万景台 金日成生家北朝鮮旅行記5日目万景台 金日成生家 万景台は金日成生家のあるところだが、全体がそれはそれは広い公園になつてゐた。 もちろん金と労力かけまくり、ゴミひとつなく、植ゑ込みの手入れもばつちり。 ここの現地ガイドさんはキムさんの外国語大学の先輩とかで日本語堪能。先輩といふだけあつて、やや年上。 「少し前までは美女だつた人」といふところか? <こんな感じ。とても広い> <きちんと手入れがされてゐます> <なにかが書かれてあります> <これが生家> <別の観光客グループ。別の現地ガイドさんが案内> 金日成の祖父母が住んでゐた家を案内。 「主席のお父さまは日本軍による拷問で殺されました」 「主席のお兄さまは日本軍による拷問で殺されました」 「主席の従兄弟は日本軍による拷問で殺されました」 ずつとそんな説明。 はいはいと聞く。 事実がどうだかは分つたもんぢやない。 芋でも盗んでぶち殺されたんぢやないの? とはもちろん聞けず。 「主席のお祖父さまは、孫が一国の指導者となつてからも、自分は農民としての生き方しか知らないと言つて 亡くなる3ヶ月前までかうしてムシロを編んでゐました」 「お祖母さまも繕ひものをしたり、一生を農民として生きました」 ええ話や。立派な祖父母や。 で、なんで、自分のどでかい銅像を建てさせたりする孫ができてしまつたのか? 話の9割は生家(祖父母)の貧乏自慢。 ひしやげた壷(値段が安い)を祖母が買つて運ぶ道すがら、近所の人があんなものを買つて、と笑つた。 「そのときお祖母さまは心の中で血の涙を流したと仰つてゐました」 さうですか。 しかし、そんな話は日本にだつて腐るほどあるぞ。 娘を身売りするほどに東北は疲弊してゐたのに、朝鮮の近代化のために日本は資金を朝鮮に注ぎこんだのだ。 当時「農奴」のやうな生活だつた朝鮮が近代国家へと踏み出せたのは日本のおかげだといふことを知らん のかい? と、口に出しては、はい、言ひませんでした。 ここにも売店があつて、案内された。 いままで見てきたお土産屋と大差はない品揃へだつたが、金日成・金正日・金正日の母親(3将軍といふ らしい。国際親善展覧館にも3将軍を題材とした絵やら焼き物やらは沢山あつた)の肖像をあしらつた 銅貨のセットはここではじめて見た。 「これは大変高価ですが、価値あるものです」 高価であるといふことで売れるとは思つてゐない口ぶりだつたが、即決買ふことにした。 「先生は大変素晴らしい買ひ物をしました」と現地ガイドさんは興奮気味。 ちなみに旅行中たまに「先生」と言はれた。敬称といふことで深い意味はなささう。 板門店の軍人さんの話も「先生にもお分かりのとほり」とかキムさんが通訳してたし。 高価といふことだつたが、値段はたしか3000円くらゐだつた。 他のお土産品は100円とかだからたしかに高価な部類だのだらう。 <メダルではなくコインだと現地ガイドさんは力説。たしかに1ウォンと刻まれてゐる。ちなみに「ウォン」 をヤフーの翻訳にかけたら同じハングルが出てきたから合つてゐると思ふ> 次は買ひ物をして、いよいよ空港へ向ふことに。 |