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Kuma Kuma Diary ~KAEDEのブログ~

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私と合唱 ~4年間で教えてもらったこと~

(このページでは、私・管理人と関わりが深い合唱について語っています。なお、別ブログで書いていた「キッカケ」と言うカテゴリーに登録している内容の再編集版となります)



私の中で、「音楽を聞く」と言う動作の中で、J-POPとは別に特別な存在があります。それが合唱です。
ワタクシ・KAEDEは、中学・高校と部活で合唱をしていました。中学は3年、高校は1年とちょっと変則的なんですが、なぜ変則的なのかは、話の中で語っていきます。

話は、小学校時代へとさかのぼります。
私が通っていた小学校では、毎年秋に「音楽会」と言って、2学期の始め頃から、先生に与えられた合奏曲・合唱曲(私の学年では、クラス毎に2チームに分けられていました)を練習し、それを保護者の前で発表すると言うのがあったんです。
1・2年の音楽の授業は担任の先生が教えていましたが、小学校3年からの授業は音楽の教科担任が担当。もちろん「音楽会」の練習もその音楽の先生が担当となるんです。で、小3の時のクラスの音楽の先生が男性(おじさんくらいの年齢の方)だったんですが、とにかく怖かった!もうこの時分で、合唱の基本・腹式呼吸を教えてたんですよ(当時は訳も分からずやってましたけど)。腹式の基本を体で覚える為の歌(スタッカートの練習用・あくびの時の喉の状態を覚える為の歌など)もありました。今だに覚えてますもの、ワタクシ。
そんな経験から、この当時、合唱と言うものはあまり好きではなかったです。練習が怖かったと言うのが1つ。もう1つは、女の子なら合唱コンクールなどで、
『メインのメロディーが歌えるからソプラノへ行きたい!』
と思った事があると思います。それは、私も同じ思いでした。でも、パート分けをしたら、ほぼ100%アルトに回される事が多かったんです。
結局、小学校時代、合唱はほぼ全てアルトに回され、
『もう、合唱なんて、やることはないやろなぁ』と思い、ホッとしていたんです。

ところが、中学に入学してから、どこかの部活に入る事が必須と聞いて、悩みに悩んだ挙句、ブラスバンド部・図書部の中に、『やることはないだろう』と思っていたコーラス部を候補の中に入れていました。
仮入部の時、まず、コーラス部へ。すると、先輩方が笑顔で迎えてくれたんです。そして、早速、楽譜をもらいました。どのような経緯でそうなったかは覚えてないんですが、私はこの時もアルト。この時、合唱した曲は「夏の日のおくりもの」と言う合唱曲。歌ってて、すごく楽しかったんですね。
『結構、楽しいかも。』
と思い、仮入部終了後、即入部。直ちにパートを決めがありました。顧問の先生に高音部・低音部がそれぞれどこまで出るかを調べていただいたんですが、
『結構、声幅が広いから、アルトに行きなさい』
と言われ、『またアルトかぁ…』と少し凹んでたんですが、そんな事言ってられないくらい、この後、厳しい練習が待ってました。
とにかく、腹式の基本を徹底的に体で覚える練習が続きました。合唱って、一見、簡単そうですが、本格的にやってみると、見た目以上に体力がいるんですよ、これが。家に帰ると、ベッドに横たわりたいくらい、グッタリするんですね。
そんな練習が続いた1学期が終わり、そうこうしているうちに、2学期がスタート。この時期から、行事が目白押しでした。神戸市の連合音楽会、自分の中学校での文化祭、MBS主催の「こども音楽コンクール」の3つがすでに決まっていました。
連合音楽会は、うちの中学校が単体で出るわけではなく、神戸市の中学校の合唱部の有志が集まって出来た“神戸市中学校合唱隊”で出演する事もすでに決まっていたんです。何回か合同練習の為、こべっこランド(神戸・ハーバーランドにある施設)や太山寺中学校(神戸市西区)などに行って練習しました。
さらに、それと平行して、自分の中学校での文化祭で歌う曲や、MBSのコンクールで歌う曲などを練習するので、ホントに忙しい日々でした。でも、忙しいながらも充実感もありましたし、歌う事で、自分の中で癒されてる感じもありました。その後も、2学期を中心にいろんなところへ行きました。
中学校単体では、文化祭・MBSコンクール(中1&中2の2回出場。2回とも「優良賞」を取りました)・中学校の入学説明会などで歌いました。
“神戸市中学校合唱隊”としては、連合音楽会の他に、神戸まつり(確か、中学2年の時に出演しました)・旧職員のつどい(元・教員だった方々のイベントでした)に出たり、外国の合唱団との交流などもやりましたねぇ。
そんなこんなで、中学3年間は、忙しいながらもいろいろあって、充実した部活でした。こうなれば、高校でも合唱をやり続けたいなぁと言う思いが膨らんでいったのは言うまでもありません。しかし、私が進学を予定してた高校にはコーラス部がなく、諦めざるを得ませんでした。

高校に無事に進学した私。高校で新たに何か出来ればと思い、軽音楽部に入部。
しかし、楽器が苦手だった私には壁が厚く、(裏方で出演した)高校1年の文化祭後に退部を決意しました。退部の手続きをしようと顧問の先生(男性でした)のところへ行くと、思わぬ返事が返ってきました。
『来年度に(軽音の中で)合唱をやる部門を作りたいと思ってるんだけど、興味ない?』
後に分かるのですが、実は、顧問の先生は軽音以外に合唱もしていて、パートは(女声ではアルトに相当する)バスだったのです。結局、退部するどころか、合唱が出来ると言う思いから保留。来年度まで待つ事にしました。
高校2年に進学して初のミーティングで、そのプランが部員全員に報告されました。部員の中でメンバーを募ったところ、私を含め、僅か2名。すぐさま、6月にある文化祭でやる楽譜が渡されました。その時やったのが、映画“天使にラブソングを”の1作目でシスター達が歌ってた全曲。全編ゴスペル調&英語の歌詞で、少し難しかったけど、ESS(英語研究部)の先輩方に教えてもらいながら、何とか無事に成功しました。
しかし、文化祭終了後に1人抜け、完全に1人になってしまった私。少し凹んでいたところへ、顧問の先生が
『来年の文化祭まで、時間はたっぷりあるし、ボイトレしよっか。』
と一言。てな訳で、マンツーマンでボイストレーニングをする事になりました。これが、自分にとってすごく為になったボイトレだったんですね。
顧問の先生から教わったボイトレは、実際に音楽大学の声楽科とかでやってるトレーニング方法らしいのですが、この方法、女性にとってはちょいと恥ずかしい格好もしないといけない訳です。でも「恥ずかしい」なんて言ってられないですよ。ちょっとでも先生が思ってる音と違ってると、
『音が低いよ!』
『もっと出るでしょ!』
と言う厳しい声が遠慮なしに来ました。中学時代にずっとやってきた事の中で、身についていた事・身についてなかった事がこのボイトレでよく分かりました。そうそう、練習後などや職員室でバッタリ会ったりして合唱などの話をした時、よく言われていたのは、
『君の声はもっと良くなるよ!』
と言う言葉。その一言があったから、厳しいボイトレもついてこれたのかもしれません。

合唱から離れて10数年。今だに、NHKの音楽コンクールの課題曲(特に、中学校の部・高等学校の部)をチェックしては、自分自身が合唱に打ち込んでいた時を重ね合わせながら、コンクールの模様を見てる自分がいます。
合唱を本格的にやったのは4年ですけど、当時の私にとっては、この4年が倍以上の年数に感じるくらい、充実してキラキラしたものだったように思います。



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