かえのぼちぼち日記

2007/01/18(木)00:22

12年。祈り。

普通の日記(97)

1月17日は兵庫県民の私としては忘れられない日です。12年前、あの地震が起こりましたね。当時私は 生後1ヶ月の息子と一緒に激震地の実家西宮に産後の里帰り中でした。ちょうど17日が息子の1ヶ月検診だったのです。息子を連れて行くはずだった病院には 多くの被災された人が担ぎ込まれ地獄絵図を見ているようだったと私の産婦人科の担当医の先生が何年か後に再会したときに言っておられました。私の実家は幸いにも塀が倒れただけで済みましたが少し歩くと子供のころから見慣れた家々が軒並み倒れ 亡くなった方もたくさんおられたんです。あとで知ったことですが 高校時代の友人とそのご家族も亡くなりました。 実家の母はこれ以上西宮にいることは息子にもよくないので家に帰りなさいと言い翌日息子を連れて六甲山を超え今の家に帰ってきました。普段なら1時間もかからない距離なのですがあの時はダーリンが迎えに来るのに4~5時間、帰りも同じぐらいかけて帰ったものです。クルマの中から見る西宮は あちこちから煙があがり、ガスのにおいがし、サイレンが鳴り響いていて、その中を人々が協力しあって瓦礫をどけようとしている光景、水道管から噴き出している水を分け合っている光景と 色々な光景を見ました。私を育ててくれた西宮が悲鳴を上げているのに、いくら小さな息子がいるからといって家にさっさと帰ることが、実家の家族や被災地の人たちに対する裏切りのように思えて息子を抱きながらずっと泣き通しでした。今息子は12歳、春には中学生になります。赤ん坊だった彼がこんなに大きくなるんですから12年というのは本当に長い年月なんですが私にとってあの日は決して過去ではありません。皆さんのおうちは地震対策してますか?防災用品はきちんと定期的にチェックして いつでも使えるようにしていますか?関西では地震は起きないとずっと子供のころから聞かされて育ちましたが(本当のところを言うと 関西でいつか大地震が起こるというのは聞いていましたが私が生きているうちはありえないと 何の根拠もなく思っていたのです。)そこであの地震が起こったのですから 日本中で安全な土地はもうないんでしょう。どうか 明日はわが身と思って地震に対する心得をもう一度思い出してみてください。それが震災を風化させないことだと信じています。   

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