもは駐車場から園舎までまともにあるかないくせに、今日は他の子やお母さん方に自分から「おはよう!」と挨拶(初めて聞いた)しながら元気に歩いた。
くつの履き替えも自分でサッサと出来た。
2階へ上がるとすぐに部屋に入らずに、入り口のところで中をのぞいている。
お散歩の時に背負って行くおそろいのリュックが出してあるのを見て、「ほんとだ。やっぱりお出かけするんだ。」って改めて納得したようで、上機嫌で朝のお仕事をこなした。

先生からリュックを受け取ると、私のリュックを開けさせて自分で水筒を出してリュックに入れ、それを背負って準備完了。
全員そろって朝のあいさつだけして、さあ出発。
バスに乗り込んだゆずきは、「シュッパツ、シンコー!」と繰り返す。
バスの中で朝の会をし、手遊びなどいくつかするうちに目的地に到着。(近いんです)
広い芝生の広場を横切って、遊具のある広場まで移動。
最近、母子の時のお散歩は歩く気の全然なかったゆずきが、今日はしっかり歩いてる。
歩き慣れない芝生の斜面もなんのその。
後であるお母さんに、「ゆずきくんが外で歩いてるの初めて見た。」って言われてしまった・・・
事前にきちんと予告出来て、納得して動けるとこんなに違うものだと初めて知った。

去年来た時にはほとんど遊べなかった遊具も、今年は頑張って挑戦した。
芝生の坂を走って登ったり降りたり。(付き合わされるお母さんはたまらないけど・・・)
他のお母さんたちも「ゆずきくん、嬉しそうだね。」って言ってた。
いっぱい遊べて楽しかったね。

けれど、今まで気付かなかった気がかりなことも見つけてしまった。
伝えられる事柄が増えて来て、今何をする時か分かって納得して行動出来る場面が増えて来た分、今までは見えていなかった何をするわけでもない宙ぶらりんな時間の不安さがチラチラと見え始めた。
遊具の一番上まで登って降りたけれどもう1度登ろうとは思わないし、次にしたい遊びもみつからず、何か声を発しながら方向が定まらないまま走りだした。それも蛇行してる。
なんだかうろたえてるようだった。
また、お弁当を食べ終わって片付けたんだけれども、少し時間があるから今すぐには帰らないという状態。
ゆずきは片付けたらすぐ帰るんだと思ってたのに「まだ帰らない」と私に止められて、それなのに「これから****をします。」とか言われるわけでもないものだから、遊び始めるまでしばらくの間、やっぱり少しうろたえてたように思う。
今までには気付いたことのなかったちょっと不思議な反応だった。



5月26日(月)

今日は午前中にことばの教室があって、午後には施設で内科検診があるのでまたまたかけもち。
朝家を出る時、私がゆずきの通園かばんと着替えのかばんを持っているのを見て、
ゆずきが、「バス?」(語尾が上がってた)と言った。
前回は施設に持って行く荷物は見せないようにしてことばの教室に行くことだけ予告したけれど、
今日は全部の流れを伝えてみた。

私   (ことばの教室の連絡ノートを見せながら)
    「ことばの教室に行きます。」
ゆずき 「ば?」
私   「そう、ことばの教室。」
ゆずき 「でんしゃ!」
私   「そう、電車するんだね。
     ことばの教室が終わったら学園に行きます。」
ゆずき 「バス!」
私   「お母さんと学園まで行きます。」
ゆずき 「バス、ないの。」
私   「お帰りの時はバスで帰って来ます。」

ことばの教室が終わると、
園舎から車までの間にゆずきの頭で「コンビニ・おやつ」の構図が出来上がってしまうようなので、
その前にと思って、部屋を出るとすぐに名札を見せて「これから学園に行きます。」と予告。
いつもと違う道でも何事もなく施設に着いた。
今日は2クラス合同の活動だったので、1階の初めて入る部屋にとまどってはいたけれど、
先生と手をつなぐと、ちゃんと自分から「バイバイ。」と言って手も振ってくれた。


5月28日(水)

今日施設で担任の先生(3人いらっしゃる中の1人です)がゆずきへの言葉かけの中で、私としては納得のできない表現をなさったので、つい口に出してしまった・・・

申し訳ありません。
お言葉ですけれど、そういうところで「かわいそう」という言葉はちょっと・・・

それはゆずきに向かって話された言葉ではあるけれども、ゆずきのことをさして言われた言葉ではなかった。
それでも、どうしても聞き流すことが出来なかった。

その言葉を口に出された先生もすぐに気付いて下さったようで、「あっ、そうだねぇ。」とおしゃったけれど・・・

出来ないことがあるということは、かわいそうなことなのですか?

