1990年3月26日に産まれた我が子
3月26日。 この日は三男の誕生日でした。写真加工してありますので・・・吐かないようにお願いします福島に住んでいて、元夫と暮らしています。この子が産まるのに大変だったことを思い出します。本来なら、この子は4月に産まれるはずでした。ですが、長男が小学入学時期に重なるので「早く産んでしまえ!」と元姑。そんな簡単に産めるわけもなく。産院の先生に相談。計画分娩はできますよ?との返答。それを元姑に伝えたところ。「私が3月生まれだから28日しなさい!」・・って・・・この元姑何考えてるんだ?とは思いましたけど。ほらっ・・私‥嫁でしょ?口答えできず、元旦那に伝え・・「それは無理!」と言ってもらおうとしたら。エネ夫。「おかちゃんがそういうならその日に産めよ」と。なんだこいつ!と、はらわた煮えくりかえりましたが、そのことを母親に相談したら。母親も母親で、別れた夫(私父)と同じ日に産まれては困る!・・・と。なんなんだこいつら!?と胸の奥で吐いてましたが、そこは堪え。悩んだ末、26日に自己決定しました!前日から陣痛剤と服用し、初産の時よりも時間がかかり、26日23:57に産声!元姑の初めの言葉は・・・五体満足で産まれた。だけど・・自分と同じ日ではないのが残念だとか。母親は母親で、私父と同じ日にならなくてよかった。ほっとした・・なんて言葉が。その時から何かが冷め、子供たちを育て上げたら、この人たちから関わりたくない!そう思った日でもありました。この子が産まれて30年。4人の子を育て上げ、親の責任は果たしました。みな家庭を持ち精いっぱい頑張ってるみたいです。あっ!そうそう。元夫ですが、子供4人側に居てます。子供たち曰く。 親父はお袋と違い強くないから側に居てやらないとな~だって。それから、元姑・舅の介護看取りを終えたので私は卒業させてもらいましたわよ!子は子の人生。親は親の人生ですもんね。