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お通夜に行ってきた。亡くなるとは本当に淋しいものである。
仕事の段取りが悪いこともあるのだが、大概、お通夜の時間とされた時間にはいけない。その時間外にいくのが通例となっている。 言い訳でもありますが、お通夜は時間外に行くのが良いとしています。 自動車の販売のセールスだったとき、1000件以上の顧客があるから、年に何回かは、このような場面が訪れました。人間、必ず死を迎えるものであるから当然です。 分単位で予定を組むことも多く、突然に入ってくる死の知らせに、予定を変更するのが出来ないことが多くあります。セールスとしての現役当時、仕事としての自動車の営業は厳しい世界で、親が亡くなった時も、葬式の準備をしながら、ノルマ達成のために、新車の注文をもらいに、2件走ったのでした。 このような仕事ですから、結果として、変な時間に駆けつけることがほとんどとなります。 通夜は、葬式を敬遠したい者、単なる義理で、行った事実を作るだけにと考える方も多いと思います。本音のはずです。宮沢賢治の詩のように、南に死にそうな人あれば、行って怖がらなくてもいいと言うような、その方の死に対しての深く関わる心境の方は一部だけの方でしょう。親しくない町内の人、仕事上の取引の為に顔を見たことも無い人、政治的な人、顧客としての付き合いの人。 亡くなられた方への生前の表敬、そのご遺族に対して、勇気づけの為には、ただ単に行くだけの事も有効ではあります。だから否定はしません。 悲しい話の時に、商用の話題は不謹慎かもしれませんが、他の方と時間をずらしていくことが営業的センスと言えます。あまり親密でない方に対しては、するべきでないでしょうが。 取引先として、義理で、決められた時間に行った場合、受付して、焼香して、さようならと、単に流れに任せてだけになります。顔も合わさないかもしれない状態では、訪問して留守だから名刺を置いてきただけと同じです。名刺だけ置いてきて商売が成り立つなら苦労しません。 これが、時間外に行くと、とにかく時間外にいくと、目立つのです。こんな遅くにわざわざと思ってくれます。印象も深くなります。後々までしっかり覚えていてくれます。 そして、遅くの時間になった場合、ほとんどの方が帰られて、ローソクと線香を絶やさ ないように守るために、数人の親族だけが居る状態になります。夜通し守をするのは大変です。そんなときに訪れれば、守をされている方を気分的に助けることもでき、他には誰もいませんから、いろいろとお話もお伺いすることも出来るのです。 印象が強く、深い部分まで話ができることで、大きな商談も頂いたことがあります。 通夜に行く労は、時間通りに行っても、時間外に行ってもほとんど変わらないでしょう。 労少なくして功多しとなるのです。 今回も時間通りに行けず、怪我の功名、親族の方といろいろお話することができました。 葬式、通夜はただ単なる儀式ではないのです。故人が残してくれた、人と人とのつながりをつくり深めるきっかけなのです。残された者が良い生活を送ることが故人の一番の供養となります。 人間はひとりでは生きていけませんから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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