出来ないことがあるから通って来ている、そもそも、ここはそういう場所なのだけれど、そういう場所だからこそ、もう少し慎重に言葉を選んで話してほしかったのです。


6月7日(土)

昨日施設で教育委員会の方から就学についてのお話を聞きました。
養護学校、特殊学級、通級指導教室の説明や、就学先が決まるまでの流れについて説明がありました。

もしも養護学校に通うのが適当という判定が出れば市内にある知的障害養護学校にスクールバスで通うことになる。
今のところ、これはないのではないかと期待しているのだけれど・・・

特殊学級の場合、自閉症の子は情緒障害特殊学級の対象になるのだそうだけれど、現在地域の小学校には知的障害特殊学級しかありません。
以前からあった特殊学級が対象児童がいなくなって休級になっていたものを復活してもらうのは比較的容易だけれど、新設してもらうのは難しいそうです。
それに情緒障害の場合児童が3人だか4人だかいないと新設されないそうです。
(事前にいろんな所に働きかけて1人の児童のために新設された例もあるにはあるようですが・・・)
地域の小学校に知的障害特殊学級しかない場合は、原則としては最寄りの情緒障害特殊学級のある小学校に入学することになるそうですが、地域の小学校に通えればそれに越したことはないので、児童の数や入学を希望する子の状態などを見て学校長が受け入れられると判断すれば、地域の小学校に入学出来ることもあるそうです。
秋に就学相談が始まるまで待たずに地域の小学校に相談に行くなどしておいた方が良いそうです。

あと2年でゆずきはどのくらい変わるんだろう。
2年後にはどういう進路を希望するか決めなければならない。
だんなはのん気に「普通の学級は無理なの?」なんて言ってるけど・・・
私も頭の片隅では、頑張って頑張って1年だけでも普通の学級でってことも考えないでもないけど・・・
今はこの問題はもう少し先送りにしても良いかななんて思ってます。


6月20日(金)

こちらの市では市の制度で交流保育というのがあって、親が希望すれば療育施設に通っている子を地元の保育所で親が付き添いながら交流させることが出来ます。
基本的には地元の保育所でするのですが、保育所の都合で受け入れてもらえない場合は別の近くの保育所になります。

うちも地元の保育所は断られて、少し離れた所の保育所でお世話になることになり、今日その打ち合わせにゆずきも連れて行って来ました。

田んぼの真ん中に建つ古い小さな園舎。
所長先生がとっても感じのいい方で、今までに何人か障害のある子も通って来ていた保育所だそうです。

事務室で所長先生と話しをする間、ゆずきは最初は私の側でチョロチョロしていたけれど、そのうち少しずつ動く範囲を広げて、部屋の入り口まで行ってはもどって来て、その次には廊下もちょっと歩いてみて、またすぐに戻って来て、すると次には保育室の前まで探検しては、また戻ってくる。
そのうち園児の保護者さんから電話がかかって来て、所長先生が席を立って保育室にいる先生に伝言をするために部屋を出て行かれると、なんとゆずきは所長先生の後ろをトコトコ付いて行って、用事を済ませた所長先生といしょにまた事務室まで戻って来た。

毎週木曜日の午前9時半から11時半まで交流させてもらうことになった。
年少さんは10人という規模と、この所長先生の雰囲気と・・・
来年、この保育所に必ず入れて再来年まで所長先生が移動しないという保証があれば、退園後の進路は保育所でもいいかな、なーんて思ったけど、公務員は移動がつきものだから・・・


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